あのデートから、だいたい一か月が経過した。
距離をぐっと縮めてボクのことを女の子としてトレーナーに意識してもらう作戦は……成功したのか分からない。
だって、今までと距離感変わらないんだもん! トレーナーもいつも通りに接してくるし!
「ワケワカンナイヨー!」
「テイオーちゃん、うるさいよ」
自分の相部屋のマヤノに注意されながら、ボクはばたばたとベッドで足を泳がせてしまっていた。
それほどまで、ボクとトレーナーの関係は変化の兆しすら見えていない。
別に何もしてなかったわけではないのだ。
というかむしろ、今までより積極的に距離を近づけようと頑張っていた。
一緒にいる時間を長くしたり、お昼ご飯を作ってあげたり、隣で寝ようと仮眠中のトレーナーの脇に潜り込んでみたり。因みにそれは追い出された。
「意味なかったのかなぁ……」
恋のダービーとは難しい。
明確なゴールはあるのに、そこに辿り着くまでの距離というのは誰も知らない。
短距離なのか、長距離なのか。芝なのか、ダートなのか。
もしかしたら、レースの出走者さえも途中で増える可能性すらある。
「はぁ……」
溜息をつきながら、天井を見上げて一呼吸。
そしてベッドから体を起き上がらせると、ボクは気合を入れるためにパンと自分の頬を叩いた。
くよくよ悔やんでいたって仕方ない。
ボクが自分の最強を信じて上げなきゃ、このレースは始まらないんだ。
立ち止まる暇なんかあるなら前に一歩でも進む方が、ずっとボクの性に合っている。
「次は何しようかなぁ。トレーナーがして欲しいこと……なんだろ……」
携帯で検索をかけながら次のデートプランの案について模索をしていると、画面上に通知の吹き出しがぴこんとという音と共に生えてきた。
送り主を確認してみると、相手はまさかのボクのトレーナー。
まるで想いが伝わったかのようなぴったりなタイミングに、ボクの尻尾は嬉しくてゆらりと揺れてしまう。
「えーっと何々……あっ、そういえばもうそんな時期だったね……」
そこには書かれていたのは、とあるレースを一緒に見に行かないかというトレーナーからの短いメッセージ。
そのレース名は、日本ダービー。
ウマ娘の人生で一度しか出れないクラシックレースが一つであり、ボクと彼にとっても思い入れの深い特別なレースの一つだ。
「勿論行くよ……と、送信! って、去年のダービーからもう一年かぁ……早いなぁ……」
ボクはころんとベッドに対して脱力すると、時間の流れを感じてしまいゆっくりと目を閉じてしまう。
その一瞬に視界に入ったボクのダービーの優勝トロフィーが、きらりと。確かに、輝いていた気がした。
~~~~~~~~
日本ダービー。
皐月賞と菊花賞に並ぶクラシックレースの一つであり、最も運がいいウマ娘が勝つなんて言われていたりするG1レースだ。
でもこのレースが運でどうにかなるなんて全く思わない。
なんて言ったって、このダービーこそが。ボクが無敗の三冠を取るために、最も苦戦したところなんだから。
「今年も混んでるな」
「そうだねぇ。毎年増えてる気がするよ」
だけどそんなレースも、今では出走する側ではなくレース場にいる大勢の観客の一人。
あの時ターフの上で中心となって走っていたあの頃が、なんだか随分と昔のように感じられてしまうものだ。
「手、繋ご?」
人混みに紛れないようにボクからそっと差し出した手を、トレーナーは優しく握ってくれた。
レースの盛り上がりに比例して、開催場所である東京レース場の人口密度は上がりに上がって行っている。
ボクたちがちょっとでも手を離したら、もう二度と会えなくなってしまうくらいには。
「どこで見る? やっぱり最前線だよね!」
「そうかと思って、席は取ってあるぞ。まぁ、トレーナーとテイオー特権みたいなもんだけどな」
「さっすがー!」
人混みの中をかき分けるように、二人で目的地である観客席の最前列へ。
ガヤガヤと混ざりあって声として聞こえない音が会場全体を包み込む中、ボクたちは目的地へとなんとか辿り着く。
こうして辿り着いた場所の目の前にはターフが広がっており、そこだけ空間として隔離されたかのようにしんと静まり返っていた。
まるで、今から始まる嵐を待っているように。
「やっぱり、思い出すなぁ……。日本ダービー……」
あの頃のボクの想いは、レースをなぞるように鮮明に思い出せる。
皐月賞を取って、ちょっとだけ調子に乗っていたボクもいた。
ここを勝てば、三冠に王手と宣言できることにワクワクしていたボクもいた。
そして──確かにレースに負けかけたボクもいた。
「……」
誰だって闘志の大きさは同じだ。
誰よりも速く走りたい。誰よりも速く先にゴールしたい。
そしてその強さは、G1になると更に大きくなることをボクはまだ自覚していなかった。
だけど、ボクは勝てた。
そう思い返すと、ダービーが「最も運がいいウマ娘が勝つ」というのは間違っていないのかもしれない。
──前を見て走れ! テイオー!!!
