ゆるふわです。
ソファの上で、狼獣人のダム子は寝転がりながら、水晶板(タブレット)の画面を無心でスワイプしていた。
おすすめ欄に流れてくるのは、着飾った貴族の自慢話や、加工されすぎた美女のダンス動画ばかり。
「ケッ、くだらねぇ」
そう吐き捨てて、次の動画へ飛ばそうとした時、あるライブ配信のサムネイルが指を止めた。
『【緊急配信】Fランク冒険者ですが、ミノタウロス・ロードに遭遇しました。助けて』
配信者は、黒髪の人間の少年だった。装備は初期装備の革鎧。剣は錆びかけている。
場所はダンジョンの中層。本来ならFランクがいるはずのない危険地帯だ。
「うわ、これ死ぬやつじゃん。放送事故確定かよ」
ダム子は不謹慎な興味でタップした。どうせ、すぐに悲鳴とブラックアウトで終わる。この世界ではよくある「消費される死」だ。
しかし、画面の中で起きたのは惨劇ではなかった。
『グオオオオオオ!!』
ミノタウロス・ロードが巨大な斧を振り下ろす。
少年は震えながらも、何かボソボソと呟いた。
『……スキル、【因果逆転】発動』
次の瞬間、映像がバグったように歪んだ。
振り下ろされたはずの斧が、物理法則を無視してミノタウロスの頭上に「戻り」、自らの脳天を砕いたのだ。
『え……?』
少年自身も驚いている。しかし、彼は次々と襲いかかる魔物に対し、見たこともない黒い雷や、空間転移スキルを連発して圧倒していく。
「は……? なんだよこれ……」
ダム子は起き上がった。
かつてアスリートとして鳴らした彼女の動体視力でも、少年の動きは追えなかった。いや、動きではない。システムそのものを改変しているような理不尽な強さ。
「すげぇ……! 本物の『英雄』じゃんか……!」
コメント欄が加速する。同接数が数千、数万と跳ね上がる。
ダム子は画面に釘付けになり、拳を握りしめていた。理屈抜きに、その圧倒的な逆転劇に血が騒いだのだ。
「ねえ、見た!? あの配信!」
翌朝、ダム子は興奮気味に三人に報告した。
「レンって名前の人間なんだけどさ! よくわからないスキルで無双して、一晩でSランク認定だよ! 夢ありすぎだろ!」
しかし、他のメンバーの反応は冷ややかだった。
「ふぅん。人間でしょぉ? どうせ運営のお膳立てじゃないのぉ?」
リッツォは興味なさそうに爪を磨いている。
「それより見てよ、この新作リップ。レン君だっけ? その子が稼いだ額より、私の可愛さの方が価値あるし」
「ウチはそれどころじゃないよぉ……。またアンチが増えてるしぃ……」
ルリルは溜息をつき、炎上対策に追われていた。
そして、狐獣人のショウは。
「……フン。典型的な『特異点』ですね」
彼女は眼鏡の奥の瞳を冷たく細め、水晶板に映るレンの姿を睨みつけていた。
「論理的にありえません。Fランクが固有スキル? しかも『因果逆転』? ……安っぽい創作小説(ファンタジー)の設定みたいで、吐き気がします」
その日を境に、世界はレンを中心に回り始めた。
彼は瞬く間に有名になり、彼を慕う仲間が集まった。
『暁の奇跡)』
それが彼らのパーティ名だ。
リーダーはもちろんレン。そこにエルフのお嬢様に、竜人の女騎士、兎の獣人という4人パーティになっていた。
「うっわ、見てあのエルフの服! ブランド物じゃん! あんなの着てダンジョン潜るとか、ナメてんの?」
リッツォが嫉妬で顔を歪ませる。
「あの兎の子……ウチらと同じ獣人なのに、なんであんなにチヤホヤされてるのぉ……」
ルリルが羨望の眼差しで見つめる。
まさに、光と影。
成功者と落伍者。
あまりにも眩しいその光は、彼女たちの澱んだ空気をさらに重くした。
「……許せない」
深夜。
ショウは一人、暗い部屋で水晶板のバックライトに顔を照らされていた。
彼女の指先が、高速でフリック入力を繰り返している。
ログインしているのは、本垢ではなく、裏アカウント『真実の観測者』だ。
『あのレンって奴の配信、解析したけど完全にクロ。映像に不自然なノイズがある。これ、高度な幻影魔法を使ったヤラセだね』
投稿ボタンを押す。
すぐに反応が来る。
『やっぱり?』『俺も怪しいと思ってた』『運営のゴリ押し乙』
