やけに説得力のある婚約破棄   作:埴輪庭

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これアップし忘れてました。すまんこすまんこ……


やけに説得力のある元鞘

 ◆

 

 春から一年が過ぎ、季節が一巡した。

 

 オーネスト公爵邸の庭園では薔薇が蕾を膨らませ始めているがライラの心は冬のまま凍りついたかのように沈んでいる。窓辺の長椅子に腰を下ろし、手元の便箋を見つめる瞳には疲労の色が濃く滲んでいた。

 

 三通目の婚約破談──それが今朝届いた報せの中身である。

 

 先方はグレイヴァー侯爵家の嫡男であり、領地経営に手腕を発揮する実直な人物と評判だった。父アルフレッドも悪くない縁組だと頷き、数度の食事会を経て、正式な婚約へと話が進もうとしていた──のだが。

 

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 

 侍女のマルタが盆を携えて入ってきた。ライラは便箋を伏せ、かすかに微笑んで見せる。

 

「ありがとう」

 

「あの……グレイヴァー侯爵家の件、お聞きしました。お気を落とされませんように」

 

「落とすも何ももう慣れてしまったわ」

 

 カップを受け取りながら、ライラは溜息を漏らした。紅茶の湯気が立ち上り、視界を白く曇らせる。

 

 一人目の相手はラングフォード伯爵家の次男だった。穏やかな物腰で詩を愛する繊細な青年という触れ込みである。初めの数回は和やかな会話が続いたものの、やがて本性が顕わになっていく。彼は女性を飾り立てる装飾品としか見ておらず、ライラが政治や経済について意見を述べると露骨に眉を顰めた。女は黙って微笑んでいればいいのだ、とまで言ったのだ。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが冷えていったのを覚えている。

 

 二人目はヴェスターマン侯爵家の甥にあたる青年で軍務に就く精悍な男だった。だがこちらは誠実さの欠片もない浮ついた人物であり、ライラと会う傍ら、別の令嬢にも秋波を送っていることが発覚する。問い詰めると悪びれもせず、男というものはそういうものだと嘯いた。

 

 そして三人目はグレイヴァー侯爵嫡男である。この人物は前の二人と比べれば遥かにまともでライラも密かに期待を抱いていた。ところが婚約の条件として、オーネスト家のレアルディウム採掘権の一部譲渡を求めてきたのである。要するに彼が見ていたのはライラ自身ではなく、その背後にある鉱山利権だった。無論、公爵家としては丁重に断るしかない。すると先方からは手のひらを返したような冷淡な返答が届いた。それが先ほどの書簡でつまるところ婚約の話は白紙となった。

 

「お嬢様」

 

 マルタの声が聞こえるがライラは上の空だった。

 

 どうしてこうも上手くいかないのだろう。

 

 頭では分かっている。王太子との婚約を破棄した公爵令嬢という肩書きが縁談の相手を限定していることは。高すぎる身分は敬遠され、かといって格下の家との婚姻は家格を損ねる。残るのは同格か、せいぜい一段下の爵位の家々であり、その中から相応しい年齢の未婚男性を探すとなれば、選択肢は自ずと狭まってしまう。

 

 だがライラにはそれだけが理由とは思えなかった。

 

 会う相手、会う相手、どこか物足りなさを感じてしまうのである。誠実さがない。視野が狭い。利己的である──そうした欠点が目につく度に脳裏を過ぎるのはとある男の姿だった。

 

 言うまでもあるまい、()()()、二時間にも及ぶ説明を淀みなく語り続けた青年。複雑に絡み合った国際情勢と国内政治を解きほぐし、自らの決断の理由を誠実に伝えようとした人物。決して彼女を見下すことなく、一人の対等な人間として扱ってくれた──。

 

「比べてしまうのよね」

 

 独り言が口をついて出た。マルタが怪訝な顔をする。

 

「何かおっしゃいましたか」

 

「いいえ、何でもないわ」

 

 ライラは首を振り、冷めかけた紅茶を啜った。

 

 ◆

 

 同じ頃、王宮の執務室でもまた重苦しい空気が漂っている。

 

 エルリックは書類の山を前にしてこめかみを押さえていた。外務大臣のベルンハルトからとある報告を受けたのだ。

 

 つまるところ、四度目の縁談が破談となった。

 

 今度の相手は西方の小国リンデンブルク公国の姫君であり、政治的には申し分のない縁組だった。両国の関係強化、交易路の安定、そして何より、ヴェルディアやカルディナとは異なる勢力圏との連携という意味で戦略的価値は高い。

 

 エルリックは淡々と条件を整理し、交渉を進めてきたが先方から届いた最後の書簡には思いもよらぬ要求が記されていた。

 

 王太子妃となった暁には政務への関与を一切控えること。社交の場への出席も最小限に留め、後宮で静かに暮らすこと。要するに飾り物になりたいという要求である。

 

 エルリックは断った。そのような要求は受け入れられないし、そもそもそうした考え方自体が国の気風とは真逆だ。彼の母たる王妃は積極的に慈善事業に関わり、宮廷外交でも重要な役割を果たしてきた。次代の王太子妃にも同様の働きを期待するのが当然である。

 

 加えて、小国の都合に合わせて王国の伝統を曲げることは対外的にも対内的にも示しがつかない。ランベール王国がリンデンブルクの価値観に迎合したとなれば、ヴェルディアやカルディナとの交渉においても足元を見られる恐れがある。王太子妃の役割一つとっても、それは外交上の前例となりうるのだ。

 

