♢ ♢
「お待たせ……って、探しに来てくれた相手に言うのもヘンか」
昼間の暑さがこたえたのだろう。日陰にもたれかかり、
仁王立ちのボルダくんは睨むでもなく、ただ呆れたように目を細める。
にしてもその視線が、いつもに増して元気が無いように見えた。
「時間を無駄にしたくなかっただけだ。幸い、人探しにも慣れてる。
勘の働かない土地で、来ない相手を待つより有意義だと思わないか?」
怒られているわけでもないのに、胃がキリキリと痛むこの感覚。
なんだか、二人目のお父様が目の前にいるように思えた。
「しかしよっぽど目立つらしいな、お前?
目撃情報のない奴の方が少なかったぞ。手間が省けて何よりだ」
「ご、ごめんなさい、広場のみんなと約束してたのすっかり忘れててさ。
それとなんか、やけに今日は声かけられたような」
「そうか、……お前らも災難だったな。
棒立ちの相手を狙って声を掛けてくるのは、大抵ロクな奴じゃないさ」
さっきのおじさん達の事、かな。
一部始終見守られていたと思うと、正直ちょっと恥ずかしい。
まあ多分、彼女は気づいていたんだろうけど。
「はあ。ギーメルちゃん、機嫌直してくれてたらいいな
───え?『お前らも』、って……」
アタシの問いかけをよそに、ボルダくんのまぶたがぴくりと動く。
さくさくと砂を踏む音に振り返ってみると、
彼が表情を変えた意味がなんとなく理解できた。
「レーニエちゃん?あれ、ギーメルちゃんに着いてったんじゃ」
「いいえ、その、わたしもフラれてしまいましたので。
ママのところへ帰る前に、ごあいさつ位はしておこうかと」
ふわふわと揺れる真っ白な髪の隙間から、ボルダくんの顔を見上げる。
そっか、顔を合わせるのは初めてだっけ。
(こういうときどうしてたっけ、アタシ?丁寧でえらいなあ、この子)
「レーニエ=フィールド、『ちゃん』を付けるかはお任せします。
あなたのことはママから。ボルダおにい……さん、ですよね?」
首を傾げるボルダくんを置いて、申し訳なさげな目線がちらりとアタシを向く。
「歯切れが悪いな。何か文句でも?」
「いっいえ、大したことでは。その、お姫様だっこが……あまりにも」
「へへへ、アタシも女の子かと思ってたんだよね。
別に怒りはしないと思うよ?無愛想だけどいい子だからさ」
「へえ。お前……褒めてるつもりなのか?それ」
やっぱり言わない方がいいんじゃないかなあ───と、
わたわたした様子のレーニエちゃんに目で合図を返した。
(…………)
こんな姿を見ていると、やっぱり不思議に思ってしまう。
『幾つになっても、女の子なら御行儀を大切にしなきゃ駄目よ』
『それにあの子、人前に出るような性格じゃないもの』
一人娘として、いわゆる保護者の気持ちは知っているつもりだけど。
ローゼお姉さんはどうして、今日まで会わせてくれなかったんだろう。
「『会わせたくない理由があった』……それじゃ不満なのか、お前は?」
耳を刺すような鋭い声。
アタシが何か真面目に考えるとき、いつも先を越してくる彼の声だ。
気付けばほんの少し、それでも確かに。
その声を響かせる空気を重苦しく感じながら、息を呑みこんだ。
「お互いに事が進みさえすれば、内実なんてのはどうでもいい。
癪なのは……そういう僕の立場も見越しての契約、ってところか」
それに気を取られたせい、なのか。
「…………ケイ……ヤク、とは?誰と誰の、でしょうか……?」
アタシは、気づくのに遅れてしまった。
レーニエちゃんの瞳から、透明な輝きが消えていたのを。
怒るような滾りでも、悲しむような潤みでも、どちらでもなく。
何か得体の知れないものに、ひどく怯えているような。
ガラスの底にぶちまけられた墨が、そんなドス黒さが、瞳の奥で震えていた。
「どうして、ママ、どう……して?『ぼく』が……知らない、ところで」
ぼろぼろと、黒いその涙が、彼女の頬を伝いこぼれ落ちた。
その理由なんて、何も分からなかったけれど。
分かって、あげられなかったけど。
「ここにいる、のに、ぼくは…………ぼく、は……いら……ない?」
「レーニエちゃん!!───」
アタシの声なんて、聞こえていないかもしれない。
冷たい胸は上下し続けるばかりで、真っ黒な涙も、動悸も止まらなかった。
分かるのは、きっと、背中を撫でたところで、何の解決にもならないことだけ。
「大丈夫っ!!大丈夫だから、落ち着いて……!!」
けれど、せめて。
この子が身を震わせる寒さを、少しでも和らげてあげたくて。
人並み以下の温もりでもいい。何も出来ずに終わるより、ずっと。
「…………おねえ……さ、ん」
「わからない……理由は、わからないけど。寒いのは、アタシ、わかるから」
きっと、生まれたときからずっと。
一人ぼっちの寒さが、たまらなく怖くて。
人肌の温もりを探し続けて、アタシは生きてきたから。
「三人で行けばいいんだよ。ボルダくんのところで、一緒にいよう?
