アンダーグラウンド・オンファイア   作:ハノノン

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ゆるふわです。


第10話 リーン・オンファイア

 

アパートに住んでいたころはリッツォの美容液在庫が占拠していた。しかし、今は無数の「彼」が埋め尽くしている。

 

壁一面に貼られたポスター。天井から吊るされたタペストリー。棚に並べられたアクリルスタンド。

そのすべてに、あの日彼女たちが土下座した英雄、レンの爽やかな笑顔がプリントされていた。

 

「あぁ……レンきゅん……尊い……。今日も顔面が国宝級……」

 

狼獣人のダム子は、祭壇と化した巨大水晶板の前で、とろけたような表情を浮かべていた。

手には、レンのイメージカラーである「蒼」のサイリウムが握られ、画面の中の彼に合わせて小刻みに振られている。

 

かつての「疾風のストライカー」としての鋭い眼光は消え失せ、そこにあるのは完全なる「雌の顔」だった。

 

「……ねえ、ちょっと音量大きくない?」

 

猫獣人のリッツォが、鏡の前でメイクをしながら不満を漏らした。

 

「私、今から『自撮りタイム』なんだけどぉ。レン君の声が入ると、私の可愛さが霞んじゃうじゃん」

 

「あぁん?」

 

ダム子がギロリと振り返る。その瞳には、狂信者特有の危うい光が宿っていた。

 

「テメェの顔面塗装と、レンきゅんの神聖な声を同列に語ってんじゃねぇよ。……殺すぞ?」

 

「ひっ……」

 

リッツォは思わず後ずさった。

以前なら、ここで口喧嘩が勃発していただろう。しかし、今のダム子には触れてはいけない「地雷」が埋まっている。リッツォとショウは、それを察して、レンの話題には一切触れないようにしていた。

 

しかし、一人だけ、その状況に納得していない者がいた。

羊獣人のルリルだ。

 

「……はぁ」

 

ルリルは部屋の隅で、膝を抱えて溜息をついた。

寂しかったのだ。

以前なら、暇な時間はダム子と二人で、リッツォの悪口を言ったり、将来の夢を語り合ったりしていた。あの、生産性のないダラダラとした時間が、ルリルにとっては居心地の良い「ぬるま湯」だった。

 

けれど今は、ダム子の視線は常に水晶板の中の男に注がれている。

 

「ねえ、ダム子ちゃん。一緒にお菓子食べない?」

 

「あとで。今、レンきゅんが水飲んでるから見逃せない」

 

「……水くらい、いつでも飲むでしょぉ」

 

ルリルは頬を膨らませた。

仕方なく、ダム子の隣に座り、一緒に配信を覗き込む。

画面の中では、レンのパーティ『暁の奇跡』がダンジョン探索の準備をしていた。

画面の端には、兎獣人のミミがちょこんと座っている。

 

「あ、ミミちゃんだぁ。可愛いねぇ。ウチ、この子が好きなんだなぁ」

 

ルリルが少しでも会話を盛り上げようと話を振る。

 

「あー、ミミね」

 

ダム子は興味なさそうに言った。

 

「まあ、マスコット枠としては悪くないけど。レンきゅんの引き立て役としては合格点かな」

 

「……」

 

ルリルは言葉を失った。

かつて「仲間」を何より大切にしていたダム子が、今や他人を「推しの装飾品」としてしか見ていない。

 

この男の、何がいいのか。ルリルには全く理解できなかった。優しそうな顔をしているが、所詮は人間だ。ウチら獣人の苦労なんて知らないくせに。

 

ルリルの中に、どす黒い嫉妬が渦巻く。それはレンに対するものであり、同時に「ダム子を奪われた」という独占欲でもあった。

 

 

 

 

 

数日後。

アパートに、雷が落ちたような衝撃が走った。

 

「……ちょっと、これどういうこと!?」

 

ルリルが、家計簿と金庫の中身を見比べて叫んだ。

 

「パーティの運営資金、かなりなくなってるよぉ!?」

 

前回の炎上で得た収益、そして映画出演のギャラ。それなりにあったはずの蓄えが、かなり消えていた。

 

「あー、それアタシ」

 

ダム子が、悪びれもせずに手を挙げた。

彼女の足元には、未開封の段ボール箱が山のように積まれている。

 

「な、何に使ったのよ!」

リッツォが叫ぶ。

「私の美容液代より高いじゃない!」

 

「これだよ」

 

ダム子は段ボールの一つを開封した。

中から出てきたのは、大量の銀色の袋だった。

 

「今度さ、レンきゅんたちの『第一回ファンミーティング』があるだろ? そこで装備していく『最強の推しバッグ』を作るんだよ」

 

「推しバッグ……?」

狐獣人のショウが首を傾げる。

「カバンに缶バッジを大量につけて、推しへの愛を物理量で表現する、あれですか?」

 