だって、隣にキミがいたから。
苦戦はしたし、終わった後に辛かったこともあったけど。全部キミがいたから諦めなかった。諦めずに、目指すことが出来た。
そして、ユメを掴むことも出来た。
こればっかりは、確かに運命が絡んでいるよね。
「おっ、始まりそうだぞ」
「来た来た! 今年のダービーウマ娘は誰になるのかな?」
「うーん、俺の予想だと……結構均衡してるからこれとは言えないな」
ターフに目を向けると、そこではゲートの中に次々とウマ娘が収まっていく様子が見える。
今回は誰もごねることもなく、順調に枠組みが終わっていっていた。
そんな中で、ボクはふと気になってしまったことをトレーナーに訊ねてしまう。
こんなこと、聞いても意味ないのに。
「……ねぇ、もし。もしだよ? このレースにボクがいたら、どうなると思う?」
「……そうだな」
かちゃりと何かの音がこの空間に鳴り、しんと会場が静まり返る。
きっと、レースが始まる合図だったのだろう。
ゲートがバン! という音と共に開く瞬間。
トレーナーはボクの顔を一見して、確かに聞こえる声で答えを呟いた。
「絶対、テイオーが勝つよ」
~~~~~~~~
今年のダービーも無事に終わり、熱冷めぬこの場所でボクはずーっとターフを見つめていた。
今日やる予定だったレースは全て終わり、夕暮れ時になってしまっている。
あと一歩進んだら夜になってしまいそうな時間帯で、ボクはその場所でずっと動けないでいた。
「……ふぅ」
さっきまで目の前のレースの熱気に当てられて、一気に頭が湧き上がってしまった。
なんとか熱暴走しそうな感情を落ち着かせたくて、ここにとどまってしまったがその心は収まることは無かった。
これまで時間を置いても、まだ冷めぬこの想いがあるならば確かにこれは本物なのだろう。
確証は合ったし、確信もあった。
ただ、そこに踏み出す勇気が無かっただけで。
「ねぇ、トレーナーいる?」
「いるぞ? どうした?」
告白「させる」だなんて。そんな恋のダービーの駆け引きなんてするよりさ。
ずっと先頭を。一番を走って行く方が、ずっとボクらしかったよ。
だからさ。ボクに勝つって言ってくれた、トレーナーの前で。
ボクは言葉を紡ぐんだ。
「好きだよ、トレーナー」
この時のボクは、どんな表情をしていたのだろうか。
目の前にあった一番近い鏡は、トレーナーの瞳の中。
それもなんだか霞んでよく見えないし。トレーナーの顔も……暗くてよく見えない。
「好き。大好き……どんなに誤魔化したくても、誤魔化せなかった」
何言ってるのか、自分でも分かんない。
一回でも流れ出した感情の洪水は、どんどん侵食する様に押しつぶしてきて。
ボクがボクで無くなる前に。ボクがボクであるために。
口を開いて、なんとか言葉を吐き出すんだ。
「ずっと、好きだった! いつから好きだったか、もう覚えてないけど!」
好きになった瞬間は、いつだったのだろうか。
有マで引退した時?
春シニアに挑んだ時?
クラシック三冠を取った時?
初めてデビュー戦に勝った時?
それとも──彼と初めて出会った時?
「もう我慢できないんだもん!」
ボクの後ろにある夕日が、前に濃く影を落とした。
しんと静まり返った二人しかいないレース場に、一人のウマ娘の告白が響き渡る。
目の前にいる彼は、何も言わず。動かず。ただボクの話を聞いていた。
「だから!」
困惑していたのか。それとも驚いていたのか。
暗くて、彼の顔が見えない。だけど、彼の場所は分かる。
ボクはトレーナーの前に踏み出すと、彼の右手を掴んでぎゅっと鳴り止まない自分の心臓に引き寄せた。
「ボクを、こんなにした責任を取ってよ!!!」
口から出た告白は、ぐっちゃぐちゃで。めちゃくちゃだ。
それに論理も理屈も無く、ただ気持ちを鳴いて、泣いて。
最初に優しく呟いた「好き」って言葉はどこへ行ってしまったのか。
今は小さく嗚咽を漏らすことしか、ボクには出来ない。
「うあっ……うぅ……」
酷い。本当に酷い。
好きだって想いを伝える行為は、もっと綺麗だって思っていたのに。
トレーナーの手をぎゅっと握りながら俯いて泣いてしまっていると、ボクの頭にポンと何かが乗っかった感覚がする。
「悪かった……」
聞こえてきたのは、トレーナーの謝罪。
涙を拭いながら顔をゆっくりと上げると、そこでは彼の瞳がボクの瞳を覗き込んでいた。
そして口を開くと、ボクに聞こえるようにしっかりと返事をしてくれる。
「実はな……俺もテイオーが好きなんだって、あの日からとっくに気づいてたんだ」
「そう……なの?」
「だけど、トレーナーとウマ娘の関係だからって思うと……どうしても踏み出すのに躊躇してしまってな……」
「えっと……それって……」
「でも、テイオーが一歩踏み出したんだ。俺も、少しカッコつけないとダメだろ」
そう言った彼はボクの前にしゃがむと、まるでお姫様の前の騎士にすっとボクの手を握る。
なんだかすっごい物語の中みたいで。夢の中のようだけど。
今だけは、これを味わってもいい……よね?
