DQ外伝─錬金術師と巫女の予言   作:Sephi&ロト

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第一幕、一節

 

 

♢ 妖精図書館

高い窓から差し込む陽光が、宙に舞う埃を白く透かしている。

 

(───もう朝か。集中しすぎだな)

この背中に、透き通るエルフの羽は無く。

 

 

妖精図書館、風の集落外れにある誰にも見えない小さな建物。

僕と女王様の秘密、僕一人で唯一「息ができる」場所。

 

分厚い革表紙の本を膝に広げ、指先でその文字をなぞっていた。

呪文書、歴史書、薬草学に解剖学。

 

(アルビノの劣性遺伝……遠視形質、血色の悪い白い肌)

 

難解な理論が並ぶ記述は、

他の若いエルフたちが好む風の調べや遊びとは対極にあるものだった。

 

 

「またこんなところで難しい顔して。そろそろ水やりの時間だよ?」

不意に耳元で、鈴を転がすような声が響く。

 

顔を上げずともその主はわかる。

僕の肩にふわりと舞い降りたのは、手のひらほどの大きさの妖精。

 

「ベラ……急に声かけるなよ。本は一人で読ませてくれって言ったはずだぞ」

 

「巫女さまから言われてるもの。

『彼はヘンクツだから少しは陽の下へ連れ出しなさい』って」

 

 

そう言って耳たぶをつんと突き、膝の上にある本へと飛び移る。

ベラはわざとらしく翅を震わせ、本の文字を隠すようにその上に座り込んだ。

 

「…………はぁ。偏屈、ね」

 

視線を本から自分の背中へと向けた。

風の加護を受けたエルフ。風を自在に舞うための透明な羽。

 

もう二百年程生きた僕の背中、成長に伴うものならば今頃立派な羽があるはずだ。

 

この集落に住む者なら誰もが持っているはずのそれが、

この背中にはひとかけらも存在しない。

 

滑らかで、あまりに白くて「人間らしい」皮膚があるだけだ。

 

「無目的に外へ出て何をするんだ。

皆と同じように風に乗ることも……趣味を語ることもできないのに」

 

 

独白に似た声は、静かな書庫の空気に吸い込まれて消えた。

ベラは呆れたように肩をすくめる。

 

「また始まった……ボルダは考えすぎなんだよ。

飛べないなら走ればいいし、趣味がないならその立派な頭を使えばいいじゃない」

 

「……妖精のお前にはわからないさ。僕だけが地面に取り残されるあの感覚。

僕だけが精霊の森に忘れられたみたいだ」

 

 

引け目、劣等感、あるいは自分についての未知への恐怖。

 

女王様に拾われて慈しまれて育った。住民たちも、面と向かって僕を蔑むことはない。

だがその眼差しこそが、鋭い諸刃のように心を削り続ける。

 

(…………この集落で僕の居場所を守るために)

 

皆との違いは、皆への貢献で埋めなければならない。

 

欠陥だらけの身体を治せないものかと知識を求めて薬草学を、呪文書を必死に読み漁った。

そして女王様に拾われた恩を返すためにも、役割を果たさなければと。

 

 

ベラは溜息を着いて僕の鼻先まで飛び上がり、頬を小さな両手で挟み込んできた。

 

「いい?羽がなくたって地に足をつけて立つことはできるでしょ。

ほかのエルフ達と違うきみから見える世界は欠陥じゃなくて、特別な事なの」

 

「……勝手に心を読むなよ」

「もーいつまでも湿気た顔してないで!さっさと水やり当番終わらせるの!」

 

そう言って、彼女はくるりと一回転して図書館の出口を指し示す。

 

「外の広場でリリちゃんとメロくんが待ってたよ。

『ボルダ兄ちゃんに薬草の見分け方を教わるんだ』って張り切ってたんだから」

 

 

(…………なんだ。あいつら待ってたのか)

 

ベラの小言はいつものことだが、不思議と彼女に茶化されると、

背中の重荷が少しだけ軽くなるような気がした。

 

僕は苦笑しつつも静かに本を閉じ、図書館の出口から目を逸らさぬよう。

「わかったよ……行くよ。ベラ」

 

 

♢ 風の集落

図書館の重厚な扉を押し開け、森の静謐を切り裂くような賑やかな風が全身を包む。

 