 だが断った後に残ったのはまた一つ選択肢が減ったという虚しさだけだった。

 

 エルリックはこれまでの失敗を思い返してみた。

 

 一人目の候補はノルディア連合の有力部族の娘だったが宮廷生活に馴染めず故郷に帰ってしまった。二人目のブランケンハイム公爵家の令嬢は幼馴染の騎士と駆け落ち同然で結ばれたという。三人目のカルディナ帝国の皇女は宮廷内の権力闘争を恐れて修道院に入る道を選んだ。

 

 そして四人目のリンデンブルク姫である。

 

 どの縁談も最後には暗礁に乗り上げた。相手の問題もあれば、自分の問題もある。だが何より厄介なのは会う相手会う相手、どこかで比較してしまう自分自身の存在だった。

 

 この令嬢は聡明だろうか。ライラほどには思えない。

 

 この姫君は誠実だろうか。ライラほどには見えない。

 

 この女性は私の話を最後まで聞いてくれるだろうか。ライラのようには到底できまい。

 

「馬鹿げている」

 

 エルリックは苦々しく呟いた。元婚約者と新しい相手を比較するなど、不毛の極みである。ライラ・オーネストとの婚姻は国益を損なう。それは一年前に散々検討し尽くした結論であり、今更覆る性質のものではない。

 

 だというのに記憶は執拗に蘇ってくる。あの日の午後、彼女が見せた冷静さと聡明さ。自分の話を最後まで聞き、理解し、受け入れ、そして前向きな提案までしてくれた姿。別れ際に微笑んで「お疲れ様でした」と労ってくれた声。

 

「殿下」

 

 扉の向こうから侍従の声がした。

 

「ヴァレンシュタイン侯爵がお越しです」

 

「通せ」

 

 エルリックは表情を引き締め、次の政務に向き合う姿勢を整えた。フォルテン鉱山管理組合の四半期報告が予定されている。私的な感傷に浸っている暇などありはしない。

 

 ◆

 

 六月に入り、夏の足音が近づいてきた頃のことである。

 

 ライラは自室の机に向かい、手帳を開いていた。一年前、エルリックとの会話の後に作成したメモである。当時は父親に報告するために要約を書き留めたに過ぎなかったが久しぶりに読み返すと様々な記憶が蘇ってきた。

 

 カルナヴァル条約の再解釈問題、ブランシュ法典の財産移転推定、貴族会議の派閥対立……。

 

 メモには専門用語が並んでいるが今となっては内容をよく理解できる。この一年で父親の仕事を手伝う機会が増え、政治や経済の仕組みについて学ぶことが多かったからである。

 

 ふと、ある一節が目に留まった。

 

『ノルディア連合との関係──大族長ハーゲンの息子シグルドを穏健派に引き入れる工作。シグルドには騎士団で訓練を受ける機会を提供』

 

 あれから一年、この工作はどうなったのだろう。

 

 ライラは手帳を閉じ、立ち上がった。父の書斎に向かう足取りは軽い。ここ数日の鬱々とした気分を振り払うように何か具体的なことを知りたいという欲求が湧いてきたのである。

 

「父上、少しよろしいでしょうか」

 

 書斎の扉を叩くと、アルフレッドの低い声が応えた。

 

「入りなさい」

 

 部屋に足を踏み入れると、父は書類の山に埋もれるようにして座っている。最近は鉱山管理組合の仕事が増え、多忙な日々が続いているらしい。少し過労気味のようでその辺がやや心配だった。

 

「何か用か」

 

「お尋ねしたいことがありまして」

 

 ライラは手帳を見せながら、一年前の会話について簡単に説明した。王太子が語った様々な問題──ヴェルディアとの条約問題、貴族会議の派閥対立、ノルディア連合の脅威、カルディナ帝国との関係……それらが現在どうなっているのか知りたいのだと。

 

 アルフレッドは興味深そうに娘の顔を見つめた。

 

「急にどうした。一年も前の話を蒸し返して」

 

「ただの好奇心です。あの頃は私も当事者でしたから、その後どうなったか気になりまして」

 

「そうか」

 

 父は椅子の背にもたれ、しばし考え込むような仕草を見せた。それから、ゆっくりと口を開く。

 

「結論から言えば、当時よりはかなり改善している。だが単純な話ではないな」

 

「と、おっしゃいますと」

 

「一つ解決すれば別の問題が生じる。それが政治というものだ」

 

 アルフレッドは書類を脇にやり、娘と向き合った。

 

「まずヴェルディアとの関係だがフォルテン鉱山管理組合の設立以来、大きな問題は起きていない。条約再解釈の主張が蒸し返される気配は今のところない。だが──」

 

「だが?」

 

「ヴェルディアが組合に参加したことで新たな懸念が生じている。彼らは採掘量の配分には満足しているが今度は精錬事業への参入を求め始めた。現在、レアルディウムの精錬は我が国の技術で行われており、これは大きな利益を生む工程だ。ヴェルディアにこれを開放すれば、国内の精錬業者が反発する。だが拒否すれば、ヴェルディアとの関係が悪化しかねない」

 

「難しい問題ですね」

 

「ああ。殿下はヴァレンシュタイン侯爵家とローゼンベルク伯爵家に精錬事業への参入権を約束していた。それが彼らを懐柔する条件だったからな。ところがヴェルディアにも同じ権利を与えると国内勢の取り分が減る。約束が反故になったと彼らが感じれば、せっかく築いた協力関係が崩れる恐れがある」

 

「ではどうすれば」

 

