DQ外伝─錬金術師と巫女の予言   作:Sephi&ロト

12 / 12
第三幕、三節

こつこつと階段を鳴らし、地下闘技場の湿り気を帯びた空気が、

地上へ一段上るごとに乾いた熱風へと入れ替わっていく。

 

「全く、いつまで落ち込んでおる。まだ痛むのか」

 

「はしたない話は聞こえませんのです。育ちが良いので」

 

背後から応じる声から、僅かに殺気が漏れている。

 

彼女には、かつての私と同じ飢えた鋭さを重ねることもありつつ、

歳を鑑みれば無理もないが、少々磨かれていない部分が目立つ。

 

「カラダ作りもそうだ。形から入る姿勢は評価するが、

日頃から殺気をしまう努力をせねば隠密行動には慣れられんぞ?」

 

「ええ、確かに。今のは白薔薇さんのせいですが」

 

 

重い鉄扉を開けると、傾き始めた陽光が目に突き刺さった。

隊商地区の喧騒が遠く響く。

 

「「団長、お疲れ様です!東門の警備、異常ありません!」」

 

巡回中の三人組が直立不動で敬礼する。

 

「…………点呼を執る、番号順に名乗れッ!!」

 

「一番!テグリ、異常ありませんッ!」

「二番シグ、異常ありやせん!」

 

一人、二人、そして三人目にして、装備の乱れが目に留まる。

 

「三番レド!異常あ───」

 

「待たんか、貴様!!着崩しは控えろとあれほど言ったはずだ」

「は、はいッ!?申し訳ありません!!」

 

国に仕える者としての自覚があるのか、此奴等は。

 

「二番シグ、次の交代までにその猥本を捨てておけ!何度言えば分かるのだ!!」

「ひいッ!なんでバレ……お、おお俺だけじゃねえですって、団長お!」

 

「己の気の乱れを許すな!規範としての努力を一時たりとも怠るな!

以上である!!分かったらさっさと水場点検、返事は!?」

 

「「はいぃっ!!」」

 

 

ばたばたと持ち場に戻る部下の足音が、余計に頼りなく感じた。

 

(全く、怒鳴らなければわからんのか。どいつもこいつも……ん?)

 

「団長───!!」

 

一人だけ、私の方へ戻ってくる足音が聞こえた。

改めて敬礼を向けるその表情は、どこか落ち着かない様子だった。

 

「テグリか。どうした、報告のし忘れでも?」

 

「いえ!俺達の方は特に……ただ今朝から、

体調不良の団員が多いみたいで。シグとレドなら見ての通りなんすけど」

 

眉間にシワが寄ってしまい、テグリの顔が強張る。

 

「はぁ、揃いも揃って。情けない」

 

 

日頃の素行を見ていれば分かるが、平和なのをいい事に、

軽い体調不良程度で休暇を申し出る団員が増えている。

 

本日のように出兵ではない任務に気乗りしない、という気持ち自体は、

私が一番よく理解しているつもりだ。

 

とはいえ、国に奉仕する者が仮病など許されていいわけが無い。

もっとも、真面目で皆勤賞のテグリを除いてだが。

 

「───む?待てよ、三人以外の全員か?」

 

「そ、それなんです。俺も団長と同じで、正直サボりかと思ってたんすけど……

全員が全員、同じタイミングで微熱って言うから、なんか怖くなって」

 

ただ事では無い、かもしれない。

私が席を開けていた間に、預かり知らぬところで何かが起きたのかもしれない。

 

「熱?微熱か……分かった、御苦労だったな。

ひとまず医療班に声をかけておこう。何かあれば報告に来るといい」

 

 

「あの、団長」

 

私の足を止めたのは、生真面目そうないつものテグリの声ではなく。

 

「い、いえ、何でも……失礼します」

「待たんか、テグリ。大事なことなら目を見て話せ」

 

顔を上げはしたものの、テグリの視線は合わなかった。

 

