ダンジョン・クロニクル プレイヤー記録 作:Rime casket
――アリスブルーは、優しくない
ログイン451日目
場所:始まりの街リディア 外門
今日もいつも通りだった。
初心者の護衛。
薬草クエの同行。
スライム討伐のフォロー。
「トーヤさん助かりました!」
「またお願いします!」
笑って手を振る。
感謝されるのは悪くない。
ここなら誰も死なない。
ここなら俺の判断で仲間が消えることはない。
安全で、穏やかで、責任が軽い。
――楽だった。
だから今日も、門の外で立っていた。
その時。
背後の空気が変わった。
ざわつきでも気配でもない。
“静まり返る感じ”
振り向かなくても分かった。
でも、振り向いた。
風に揺れる淡い髪。
白にも見える、青を含んだ色。
アリスブルー。
「……イルム」
名前が勝手に口から出た。
イルムは少しだけ視線を動かし、周囲の初心者たちを見る。
怯えて距離を取るプレイヤーたち。
その視線が、ゆっくり俺に戻る。
無言。
懐かしさも、驚きも、喜びもない。
ただ観察する目。
「久しぶりだな」
言ってみる。
軽く。
何でもない再会みたいに。
イルムは答えない。
代わりに、俺の装備を見る。
ランクバッジを見る。
門の外で初心者と並ぶ立ち位置を見る。
そして、言った。
「……ここで何をしているの」
責める声じゃない。
ただの確認。
でも胸の奥がきゅっと縮む。
「初心者の手伝いだよ。危ないしな、最初は」
言い訳みたいな説明。
イルムの目が細くなる。
「前線は」
その二文字で、喉が詰まる。
「今はちょっと休んでる。ほら、あっちレベル高いし」
笑ってごまかす。
自分でも分かる。
軽い。薄い。
イルムは一歩近づく。
逃げ場がなくなる距離。
「あなたは」
そこで言葉が止まる。
一瞬、何かを測るような沈黙。
そして、静かに続く。
「――あの時、“隣に立つ”と言った」
心臓が強く打つ。
覚えていたのか。
俺が一年かけて、やっと言えた言葉を。
イルムの声は変わらない。
冷たくも怒ってもいない。
ただ、事実を述べる調子。
「今のあなたは、どこに立っているの」
答えられない。
初心者の後ろ。
安全圏。
失敗しても誰も失わない場所。
「守るのも大事だろ」
絞り出す。
「誰かがやらないと」
言ってから、すぐ分かった。
それは本心じゃない。
イルムの視線が揺らがない。
「逃げ場にしているだけ」
言葉が刺さる。
鋭い刃じゃない。
でも、深く入る。
「違……」
否定しようとして、止まる。
違わない。
俺は怖くなっただけだ。
また判断を誤るのが。
また仲間を失うのが。
だから“責任の軽い戦場”に居座っている。
イルムが続ける。
「あなたの剣は、もうここには合わない」
周囲の初心者が、意味も分からずこちらを見ている。
「でも…俺は……」
言葉がまとまらない。
イルムは、ほんの少しだけ目を伏せた。
初めて感情が見えた気がした。
それは怒りじゃない。
失望だった。
「熱があった」
小さく言う。
「強くなろうとしていた」
胸が痛い。
「今は、自分に嘘をついている」
完全に見透かされている。
「優しいふりをして、傷つかない場所にいる」
その通りすぎて、反論できない。
沈黙が落ちる。
周囲の音が遠い。
イルムは視線を外し、門の向こう――前線へ続く道を見る。
「失敗してもいい」
ぽつりと言う。
「間違えてもいい」
でも、と続く声は少しだけ硬かった。
「自分から下りた場所で満足するのは、違う」
顔を上げられない。
俺は今、剣士じゃなくて。
ただの、臆病者だ。
イルムが背を向ける。
そのまま去る前に、最後に言った。
「あなたは、ここで終わる人じゃなかった」
足音が遠ざかる。
転移エフェクトもない。
歩いて去った。
その背中を、追えなかった。
⸻
門の外。
初心者が恐る恐る近づいてくる。
「あの人、知り合いですか?」
答えられない。
ただ、手の中の剣が重い。
前よりずっと重い。
⸻
その夜の日記。
「ログイン451日目
イルムに会った
失望された」
少し空けて、震える手で書く。
「図星だった」
カーソルが点滅する。
最後に、絞り出すように一文。
「まだ、終わりたくないと思ってしまった」
セーブ。
画面を閉じても、アリスブルーの視線が消えなかった。