「殿下は今、その調整に苦心しておられる。精錬施設を増設して全体の処理能力を上げることで分け前を大きくしようという案だ。だがそれには莫大な資金が必要であり、誰がその費用を負担するかで揉めている」

 

 ライラは頷いた。一つの問題を解決すれば、別の問題が生じる。政治とはそういうものなのだろう。

 

「ノルディア連合との関係はいかがですか」

 

「シグルドが先月、正式に大族長の後継者として指名された。だが強硬派の不満は依然として残っている。シグルドが次期大族長として成功するためには部族長たちに具体的な利益を示す必要がある」

 

 ライラは静かに頷いた。一年前、エルリックが語った「工作は進行中」という言葉が思い出される。あれから地道な努力が続けられているがまだ道半ばなのだ。

 

「殿下は一人でこれらの問題に取り組んでおられるのですね」

 

「まさか! 一人ではさすがに無理というものだ。しかし重責を担っておられることは間違いない。正直に言えば、私も驚いている。婚約破棄の時点では殿下の説明を聞いて感心はしたがそれらが本当に実現するとは半信半疑だった。だが殿下は着実に成果を出しておられる」

 

 ライラは窓の外に目を向けた。庭園の緑が夏の日差しに照らされている。

 

 胸の奥で何かが疼いた。

 

「父上」

 

「何だ」

 

「私に何かできることはないでしょうか」

 

 アルフレッドは意外そうな顔で娘を見た。

 

「何かとは」

 

「殿下が進めておられる事業をオーネスト家として支援できることがあれば、と思いまして」

 

 言葉にしてみて、自分でも驚いた。本心だった。だが同時にそれだけではないことも分かっている。

 

 殿下の力になりたい。そう願う気持ちの奥底に別の何かが潜んでいる。

 

 もしかしたら──いや、それは考えすぎだろう。状況が改善されたからといって、あの日の結論が覆るわけではない。

 

 それでも何かせずにはいられなかった。

 

 アルフレッドはしばらく考え込んでいた。

 

「一つ、思い当たることがある」

 

「何でしょう」

 

「シグルドは来月、ランベール王国を公式訪問する予定になっている。後継者指名の御礼と、両国関係の今後について協議するためだ。その際、社交の場で彼をもてなす役割が必要になる。だが宮廷の令嬢たちは北方の蛮族と見なして、シグルドとの交流を嫌がる者が多いらしい」

 

「それは失礼な話ですね」

 

「彼らは感情に敏だ。嫌々もてなすとなれば、それは容易に気取られてしまう。外交問題に発展する恐れすらある。だがお前にその気があるなら、私から王宮に打診してみよう」

 

 ライラは頷いた。

 

「お願いします」

 

「分かった。ただし」

 

 父は真剣な目で娘を見据えた。

 

「これはあくまで外交上の協力だ。殿下との関係を修復しようとか、そういう下心があるなら、やめておいた方がいい。余計な誤解を招くだけだ」

 

「分かっています」

 

 嘘ではない。少なくともこの瞬間においては。

 

 だが心の奥底で微かな期待が芽生えていることにもライラは気づいていた。もしかしたら、という淡い光。それを認めてしまうのが怖くて、あえて目を逸らしているだけなのかもしれない。

 

 ◆

 

 七月に入り、シグルドの公式訪問が近づいてきた頃、ライラは幼馴染のセシリア・ヴァレンシュタインを訪ねた。

 

 栗色の髪を後ろで束ね、眼鏡をかけた彼女は騎士団の記録係を務めている。シグルドが騎士団で訓練を受けていた頃の資料を持っているかもしれないと考えたのだ。

 

「シグルド殿のことを知りたいの?」

 

 セシリアは紅茶のカップを置き、興味深そうに友人を見つめた。

 

「ええ。案内役を務めることになったから、少しでも彼のことを知っておきたくて」

 

「シグルド殿は騎士団では異色の存在だったわ。北方の戦士にしては穏やかで学ぶことに熱心だった。殿下と長い時間を過ごして、考え方が変わったみたいね」

 

「殿下と」

 

「ええ。殿下はシグルド殿に戦わずして勝つ道もあると教えたそうよ。シグルド殿自身がそう言っていたわ」

 

 ライラは頷いた。一年前、エルリックが語った言葉を思い出す。彼はシグルドを穏健派に引き入れるために多くの時間と労力を費やしてきたのだ。

 

「シグルド殿が次期大族長として成功するためには何が必要かしら」

 

「経済的な利益を示すことね。特にレアルディウムは魔導具の核として需要が高いから、それを武器にできるはずよ」

 

 ライラの目が輝いた。

 

「レアルディウムをノルディア連合に売る」

 

「そう。フォルテン鉱山管理組合がノルディアとの交易を認めれば、シグルド殿の立場は強化されるわ」

 

 ライラは紅茶のカップを置き、考え込んだ。

 

 組合がノルディアとの交易を認めるためには王家と各貴族家の合意が必要だ。だがヴェルディアが精錬事業への参入を求めている今、新たな取引先を増やすことはさらに複雑な利害調整を必要とする。

 

「ライラ」

 

 セシリアの声で我に返った。

 

「あなた、殿下のことをまだ想っているのではなくて?」

 

「違うわ」

 

「本当に?」

 

「本当よ。私はただ、殿下が進めておられる事業を支援したいだけ」

 

 セシリアは黙って友人の顔を見つめていた。それから、小さく溜息をついた。

 

「あなたらしいわね。自分の気持ちに正直になれないところが」

 

「私は正直よ」

 

「そう。ならばいいわ。私にできることがあれば、言ってちょうだい。お父様にも話を通せるわ」

 