大樹の枝々に架けられた回廊をエルフたちが陽光を透かす羽を輝かせて飛び交う光景。

その眩しさに目を細めながら、浮き橋を渡って丸太の柵の玉座へと足を向けた。

 

「ああボルダ。早かったですね───

今日はゆっくり読書をされる予定では?」

 

「ジエラ様。少し調べ物を……妖精の小言がうるさくて出て来ました」

 

 

玉座から穏やかな声をかける集落の長、

瑞々しい緑の衣を纏い冠を象った杖を床に付く彼女。

 

「謝る必要はありません。貴方が知識を積み上げること……

それがいつか集落や森の助けになると信じていますから」

 

 

揺るぎない信頼を宿す紅色の瞳に、胸の奥を小さな熱がかすめる。

 

どこかの妖精と違って、ジエラ様は唯一僕の時間を尊重してくれる。

何より行き場のなかった僕を拾い、今日まで慈しみ育ててくれた大恩人だ。

 

(…………僕はその恩に報いたい。今はそれだけだ)

 

 

「ふふっ。学びも大切ですがボルダ……

時には貴方のその腕を振るうことも必要ですよ」

 

ジエラ様はそう言って、銀の長髪をわずかにこちらへ揺らす。

 

「近頃精霊の森の風が淀みかけている……

その影響で低位の魔物たちが凶暴化しているようです。貴方に討伐を頼めますか?」

 

「はい喜んで。貴女のお役に立てるなら」

 

 

僕の返事に優しく微笑むジエラ様。

そしてその杖が指し示した先、色とりどりの花が咲き乱れる庭園。

 

「出発の前に庭園の花々に水をやっていってくださいな。

ついでにあそこの守護者達からも助言を貰ってくるといいでしょう」

 

 

♢ 花の庭園

エルフは呪文に長け森の恵みと一つに生きる民。

集落の北の花畑はもちろん、果物や野菜を育てる畑もここにある。

 

庭園の最奥、僕は聖水瓶を持って苔むした男女二柱の守護者像の前に立つ。

そのまま数瞬の後───

 

 

『『…………地を歩く若き者よ』』

 

 

地を響かせるように重厚に二つ、

続いて右の少女の像から柔らかな思念の声が脳内に直接届いた。

 

『風を知らぬことは弱さではありません。

地を這う蟻のみが、巨木を倒す根の腐りを見つけることができるように』

 

左のもう一柱剣士の守護者像からは、

威厳に満ちた男性の声が静かに言葉を重ねる。

 

『知識という力は……心という器がなければ転じて毒となる。

内なる歪みを見逃すな。剣を振るう時己が何を守らんとしているかを忘れるな』

 

 

その言葉を最後に声は途切れた。

 

(地を歩く者、そして…………守るべきもの)

 

守護者たちの言葉を噛み締めると、澱のように沈んだ迷いが押し流され、

空っぽだった胸に確かな重みが宿るのを感じた。

 

 

「ボルダ聞いた?なんだか小難しいこと言ってたけど

───要するに『きみのやり方でやれ』ってことだよ」

 

「……ははっ、なんだそれ。分かってるよ」

 

能天気に胸を張るベラが少し可笑しかったが、

気を引き締めて背中の杖と腰の双弓の柄を握り直した。

 

羽はなくとも自分の足で踏み出す一歩が、今は少しだけ力強く感じられた。

 

 

聖水瓶を置き濡れた手を拭っていると、背後からバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。

軽やかなエルフの羽音ではないく、地面を必死に叩く二つの音。

 

「にーちゃん!」

「ボルダお兄ちゃんっ!」

 

振り返るとそこには、涙目で駆け寄ってくる双子のリリとメロ。

いつも僕のあとを追いかけては薬草の授業や絵本と子供らしい知識をねだってくる。

 

僕と同じように、まだ空を飛ぶための羽が未発達な二人。

僕にとってはこの集落で唯一、同じ目線で話せる大切な存在だ。

 

「ああお前ら?どうしたそんな真っ赤な顔で……」

 

「あのね、あのね……お花の冠がっ…………!」

 

 

リリがしゃくり上げながら指差す先は、集落の結界が途切れる精霊の森の入り口。

隣で肩を持つメロの手には、ちぎれた花びらだけが寂しく残っていた。

 