少数の、しかし熱狂的な「逆張り」の同志たちが、ショウの言葉を肯定する。
脳内にどす黒い快楽物質が広がる。
「そう……私は見抜いている。大衆は騙せても、私の知性は騙せない」
ショウの嫉妬は、歪んだ正義感へとすり替わっていった。
自分たちが底辺を這いずり回っているのに、なぜあの男だけが、何の苦労もなく(に見える)全てを手に入れているのか。
それは彼が「不正」をしているからだ。そうでなければ、私の人生の計算が合わない。
彼女の投稿はエスカレートしていく。
『だいたい、あのパーティ構成が媚びすぎ。エルフに騎士にロリっ子? 典型的なハーレム要員じゃん。女をトロフィーとしか思ってない証拠』
そして、ついに彼女は、レンのファン層そのものを攻撃し始めた。
『レンを信奉してる奴らってさ、自分を「本当は才能があるのに社会に認められてないギフテッド」だと思ってる痛い連中だよね。他人の力に自己投影して気持ちよくなってるだけ。鏡見ろよ、ただのモブが』
この投稿が、決定打となった。
拡散(リポスト)の数が、桁違いの勢いで伸びていく。
『正論すぎる』という賛同の声もあったが、それ以上に圧倒的な数の『批判』が押し寄せた。
『お前何様?』
『嫉妬乙』
『必死すぎて哀れ』
『開示請求待ったなし』
炎上。
以前とは違う、純粋な「憎悪」による炎上だ。
しかし、ショウは止まらなかった。
「ふふ……効いてる、効いてる。図星を突かれた愚民たちが騒いでるわ」
通知が鳴り止まない端末を見つめながら、彼女は恍惚の表情を浮かべていた。
自分が世界の中心にいる。たとえそれが、断頭台の上だとしても。
翌日。
自宅のドアが破られそうなほど激しく叩かれた。
「出てこい! レン様を侮辱した狐女!」
「住所は割れてんだぞ!」
「ひぃぃぃ! またぁ!?」
ルリルが頭を抱えて悲鳴を上げる。
「今度は何したのぉ!? ウチら、もう静かに暮らしたいのにぃ!」
「……ショウ、お前か?」
ダム子が低い声で問う。
ショウは、青ざめた顔で震えていた。
「ろ、論理的に……私の批評は正当な……言論の自由で……」
しかし、ネットの特定班は甘くなかった。
ショウの裏アカウントが、以前炎上した「全裸で放り出された狐」と同一人物であることが、過去の投稿のクセやIPアドレスから瞬時に特定されたのだ。
ネット上には、再びあの屈辱的な画像——泣き叫びながら全裸で走るショウの姿——がばら撒かれた。
それに添えられたキャプションは無慈悲だった。
『他人の成功を妬んでデマを流す、裸の王様』
『ギフテッド気取りの底辺獣人』
「あ……あぁ……」
ショウは崩れ落ちた。
自分の知性が、プライドが、またしても「裸」にされ、衆目に晒されている。
そこへ、一通の通知が届いた。
『暁の奇跡』が所属する大手クランの法務部からだった。
内容は簡潔だった。
「法的措置を検討中。ただし、本日中に直接謝罪に来るならば、情状酌量の余地はある」
王都の一等地にある、五つ星ホテル『グラン・ロイヤル』のスイートルーム。
フカフカの絨毯、磨き抜かれた大理石のテーブル。
そこに、着飾った四人の獣人が、土下座の姿勢で並んでいた。
「……本当に、申し訳ありませんでしたぁ!!」
ダム子、ルリル、リッツォの三人が、額を床に擦り付ける。
ショウだけは、震えながら俯いているだけで、言葉を発しようとしない。
「……あのさ」
ソファに座っていた竜人の女騎士・ヴァネスが、呆れたように言った。
「あんたたち、懲りないわね。この前も炎上してた連中でしょ? レンが優しくなかったら、今頃牢屋行きよ?」
「うぅ……ごめんなさぁい……」
リッツォが泣き真似をするが、ヴァネスの冷ややかな視線に射抜かれて沈黙する。
部屋の中心には、話題の英雄・レンが座っていた。
近くで見ると、配信で見るよりもずっと華奢で、そして穏やかな雰囲気を纏っていた。
彼は、土下座する彼女たちを見下すこともなく、困ったような顔をしていた。
「顔を上げてください。……僕、土下座とか苦手なんで」
レンの声は、優しかった。
それが余計に、ショウの神経を逆撫でする。
(なによ……その余裕は。勝者の余裕? 私たちなんて、怒る価値もないってこと?)
