大陸で魔王軍と人類の戦争が起きている頃、エトワールらの住まう森はいつも通りの代わり映えの無い日常が広がっていた…のだが。
「ふむ…これは少し困った」
ここ数日、森に充満する呪いの瘴気が強まって来ている。私やゼーリエ、博士は魔道具や魔法で問題なく対処が出来ているのだが、素材になり得る魔物がやや減少気味だ。
当然中には耐性を有する魔物もいるが、種類は少ない。となれば早急に対処をしなければいけない。この場合は永続的な魔法でなく、魔道具による強弱の管理を可能とする方が便利かもしれないね。
生前の世界で天候を操作していたように、それを模倣して呪いの強弱を操作すれば危険を排除し易くなる。
「さて、ひとまずは図案を──」
ガチャン!──エトワールが早速魔道具を製作するための図案を描き始めようとしたタイミングで、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。
「おや、どうかしたのかい?」
「エトワール。博士を知らないか?」
「はて、今日はまだ見ていないが」
「チッ…相変わらず逃げ足だけは早いなあのデブ猫は」
「はっはっはっ。ゼーリエが怒る姿が怖いからだろうね。いつかエルフそのものに怖がるようになりそうだ」
博士は頻繁にゼーリエの隠しているお菓子を上手く見つけて勝手に食べる。その度に怒られたり、怒られるのを逃れるために遠くに逃げるなんてことがある。
今回もまた、博士はゼーリエから怒られまいと森の外に出て何処かしらの村か街にでも行っているのかもしれない。
「…少し、見てみるとしようか」
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北部高原。
魔人と人類による戦争の最前線である。
そして人類における最重要となる最前線都市──イモヴェスト。
この都市が陥落すれば、人類は魔王軍によって大きく押され魔人が雪崩込む事となる。そのため、人類の最大戦力たる者達が此処イモヴェストにて奮闘を繰り広げていた。
「ミリアルデ!」
「分かってる」
雪の積もった大地を、双剣を振るうフェルリーアが駆け抜ける。その後方からはミリアルデが防御魔法を展開しながら攻撃魔法で援護を行う。
二人の連携は完璧と言えるもので、魔王軍を瞬く間に殺して行く。魔人の誰も、捉えられている筈のフェルリーアに攻撃が当たらない。全てが外れるか、全てが防がれるかのどちらか。
そして気が付けば、首を切り飛ばされていた。
「…ふぅ、これで全部だよね?」
「そうね。探知魔法にも反応は無いわ」
約1年。
二人がイモヴェストに来てから経過した時間である。その間多くの魔人を殺して来たが、それでも一向に進軍を行える状況では無かった。
「…フェルリーア。西に大きな魔力反応」
「おっけー」
こんな、殺伐とした殺し合いの日々が日常の世界となっていた。
ここで勝ったから次はこっち。こっちも勝ったから次はこっち、勝ったから、勝ったから勝ったから勝ったから勝ったから……というなんの利益にもなり得ない殺し合いがいつまでも続いていた。
そんなある日、イモヴェストの路地裏に一匹のまるまると太ったデカイデブ猫…こと博士が散歩?をしていた。
「…んにゃ〜」
「あらま、可愛いらしい猫ちゃんねぇ」
老婆が博士を撫でて、ポケットから木の実を取り出してあげた。すると博士は一口でばくんっ、と食べてもぐもぐと頬張り飲み込んだ。
「あらあら、わんぱくねぇ」
「んな〜」
博士は重量を感じさせる足取りで、路地裏を再び歩き始めた。イモヴェストは堅牢で素朴な造りをしているが、多くの花壇や植木などがあり殺伐とした雰囲気を和らげている。
大通りを行き交う人間も、僅かな殺気や疲労感を纏いながらも生きている事に楽しさを抱いているように見えた。
そうして博士が屋根の上を飛び乗ったりしながら街並みを楽しそうに散歩していると、強い視線を感じた。
「……」
視線の感じる方へと目を向ければ、そこには双剣を携えた青髪の女とエルフの女がコチラを凝視していた。
「…ん、んなぁ……」
博士は少し怖くなり、ストンと屋根から軽やかに降りてそそくさと走り去って…しまおうとしたが、後ろからガシッと掴まれて持ち上げられてしまった。
「…っ〜〜見てミリアルデ!すごく大きな猫ちゃん!」
「フェルリーア、怖がってる」
「…ん、んにゃぁ」
博士は後ろ足をダランと下げたような状態で、雑な感じで抱き抱えられていた。そんな博士の頭に、フェルリーアが頬を激しくスリスリと擦り付ける。
「ん〜かわいい」
「……」
もはや博士は虚無顔になっていた。
だがその時…博士の視界にはっきりとミリアルデの、エルフであることを証明するような長い耳が映った。
「……にゃ、にゃぁああっ!」
途端。
博士が雄叫びのような鳴き声をあげてフェルリーアの腕の中で暴れ回った。ジタバタと引っ掻こうとしたり噛み付こうとしたりと大暴れだ。
「ちょ、ちょっとどうしちゃったの?!」