「オレらが森で遊んでたら急にでっかい緑のキノコの魔物が……

リリが一生懸命作った花冠を奪って森の奥に逃げちゃったんだ!」

 

 

「キノコの魔物…………」

ジエラ様が言っていた「風の淀み」の影響だろうか。

 

魔物がわざわざ集落の縁まで現れて子供の花冠を奪うなんて、

以前の穏やかな森では考えられないことだ。

 

「リリ、メロ、花冠は僕が取り返してくる。

ちょうどこれからその魔物たちを懲らしめに行くところだったんだ」

 

僕がそう言うと、二人の瞳にパッと希望の光が宿った。

 

「ほんとっ?でもお兄ちゃん……あっちには怖い遺跡があるってお母さんたちが」

 

「大丈夫……僕は飛べないが、森の歩き方は誰よりも知ってるから」

僕は二人の頭を優しく撫で、腰のベルトを締め直した。

 

 

「羨ましいじゃんボルダ。巫女さまの依頼に加えてかわいいファンまで……

これはもう失敗できないね?」

 

肩に止まったベラが呆れたように、しかしどこか嬉しそうに羽を鳴らす。

 

(真面目なとこなんだから茶化すなよ……)

「うわ。わたしが心読めるからって器用なことしてきた」

 

「じゃあ二人とも。行ってくる」

二柱の守護者に一瞥を送り、リリとメロに手を振り返して集落を後にした。

 

 

♢ 精霊の森:惑わしの遺跡

柔らかな木漏れ日は徐々に深い影へ、

草木を分け入り森の奥へ進むにつれて移り変わる。

 

集落から南へしばらく進んだ先、木の根の深く茂る洞窟の入口へと辿り着く。

 

 

風の精霊の魔力が複雑に絡み合い、

住み慣れたエルフでさえ方向感覚を失うというこの場所。

 

一人で探索する僕も例外ではなく、一歩間違えれば永遠の迷路となりかねない。

 

 

(しかし住民を守りながらという訳でもない……僕も自由に戦える)

 

「それならボルダも本気出せるもんね」

そうだ。妖精図書館で呪文書を読み込んだ知識をようやく実戦に───

 

 

「…………は!?お前いつの間に」

 

庭園で別れたはずのベラ。なんでこいつがここにいるんだ。

 

「なんでって……リリちゃんとメロくんも集落で待ってるだけだし。

暇だから付いてきちゃった」

 

そう言って白々しく浅葱色をぱちぱちと見開く彼女。

不用心に声を掛けてくるのは普段通り、とはいえ全く気配に気づかなかった。

 

「はあ……というかお前戦えるわけじゃないんだろ?」

「こんな身体だし当たり前じゃん。でもほら───」

 

 

自信満々な顔で何かを唱え始め、

小さく発光を始めたベラの身体が森を照らす。

 

「ね!こうすれば明るくなるでしょ?」

 

(…………)

完全に松明代わりじゃないか。

 

「また失礼な事を。敵の気配くらいわかるからサポートは任せて?」

「分かったよ…………邪魔だけはするんじゃないぞ」

 

 

足を踏み入れた洞窟、木の根と蜘蛛の巣が張る古びた遺跡の床を歩く。

ベラの小さな淡い光が遺跡の湿った冷気を追い払い、進むべき道を仄明るく照らし出す。

 

(……まあ正直、遠視を患う僕にとっては有難いか)

 

彼女が光源になってくれなければ、僕はとっくに苔むした壁に突き当たっていただろう。

 

洞窟自体も入り組んだ道に行き止まりが多い───

エルフの先祖が遺した宝を守るための『惑わしの遺跡』と呼ばれる所以か。

 

 

「ねえボルダ!あそこ」

「居た、キノコ……!マタンゴの親玉か」

 

遺跡の崩れた回廊の先、深緑の胞子を撒き散らしながら跳ねる奇妙な巨大茸の姿。

その傘の端には少し不格好ながら、場違いなほど鮮やかな花冠が引っかかっている。

 

 

(リリとメロの大事な花冠だ。勝手な事を…………)

 

「ボルダ気を付けて!この気配何か変かも……?」

「鈍い的に当てるだけだ。この距離なら」

 

 