「そうだ。で、今回発売された『ランダム缶バッジ』。全5種類だ」

 

ダム子が指折り数える。

 

「レンきゅん、エルフのスフィン、竜人のヴァネス、兎のミミ、そして全員集合。……この中から、レンきゅん単体のバッジを48個集めて、バッグ一面に敷き詰める」

 

「よ、四十八個ぉ!?」

ルリルが悲鳴を上げる。

 

「確率は5分の1。つまり、単純計算でも240個は買わなきゃならねぇ。一個銀貨30枚だから……」

 

「バカなの!?」

リッツォが計算して青ざめる。

「そんなの、交換すればいいじゃん! 他のキャラが出たら、レン君推しの人とトレードすれば安く済むでしょ!」

 

「ハァ!?」

 

ダム子が激昂した。

 

「テメェ、何言ってんだ! 他人の手垢がついたレンきゅんとか、汚らわしくてバッグにつけられるかよ! アタシが! 自引きした! 新品のレンきゅんじゃなきゃ意味がねぇんだよ!」

 

「……非論理的です」

ショウが眼鏡を直す。

「経済的合理性が欠如しています」

 

「うるせぇ! 金をどれだけドブに捨てられるかが愛なんだよ!」

 

ダム子は狂気じみた手つきで、銀色の袋を次々と破り始めた。

 

「来いっ……レンきゅん……! あああっ、またエルフ女かよ! チッ、ハズレだ!」

 

彼女は、世間では大人気の美少女エルフ・スフィンのバッジを、ゴミのように床に投げ捨てた。

 

「ひどい……」

ルリルが呟く。

「あ、ミミちゃん出た。可愛いのにぃ……」

 

ダム子の部屋は、開封されたゴミと、ハズレ枠とされた美少女たちのバッジで埋め尽くされていった。

 

生活費も、食費も、全てが直径5センチのブリキの円盤に変わっていく。

その光景は、リッツォの在庫タワー以上に狂気的で、そして虚無だった。

 

 

 

 

その夜。

『暁の奇跡』の定期配信が始まった。

 

「みんなー、こんばんは! リーダーのレンです!」

 

画面の中で、レンが爽やかに手を振る。

その瞬間、ダム子のボルテージは最高潮に達した。

 

「あああああっ! レンきゅん! 今日も生きててくれてありがとう! 存在が福利厚生!」

 

ダム子は震える指で、水晶板の『投げ銭』ボタンを連打した。

金額は、最高額の『赤』。

 

『レンきゅん、今日もお疲れ様♡ アタシも今日、お肉食べたよ。レンきゅんと一緒に食べてる気分になっちゃった♡ 大好き♡♡』

 

身の毛もよだつような自分語りのメッセージと共に、彼女たちの明日の食費が電子の海へと消えていく。

画面の中で、レンが反応した。

 

「おっ、赤ありがとうございます! えーっと、『ダムダム』さん……お肉いいですね! 僕も今日、焼肉でした! 奇遇ですね!」

 

「ひぎぃぃぃぃ!!!」

 

ダム子が奇声を上げてのけ反った。

「読まれた! 今、アタシの名前呼んだ!

 

『奇遇ですね』って……これ、実質プロポーズだろ! 私信だろ!」

 

「……ただの定型文だよぉ」

ルリルがボソッと呟くが、興奮状態のダム子には届かない。

 

「おかわり! 追いスパチャだ!」

 

ダム子は更に金貨を投入する。

 

『結婚して♡ 家事手伝いなら任せて』

『アタシの全財産、レンきゅんの装備に使って♡』

 

「……あーあ」

 

リッツォが呆れて天井を見上げる。

 

「私の稼ぎが、あの男の装備のまたずれ防止オイル代に消えていく……」

 

「統計的には、このペースで課金を続けると、来月にはガラクタ号を売却する必要があります」

 

ショウが冷酷な予言をする。

ルリルは、画面の中のレンを睨みつけた。

 

(返してよ。ウチのダム子ちゃんを返してよ。……あんたなんかに、ダム子ちゃんの何が分かるのよ)

 

握りしめた拳に、爪が食い込んで血が滲む。

しかし、ダム子は幸せそうだった。その笑顔は、アパートで腐っていた時とは別人のように輝いていた。それが余計に、ルリルを惨めな気持ちにさせた。

 

 

 

 

そして。

「ファンミーティング」前日。

ダム子の「最強推しバッグ」は完成していた。

金貨数十枚を溶かして集めた、48個のレンの笑顔が、バッグの表面で鱗のように輝いている。

 

「完璧だ……。これで明日の会場、アタシが一番のマウント取れる……!」

 

ダム子は充血した目で、バッグを愛おしそうに撫で回していた。

 

「……ねえ、ダム子さん」

 