「落ち着け」
「にゃぶっ」
ミリアルデが博士を宥めようと手を伸ばせした瞬間、博士は鋭い牙で本気で指を噛んだ。
「……痛い」
「ミリアルデ?!」
その生涯で肌に汚れひとつ負わないとされていたミリアルデの肌が、なんともくだらない猫の癇癪による噛み付きであっさりと傷付いてしまったのだった。
「んにゃうっ!」
「いだっ!」
博士はバシン!とフェルリーアの抱っこを振り切って、地面に着地する。
「フシャーッ」
「な、なんかすごい怒ってるんだけど?」
「……痛い。とても痛いわ」
「うわぁ結構深く行かれてる…」
深く噛まれたミリアルデの細い指からは、朱紅い雫が滴り落ちていた。見るからに止まる気配はなかった。
「……な、なぅ…」
そんな様子に少しやり過ぎたと思ったのか、博士は申し訳なさそうに鳴いた。そしてミリアルデの足元に近寄ってスリスリと体を擦り付けた。それはまるで許しを乞うように見える。
「…気にしないで」
ミリアルデはその場にしゃがんで、無傷の方の手で頭を優しく撫でる。
「この程度なら、直ぐに治るから」
「にゃぅぅ」
「えぇ〜なんか落ち込んでて可愛くない?」
フェルリーアも身を屈めて博士の頬をツンツンとつついた。ムチムチのほっぺを摘んだりして愛でる。
「ん〜でもなんだろ?なんか違和感あるんだよねぇ」
「…この子に魔力があるから?」
「あ、それ──」
その瞬間、二人の目の前から博士が消える。
どこに消えたのかと直ぐに立ち上がり周囲を見渡すと、建物屋根の上にいつの間にか移動していた。
「……にゃぁ」
ただ一言だけ鳴いて、博士は背を向け風のように去っていった。
「あぁ行っちゃった…ねぇミリアルデ。あの猫ちゃん、魔物だよね?すごく温厚で普通の猫みたいだったけど」
「…そうね。それもとても強い魔物。私の防御魔法が、簡単に破られたから」
そう言ってミリアルデが指に目を落とすと、薄く張られた防御魔法に歯型の穴が空いていた。薄いとは言え、高威力の攻撃魔法を防げる程度の強度がある。それが容易く破られた事に、ミリアルデは内心で少しの驚きを感じていた。
「…追う?」
「いいえ。多分、あの猫と戦うことになったら、私かあなたのどっちかが死ぬわ」
「それは嫌だなぁ」
フェルリーアは包帯を取り出して、ミリアルデの指に優しく巻く。白い包帯には、ジワリと赤い血が滲んで行く。
その時──カァアン!!カァアン!!カァアン!!!!と空気を振動させる大きな重低音の鐘の音がイモヴェスト全体に響き渡った。
「この鐘…魔王軍の大侵攻がまた来たみたいだね」
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魔王軍によるイモヴェスト大侵攻。
頻度としては月に一度程度だが、その度に多くの死傷者が出る。実力と経験が伴っていようが、この大侵攻の中で生き残るのは困難極まりないものであった。
イモヴェストの戦力と魔王軍が激しい衝突を始める。魔法が飛び交い戦士がぶつかり合い肉塊になり魔力に消え去り、それは正に地獄絵図そのものだった。
その様子を、イモヴェストの中心部に聳える警鐘の塔の頂上から博士は眺めていた。金色の双眼が真っ直ぐに向けられている。
だがその眼は普通ではなく、小さな魔法陣が浮かび上がっていた。そしてその目を通して、戦争を鑑賞する人間がいた。
「…ふむ、いやはやこれまた中々酷い惨状が起きているようだ」
「どうだ?博士が何処にいるか分かったか?」
「ああ。見たところ少し離れた都市にいるようだ。丁度角付きに襲われているね」
「離れた都市…あそこか、随分と逃げたな」
ここ最近更に戦争が激化してきている。
人間側にも強い魔法使いや戦士が出てきている所為だと考えるべきだろう。取り分け目立つのが、博士を捕まえたフェルリーアと言う女性だ。
彼女の使う魔法と二振りの剣は見た事がない。剣はともかく魔法に関しては今の人間が扱えるようなものでは無いのだが…生まれながらにして持った特異な魔法か、それとも逸脱した才能を持っているのか…。
「…これは些か、興味を唆らせてくれる」
頬杖をついて足を組んでいたエトワールは、ゆったりとソファーから立ち上がる。そして何もない空間からフードの付いた白いローブを取り出す。
「なんだ?迎えにでも行くのか?」
「いいや。それとは別で少し会ってみたい人間を見つけてね。付いてくるかい?」
「…いや。面倒事になるのは目に見えているからな、ここで待ってるさ」
「それは残念だ。では行ってくるとするよ」
エトワールはローブに身を包んで、顔を隠すようにフードを深く被った。
「さて、一体どんな魔法だろうか」
外の人間と会うのは随分と久しぶりだが、はてさてどのように接するべきだろうね。それだけが一抹の不安と言ったところか。
──《
ひとまず今は、楽しみにするとしようか。
そうしてエトワールは、博士と位置を入れ替えてフェルリーアの滞在するイモヴェストへと転移して行ったのであった。