ゆるふわです。
ダンジョンの地下五階層にある『セーフティエリア』。
そこは、魔物の脅威から解放された冒険者たちが休息し、商いを行う地下のオアシスだ。魔導ランプの極彩色の光が溢れ、串焼きの匂いと回復薬の湯気が混じり合っている。
「きゃあ! すごぉい! ここ、前より発展してますねぇ!」
猫獣人のリッツォは、いつものように他所のパーティの「助っ人枠」として、その場にいた。
男たちに奢らせたトロピカルジュースを片手に、彼女はふらりと屋台街を歩く。
その目は、可愛らしい形状とは裏腹に、獲物を値踏みする鑑定士のように冷徹だった。
(どいつもこいつも、ありきたりなゴミばっかり売ってぇ。センスないなぁ)
そんな彼女の視界の端に、ぽつんと寂れた屋台が映った。
人通りの多いメインストリートから一本外れた場所に、地味な身なりの人間の女性が座っている。客は誰もいない。
「……ん?」
リッツォは吸い寄せられるように近づいた。
並んでいるのは、小さなガラス瓶に入った『白銀蜜の美容液』だ。
手に取ってみる。ずっしりとした重み。蓋を開けると、最高級の魔力草と、希少な白銀蜂の蜜の香りがふわりと漂った。
(……これ、すごい)
リッツォの野生の勘が告げている。これは、王都の百貨店なら金貨一枚で売られているレベルの品質だ。
しかし、値札を見て彼女は目を疑った。
『銀貨五枚』
市場価格の20分の1以下だ。
「あ、あの……いらっしゃいませ」
女性がおずおずと声をかけてきた。
「それ、私の手作りなんです。効き目は保証しますけど……やっぱり、パッケージが地味だから、売れなくて……」
(バカだ。この女、自分の商品の価値を分かってない)
リッツォの脳内で、悪魔的な計算機が弾かれた。
彼女は猫被りの笑みを浮かべた。
「わぁ、いい香りぃ! 私、こういうの好きかも! 一つくださぁい!」
「あ、ありがとうございます!」
女性は深々と頭を下げた。
その姿を見下ろしながら、リッツォは確信した。
——見つけた。私が輝くための「錬金術」を。
その夜。アパートの一室。
「でさぁ、その時のアタシの判断がマジ神がかっててさぁ」
「うんうん、ダム子ちゃんはすごいねぇ」
狼獣人のダム子と羊獣人のルリルが、安酒を飲みながら傷の舐め合い(という名の女子会)をしていた。強盗未遂以来、二人の結束は強まり、家計の管理権も二人で握っている。
部屋の隅では、狐獣人のショウが『現代貨幣理論と破滅』という怪しい本を読みながらブツブツと独り言を呟いている。
そこへ、リッツォが帰宅した。
いつもの「疲れたアピール」はない。その顔は、聖女のような慈愛と、王族のような自信に満ち満ちていた。
「ねえ、ルリルちゃん、ダム子ちゃん。ちょっとお話があるの」
リッツォは二人の前に正座し、真剣な眼差しを向けた。
「パーティのお金、私に投資してほしいの」
「はぁ? 何言ってんの?」
ダム子が即座に拒絶する。
「また化粧品か? お前の顔面塗装に使う金なんてねぇよ」
「違うよぉ。これはビジネス。確実に増える錬金術なの」
リッツォは、昼間買った『白銀蜜の美容液』を取り出した。
「これを見て。私が目利きした商品。これを転がすだけで、私たちは借金地獄から抜け出せる……ううん、億り人になれるの」
「……怪しいねぇ」
ルリルが疑わしそうに眉をひそめる。
「ショウちゃんの詐欺被害、もう忘れたのぉ?」
「ショウちゃんの机上の空論とは違うの!」
リッツォが声を張り上げた。
「私は『現物』を見てきたの。私の『可愛さへの執着』を信じて。絶対に損はさせないから!」
その鬼気迫る表情に、二人は気圧された。
普段はちゃらんぽらんなリッツォが、ここまで言い切ることは珍しい。