ベラの明かりを頼りに愛用の双弓を引き絞る。

羽のない僕にとって、遠距離からの狙撃は生存のための必須技術だ。

 

矢羽根を掴む指先から小さな旋風が巻き起こり、番えた矢に纏わりついたまま放たれ、

放った矢は狙い通り魔物の眉間に刺さる。

 

「グエッ……!?」

 

 

しかし手応えは薄く、魔物の身体は中心から二つに裂けもう一匹の魔物となった。

「分裂したよ!物理が駄目なら……」

 

「ああ…………風よ」

 

背中から両手に構えた杖を草の地面に付き、早詠みの術式を立て空気中の魔力を集める。

「バギマ!!」

 

「「ギャァァァ……───!」」

小規模の竜巻がキノコ二体を包み込み、やがて湿った胞子ごと霧散させる。

 

「…………ふぅっ」

「やったね!ナイスショットだよ」

 

 

ベラが空中で快活に跳ねる。

僕は駆け寄り、地面に落ちた花冠を丁寧に拾い上げたが。

 

(しまった、土が着いて……それに花弁がだいぶ欠けてるな)

 

「あちゃあ……リリとメロに顔向けできないね」

 

一件落着とはいかず、安堵ではない溜息が肺の底から気分を沈める。

とはいえあの二人に隠す訳にもいかない。

 

「魔物の討伐じゃ済まないことが起きたな……ベラ何とかならないか?」

「いや…………こういう時だけそんな顔されても。正直に言おう?」

 

 

花弁が落ちかけた花冠を大切に布に包み、とぼとぼと来た道へ戻り始める。

「…………」

 

「ねえねえボルダ」

 

遺跡の出口へと向かう道すがら、僕の肩に乗って取り返した花冠を物珍しそうに眺め、

目の前に顔を出したりしつこく周りを飛び回るベラ。

 

煽ってるのかこいつは。

 

「ちーがーうってば!後で怒られるからって腐らないでよボルダ」

「何だよ。聞きたいことがあるなら心を読めばいいだろ」

 

 

「そうじゃなくてさ、きみは───

なんでそこまでみんなの役に立とうと必死なの?」

 

ベラが羽を休め、僕の横顔を覗き込むようにして尋ねた。

(必死……とは?)

 

「質問の意味わかんないかな、今回は巫女さまの依頼もだけど……

子供たちの面倒まで見てたり。集落の誰よりも『エルフらしく』振舞おうとしてるじゃん」

 

 

その指摘に視線を上げると、先程までとは違うベラの表情が目を伏せる。

 

「ごめん、きみがいつも一人で図書館で悩んでるの見てて……心配になっただけ」

「…………」

 

 

足元の枯れ枝を踏みしめる音だけが静かな森に響く。

僕は少し詰まるが、ベラの前で半ば独白に似た言葉を紡いだ。

 

 

幼い頃に森で両親とはぐれ一人で生きてきたこと、親の顔もよく覚えていないこと。

ベラは珍しく黙って僕の話を聞いていた。

 

「数十年前一人でいる所を人間に追われたんだよ。

くだらない理由で……エルフの涙は宝石としていい金になるんだとさ」

 

そっと背中に携えた杖を直す。

そこにあるのは滑らかで血色の悪い皮膚だけ。

 

 

「でもジエラ様は、皆は違った───

僕を快く迎え入れてくれた。まるで自分の家族みたいに名前を呼んでくれたんだ」

 

命からがら逃げ延びた僕は風の集落に辿り着いた。

ジエラ様やあの双子達に出会った日だ。

 

「エルフとして僕は不完全だ。皆のような羽も無い……

本来なら雑種として森の外へ追い出されてもおかしくなかったはずなんだ」

 

「ボルダ……」

 

暗くなり始めた森の木漏れ日の向こうへ目をやると、遠く暖かな夕に染まる集落が見えた。

 

「羽で風を舞うことのできない僕を……決して仲間外れにはしなかった。

彼らは不完全な僕にだって、居場所をくれたんだよ」

 

一歩、一歩、地面を噛みしめるように歩く。

 

皆に恩を返すためとは言ったものの、

僕に羽がない事実は変わらないし、その理由も分からないまま。

 

「それでも僕は返したいんだ。拾ってくれた女王様に……

受け入れてくれた皆に、せめてこの集落のため僕にできる役割を」

 

