僕と君の恋はダービー   作:フラペチーノ

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トレーナーに口移しされる気持ちは、どこか甘くほろ苦い

 あのデートからだいたい一か月が経過した。

 トレーナーに対して想いを伝える作戦は……まぁ大失敗に終わったと言っても過言ではないだろう。

 なんであの時、僕はそのまま気絶してしまったんだ……。完璧に近い、望んだシチュエーションだったのに……。

 

「うぁぁ……」

 

 ベッドの上で枕に顔を埋めながらバタバタと足を動かして物音を立てても、誰かが反応してくれることはない。

 あの夜だけの少しだけ騒がしかった時間を思い出しながら、僕は大きなため息をついてしまう。

 

「何やってるんだろ……僕……」

 

 あれから、トレーナーとは顔を合わせていない。いや、合わせられていないが正しいか。

 僕たちが一緒に一晩過ごした次の朝、二人で顔を見合わせたときのなんとも言い難い空気は今でも思い出せる。

 お互いに目線をちらちらと交わしながら、何も言い出せないあの瞬間。

 結局トレーナーは朝起きたらお礼だけ言って帰っちゃったし、僕はそれを追いかけていくことさえできなかった。

 

「で、それから連絡も取れてないのは駄目すぎるでしょ……」

 

 お互いに仕事があるので顔を合わせられないのは分かる。

 だがメッセージの一つも送れてないのは、僕がヘタレだからに他ならない。

 恋のレースにゴールするなんて思ってたのに、このままだと出走停止になりかねない。

 

「はぁ……」

 

 もう一度、ため息。

 別に期間が決まっているわけではないし、焦るより落ち着いて行動した方がいいのは今までの傾向からなんとなくわかっている。

 だけど、先行きが見えないレースを走っているのは不安になるもので。

 なにより、前回のデートで手ごたえがあったからこそ。

 一体彼の中で、僕がどの立場にいるのかが気になって仕方ない。

 

「またお仕事が忙しくなったけど……でも、もうあの日に休みいれちゃったしね。僕から、誘わなきゃ」

 

 僕が携帯のスケジュール表を確認すると、とある日に赤文字で休みと入力されている。

 どれだけ仕事が忙しくても、手が離せなくても、平日でも、休日でも。

 この日だけは、絶対に二人で会うようにしている。

 

「ねむいな……」

 

 五月二十六日。

 一見何でもない日のように見えるが、僕たちにとっては違う。

 僕はふぁと小さくあくびをすると、当時の日を思い出すように瞼を閉じた。

 

「……すぅ」

 