二人は顔を見合わせ、渋々ながらも、へそくりの数割に当たる金貨を渡すことにした。
翌朝。
リッツォは日が昇る前に、ダンジョンへ向かった。
セーフティエリアの屋台には、昨日と同じ女性が、不安そうに開店準備をしていた。
「おはようございまぁす!」
「あ、昨日の……」
リッツォは、カウンターの上に金貨の入った袋をドンと置いた。
「ここにある美容液、買えるだけくださぁい!」
「えっ!? ぜ、全部ですか!?」
「はい! お姉さんの商品、すっごく気に入っちゃってぇ! 友達にも配りたくて!」
嘘である。友達などいない。
女性は涙ぐんで喜んだ。
「ありがとうございます……! こんなに買ってもらえたの、初めてです……!」
リッツォは、大量の小瓶を巨大なリュックに詰め込みながら、心の中で舌を出した。
(泣いて喜ぶなんて、いいカモだねぇ。あんたの努力、私が正当な価格で「評価」してあげる)
地上に戻ったリッツォは、王都の広場の一角に陣取った。
手書きのポップには、こう書いた。
『ダンジョン深層限定! 幻の白銀蜜美容液! 本日限りの入荷!』
価格は『銀貨五十枚』。仕入れ値の十倍だ。
「さあさあ、見てってくださぁい! 貴族の奥様も愛用してる、奇跡の美容液だよぉ!」
彼女の愛嬌と、巧みな口上に釣られ、人々が足を止める。
「あら、いい香り」
「これ、本当に深層のもの?」
「限定なら買わなきゃ」
商品は飛ぶように売れた。
元が良い品なのだ。高くても、客は「それだけの価値がある」と錯覚する。
夕方には完売した。
袋はずっしりと重くなっていた。
「……見た? これが私の実力」
帰宅したリッツォが、銀貨の山をテーブルにぶちまけた時、三人は絶句した。
「す、すげぇ……」ダム子が震える。
「リッツォちゃん、本当に錬金術師だったのぉ!?」ルリルが目を輝かせる。
「ふふん。まだ序の口だよぉ」
それから、狂乱の日々が始まった。
リッツォは毎朝ダンジョンに通い、あの屋台の商品を買い占めた。
最初は一人だったが、取扱量が増えるにつれて、三人にも協力を要請した。
「いい? 買い占めることで『希少性』が生まれるの。市場の流通量を私たちがコントロールするの」
リッツォの指示の下、パーティ全員が商売の鬼と化した。
ショウも、今回は協力的だった。
「なるほど。これは『裁定取引(アービトラージ)』ですね。市場の歪みを是正する、経済活動の一環です。倫理的にも問題ありません」
彼女は自分を正当化しながら、在庫管理と価格設定を担当した。
アパートの部屋は、美容液の在庫で埋め尽くされた。
足の踏み場もなく、在庫のタワーの隙間で寝起きする四人。しかし、彼女たちの顔は輝いていた。
売れば売るほど金になる。
「ねえ、今日はいくらで売る?」
「昨日は即完売だったからねぇ。強気に金貨1枚で行こう」
「おいおい、そんな高くして売れるのかよ?」
「売れるよぉ。だって、『ここでしか買えない』んだもん」
広場では、彼女たちの店に行列ができていた。
「高すぎるぞ!」「足元見やがって!」という罵声も飛んだが、それでも客は金を出す。他に売っていないからだ。
批判の声など、金貨の音にかき消されて聞こえなかった。
ついに、彼女たちは借金を完済した。
さらに、手元にはまだ潤沢な資金と、山のような在庫がある。
「勝った……!」
「アタシら、勝ち組だ!」
「もう泥水啜らなくていいんだねぇ!」
四人は手を取り合い、在庫の山の上で踊った。
このバブルが、永遠に続くと思っていた。
「よーし、今日は在庫を一気に補充するよぉ! 資金も倍にして持ってきたから!」
リッツォは意気揚々とダンジョンのセーフティエリアに向かった。
今日は買い占めた後、屋台の女性に「専属契約」を持ちかけるつもりだった。あの女を工場長にして、私たちが販売を独占する。完璧な計画だ。