 

やがてベラは小さく溜息をつくと少しだけ優しく、辛うじて呟く声が聴こえた。

 

「ほんと考えすぎなんだってば、きみって……」

 

「はは。いつもの調子で受け取るなら失礼な意味か?」

「…………そのまんまの意味!おまけにきみってやっぱりヘンクツなの!」

 

 

♢ 風の集落

「おーい!ボルダにーちゃーん!」

「お兄ちゃんおかえり!花冠は取り戻せた……?」

 

集落の入り口まで戻ると、僕を待っていたのか不安げな表情で遠くを見つめていた二人。

こちらを見つけるなり、リリとメロは弾かれたように駆け寄って来た。

 

「ただいま二人共、約束の花冠だが綺麗に取り返せなくてな……」

 

 

怒られる事を覚悟して、包みを開けて花冠を差し出す。

 

しかし反って予想は裏切られ、二人の顔にはパッと大輪の花が咲いていた。

(…………!)

 

「お兄ちゃん、ほんとに取り返してくれた……!」

「すげーやボルダにーちゃん!やっぱりオレらのヒーローだぜ」

 

 

花冠を抱きしめて喜ぶリリとメロだったが、僕の気が済まず首を横に振る。

「いやお前ら、すまん……僕がもっと丁寧に討伐すれば」

 

「何言ってんだよ。それより今日はにーちゃんが主役だぜ?」

「早く早くっ!お母さんも家で待ってるから」

 

 

二人がそう言ったかと思うと今度は、左右からぐいぐいと僕の両手を力一杯掴んで来る。

 

「わ、ちょっと待て二人とも……まだジエラ様への報告が…………!」

「おーおー?人気者は大変だねえボルダ」

 

後ろから楽しそうに笑いながら、ベラもふよふよと僕たちのあとを追いかけてくる。

 

有無を言わせぬ勢いで手を引っ張られ、

よろけながらも二人の家へと引きずられていった。

 

 

♢ 聖水屋の民家

子供二人に半ば強引に連行されて聖水屋の扉をくぐると、

蒸留器から立ち上る清涼な香りと、薬草を煮出す柔らかな湯気が僕を包み込んだ。

 

「お母さーんっ!ボルダお兄ちゃんつかまえてきたよ」

「引っ張りすぎだお前ら……裾が伸びるだろ」

 

カウンターの奥から、瓶を拭いていた手を止めて穏やかな微笑みが僕達を出迎える。

 

「あらあら。随分賑やかなお帰りねあなた達───

いらっしゃいボルダ君。寛いで行ってちょうだいね」

 

 

二日ぶりに訪ねた集落の聖水屋、ここの店主であるメリーヌさん。

 

彼女は僕が集落に来たばかりの頃から、実の弟のように接してくれる優しい女性だ。

赤青の両眼に色盲を患う彼女には、日頃から薬草と聖水の関連で世話になっている。

 

「二人から聞いてるわ。わざわざ遺跡まで行ってくれたんですってね」

「ああ……いや、ジエラ様の依頼のついでだしな」

 

 

暖かな天井の照明に照らされた聖水の瓶が並ぶ棚を眺めながら、

子供たちに挟まれる形でカウンターの椅子に座る。

 

メリーヌさんはにっこりと微笑んで、棚の下に置かれた箱から何やら取り出し始め、

カウンターにそれぞれ色の違う瓶を置き始めた。

 

「黄色の瓶が君の薬草で調合した気付け薬。

水色のは頼まれてた魔法の聖水……空き瓶も使えそうなら渡しておくわね」

 

「こ、こんな沢山いいのか?それにすまん……

朝から出かけていたせいで今日は何も渡せそうにないんだ」

 

 

しかし彼女はきょとんとした顔で、

僕の前にずらりと並べた瓶を種類に分けて袋に詰めて渡してくれた。

 

「お代なんていいのよボルダ君。二人のお礼の気持ちだもの」

 

「そうか……いつも助かる。また帰る時は目薬に使える薬草を持ってくるよ」

「うふふ。いつもこの子達の相手をしてくれて私も助かってるわ」

 

 

僕の役割が住民達の中でしっかりと意味を持っていたのなら素直に嬉しい反面、

改めて言葉にされ意識するとむず痒くなり、視線を逸らした先。

 