「ユギの身体の事であろう。私が知らんと思ったか、馬鹿者」

「…………はい」

 

「昨晩の宴で祝ったそうだが、かえって身体に障ったかもしれんな。

巡回は抜けて、看病に行ってやるといい。私に出来る限りの話は通しておくさ」

 

「───!!ありがとうございますっ、団長!」

 

 

駆け足で詰所へ向かうテグリの背中を見送っていると、

ふと不意に、背後にあったはずの気配が消えたことに気付く。

 

振り返れば、レーニエ殿は私の陰にすっぽりと隠れ、

部下たちの視線から逃れるように白い髪を縮こまらせている。

 

「世話の無い事だ、これから会いに行くというのに……

アドリー様の前でもその調子ではないだろうな?私は知らんぞ」

 

「白薔薇さんの後ろが一番落ち着くのです」などと、また語尾を萎ませる。

 

情けない、先程までダダ漏らしだった殺気の波動はどこへやら。

 

「私が慣らしてやったはずだが、貴殿には未だ不得手らしいな。

謝罪にしろ好意にしろ、相手には自分から声を掛けるものだぞ」

 

「お優しい、ですね。白薔薇さん」

 

「?ああ───あれくらいはな。上に立つ者ならば当然の義務だ」

 

 

レーニエ殿をアドリー様の元へ送り届けてからは、

近衛団外部の者にも話を通す必要がある。

 

自慢ではないが、医療の知識はゼロなのだ。

 

風邪らしい風邪をひくことも無いし、傷は包帯で何とかなるし。

身重になった女性団員の看護ともなると、尚更である。

 

もう少し長く孤児院に居れば、多少なりマシになったかもしれんが。

 

(いや、無いな。ジジイと同じあの場所に、私の居場所は無かった)

 

「……さん?あの、白薔薇さん。少しだけ、聞いておきたいのですが」

 

 

はっとして、レーニエ殿の方を振り向くと、懐から何やら小さな包み紙が取り出された。

 

「あ、ああ?何だ、まだ何か心配なのか」

 

「これ、果物のクッキー……アドリーおねえさんへの贈りものです。

用意したはいいのですが、なんだか心配で」

 

「はははっ、そこまで緊張するものか?愛の告白でもなかろうに」

 

「ちがいますっ!そういう事ではなくて……なんというか、

食べ物で釣りにいくような気持ちになってしまって。これは、正しいのでしょうか」

 

言われてみれば、そんな気もする。

食いしん坊のアドリー様が相手なら、ある意味大正解な気はするが。

 

「まあ……なんだ、賄賂を渡して商売をするわけでもないのだ。

仲良くなってからが本番だろう?キッカケ作りなどなんでも良いでは無いか」

 

「…………なるほど!勉強になりますのです。団長は、ダテではないのですね」

 

「ふっふっふ、そうであろう?」

 

とは言うものの、正直なところ、自分事として深く考えたことはない。

 

何より、私の場合は話が別なのだ。

 

団長の座を勝ち取ったのは実力なのかもしれないが、

信頼よりも先に出来た立場に、部下からの信頼が着いて来るとは限らない。

 

 

(思えば、もう十年か。時の流れとは早いものだな)

 

上に立つ者として、「見上げられる者」として、果たすべき義務。

我が王、エルバ=メヘト様の御影を追い、ようやく辿り着いた居場所。

 

そしてあの日仰せつかった言葉、全てが昨日の記憶のようだ。

 

『───ギーメル=リザレーシュ。二君に仕える従者を側に置く気は無い。

忠臣に相応しからんと欲するならば、其方を奴隷たらしめる鎖を断ち切って見せよ』

 

 

(…………)

 

戦場で死ぬか、天寿を全うするのか。それが相手か、自分なのか。

 

いずれにしろ、人は何時か死ぬ。

苦楽を共にした戦友も、待ち望んだ好敵手も、何時かは。

 