「テイオーが良かったら、俺と付き合ってくれないか?」
そうして紡いで紡がれた言葉は──確かにボクの耳に届いた。
真っすぐに、シンプルに。
そして、ボクが今一番欲しかったセリフを彼はくれた。
「……っつ!」
ボクはそんな彼からの想いを受け取ると、言葉にならない声を出して思いっきり抱き着く。
ぎゅっと引き寄せられた体は、もうどっちが熱いのか分からないくらいで。
「トレーナー、大好き!」
そうして、ボクは彼の唇にそっと影を落とす。
最初のキスはレモンの味がするなんてよく言われていたりするけど、結局分かったのは唇が触れた確かな感触だけ。
長くて、一瞬。距離が数ミリからゼロになった想いが織りなす、ずっと膨らんでいた我慢の反動。
最後まで、不格好な告白だったけど。
ボクと彼らしい、気持ちのぶつけ合いだったと思うんだ。
~~~~~~~~
「じゃあ、これからボクとトレーナーはカップルということでいいんだよね?」
東京レース場という舞台で、ダービーという大きなレースをゴールした後。
ボクとトレーナーはトレセン学園へと帰るために、二人で手を繋ぎながらゆっくりと歩幅を合わせながら歩いていた。
前までだったら恥ずかしくて勇気を出さないと無理だったけど、今のボクなら無敵だからなんだって出来てしまう。
なんたって、ボクはトレーナーの彼女なんだから!
「いや、ダメだぞ」
「へ?」
トレーナーからさっきまで想ってたことと反対なことを言われて、ボクの口から思わず変な声が出てしまう。
な、なんで!? さっき、ちゅーまでしたのに!?
ボクが慌ててトレーナーの腕をぶんぶんと振り回しそうになってしまうと、彼はさも当たり前のように話始めた。
「流石に学生の間に付き合うのだ駄目だろ……?」
「じゃあいつからボクはトレーナーと付き合えるのさ!?」
「そ、卒業後……?」
大前提としてボクはまだ学生で、トレーナーは社会人だ。
年齢差とかの以前に、残念な事に世間はそれを許してくれない。
だから卒業後に付き合うってことは、分かる。理屈としては分かるんだけど。
「やだやだやだ! そんな我慢なんか出来るわけないじゃん!」
理屈で感情が止められたら、苦労なんてしない。
だってもういいよって言われたと思ったら、次はお預けってなってるんだよ? そんな急に言われても、ボクが止まれる訳ない。
流石にそんなことは彼も分かっているのか、トレーナーは頭を悩ませながら口を開いた。
「じゃあ、俺が休みの日だけ。週二日で、恋人の日とか作るのはどうだ?」
こうして彼から言われたのは、凄くまともな提案。
確かにこれならトレーナーと担当ウマ娘という関係と、彼氏と彼女の関係を両立できる。
平日はいつも通りでも、休みの日にトレーナーと思いっきりイチャイチャ出来るなら……。
「凄い不満そうだな……」
「だって……本当はずっとトレーナーと一緒にいたいし……」
これがボクの本音だ。
四六時中ずっとトレーナーの近くにいたい。
だけど、それは無理だって知ってるからなんとか我慢してるだけで……
「……分かった」
そう言ったトレーナーはボクの耳に顔を寄せると、誰にも聞こえないよう──ボクにだけ聞こえるようにこう呟いた。
「週二日の恋人の日は……ずっと俺と一緒にいることにしよう」
「……うぇ?」
「おはようからおやすみまで。その二日だけ前のデートみたいに、な」
思い出すのは、あの日のデートの内容。
ずっと最初から最後までトレーナーと一緒にいられた、あの日。
それをこれからは一回と言わずに、週二回で出来ると聞いて。
ボクは頷かないわけにはいかなかった。
「分かった! する! そうする!」
「じゃあ普段はトレーナーとウマ娘の関係でよろしくな」
「りょーかい! 任せてよ!」
はたして。
これからそれが守り通せるのか。それともバレてしまうのか。
未来は、誰にも分かんないけど。
だけどこれだけは言える。
ボクの恋のダービーは、また次のステップへと足を進められて。
きっと、このレースに終わりはないんだってこと。
そして、彼とトレーナーはこれからずっと一緒に走れるんだって。
そうだよね。
ボクの大好きな──トレーナー。
物語は、エピローグへと続く。
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