 

隣でリリの花冠をいじっていたメロが、何やらニマニマと笑いながら口を開いた。

「へへへ、でもなボルダ兄ちゃん。その花冠だけど実は……」

 

「ば、バカバカ!言わないでって言ったじゃないメロ!」

リリが真っ赤になってメロの口を塞ごうとした。

 

「?ど、どうしたんだ二人とも」

 

「ボルダ兄ちゃんが主役って言ったよな。

二百歳の誕生日なんだろ?リリとオレでプレゼントするつもりだったんだよ」

 

 

「…………!!」

 

驚いて固まる僕を見て、リリは観念したように俯きつつもじもじと指先を弄んだ。

 

「花冠もあげたかったけど、本当は魔物に追いかけられた時に結構バラバラになっちゃって。

だからあの、ボルダお兄ちゃん……ちょっとだけ目を閉じて?」

 

 

言われるがままに僕が目を閉じるて少し待っていると、何やら首筋にひんやりとした、

けれど木の温もりを感じる細い紐のような感触が触れた。

 

「……はいお兄ちゃん!目開けていいよ」

 

リリの声を聞き恐る恐る目を開けて確かめると、僕の胸元には。

「これは、ロザリオ…………?」

 

「オレとリリの二人で作ったんだぜ!ボルダにーちゃんよく出かけるしさ。

毎日無事で帰ってきますよーにってお祈りしたんだ」

 

 

目の前で誇らしげに胸を張るメロ、その反対側で少し照れくさそうに目を伏せているリリの姿。

 

二人の小さな手が何度も小刀を動かしたのだろう、表面は不格好ながらも滑らかに磨かれ、

丁寧に小さな三叉を削り出された木彫りの意匠が刻まれていた。

 

 

「…………っ」

 

目頭が少し潤みかけ、ぐっと堪えつつ両腕で力いっぱいにリリとメロを抱き寄せた。

 

小さな二人は僕の腕の中で驚いたように跳ね、

しかしすぐに嬉しそうに寄り添ってくる。

 

 

誕生日、そう言われて初めて自分でも思い出した。

 

集落に迎えられる前、森で暮らしていた僅かな記憶に残る満月の日。

 

何の記念にもならないそんな日に

───二人が僕に、プレゼントをくれたのか。

 

 

「お前ら。明日はいくらでも絵本読んでやるからな」

「うんっ!今日一日寂しかった分いっぱい読んでもらうからね」

 

同じく僕への贈り物だったのだろう花冠は散ってしまったが、

今の僕にはそんな引け目よりも、二人の純粋な想いが何倍も眩しく温かかった。

 

「……ああ!僕とっておきの素敵な物語だ」

 

 

そんな僕たちの様子を、メリーヌさんは目尻を下げて静かに見守ってくれていた。

 

「あなた達……こうして見ると本当の兄弟みたいね。

ボルダくん、よければ今夜はうちに泊まっていらっしゃい?」

 

「え……!いいのか?」

「やった、お泊まりだ!オレにーちゃんと一緒に寝る!」

 

 

そしてその様子を窓際の薬草棚の上から、

何も言わずに見守ってくれていたベラに、少しばかり感謝の視線を贈る。

 

「うふふ。お菓子と久しぶりにお茶でも淹れようかしらね」

「オレ手伝うよかーちゃん!ボルダにーちゃんから習った葉っぱの知識があるんだ」

 

 

(そうか……僕にも、ちゃんと)

 

この手で守りたい居場所が、この手で護りたい存在が

───家族のように、無事を祈ってくれる相手がいたんだ。

 

「ありがとう三人とも。最高のプレゼントだよ」

 

外では少しずつ夕闇が迫っていたが、聖水屋の灯りとこの目に映る笑顔達だけは、

明日への希望まで照らすように明るく輝いていた。

 

 

…………

 

 

子供たちの寝室に招かれ、精霊の森の夜が更けてランタンの火が小さく落とされると、

二人は僕の腕や服の裾をぎゅっと握りしめたまま安らかな寝息を立て始めていた。

 

(……リリ、メロ)

 

部屋の静寂に包まれ、時折風に揺れる葉の音と二人の寝息だけが聞こえてくる。

 