ゆえに、後ろに着いて来る者を拒む意味も、

何時か目の前から消え去るものを追う意味もない。

 

失うことを恐れれば、人は勝利が見えなくなる。

守るべきものを守るにも、そんな迷いが邪魔になる。

 

(何故、分からんのだ。近衛団の馬鹿者どもも、あのクソジジイも)

 

仲を深めてなんになる。

失うものが増えるほど、人は弱くなるというのに。

 

「白薔薇、さん?」

 

だというのに、何故だろうか。

目の前で弱くなろうとしているレーニエ殿を、止める気になれないのは。

 

主君に忠義を誓ったあの日から、私が前に進めないのは。

 

「いや、すまん。団員のことでな」

 

 

思考を振り切り、前を向いた私の目に陽だまりが差す。

人気のない裏路地を抜けた光の中、その中心に見えたもの。

 

噴水広場の水の輝き、黄色い声援を受け、

彗星のごとく鮮やかな衣装をなびかせる踊り子の舞。

 

石畳を白白と照らす昼の光そのものを纏って、

アドリー様は内から輝く星のように人々を引き寄せていた。

 

「バイバイみんな、今日もありがと!また見に来てねっ」

 

アドリー様が観客へ笑顔を振りまき、

わっと湧いた歓声とともに、広場には笑顔の花が咲き乱れる。

 

そのどれもが一様に憑き物が落ちたような、清々しさに満ちて見えた。

 

「は〜生き返るわ!空も飛べちゃいそう、午後も頑張れそうねえ」

「だよなあ!いやー、いつにも増して色気っつーか、可愛かったなあ……」

 

「うわお前、いい歳して……にしても、王国に越してきて五年になるけどよ、

あんなキラキラした笑顔の踊り子さんいねーぜ。疲れとかどーでも良くなっちまうな!」

 

歓声の余韻が引いていく中、アドリー様は息を切らしながらも、

ふと群衆の端にいる一人の少年に目を留める。

 

身なりの貧しい、お腹を空かせた子どもだ。

 

アドリー様は躊躇うことなく歩み寄ると、

腰にかけた荷物から包みを取り出して優しく分け与えた。

 

「はい、これ!こんなものしかないけど、どうぞ」

「!?さ、サンドイッチ……お……お金、もってるように見えるの?」

 

お腹を押さえる子どもの前で、ううんとアドリー様は首を振った。

 

「どーぞっ。お腹、すいてるんでしょ?」

 

 

(流石、だな。アドリー様)

 

差し出されたパンを手にし、涙ぐみながら満面の笑みを浮かべる子どもを見て、

自分事かのように頬を緩めるアドリー様。

 

私は腰の剣の柄にそっと手を触れ、内心で小さく嘆息した。

 

剣を振るい、人を湧かせ、戦うことでしか存在を示せぬ私には

───地下で戦う私には、太陽が少し眩しすぎた。

 

しかし、そんな私の思いにふける時間を破るように、

隣で小さな背中をさらに小さく丸めていたレーニエ殿が袖を掴む。

 

光の中に踏み込む勇気が出せずにいる、そんな様子で。

後ろには、大切そうにクッキーの小袋を握ったまま。

 

「ほら、行け」

 

私が背中を小突くと、レーニエ殿はおどおどと、

今にもつまづきそうな足取りで、その光の道に一歩一歩と歩み出す。

 

「あ、あのっ……!」

 

 

皆に向けて手を振っていたアドリー様の黒髪が、足元に向く。

 

「わっ、どうしたの?家族とはぐれちゃったとか?」

 

「さっきは……え……っと…………

わ、わたし、レーニエといいます。お昼のこと、ごめんなさいって言いたくて」

 

「お昼?あれ、キミって───」

 

膝をかがめるアドリー様の真っ赤な瞳に見つめられ、

レーニエ殿は二の句を継げぬまま、時間が過ぎてゆく。

 