 日本ダービー。

 僕がその名前のレースに勝った大事な。大事な、記念日である。

 

~~~~~~~~

 日本ダービーは、東京レース場で開催されるクラシックレースの一つ。

 皐月賞と菊花賞に並ぶクラシックレースの一つであり、最も運がいいウマ娘が勝つと言われていたりするG1レースだ。

 でもこのレースが、運でどうにかなるレースではないのは僕が一番知っている。

 なんて言ったって、このダービーこそが。僕が無敗の三冠を取った時、最も苦戦したところなんだから。

 

「今年のダービーは、誰が勝つかな……。仕事でお話したけど、僕にはみんな有力バに見えるよ」

 

 そんな夢のG1レースも、今や僕はURAの運営としてレースをサポートする立場。

 あの綺麗なターフを走った時から、随分と遠くに来てしまったものだ。

 だけど、あの時のレースに勝った感動は今でも忘れられない。

 

「今年の記念日はトレーナーが招待してくれたけど……なんだろ……」

 

 そんな思い入れの深いダービー記念日には、毎年二人で食事会をするのが通例になっていたりする。

 その年のダービーの日ではなく、僕がダービーを勝った日にやるのがちょっとしたこだわり。

 それだけ二人の中で、ダービーというのは思い出深いレースなのだ。

 

「僕から連絡しようかなって思ってたけど、先に誘われちゃったな」

 

 そんな今年の記念日の食事プランは全てトレーナーが用意してくれたため、僕には全く情報が入っていない。

 彼が教えてくれたのは、集合場所と時間だけだ。

 

「あっ、トレーナー。いたいた」

 

 時刻は、すっかりと日が暮れた夜。

 僕は待ち合わせ場所であった駅のホームでトレーナーを見つけると、彼に向かって手を振った。

 歩いてトレーナーの元に近寄ると、彼がにこりと微笑んで返事をしてくれる。

 こうして一か月ぶりに会う彼は、なんだか前デートした時とは雰囲気が違っていた。

 

「スーツ? 仕事帰りだった?」

 

「まぁ、ちょっとな」

 

 前回の私服姿と違って、今日は仕事などで見るスーツ姿。

 もしかしてこの時間になるまで、トレーナーとして仕事をしていたのだろうか。

 G1シーズンだから忙しいのは仕方がないといえば仕方ないのだが……準備までして貰ったのに自分は何も出来てなくて、彼の負担を心配してしまう。

 ならこの招待してくれた食事会を精一杯楽しむことが、彼に対する一番のねぎらいだろう。

 トレーナーと一緒に居られるだけで、もう既に嬉しいんだけどね。

 あとは前回のことを反省して、お酒の飲み過ぎには気を付けなくては……

 こうして僕が心の中でしっかりと前回の反省をしていると、突然僕の手のひらに柔らかな感触が伝わってくる。

 

「あとは案内するから任せてくれ」

 

「へ? う、うん……」

 

 驚いて顔を上げるといつの間にかトレーナーが隣に立っていて、僕の左手をそっと握ってきていた。

 いつもこうしているのが当たり前だったかのような自然な行動に、リアクションすら取ることが出来ない。

 こうして彼が優しく引っ張って案内してくれた先は、なんだか豪華に装飾されたビルの出入口。

 そのまま彼に連れられて中に入ってみると、そこはもう外とは別世界だった。

 

「……え? まさかトレーナー、ここでご飯食べるの?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 まず一番最初に視界に入って来たのはアンティーク調の家具を中心に揃えられた、まるでお城のような内装。

 そして目の前に広がる大きなエントランスに、ぶら下がっている巨大なシャンデリアとガラスの装飾。

 なんとか辛うじてここがホテルなんだと認識できたのは、目の前にあった地図に室内番号が振られていたからだろう。

 

「ここまで豪華なホテルは初めてかも……」

 

 こうして僕が戸惑っていると、トレーナーはそのまま受付の方へと移動していた。

 隣で話を聞いていると、どうやらここには予約すれば宿泊客以外も使えるレストランがあるらしい。

 彼曰く、今日はここを二人分予約させて貰ったとのこと。

 

「これ大丈夫……? 値段とか、色んなの……」

 

「せっかくの記念日なんだし、俺がしたかったんだ。テイオーは気にしないでくれよ」

 

「そっか……なら、僕も楽しませて貰おうかな」

 

「あぁ。是非、そうしてくれ」

 

 トレーナーがそう言ってくれたので、僕も彼に対して気を遣うのはやめようと顔を上げた。

 だがそこはぱっと見た感じ、ドレスコードが必要なほど格式が高そうなのが気になる。

 流石に僕の今の格好は、それに合わせた服装では無い。家を探せばそういうのもあるかもしれないけど……

 

「着てくる服間違ったかな……」

 

 どうしたものかと悩んでいると、受付を済ませた彼が僕に近づいて解決策を耳打ちしてくれた。

 

「ドレスならホテル側で貸し出してくれるってさ。今の服装でも全然大丈夫らしいけど……着替えるか?」

 

「あ、そうなの? なら、せっかくだし着替えさせてもらおうかな」

 

 いつになっても出来るならおしゃれしたいのがウマ娘ってものだ。それが好きな人の前なら尚更。

 僕がそうお願いすると、近くにいたホテルのスタッフさんが近づいて話しかけてきた。

 

「それでは案内いたしますので、こちらへ」

 

「わざわざ、ありがとうございます。……じゃあ、トレーナーちょっと着替えてくるね」

 

「ゆっくりでいいぞ。また、後でな」

 

 そう見送ってくれた彼の表情は……なんだか、ウマ娘がレースに出走する前みたいに。

 少し、緊張しているように見えた。

 