薄暗闇の中で天井を見つめながら、今日一日の出来事を一つひとつ、

宝物のような思い出を拾い上げていく。

 

 

目覚めた朝に図書館で抱いた恐れは見る影もなかった。

今僕にあるのはジエラ様から託された信頼や、腕の中で眠る小さな二つの温もり。

 

(……どうして気づかなかったんだ。孤独なんて無かったじゃないか)

 

背中に皆と同じ羽はないし、風を舞う自由も僕にはない。

 

けれどこの足で、この地に根を張るようにして、

僕も誰かの居場所になれた。誰かの「ヒーロー」になれた。

 

 

胸元の木彫りのロザリオが、僕の鼓動に合わせて静かに揺れる。

 

今はもう会えないであろう両親がなぜ僕を産んだのか。

その答えの全てが、この両手の温もりに詰まっているような気さえした。

 

(……明日もまた。この笑顔を守るために)

 

 

僕は今日という日を大切に心の書架へ仕舞い込む。

リリとメロには申し訳ないが、ジエラ様へ報告だけはしなければ。

 

「おやすみ二人とも。すぐ戻ってくるよ」

 

 

♢ ♢

 

 

満ちた月の明かりが静かに私達の夜を包む頃。

集落の最端に膝を着き、精霊の森を臨む丘の高台にて。

 

夜風が墓石の表面を青白く洗っている。

私は一人、誰にも言えない秘密を静かな風に打ち明けていた。

 

「……今日という日もあの子は立派でしたよ。ベルンド」

 

 

風に削られ丸みを帯びた一基の墓石。

碑石に名は刻まれず、土の下に貴方が居なくとも、私にとっては世界でただ一つの場所。

 

「依頼は私の仕掛けとはいえ、奪われた花冠を見事取り戻し……

あの子は子供たちのヒーローに。あの子は自らの足で道を踏みしめていますよ」

 

 

私はふと天を仰いだ。

精霊の森と対照的に、不気味なほどに静まり返った夜空の風。

 

(…………)

 

双眸の果てには、大地を射抜く眼のような満月の輝き。

今はまだこんなにも美しく闇に抗い、そしてこれからも───

 

「ジエラ様。やはりここに居られましたか」

 

 

不意に背後から声をかけられ、心臓が跳ねる。

振り返るとそこには今朝見送った彼の姿が、少し気恥ずかしそうに立っていた。

 

「!ボルダ……起きていらしたのですか?」

 

「聞こえてましたよ。依頼は貴女の仕込みだったんですね?」

「あら……ふふ。私とした事がうっかりしましたね」

 

 

森の奥からは獣の遠吠え、目の前で私と同じ銀髪を揺らす冷たい夜の風。

どこから聞かれてしまったのでしょうか。

 

「討伐依頼の報告ですね。わざわざ探しに来てくれたのですか?」

「ジエラ様が玉座に居られなかったものですから。それにこの墓は……」

 

彼が目を向けた先、私が手を合わせていた墓石にそっと手を当てる。

「ええ。かつて私と共に集落を治めた長───」

 

人間として唯一エルフの民を愛し、錬金術を武器に集落を治め私と共に歩んだ人。

 

「ボルダ。私が貴方に贈った武器も……かつて彼の使っていた物ですよ」

「!」

 

 

月光双弓、私の持つ嵐の冠杖と同じく風の精霊の神器───

彼の亡き今使い手に相応しいのは、遠くを見る眼を持つボルダだけ。

 

「エルフではありませんでしたが、彼は誰よりもこの森を愛した人。

その神器で誰かを守れたのなら……貴方にその意思が正しく受け継がれた証拠です」

 

「…………」

 

暫し沈黙の後、私の目をじっと見つめて静かに口を開く彼。

 

「図書館で考えていたんです。この身体は劣性のものに近い……

風の魔力だって貴女のような純血(ハイエルフ)には遠く及ばない」

 

「ボルダ、そんな……私が言いたかったのはそういう事では」

 

「大丈夫です。ベラや庭園の守護者達の言葉を聞いて知りました」

 

 

そして語ってくれたのは、今日一日の彼自身の事。

 

遺跡での魔物討伐、集落の双子の花冠を取り戻して、

首元に彼らから貰ったというロザリオへそっと大切に手を当てながら。

 