しかし。
いつもの場所に、あの地味な屋台はなかった。
「あれ? お休みかなぁ?」
リッツォは首を傾げた。
まあいい。在庫はまだ部屋にある。今日一日くらい補充できなくても問題ない。
彼女は地上に戻り、いつもの広場へ向かおうとした。
その時、大通りの一等地に、凄まじい人だかりができているのを見つけた。
新しい店がオープンしたようだ。
『白銀の癒やし』
豪奢な看板。ガラス張りの美しい店舗。
そして、その入り口に立っていたのは、あの屋台の女性だった。
以前の地味な服ではなく、仕立ての良いドレスを身に纏い、輝くような笑顔で接客している。
「いらっしゃいませ! 生産者直売の美容液、オープン記念価格で銀貨四枚です!」
「……は?」
リッツォの思考が凍りついた。
銀貨四枚。
仕入れ値よりも安い。
しかも、パッケージは洗練され、おまけのサンプルまでついている。
女性がリッツォに気づき、パァッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「ああっ! リッツォさん! 探していたんです!」
女性はリッツォの手を取り、涙ながらに感謝した。
「貴女のおかげです! 貴女が毎日たくさん買ってくださったおかげで、まとまった資金ができて……こうして立派なお店を持てました! 本当に、貴女は私の女神様です!」
女性の無邪気な笑顔が、リッツォの心臓を抉る。
「女神様」。
それは、彼女を踏み台にして金を稼ごうとしていた搾取者に対する、最大の皮肉だった。
「あ、あはは……よかったねぇ……おめでとぉ……」
リッツォの頬を、冷たい汗が伝った。
通夜のような静けさに包まれていた。
「……売れない」
ショウが、絶望的な報告をした。
「本店が銀貨四枚で売っている以上、我々の在庫(仕入れ値:銀貨五枚)は、どうあがいても売れません」
「ふざけんなよ……!」
ダム子が在庫の箱を蹴り飛ばした。
「昨日まであんなに売れてたのに! なんで急に誰も買わなくなるんだよ!」
「みんな、あっちの店に行っちゃったよぉ……」
ルリルが窓の外を見る。
手元の水晶板には、魔導網の書き込みが表示されていた。
『獣人ざまぁwww』
『獣人から買う奴は情弱』
『あの獣人たち、在庫抱えて爆死してやんの』
「……どうすんの、これ」
部屋を埋め尽くす在庫の山。
借金は返したが、その後の利益を全てこの「追加仕入れ」に突っ込んでしまった。
さらに、販売のための宣伝費、場所代、梱包材……それらの経費が重くのしかかる。
定価以下で売れば大赤字。かといって、このまま持っていれば美容液は腐る。
「……ごめんなさぁい」
リッツォが小さく呟いた。
いつもの自信過剰な態度は消え失せ、ただの震える小動物になっていた。
「私、調子に乗ってた……。自分だけが賢いと思ってた……」
その言葉に、他の三人も何も言えなかった。
ダム子も、ルリルも、ショウも、結局はリッツォの「儲け話」に乗り、甘い汁を吸おうとした共犯者だ。
「リッツォのせいだ」と責める資格は、誰にもなかった。
「……とりあえずぅ」
ルリルが力なく立ち上がった。
「自分たちで使うしかないねぇ……。一生分あるけどぉ」
「アタシ、美容液なんて食えねぇよ……」ダム子が呻く。
「……市場原理の残酷さを学びました」ショウが眼鏡を外して涙を拭く。
その夜、四人は肌だけはツヤツヤになりながら、カップ麺をすすった。
部屋を圧迫する在庫タワーは、彼女たちの強欲と愚かさの墓標のように、いつまでもそこに聳え立っていた。
ハートフルコメディを目指しています。
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