ショウが、深刻な声で声をかけた。

彼女は隅で水晶板を操作していたが、その顔色は真っ青だった。

 

「……見ないほうがいいかもしれませんが、情報が入ってきました」

 

「あ? なんだよ。明日の物販情報のリークか?」

 

「いえ……」

ショウは言い淀んだ後、意を決して画面をダム子に向けた。

「週刊誌の速報です」

 

そこに表示されていた見出しは、ダム子の思考を停止させるに十分な破壊力を持っていた。

 

『英雄レン、お泊まり愛発覚! お相手はパーティメンバーの聖女スフィン! 高級ホテルで一夜を……』

 

「…………は?」

 

ダム子の動きが止まった。

時が止まった。

 

「……嘘だ」

 

ダム子が乾いた笑い声を漏らす。

 

「嘘だ嘘だ嘘だ! なんだよこれ、加工画像だろ!? アンチの捏造だろ!?」

 

「……画像解析の結果、加工の痕跡はありません」

 

ショウが無慈悲な事実を告げる。

 

「二人がホテルに入っていく姿と、翌朝出てくる姿。完全に一致しています」

 

「そ、そんなの……打ち合わせかもしれないじゃん! パーティの作戦会議をホテルで……!」

 

「……ダム子ちゃん」

リッツォが、ニヤニヤと笑いながら、自分の端末を見せた。

「見てこれ。レン君の公式アカウント」

 

そこには、つい先ほど投稿されたばかりのメッセージがあった。

 

『一部報道にありました通り、私、レンはスフィンさんと真剣にお付き合いさせていただいております。冒険者として、パートナーとして、共に歩んでいく所存です。ファンの皆様には、温かく見守っていただければ幸いです』

 

「…………」

 

ダム子の喉から、ヒューッという音が漏れた。

水晶板が手から滑り落ち、床に激突する音だけが、静寂を破った。

 

「……真剣……? お付き合い……?」

 

脳裏をよぎるのは、数え切れないほどの「赤」。

『大好き』『結婚して』『私だけの王子様』。

それら全てに対し、彼は笑顔で「ありがとう」と言った。

 

その裏で。

その裏で、彼はあのお嬢様エルフと、ホテルで、夜を、肌を、重ねていた。

 

私がカップ麺をすすって送った金で。

私が人生を切り売りして稼いだ金で。

彼らは、最高級のベッドで愛を育んでいたのだ。

 

「……あ……あぁ……」

 

ダム子の膝が折れた。

糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちる。

 

「うああああああああああああああ!!!」

 

獣の咆哮のような、絶叫。

それは怒りではなく、魂が引き裂かれる音だった。

 

「嘘だぁぁぁ! アタシのレンきゅんが! 汚れた! 汚された! いやだぁぁぁ!」

 

ダム子は床を転げ回り、自分の頭を掻きむしった。

完成したばかりの「推しバッグ」に手が当たり、48個の缶バッジがジャラジャラと不快な音を立てて床に散らばる。

あの爽やかな笑顔が、今はダム子を嘲笑っているように見えた。

 

「ざまぁみなさい」

 

リッツォが、ボソリと呟いた。

 

「いい気味。あんたの金で、あのエルフが良い服着て、美味しいもの食べて、レン君に抱かれてるのよ。……最高に笑える」

 

リッツォは腹を抱えて笑った。他人の不幸は蜜の味。特に、自分を見下していた仲間の不幸は格別だ。

 

 

「……ダム子ちゃん」

 

ルリルが、ゆっくりとダム子に歩み寄った。

そして、泣き叫ぶダム子の身体を、背後から優しく抱きしめた。

 

「……っ、ルリル……! うぅ……!」

 

ダム子はルリルの腕にしがみつき、子供のように泣きじゃくった。

ルリルは、ダム子の頭を撫でながら、暗い瞳で微笑んだ。

 

「大丈夫だよぉ。泣かないでぇ」

 

(よかった。レンなんて最初からいなかったんだよ)

 

ルリルの心の中に、歪んだ安堵感が広がる。

 

(これで、ダム子ちゃんはまたウチだけのものだ。……傷ついて、ボロボロになって、ウチがいないと生きていけないダム子ちゃんに戻ったんだ)

 

「ウチがいるよぉ。ウチはずっと、ダム子ちゃんの味方だよぉ」

 

ルリルの言葉は甘く、優しく、そして底なし沼のように重かった。

散乱したレンのグッズの山の中で、絶望する狼と、それを満悦の表情で慰める羊。そして高笑いする猫と、冷ややかに計算する狐。

推し活という名の夢は醒めた。

残ったのは、空っぽの財布と、大量の産業廃棄物(グッズ)。

そして、さらに深まった依存という名の地獄だけだった。

 





ハートフルコメディを目指しています。




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