「羽の無い身体は欠損ではなく地を踏みしめる力だと

───エルフらしくなくとも、集落のために出来る事はきっとあると」

 

「ボルダ…………」

 

 

私はその輝きに水を差してしまわぬよう、込み上げる感情を必死で抑え込んだ。

今この子は、自らの足で歩もうとしているのだから。

 

「私の知らないうちに……随分と頼もしくなりましたね」

 

 

けれど膝を付く彼の、月光の下で風に揺れる銀髪を、

そして一人育ったその頭をどうしても撫でてあげたくなってしまって。

 

「ジ、ジエラ様……過保護だと思います。僕はもう二百歳ですよ」

 

目の前で立派に、真っ直ぐな翡翠の瞳には光が宿っている。

 

「ふふっ。成長する貴方を見ると……

どうしても私は母親のように接したくなってしまうんです」

 

 

「そんな改まって言われると…………

も、もう夜も遅いし今度こそ戻ります。おやすみなさい」

 

照れ隠しに早足で立ち去る彼の背中に、ゆっくりと手を振る私。

 

「おやすみなさい。ボルダ……私の愛しい子」

 

遠く角を曲がり聖水屋の方へ消えていく。

その背中を確認してから、私は再び墓に向き直った。

 

 

なぜあ貴方があの図書館を───

あの子を遺したのかを、私はもう伝えるべきなのでしょうか。

 

「予言が空を黒く塗り潰すその時……

あの子をただの住民として守ることは、もう叶わないのでしょうね」

 

安堵の溜息とともに、ただ感謝を込めて静かに手を合わせ、

祈りを終えてふと天を仰いだ瞬間。

 

 

北の地平、境界の果てから七色の尾を引く彗星のような光が、

螺旋を描きながら天へと昇っていくのが見えた。

 

「何……?あれは……」

 

虹色の光は、星々の間を縫うようにして空の頂点へと収束していく。

その中心にあるのは、一点の曇りもない満月。

 

(彗星?いえ、あの光は…………)

 

七つの光が月の核に吸い込まれた、そう思った刹那、それだけを前触れにして。

 

 

「…………?!?」

 

全身を駆けたのは、総毛立つような戦慄。

 

見上げた先、まるでにどす黒い煤に食いちぎられていくかのように、

満月だけを残して星空の明かりが欠け始めていた。

 

森の鳥たちが一斉に鳴き止み、不気味なほどの静寂が世界を支配した。

 

 

「……な……空が」

 

銀色の光を放っていた星々が、瞬時にしてどす黒い闇に蝕まれていく。

病的なまでの純黒に昏んでいく様は、空そのものが腐食していくかのような。

 

 

(予言と同じ……まさか…………)

 

北から吹き付ける風には、もはや花の香りはなく。

暗転した世界で、私は震える手で杖を握りしめる。

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

『無限の秘法(アイン=クリフ)。闇に生ゆる万魔の根よ

───大樹の秘法(アイン=クリフオール)。凶星と降る冥府の雨よ』

 

大いなる闇が空を覆う刻。

神代より光と闇の大戦は再びその戦火を切る。

 

呼び声の主は闇の精霊。

司る『知恵』の名の元に彼の者どもを顕現せん。

 

 

「…………何奴だ。我が眠り……妨げる者は」

 

地獄の剣は地を割き、現す頭角は山を割く。

攻め入るは「地獄」と渾名す魔界の民の軍勢、それらを統べるは旧き進化の帝王。

 

『切り離されたる楽園の闇───

其は万魔の五つ根。地獄の厄災の王(バエル=ディス=インヘル)』

 

 

天地を衝く咆哮は煉獄の炎となりて純黒の空を紅く染め、

大気を震わせる脈動は森の風や海の水に嵐を巻き起こす。

 

「嘆かわしき哉。口惜しき哉。未だ我が秘法は完成を見ず……

最悪の目覚めを呪うが良い。天空人共!!」

 

 

天より雷を以て相対するは、地上唯一の創造主たる神竜の王。

 

「…………息災な様で何よりだ。マスタードラゴンよ」

 

「その悍ましき姿を忘れはせぬ……生憎だが───

世界樹に貴様の玉座は無い。二度も貴様に地上を荒らしはさせぬ……!!」

 

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