小さく、だが懸命に紡がれたその声を気味悪がるでもなく、

アドリー様は柔らかくその目を輝かせていた。

 

「レーニエちゃん……えへへっ、そっか、かわいい名前だね。

実はね、アタシの方から会いに行こうと思ってたんだ」

 

「は、はい…………あ、えっ?」

 

 

予想外の言葉に、レーニエ殿が丸い目をさらに丸くして固まる。

 

「ここで踊ってたら、見に来てくれるかなって。

もしかしてさ、今日だけじゃなくていつも来てくれてたりする?」

 

「は、はいです、でも声をかけるのは初めてで…………

じゃなくて!わたしのこと、覚えてるんですよね?なんで……」

 

緊張と喜びでたじたじになり、小さな手を目の前で泳がせるレーニエ殿。

 

アドリー様はその様子を愛おしそうに見つめると、そっと手を伸ばし、

彼女の頭をふわりと撫でなさった。

 

「こんなふわふわの髪だったんだね、レーニエちゃん。

よかった、出かける前におしゃべり出来て。明日もまた、見に来てくれる?」

 

 

レーニエ殿の耳が、一気に赤く染まり出す。

 

照れてかなわなかったのだろう、彼女は脱兎のごとく私の元へ飛んで帰り、

かと思えば、私の背中にすっぽりと隠れてしまった。

 

背後で私の裾をぎゅっと握りしめ、私を盾のようにして小さく震えている。

 

「え、ギーメルちゃん?!ご、ごめん、アタシ怖がらせちゃった?

てか、なんか…………滅茶苦茶懐かれてない?」

 

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた。レーニエ殿は妹分のようなものでな」

 

私の背中から、ムッとしたように小さな声が返ってくる。

 

「ちがいますっ、妹じゃなくて弟子なのです。

白薔薇さんがアネゴだなんて、似合わないにもほどがあります」

 

「む?そうか、そうだな!私には師範の呼び名が相応しい!」

「それでいいんだ、ギーメルちゃん……」

 

 

なるほど。少しばかり、神経質になりすぎていたのかもしれん。

 

志を共にする戦友として、互いを知るに越したことはないのだ。

戦なき平和というのも、案外悪くは───

 

 

「おやおや、レディー達!何やら楽しそうですねえ、我らも少々ご一緒しても?」

 

束の間の幸福な空気は、突如として割り込んできた足音によって遮られた。

 

(…………誰だ、こんな時に)

 

地に落ちるような溜息が聞こえ、それが私のものだと遅れて気付く。

今くらいは一息ついても責める者はおらんだろう。

 

不自然に甲高い、それでいて酷く粘ついた男の声。

振り返ると、羽振りの良さげな仕立ての良い服をまとった男三人組が向かってくる。

 

言葉遣いから身なり、そして何よりその目に宿る、

他者を値踏みするような下卑た光。

 

色々と胡散臭い連中だ。ナンパのつもりなのだろうか。

 

「不躾な手口だな。わざわざ人の目が散るのを見計らっていたか」

 

私は無意識のうちに一歩前に出、背後のレーニエ殿を庇い立ち塞がる。

 

ただ、目の前の男たちの放つ不穏な気配に、

私の手は自然と剣の柄へと引き寄せられた。

 

「おいおいおい!いきなり構えんなよ、物騒じゃねーか。

団長さんも楽じゃねーなあ、四六時中そうやって気張んなきゃなんねーのかよ」

 

視線に気づいてか、わざとらしく両手を上げておどける先頭の男。

何故こうも相手の神経を逆撫でするのが上手いのか、商人というのは。

 

「いやーね、昼間はうちの若いのが邪魔したみたいで。アドリーさん、でしたよね?」

「あ、アタシ?どこかでお会いしましたっけ……?」

 

別の男が、私の横をすり抜けるようにしてアドリー様へ視線を向けた。

 

 

(昼間、邪魔した……だと?)