ショウは唇を噛み切りそうなほど強く食いしばっていた。
その時、ダム子が顔を上げ、ショウの頭を無理やり手で押さえつけて床につけた。
「おい、ショウ! テメェが一番謝らなきゃいけねぇんだよ! 口先だけじゃなくて、腹から声出せ!」
「……っ! でも、私は……!」
「うるせぇ!」
ダム子が吠えた。
「テメェのくだらねぇ嫉妬で、またみんなに迷惑かけたんだぞ! アタシはな、レンさんの配信見てたから分かるんだよ! この人は本物だ! ヤラセなんかじゃねぇ! アタシらが逆立ちしても勝てねぇ『天才』なんだよ!」
「……!」
「それを……努力もしねぇで、安全な場所から石投げて……ダサいんだよ! 元アスリートの端くれとして、テメェのやり方が一番気に食わねぇんだよ!」
ダム子の目には、悔し涙が溜まっていた。
かつて才能の壁にぶつかり、逃げ出した自分。だからこそ、本物の才能への敬意と、それを汚す行為への嫌悪があった。
ダム子は改めて、深く、深く頭を下げた。
「こいつの教育が悪くて、本当にすみませんでした。……こいつはバカで、プライドだけ高くて、どうしようもない奴ですが……アタシらの仲間なんです。どうか、許してやってください」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
レンが立ち上がり、ダム子の前に歩み寄った。
そして、泥と埃にまみれたダム子の手を、両手で包み込んだ。
「……え?」
ダム子が固まる。
「そんなに謝らないでください」
レンは微笑んだ。
「貴女の手、硬いですね。……マメがたくさんある。たくさん武器を振ってきた証拠だ」
「あ……」
「僕なんて、たまたま運良くスキルをもらっただけの、ただの学生でした。貴女の方が、ずっと冒険者らしい手をしてますよ」
その言葉は、皮肉でも嫌味でもなかった。
純粋な、事実としての感想。
それが、ダム子の心の奥底にある「コンプレックス」の核を、優しく溶かした。
(なんだよ……これ……)
ダム子の顔が、カァッと熱くなる。
(こんな真っ直ぐな目で……アタシみたいな底辺を……)
「……ショウさん、でしたっけ」
レンは、未だに床に這いつくばっているショウに目を向けた。
「僕のことが気に入らないのは構いません。批判も甘んじて受けます。……でも、僕のファンや、仲間を傷つけるのはやめてください。それは、僕が許しません」
静かな、しかし絶対的な覇気。
ショウは、震え上がって小さく頷くしかなかった。
「……は、はい……」
論理も、屁理屈も、陰謀論も。
圧倒的な「主人公」のオーラの前では、すべてが塵のように吹き飛んだ。
帰り道。
高級ホテルのエントランスを出た四人は、夕暮れの街を無言で歩いていた。
「……かっこよかったなぁ、レン君」
リッツォがポツリと言った。
「聖女とか騎士とか侍らせるのも、納得だわ。あんな風に見つめられたら、私だってコロッといっちゃうかも」
「……お金も持ってそうだったねぇ」
ルリルが遠い目をする。
「部屋にある壺一つで、ガラクタ号が十台買えそうだったよぉ」
ショウは、一番後ろをトボトボと歩いていた。
眼鏡は曇り、いつもの饒舌さは影を潜めている。
(……負けた。論理的にも、社会的にも、人間的にも。……クソッ、クソッ、クソッ!)
彼女の中の炎は消えていない。しかし、今はその熱を外に出す気力さえなかった。
ダム子は、自分の右手を見つめていた。
レンに握られた感触が、まだ残っている気がした。
「……マメだらけ、か」
彼女は自嘲気味に笑った。
「違いねぇ。……才能はねぇけど、泥臭く生きてきた証、か」
空には、一番星が輝いていた。
それは『暁の奇跡』のように眩しく、手の届かない場所にある。
けれど、地べたを這いつくばる彼女たちの足元にも、街灯の薄汚れた光が、確かに明日を照らしていた。
ハートフルコメディを目指しています。
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