~~~~~~~~

 夜景を眺めることが、今まであっただろうか。

 ぽーっと高い場所にいながら外を眺めてみると、豪華絢爛に光り輝いている街並みが見える。

 夜景を眺めている僕だけど、今いるこのホテルも夜景の一部というわけで。

 僕は見ている立場なのか、見られている立場なのか。どっちなのだろう。

 はてさて……現実逃避はこのへんにして、いい加減自分の状況の方を見つめなおそうか。

 

「……うん」

 

 ホテルの中でドレスに着替えた後、僕はトレーナーと合流する為に目的地のレストランへと移動していた。

 そこで彼と合流して一緒に食事をすることになったのだが、僕がここまで現実逃避しているのにはそれなりの理由がある。

 一つ目。豪華すぎるフルコースの食事。

 二つ目。高級過ぎる場所。

 三つ目。トレーナーと僕の間に流れる雰囲気。

 これらが全て重なって、緊張を通り越して思わず窓の外を眺めてしまっていたという訳だ。

 特に彼の雰囲気が、なんだか普段と違って……いつも以上にかっこよく見えるのは気のせいではないのだろう。

 

「それにしてもトレーナー、良く知ってたね。こんなお店」

 

「テイオーが喜んでもらえるように、今日この日のために調べたからな」

 

 運ばれてきた料理をナイフとフォークで頂きながら、トレーナーが何でもない事のようにさらりと「僕のため」なんて言ってくる。

 そんな感じで、彼が終始僕にとって嬉しいことばかり言ってくるのだ。

 まるで、僕が見ている都合のいい夢みたいに。

 

「ねぇ、トレーナー」

 

 だけど、ここが現実なのは僕が一番分かっている。

 理解はしているのだが、なんだか頭の方ではそれを認めていないような感覚で。

 だからだろうか。

 僕が、確かめるように想いを馳せながら質問をしてしまうのは。

 どうしても仕方のないことなのだろう。

 

「僕のダービー覚えてる?」

 

「……勿論覚えてるぞ」

 

 思い出すのは、今日の記念日の元になった日本ダービー。

 僕が無敗の三冠ウマ娘を目指すために通過した中で、一番思い入れのあるレースだ。

 距離的な話なら一番長いのは菊花賞だし、プレッシャーだけなら一番初めの皐月賞の上だった。

 だがそれでも日本ダービーの方が心に残っていたのは、彼との一歩が大きかったからだろう。

 

「トレーナー、僕のことを凄い心配してくれたもんね」

 

「そりゃ、心配するだろ……。あんな状態だったら」

 

「でも、僕の願いを叶えてくれた。本当にありがとうね」

 

 あの時の僕は、一番精神的にも肉体的にも不安定だった。

 次の為に負けられないという、世間からの期待度。

 彼が見抜いてくれた、走りの不安定さ。

 一歩踏み外していたら、足を骨折してレースに出れなくなっていたかもしれなかったあの時。

 

「トレーナーがずっと近くで支えてくれたから、僕は勝てたんだよ」

 

 彼のことを意識し始めたのは、いつからだっただろうか。

 この数年引っ張り続けたこの感情は、最初はきっとあのダービーから。

 僕がトレーナーに記念日を提案したのも、この想いを毎年確かめるため。

 年を迎える度に、この気持ちは大きくなり続けていて。

 

「だから……今、僕は君のこと──」

 

「──待ってくれ」

 

 僕がそう伝えようとした、次の瞬間。

 彼が僕の発言に対して、覆いかぶさるように口を開いた。

 それがまるで自分の想いが否定されたような感覚がしてしまい、思わず僕の耳がぴくりと揺れてしまう。

 だけどその僕の想いの続きは、彼も同じように持っていたみたいで。

 

「その言葉は、俺から言わせてくれないか?」

 