「ありがとう、セシリア」

 

 ◆

 

 七月の王宮。

 

 大広間には夏の宴の華やかな空気が満ちている。シャンデリアの光が貴族たちの衣装を照らし、楽団の奏でる音楽が高い天井に響き渡っていた。

 

 シグルドは場違いな心地で立ち尽くしている。北方の草原で育った彼にとって、この煌びやかな空間は居心地が悪いことこの上ない。周囲の令嬢たちは彼を遠巻きに眺めるばかりで誰一人として近づいてこようとしない。

 

「お困りのようですね」

 

 声が聞こえた。振り返ると、一人の令嬢が微笑みながら立っている。落ち着いた紺色のドレスを纏い、栗色の髪を優雅にまとめた姿は周囲の派手な令嬢たちとは一線を画していた。

 

「私はライラ・オーネストと申します。本日の宴でシグルド殿のお相手を務めるよう仰せつかりました」

 

「ライラ……オーネスト」

 

 シグルドはその名に聞き覚えがあった。エルリック殿下の元婚約者であり、鉱山管理組合の設立に深く関わった家の令嬢だという話は騎士団の仲間から聞いていた。

 

「よろしくお願いいたします」

 

 ライラは自然な仕草で彼の隣に立ち、扇子を広げた。

 

「少し涼しい場所でお話しする方がよろしいですか」

 

「……ありがたい」

 

「ではテラスに参りましょう」

 

 彼女に導かれるまま、シグルドは人混みを抜けてテラスに出た。夜風が頬を撫で宴の喧騒から解放される。

 

「ここなら少し落ち着けますね」

 

 ライラは欄干に寄りかかり、庭園を見下ろした。月明かりが花壇を銀色に染めている。

 

「シグルド殿は宮廷の空気がお好きではないようですね」

 

「正直に申せば、好きではない」

 

「でしょうね。私も実はそれほど好きではありません」

 

「貴女が?」

 

「ええ。こうした大規模な宴は少々疲れます。人が多すぎて」

 

 シグルドは意外そうな顔をした。宮廷の令嬢というものは皆、こうした場を楽しむものだと思い込んでいたからである。

 

「草原では違う。宴はもっと小さい。家族と近しい者だけで。火を囲んで肉を焼いて、歌を歌う。それだけだ」

 

「素朴で良いですね。大切な人と過ごす時間に豪華さは必要ないでしょう」

 

 ライラの言葉にシグルドは少し驚いた表情を見せた。それから、ぎこちなく口角を上げる。

 

「貴女は変わっている。他の令嬢たちとは違う」

 

「よく言われます」

 

「褒め言葉のつもりだ」

 

「ありがとうございます。では私も一つお聞きしてよろしいですか。シグルド殿はどうしてお父上と異なる道を選ばれたのですか」

 

 シグルドは夜空を見上げた。星々が瞬いている。

 

「父は偉大な戦士だ。だが父のやり方では民が幸せにならないと、私は気づいた。戦争は勝っても負けても民が死ぬ。エルリック殿下と話をして、その思いは強くなった」

 

「殿下と」

 

「殿下は私に言った。戦わずして勝つ道もある、と。外交という名の戦いだ。言葉を武器に条約を盾に利益を分け合うことで血を流さずに勝利を得る。それもまた一つの強さだと」

 

 ライラは静かに頷いた。一年前、自分もまた、エルリックの言葉によって考えを改めた経験がある。彼の説明は長く複雑だったがその根底にあったのは戦争を避け、民を守りたいという強い意志だった。

 

「シグルド殿」

 

「何だ」

 

「一つ、ご相談したいことがあるのですが。レアルディウムのことです」

 

 シグルドの目がわずかに鋭くなった。

 

「フォルテン鉱山管理組合がノルディア連合との交易を認めれば、シグルド殿の立場は強化されるのではないかと思いまして」

 

「なぜ、そのような提案をなさる」

 

「殿下が進めておられる事業を私なりに支援したいと考えているからです」

 

「それだけか」

 

「……それだけです」

 

 ライラは視線を逸らした。自分の声がわずかに震えていることに気づいている。

 

 シグルドは彼女の顔を見つめていた。それから、ゆっくりと口を開いた。

 

「貴女は殿下のことをまだ想っているのではないか」

 

「私は」

 

「いや、答えなくていい。私が口を出すことではない。だが一つだけ言わせてほしい。貴女の気持ちが私には分かる。想い人のためにできることをしたい。たとえ報われなくても何かの力になりたい。その気持ちは私にも理解できる」

 

 ライラは息を呑んだ。

 

「私も故郷に残してきた女がいる。部族長の娘で幼い頃から共に過ごした仲だ。だが私がランベールに行くことを選んだとき、彼女は別の男と婚約した。今でも彼女のことを想う。だからこそ、貴女の気持ちが分かる」

 

 二人は黙って、夜空を見上げていた。星々が静かに瞬いている。

 

「ライラ殿。私は貴女の提案を受け入れる。そして私にできることがあれば、協力しよう。仲間として」

 

 シグルドは手を差し出した。ライラはその手を握り返す。

 

「よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ」

 

 ◆

 

 シグルドの公式訪問は一週間に及び、その間、ライラは彼の案内役を務め続けた。

 

 同時に水面下で動いていた。

 

 父アルフレッドに相談し、フォルテン鉱山管理組合でノルディアとの交易を議題に上げるよう働きかけた。セシリアを通じてヴァレンシュタイン侯爵に根回しを行い、ローゼンベルク伯爵にも非公式に打診した。