 

伝達ミスか何かだろうか、何やら勘違いしているらしいが、詮索の手間が省けた。

酒場に押し入った強盗の連れ、もしくは主犯格にあたる者達だろう。

 

「白薔薇さん、この方々は……」

 

再三、剣を握る手に力を込めた私を見て悪びれもせず、

男はこれみよがしに懐から書状のようなものを取り出す。

 

「お詫びといっちゃなんですが、アドリーさん、

試食会なんかはご興味ありませんか?勿論、無料でご案内させて頂きますよ」

 

三人に声をかけておいて、本命はアドリー様か。

───いくらなんでも釣り方が古典的すぎる気はするが。

 

「今回の目玉、その希少性から黒真珠とも呼ばれます、サメバーンのキャビア!

濃厚でとろける舌触り、リッチなコクをそのままにクセの少ない香りと風味!」

 

「高価なのもそのはずで、海洋資源が全体的に高騰しておりましてね。

ただでさえ手間暇かかる一品ですし、なんでも人魚が船を転覆させるんだとか」

 

(聞いてもいないセールストークを長々と……どう追い払ったものか)

 

と、息付く暇もなく、商人達は退くどころか圧を増して語り続ける。

 

「文字通り暗礁に乗り上げた商売、笑顔で囲む食卓の未来は暗くなる一方。

が、しかし!!そこで我々、商人ギルドが舵を取るというわけです!」

 

「みんなニコニコ適正価格!地上にやさしい有機栽培!

我らは貧富の差をなくし、持続可能かつヘルシーな食の未来をお届けします!!」

 

(…………な、なんだ……?)

 

「まさにオーガニックで、エシカルな!フェアトレードのパイオニアというわけです!

それゆえ、本来高価な品であってもお安く提供できちゃうんです!」

 

最初の取り繕うような不自然さが消えた代わりに、

どこか不気味なほどの結束力で熱量を強める商人達。

 

典型的なナンパの手口かと思っていたが、雲行きが怪しい。

 

というか、それよりもっと胡散臭い勧誘の毛色が濃くなってきた。

 

「ということで!改めて我ら主催の試食会、いかがでしょうか?

各国を巡り集めた美味の宝石たち、ぜひともこの機会に!」

 

 

私が歩み寄ると、試食会のビラを持つ先頭の男はわざとらしく首をかしげた。

 

「生憎だが、アドリー様には外出のご予定がある。日を改めて出直すんだな」

 

「んん?ああお連れ様、まだいたんですか。

申し訳ない、正直言って用があるのはそこのお嬢さんだけでして、ね?」

 

いちいち癪に障る言い草だが、見くびられては困る。

 

決めるのは本人の意志、ということだろうが、見当違いも甚だしい。

アドリー様に、かような見え見えの勧誘が通じると思っているなら。

 

「あ、ありません!興味!」

 

きりっとした声で、毅然とはねつけるアドリー様。

───口元が濡れてるのは多分アレだ、退屈すぎて眠りかけていたとかだろう。

 

ちらりと足元を見ると、やはりレーニエ殿は警戒を解かずにいる。

どの道、私達はみな任務にあたる最中だ。相手をしている場合ではない。

 

「もう良いだろう、貴様ら。アドリー様の意志も聞けたのだから、他をあたるんだな」

 

 

言い放った途端、後ろに控えていた小太り気味の商人が距離を詰めてきた。

貼り付けられた笑顔の奥に、わずかに侮蔑の色が映る。

 

歪んだのは、私の視界の方だった。

 

「人間様に説教ですか。よくもまあ、売れ残りの奴隷がぬけぬけと」

 

 

気づけば剣の柄を離れた私の右手は、

男の胸ぐらを掴みあげて壁際に押し付けていた。

 

わずかに見えたのは、青ざめたアドリー様のお顔と、

私より先に踏み出す準備をしていたのであろう、レーニエ殿の驚いた顔だった。

 

「…………奴隷……奴隷、だと?」

 

背後から私の名前を呼ぶ二人の声が、ひどく遠く感じた。

 

「ぷく、ははっ、……あーあ、コワイコワイ。いいんですかね、

国税で動く衛兵が善良な市民に手を挙げて?ね、馬力が取り柄の団長さん」

 

何が、可笑しい、薄汚い守銭奴風情が。

 

忠義を貫く剣の矜恃が、誇りを守る盾の栄誉が

───商人なぞに、私達の何が分かる?