 言葉を──奪われた。

 彼が魅せる真剣な瞳に僕が息を吞み込んでいると、彼が足元から何かを取り出す。

 テーブルを挟んで正面にいる彼が僕の目の前に差し出したのは、手のひらサイズの四角い箱だった。

 ゆっくりと彼がその蓋を開けると、中には小さな宝石が埋め込まれた指輪が一つが収まっている。

 僕の瞳の色と同じ輝きを放っているそれは、僕の想いを吸い込んで離さないようにするには十分すぎるほどだった。

 

「それ、って」

 

「好きだ、テイオー。俺と結婚を前提に付き合ってくれないか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の器はいっぱいになってしまう。

 あまりにも溢れる感情は、声にもならずにただ驚くことしか出来なくて。

 

「ずっと、好きだった。だけど、どうしても俺がトレーナーって感じがして……俺が、一歩進めなかった」

 

 発せられた感情は、僕のことを絡めとり離さず。

 ただ、彼の想いを受け止める事しか出来なかった。

 

「だから……待たせてすまなかった。テイオーが、よければ受け取ってくれないか?」

 

 僕の目の前にあるのは、リングケースに入ったきらりと輝く一つの指輪。

 きっとこれを手にしたら、僕がずっと夢見ていた願いが成就するんだって思う。

 だけど。

 僕が告白するつもりだったのに、彼に告白の言葉を奪われたからちょっとだけ仕返しをしたくなるんだ。

 

「……そこまで準備して、僕が断ってたらどうしてたの?」

 

「……うっ」

 

「冗談だよ! だからさ、ね?」

 

 そっと彼に対して自分の左手を差し出すと、精一杯の笑顔を浮かべて。

 この恋のダービーに、終わりを告げるんだ。

 

「僕も好きでした。こんな僕で良ければ、ずっと一緒に君の隣を走らせてください」

 

 そうして、僕の薬指にそっと影が落とされる。

 たったそれだけのことなのに、僕と彼の関係はくるりと変わり始める。

 想いの告白は彼に、取られちゃったけど。

 それでも、僕は最高に幸せだったんだ。

 

~~~~~~~~

「本当に、僕たちカップルになったんだよね? 夢じゃないよね?」

 

 恋のダービーという大きなレースをゴールした後。

 僕たちは食事を終えて、ホテルのフロントへと向かうために手を繋ぎながら通路を歩いていた。

 前までは想いを縮めるための行為だったのに、今や物理的にくっつきたいからしている。

 付き合えるって、こんなに余裕と幸福感が出来るものなんだと感動せざるを得ない。

 

「夢じゃないし、好きにくっついていいぞ」

 

「っつ!」

 

 学生の頃から今に至るまで、彼とこの距離になっていたことは確かにあった。

 だけどその時とは、全く心の距離が違う。

 多幸感のせいで、口の中がデザートを食べたかのように凄く甘い。

 これからこんなの毎日味わえるなんて、僕は一体どうなってしまうのだろうか。

 

「……今日が終わらなければいいのになぁ」

 

 だけど、過ぎ去る時間はいつでも同じ。

 活動できる時間は昔より増えたといえ、限度がある。

 時計をチラ見してみると、外で遊ぶにしては大人でも難しい時間帯。

 明日のことを考えると、そろそろ自宅に帰らければいけない。

 

「なぁ、テイオー。そのことなんだけど……」

 

 僕がどうしても避けられない現実に直面して少しテンションが下がっていると、トレーナーがぽそりと小さな声でとあることを呟いた。

 ぽそりと耳に添えられたその言葉は、この時間を少しでも延長するようなことで。

 断る理由なんて見当たらない僕は、きゅっと手を握り返すことによって返事をするのであった。

 

「もしかして、ここまで考えてたの?」

 

「……まぁ、一応」

 

「ふーん……。出来たら、優しくね?」

 

 はたして。

 この後の僕たちが、どのような未来を歩んでいくのか。

 未来は、誰にも分かんないけど。

 だけどこれだけは言える。

 そして、僕と彼はこれからずっと一緒に走れるんだって。

 そうだよね。

 僕の大好きな──トレーナー。

 




物語は、エピローグへと続く。

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