 

 ヴァレンシュタイン侯爵ハインリッヒとの面談は父親の紹介で実現した。

 

「オーネスト嬢か。用件を聞こう」

 

 侯爵は椅子に深く腰を沈め、値踏みするような目で彼女を見つめた。

 

「ノルディア連合との交易についてでございます。シグルド殿が次期大族長として成功するためには部族長たちに具体的な利益を示す必要がございます」

 

「それは分かる。だがなぜ我が家がそれに協力せねばならん」

 

「精錬施設を増設するための費用をノルディア連合に一部負担していただくのです。彼らが出資すれば、全体の処理能力が上がります。その増えた分の一部をノルディアへの販売に充てる。そうすれば、既存の取引先の取り分は減りません」

 

 ハインリッヒは眉を上げた。

 

「悪くない考えだな。だがヴェルディアはどうなる。彼らも精錬事業への参入を求めているだろう」

 

「ヴェルディアにも同様の条件を提示することが可能かと存じます。彼らが施設増設に出資すれば、参入の名目が立ちます」

 

「つまりパイを大きくして、全員に分け前を与えると」

 

「はい」

 

 ハインリッヒはしばらく黙っていた。それから、ゆっくりと口を開いた。

 

「オーネスト嬢。なぜこのようなことを。外交官志望だったのかね?」

 

 ライラは一瞬言葉に詰まった。だがすぐに答えた。

 

「殿下が進めておられる事業を私なりに支援したいと考えております」

 

「それだけか」

 

「……それだけでございます」

 

 ハインリッヒは彼女の目をじっと見つめた。

 

「ふむ、君は嘘が下手だな。見れば分かる。だが悪い嘘ではない」

 

 侯爵は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

 

「貴族の婚姻というものは普通、これほど情熱的なものではない。政略で決まり、政略で終わる。だがたまに例外がある。互いを想い合う者たちのことだ」

 

 彼は振り返り、ライラを見つめた。

 

「君がここまで熱心に動く理由は分かった。よかろう。君の提案を前向きに検討しよう」

 

「本当でございますか」

 

「ただし、条件がある。この案が成功したら、私の娘──セシリアに外交の実務を教えてやってくれ」

 

 要するに王太子妃として娘によくしてやってくれということだ。これもまた政治である。答えは決まっていた。

 

「喜んでお引き受けいたします」

 

 こうして、ヴァレンシュタイン侯爵家の協力を取り付けることに成功した。

 

 ◆

 

 ローゼンベルク伯爵オットーの説得はさらに困難だった。

 

 彼は古い価値観に固執する傾向があり、北方の蛮族との交易など貴族の名誉に関わるという主張だった。ライラは何度か面談を申し込んだがすべて断られた。

 

 だが別の方法があった。伯爵夫人マルガレーテを味方につけるのだ。

 

 王妃主催の茶会でライラは夫人に近づいた。

 

「マルガレーテ夫人、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

「ああ、オーネスト家のお嬢様ね。どうぞ」

 

 二人はテラスに出て、紅茶を飲みながら話を始めた。やがて、話題は政治に移っていった。

 

「夫人、フォルテン鉱山管理組合のことはご存じでいらっしゃいますか」

 

「ええ。夫が関わっているものね。ノルディアとの交易の話が持ち上がっているとか」

 

「夫人はどうお考えですか」

 

 マルガレーテは紅茶のカップを置き、ライラを見つめた。

 

「なぜ、あなたがそれほど熱心なの」

 

「殿下のお力になりたいからでございます」

 

「殿下、というのは王太子殿下のことね。あなたは殿下の元婚約者だったわね。今でも殿下のことを」

 

 ライラは答えなかった。だがその沈黙が答えになっていた。

 

 マルガレーテは小さく微笑んだ。

 

「若いわね。情熱的だということよ。私も昔、そうだったわ。想い人のために何かをしたい。たとえ報われなくても。その気持ちは尊いものよ」

 

 夫人は立ち上がり、窓の外を見つめた。

 

「お嬢様、私があなたに協力できることがあるかもしれないわ。ただし、この話は私とあなただけの秘密よ」

 

「分かりました」

 

「それと、もう一つ。殿下を幸せにしてあげてね」

 

 マルガレーテ夫人の協力により、ローゼンベルク伯爵の態度は少しずつ軟化していった。

 

 ◆

 

 訪問の最終日、シグルドはライラに礼を述べた。

 

「貴女のおかげで有意義な滞在になった。感謝する」

 

「いいえ、私こそ勉強になりました」

 

「貴女がこの一週間、裏で動いてくれていたことは知っている。エルリック殿下から聞いた」

 

 ライラは驚いた。

 

「ご存じでしたか」

 

「殿下は貴女に感謝しておられた。そして貴女の行動に心を打たれているようだった」

 

 ライラは何も言えなかった。

 

「私は北方の戦士として、一つだけ言わせてほしい。貴女は殿下にふさわしい女性だ。そして殿下も貴女にふさわしい男だ。もし可能なら、もう一度、やり直してほしいと思う」

 

 シグルドは手を差し出した。

 

「さらばだ、ライラ殿。また会おう」

 

「お気をつけて。草原でお元気で」

 

 シグルドが去った後、ライラは一人、テラスに残っていた。

 

 この一週間、エルリックが進めてきた外交の成果を間近で見る機会があった。そして自分もその一部になれたのだという実感がある。

 

 鬱々とした日々が嘘のように心が軽くなっていた。

 

 ◆

 