 

「いやあ、にしても随分脆いプライドをお持ちで!

男形に逃げたのも……おおかた、女として売られるのが怖かったんでしょう?」

 

「口を慎め!金でしか通じ合えん貴様らにっ、我等の何が分かる!!

我等の誇りを汚す言葉は我等が王への侮辱と知れッ!!」

 

「ぐ、っ、……ははははは!!いやはや、今時の奴隷というのは、

目に見えないホコリとやらで飯が食えると?こりゃまた安上がりな商品だ!」

 

「貴……様、……ッ!!!」

 

剣を抜く手に力が込もった。

もう私は、私を止められない。どうしようも、なかった。

 

「お、おい、もうやめとけよ、逃げろって!大将!!」

「だ、駄目っ、白薔薇さん!」

 

私一人では、きっと何も───

 

 

「何さっ、アタシの事放ったらかしにして!!」

 

「「っ!?」」

 

刹那、と呼ぶには、あまりに短い一瞬。

そんなわずかな油断の隙を縫うように、私の右手ははたき落とされていた。

 

(アド……リー、様?)

 

「ん、んん……二人とも、要するにさ。

行くのか、行かないのか、結局これってアタシが決めるんでしょ?」

 

広場に渦巻く悪意の中を、まるで喧嘩の仲裁にでも入るような歩調で。

壁に崩れ、咳き込む商人の方へ、アドリー様は踏み出す。

 

「あいてて。はははっ、さすがお嬢さん、話が早くて助かりますよ。

ご安心くださいね、我々もお時間は取らせませんので」

 

「え?あー、いや、違くて」

 

 

商人と目線を合わせ、アドリー様は申し訳なさそうに手を合わせた。

 

「おじさん達、そんなに美味しい料理ならさ。

『知らない人』じゃなくって、アタシのお友達と食べたいんだけど」

 

「ほーん?あれが、ね」

 

「───名前で呼んでくれないかな?お友達なんだよね、アタシの」

 

肩に爪を立てられ、商人はうざったそうに手を振り払い立ち上がる。

 

「んん〜?イマイチよく分かりませんねえ……だいたい我々、

道具の正式名称なんざいちいち覚えませんので。お二人さん、行きますよ」

 

「チッ。無駄足踏ませやがって、レズどもが」

 

 

遠ざかっていく商人たちの足音に、はっとして、

砂地にうずくまったままのアドリー様に気付いた。

 

(待て、今の私に……私のどこに、その権利が)

 

手を、差し伸べようとして、私の理性がそれを拒む。

冷たい汗がひとつ、首筋を伝いかけた時。

 

 

「───う、うううっ、なんで、もう、アタシの馬鹿あっ!!!」

 

「「!?」」

 

砂まみれの両腕で崩れ落ちそうな体を支えながら、アドリー様は泣いていた。

 

「わかんない、なんなの?宝石並の珍味って何!?

みんなでワイワイ試食会って余計楽しそうじゃんもおぉぉ……っ」

 

 

「あの、アドリーおねえさんっ。これ、よかったら」

 

(…………あ)

 

渡しそびれたクッキーの包みを片手に、レーニエ殿は言う。

泣き崩れるアドリー様に、手を差し伸べながら。

 

「ううう、レーニエちゃん……ん?この匂い、もしかしてあの時のフルーツじゃ」

 

「何度か失敗してしまって、自信作はこれだけなのですが。その、元気出し

───よ、よだれが!!え?あれ?どうしてもう元気なのですか!?」

 

「ていうか、うぐう……ウソついて結構酷い断り方しちゃったような……?