 八月に入り、ライラは父の仕事を本格的に手伝い始めた。

 

 フォルテン鉱山管理組合の事務方として、書類の整理や会議の準備を担当する。地味な作業の積み重ねだがその一つ一つが国際関係の安定に寄与していることを実感できた。

 

 ある日、ライラは一通の書類を見つけた。

 

 ヴェルディアの精錬事業参入に関する草案だった。その中に彼女の名前が記されていた。

 

『オーネスト家からの提案に基づき、精錬施設の増設費用はノルディア連合およびヴェルディア公国からの出資を募ることとする』

 

 エルリックは自分の提案を取り入れてくれたのだ。

 

 ライラは書類を置き、窓の外を見つめた。夏の日差しが庭園を照らし、花々が揺れている。

 

 もしかしたら──いや、それは考えすぎだろう。殿下の行動は純粋に国のためだ。

 

 だが胸の奥で淡い光が灯り続けている。消そうとしても消えない。

 

 ◆

 

 九月に入り、フォルテン鉱山管理組合の臨時会議が開かれることになった。

 

 議題はノルディア連合との交易協定、ヴェルディアの精錬事業参入、そして精錬施設の増設計画。すべてが連動している複雑な案件だった。

 

 王宮の会議室には組合のメンバーが集まっている。オーネスト公爵アルフレッド、ヴァレンシュタイン侯爵ハインリッヒ、ローゼンベルク伯爵オットー、そしてヴェルディアからはシュミット伯爵。ライラは父の補佐として、隅の席に座っていた。

 

 議長席には王太子エルリックが座っている。

 

 久しぶりに間近で見る彼の姿にライラは胸が高鳴るのを感じた。一年前と比べて、少し痩せたように見える。目の下にはうっすらと隈があり、多忙な日々を物語っていた。

 

 だがその眼差しは鋭く、凛としている。

 

 会議は紛糾した。

 

 ノルディアとの交易については賛成意見が多かったがヴェルディアの精錬事業参入についてはシュミット伯爵と国内勢の意見が対立した。

 

「我が国は採掘量の配分で妥協いたしました。次は精錬の番でございます」

 

 シュミット伯爵が声を張った。

 

「しかしながら、貴国の要求を全面的に受け入れれば、国内の雇用が脅かされます」

 

 ハインリッヒが反論した。

 

 議論は堂々巡りになりかけていると見たエルリックが口を開く。

 

「諸卿、一つ提案がある」

 

 全員の視線が彼に集まった。

 

「精錬施設の増設を行う。その費用はノルディア連合、ヴェルディア公国、そして我がランベール王国の三者で分担する。増設分の処理能力は出資比率に応じて配分する。既存の施設はこれまで通り国内精錬業者が運営するというのはどうだ」

 

「つまり、既存の権益は守られる、ということでございますか」

 

 オットーが尋ねた。

 

「その通りだ。三者すべてが利益を得る形だ」

 

 シュミット伯爵が眉を上げた。

 

「悪くない案でございますな。ただし、詳細を詰める必要がございます」

 

「もちろんだ。本日は方向性の確認にとどめ、詳細は今後の実務者協議に委ねたい」

 

 最終的にはエルリックの提案を基本方針として採用することで合意が得られた。

 

 会議が終わり、出席者たちが退室していく中、ライラは少し遅れて立ち上がった。

 

「オーネスト嬢」

 

 声をかけられて振り返ると、エルリックが立っている。

 

「少し話せるか」

 

「もちろんでございます、殿下」

 

 二人は会議室の隅に移動した。他の出席者たちは既に去り、部屋には静けさが戻っている。

 

「今回の件、助かった。君の働きかけがなければ、これほどスムーズには進まなかっただろう」

 

「いいえ、私は大したことはしておりません」

 

「謙遜するな。ヴァレンシュタイン侯爵を説得したのは君だと聞いている」

 

 ライラは少し驚いた。

 

「ご存じでしたか」

 

「この一ヶ月、君が裏で動いてくれていたことは私の耳にも入っている」

 

「殿下……」

 

「なぜ、そこまでしてくれるのだ」

 

 エルリックの声が低くなった。何かを問いかけるような、探るような響きがある。

 

 ライラは答えられなかった。

 

 沈黙が流れた。窓の外では秋の日差しが庭園を照らしている。

 

「私のためか」

 

「国のためでございます」

 

「本当にそれだけか」

 

 ライラは目を伏せた。

 

「それだけではないかもしれません。分かりません。ただ、何かせずにはいられなかったのでございます」

 

 エルリックは黙って彼女を見つめていた。

 

「ライラ」

 

 名前を呼ばれて、彼女は顔を上げた。

 

「私もこの一年、様々なことを考えてきた。ヴェルディアとの関係、貴族会議の統合、ノルディアとの友好、カルディナとの連携。すべては国のためだと自分に言い聞かせてきた」

 

「殿下……」

 

「だが本当はそれだけではなかった」

 

 エルリックはライラを真っ直ぐに見つめた。

 

「私は君のことを忘れられなかった」

 

 心臓が止まりそうになった。

 

「一年前、婚約を破棄したとき、私は君を傷つけた。だがあのとき、私に他の選択肢はなかった。少なくともそう信じていた」

 

「殿下……」

 

「この一年、私は問題を一つ一つ解決してきた。一つ解決すれば、別の問題が生じる。その繰り返しだったが我ながら体に無理をさせて問題の調整に努めていたようにおもう。時間的余裕がないわけでもなかったのにな。それこそ数年単位でじっくり腰を据えて取り組むべき事柄だった。しかしそれでも私は無理をした。それはなぜか。国のためだろうか。それもあるだろう、しかし心の奥底では別の理由があることを知っていた」

 

「別の理由とは……」

 

「もしこれらの問題が解決すれば、君との婚姻が可能になるかもしれない。その淡い期待が私を突き動かしていた」

 

 ライラは何も言えなかった。同じ想いであったのだ、と思うと、自然と涙が頬を伝っていく。

 

「私は君を愛している」

 

 その言葉が胸に染み渡っていく。

 

「一年前、愛することはできないと言った。愛してしまえば理性が曇る。正しい判断ができなくなる。そう恐れていた。そういう国家情勢であったのだ」

 

「殿下……」

 

「だが今は違う。君を愛することと、正しい判断をすること両立できるように情勢を変えた。私だけの力ではなく、君や、諸卿の力で」

 

 エルリックはライラの手を取った。

 

「もう一度、君と婚約ができるだろうか? 無論、すぐにとは言うまい。まだ火種は残っている。だがそれも小さなものだ。もう少し待たせてしまうかもしれないが──」

 

 ライラは涙を拭い、深呼吸をした。

 

「殿下。私もこの一年、殿下のことを忘れられませんでした。新しい縁談が持ち込まれるたびに殿下と比べてしまいました。誠実かどうか、聡明かどうか、私の話を最後まで聞いてくださるかどうか。そういう基準で見ると、どの方も物足りなくて」

 

「それは……」

 

「殿下が進めておられる事業を支援したのも純粋に国のためだけではございませんでした。殿下のお力になりたかった。たとえ報われなくても何かをせずにはいられなかった」

 

 ライラはエルリックの手を握り返した。

 

「私は待ちます……いいえ、私もぜひ尽力させてください。私は殿下の手法を学び、それをある程度まで模倣できるようになりました。きっとお力になれるはずです」

 

「本当にいいのか」

 

「私の意志でございます。私は殿下との可能性を信じております」

 

 エルリックは黙って彼女を見つめていた。その目には驚きと、感謝と、そして深い愛情が混じり合っている。

 

「分かった。実のところとても心強い。私の立場では方々へ力を借りるというのも中々難しい。王宮には王宮の力学が働いており、軽々に借りを作るわけにはいかなかったが……君が手を貸してくれるというのなら、状況は変わるだろう」

 

「変わるだろう、ではありません。変えましょう、かならず」

 

 エルリックとライラはしばし見つめ合い、そして──。

 

 ◆

 

 それからの数週間、二人は定期的に会合を持つようになった。

 

 表向きは組合の業務に関する打ち合わせという名目だった。だが実際にはエルリックの検討作業をライラが手伝い、二人で問題点を洗い出していく作業が中心だった。

 

 一年前、エルリックがライラとの婚姻を断念した理由は複数ある。それらを一つ一つ検証し、現在の状況と照らし合わせる。

 

「ヴェルディアとの条約問題は鉱山管理組合の設立と精錬事業参入の合意によって、ほぼ解消された」

 

 エルリックが報告書を広げながら言った。

 

「だが新たな懸念が生じている。ヴェルディア公アルベルトが組合の議決権拡大を求めてきている」

 

「それは国内勢の反発を招きませんか」

 

「招く。だからこそ、慎重に対応する必要がある」

 

 二人は議論を重ねた。結論として、議決権の引き上げは見送る代わりに技術交流の枠組みを設けることになった。ヴェルディアの技術者がランベール王国で研修を受け、その見返りとして、ヴェルディア独自の冶金技術を共有する。

 

 貴族会議の派閥対立についても検証が行われた。

 

「ヴァレンシュタイン侯爵家とローゼンベルク伯爵家は今や協力者と言っていい関係だ。だが別の問題が生じている」

 

「と言いますと」

 

「彼らが協力的になったことで他の中小貴族から不満の声が上がっている。なぜ大貴族だけが利益を得るのか、と」

 

 議論の結果、レアルディウムの二次加工──魔導具の部品製造──を中小貴族の領地で行う案が浮上した。これにより、採掘と精錬は大貴族が担い、加工は中小貴族が担うという分業体制が生まれる。

 

 十月に入り、ノルディア連合の大族長会議が開かれた。シグルドからの報告によれば、交易協定の提案は好意的に受け止められ、正式締結に向けた準備が進んでいるという。

 

 同時に最後の問題についても議論が行われた。

 

「オーネスト家の採掘権をどうするかだ」

 

 エルリックが言った。

 

「一年前、私が懸念した最大の問題は君と私の婚姻によって、オーネスト家の採掘権が王家に帰属すると見なされることだった。それがヴェルディアの条約再解釈を招く恐れがあった」

 

「今でもその懸念は残っておりますか」

 

「形式上は残っている。だが鉱山管理組合の設立により、オーネスト家の採掘権は組合という国際的枠組みの中に組み込まれた。リスクは大幅に軽減された。そして残るリスクを回避するための方法がある」

 

「どのような」

 

「オーネスト家の採掘権を婚姻に伴って組合に完全移管することだ。個人財産としての採掘権を王家に持ち込まなければ、財産移転推定は適用されない」

 

 ライラは少し考えてから、頷いた。

 

「父と相談してみます」

 

「いいのか。家の財産を手放すことになるぞ」

 

「元より、採掘権は我が家に荷が重すぎました。一年前、あの説明を聞いたときからそう感じておりました。これは殿下に忖度していっているわけではありません。ここ最近の父は私の目からみても過労気味と言えます」

 