もう試食会は出禁かなあ、アタシ。なんでいつもこうなるんだろ」

 

 

(私、は……何を……馬鹿か?馬鹿、なのか、私は)

 

主君に等しい御方に、私は止められた?

主君を守る盾であるべきはずの私が、護られたと?

 

それさえも忘れて、何のために、剣を抜く気だったというのだ?

 

「でもまあ、いーもんね、二人とも楽しくなさそうだったもんね。

あ、それよりギーメルちゃん!クッキー、三人で一緒に」

 

 

「わ……私は、───」

 

咄嗟に逸らした視線の先に、いつからかそこに居た誰かの人影が映る。

 

おそらくは、中々来ないアドリー様を迎えに来たのだろう。

杖を着き、遠巻きにこちらを見守るそれは、ボルダの姿だった。

 

(何だ、……なぜそんな目で、私を……っ)

 

あの時と同じ、あの目だった。

 

切り傷と血に塗れた私を見つめるあの目が、たまらなく疎ましかった。

やめろ。今は、───今だけは、やめてくれ。

 

一体、誰と目を合わせれば良いのか、分からなくなるじゃないか。

 

「私は……っ、……すまんが、医療班に声をかけに行かねばならん。

聞くところによると、うちの団員が熱に浮かされているらしくてな」

 

「え!?た、大変、それならアタシも行くよ!

アタシ看病得意だしっ、人手は多い方がいいんじゃないかな?」

 

 

口に出すな。

それ以上を願ってしまえば、私は、この国に居られなくなる。

 

国に仕える道具でなければ、私は生きられないのだから。

 

「お気持ちは有難いが、私にしか出来ん仕事なのだ。

アドリー様も、ほら。いつまでも人を待たせていて良いのか?」

 

「え?あっ、やば───ありがと、二人ともまた!

帰って来たら絶対、一緒にお菓子食べようねっ」

 

「えっ!?は、はいです、お気をつけて……!」

 

 

名残惜しそうに手を振るその眩しい背中が、遠ざかっていく。

目先の今日に生かされた私とは違う、明るみの方へ。

 

「さあ、レーニエ殿も。きっと今頃マスターが心配しているだろう」

 

「ま、待ってください!白薔薇さ……」

 

 

私を追いかけて砂を踏む音は、次第に小さくなり、もう聞こえなくなった。

(…………すまない)

 

誰に許しを乞うでもなく、私の足はいつも通りの道筋を辿り始める。

これで、ようやく私も、私の日々に戻ることが───

 

「「ギーメル団長ッ!!」」

 

耳慣れた、しかし焦りに満ちた呼び声が私の視線を跳ね起こすと、

肩で息をするシグとレドの二人が汗を垂らしていた。

 

「き、貴様らか。落ち着け!何事だ?医療班に声掛けをしに行くところだ、が」

「それが、その件で……っ」

 

改めて二人の兵服に目を落とすうち、

西の空へ沈み始めた日照りとともに、脳が冷えていく気がした。

 

「どうしたその、血は…………うっ?!」

 

 

返り血のような、───いや、何かを斬り伏せたにしては、不自然な紅い染み。

血と思しきその染みからは、吐瀉物じみた酸の匂いがわずかに感じられた。

 

「お願いします団長っ、詰所まで!!みんながっ、みんなが……!!」

 

「くそ、何が微熱だよ、こんなの……!

なんで、みんなっ、血なんか吐き始めてんだよ……!!」

 

気付けば走り出した私の肌を、砂混じりの乾いた風は不用心に撫でて、

ぬるく滲んだ汗の水気だけを奪い逃げていく。

 

太陽に目をくらませるあまり、私は気付けずにいたのだ。

 

夜が空を覆うとき、そこに暖かな光などありはしないという事に。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。