 エルリックは黙ってライラを見つめていた。その眼差しには深い感慨が滲んでいる。

 

 ◆

 

 十一月、国王リヒャルト三世への報告が行われた。

 

 エルリックは報告書を提出し、これまでの経緯と、現在の状況を詳細に説明した。国王は報告書を読み終えると、息子の顔を見つめた。

 

「エルリック」

 

「はい」

 

「お前はこの一年半、よく働いた。ヴェルディアとの関係改善、貴族会議の統合、北方との友好促進、東方との学術交流。どれも見事な成果だ」

 

「ありがとうございます」

 

「その上で聞く。お前は本当にオーネストの娘を妻としたいのか」

 

「はい」

 

「政治的な理由だけではないのだな」

 

「政治的な理由もございます。だがそれだけではありません。彼女は聡明で誠実で芯が強い。私の長い話を最後まで聞いてくれる忍耐力がある。そして何より、私と対等に話ができる。私と共に問題を解決しようとしてくれる。そういう伴侶を私は求めております」

 

 リヒャルト三世はしばらく黙っていた。それから、ゆっくりと口を開く。

 

「分かった。許可しよう」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、一つ条件がある。オーネスト家の採掘権は婚姻に伴って組合に完全移管すること。個人財産としての採掘権を王家に持ち込むことは許さん」

 

「承知いたしました」

 

 ◆

 

 オーネスト公爵邸。

 

 エルリックは正式に訪問し、アルフレッドと向かい合っていた。

 

 採掘権の完全移管という条件を伝えると、アルフレッドは少し考え込んだ。だがその沈黙は長くなかった。

 

「受け入れます」

 

「よろしいのですか」

 

「娘に説得されたというのもありますが元より採掘権は我が家に荷が重すぎました。組合に移管することで管理の負担も減ります。実のところ……ここ最近私は自分の命を削っているなと思う事もありました。私は長生きでき、そしてライラも幸せになるというのであれば喜んで」

 

「父上……」

 

 ライラは頬を赤らめた。

 

「ではオーネスト公爵。改めてお願い申し上げます。ライラを私の妻として迎えたい」

 

「謹んでお受けいたします、殿下」

 

 アルフレッドは深く頭を下げた。エルリックもまた、礼を返す。

 

「ライラ」

 

「はい」

 

「長い道のりだったな」

 

「はい。でもやっとここまで来ました」

 

 二人は顔を見合わせて、微笑んだ。

 

「殿下」

 

「何だ」

 

「一つ、お聞きしてもよろしいですか」

 

「何でも聞いてくれ」

 

「私たちの婚約にはもう何も問題はないのですか。()()()聞きたいのです。私を安心させてくださいませ」

 

 エルリックはにやりと笑った。その表情にはどこか悪戯っぽい光が宿っている。

 

()()()()が構わないか」

 

 ライラも微笑んだ。

 

「覚悟しております」

 

 エルリックは深く息を吸い込み、語り始めた。

 

「まずヴェルディアとの条約問題についてだがフォルテン鉱山管理組合の設立により、オーネスト家の採掘権は個別のものではなく国際的枠組みの中に組み込まれたため、ブランシュ法典第七章第三節に規定される王族婚姻に伴う財産移転推定が適用される余地は大幅に縮小され、さらにオーネスト家の採掘権を婚姻に伴って組合に完全移管することでこの懸念は完全に払拭され、加えてヴェルディアが精錬事業に参入することで彼らの不満も解消され、条約再解釈の主張が蒸し返される動機も消滅し、さらにはカルディナ帝国の皇太子フリードリヒが仲介役を買って出てくれたおかげでヴェルディア大公家との学術交流も始まり、両国関係は条約締結以来最も良好な状態にあると言ってよく、次に貴族会議の派閥対立についてはヴァレンシュタイン侯爵家とローゼンベルク伯爵家が組合の精錬事業に参入したことで彼らの不満は解消され、さらに中小貴族にも二次加工事業への参入という形で利益を分配する仕組みを作ったことで新たな派閥対立の芽も摘むことができ、加えて君が直接侯爵や伯爵夫人を説得してくれたおかげで彼らは今や我々の協力者となっており、ノルディア連合との関係についてはシグルドが正式に大族長の後継者に指名され、交易協定も来春には締結される見込みであり、強硬派の一部がヴェルディアと接触しているという情報はあったものの、シグルドが交易の実績を上げることで彼らの支持基盤は弱まりつつあり、カルディナ帝国との関係については学術交流協定が順調に進んでおり、フリードリヒは皇位継承争いの渦中にあるものの、我が国との連携は彼の強みとなっており、彼が失脚する可能性は当初より低下しているという分析があり、加えて聖ローレンティア教会との関係もフリードリヒの仲介により改善の兆しを見せており、つまるところ、一年半前に私が懸念していた問題のほぼすべてが解決もしくは大幅に改善されており、君との婚姻が国益を損なうリスクは当初の見積もりと比較して、無視しても良いほどに低減されたと結論づけることができる」

 

 エルリックは一息ついた。鈍ってはいないようだ、と安心する。

 

 オーネスト公アルフレッドはぽかんと口をあけて唖然としていた。侍従たちも目を丸くして立ち尽くしている。

 

 ライラだけがにこにこと微笑んでいた。

 

「お疲れ様でございました、殿下」

 

「……分かったか?」

 

「つまり」

 

 ライラはエルリックの手を取った。

 

「ハッピーエンド、というわけですね」

 

 エルリックはふ、と笑って──

 

「要するにそういう事だ」

 

 と答えた。

 

(了)

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