落ち着くまでさ、一緒に……そう、すれば」
「ごめん、アドリー。多分これだけは、言っとかなきゃ駄目だ」
え、───
「集落に入れてやるのは、無理だ。そいつに流れてるのは、『魔物』の血だから」
「ま、もの?そんなはず……な、なんでそんなことっ、キミが」
ボルダくんを、目一杯に睨みつけた。
怒りの矛先が間違っている。そのくらい、いくらアタシでも分かっていたけど。
「ママがおにいさんに、伝えた……そう、なのでしょう?」
黒くすすけた頬を拭いもせずに、確かに、レーニエちゃんは言った。
黙ったまま、頷きもしないまま、ボルダくんは俯いていた。
お父様の護るこの王国に魔物が入り込んだあの夜が、どれだけ異常だったか。
使徒に立ち向かい、アタシと彼が戦った時にも、嫌という程思い知らされた。
魔物は、結界の中に入れない。
「違うっ。そうだとしても、無理なんかじゃない……!
レーニエちゃんは、ちゃんとここにいるじゃない!!」
「意地悪が言いたいわけじゃない。レーニエは、無理なんだ。
内側にいる今はいいが……外側から結界の中に入れてやるのは、話が別だ」
「うそ、……そんなの、うそだよ」
ちがう。そんなのは嘘だと、誰かに言ってほしいだけだ。
「おねえさんは……優しすぎる、のでしょうね。白薔薇さんと、同じで」
やめてよ。そんなの、意味無い。そんな優しさなんていらない。
何も出来なかったら、何も無いのと同じじゃんか。
「どうか、心配なさらないで。『わたし』は大丈夫なので」
(お願い。おねがい……分かってる、だから、それだけは)
キミだけは、言わないで───
「ママのもとに……暖かい、ところに。ちゃんとひとりで、かえりますので」
ああ。言われて、しまった。
「レーニエ、ちゃん」
「どうかお気をつけて。憧れの、おねえさん」
レーニエちゃんが離れていく。小さな手を振り、フードをぐっと被り直して。
その先にはたった一人の、大切なママがいるのだから。
みんなと、一緒にいてあげたいだなんて。
アタシが、温めてあげたいだなんて。
───なんて、わがままな憧れだったんだろう。
その寒さを、涙を拭ってあげるのは、アタシなんかじゃなくて良いのに。
本当の本当は、アタシが、そうありたかっただけなのに。
「なあ、……アドリー」
「そうだね。そろそろ、行こっか」
胸を濡らす黒い涙の染みを抱いて、砂に塗れた足を立たせる。
ボルダくんは羽を取り出すアタシに合わせて、お土産の鞄を担いでくれた。
「着いたらさ、水浴びしたいな」
「……うん。僕も丁度いくつか、一人で済ませる用事を思い出したとこだ。
頼み事が済んでからにはなるけど、それでいいなら」
二人の重さを載せたはずの身体が、羽根のように軽く思えた。
風に揺れる髪のせいで、顔は見えなかったけれど。
その風がキミの言いかけた言葉を、伝えてくれたような気がしたから。
「一応、お前には言っとく。あまり暖かい場所じゃないぞ」
王国の結界よりも、アタシは高く飛び上がる。
「───平気。キミがいるもん」
繋いだ手を、ぎゅっと握り直す。
透き通る肌は陶器のようで、しがみつくには脆い手を。
肌に馴染んだ熱気を洗い流す気流のせいで、
指の隙間からポロポロと砂が滑り落ちていった。
住み慣れた、見慣れたはずの街並みが、
鳥たちと同じ目線から見下ろすと、まるで違って見えた。
いつの間にか、当たり前だったものは遠く離れていったけれど。
(いってきます。お父様、みんな)
ひんやりとした心地良さが、昨日よりも頼もしかった。
♢ 精霊の森
降り立った地面に広がる、目の前に溢れる、鮮やかな緑色たち。
一歩踏み出す度に、ふかふかとした瑞々しさが足の裏側をくすぐる。
そよぐ風に運ばれ、軽い何かがアタシの頭を撫でてきた。
「なにこれ、花びら……?あっ」
青い睡蓮とは違う、一枚の緑色。
手に乗せて確かめようとすると、また風に連れ去られてしまった。
「『木の葉』だ。砂漠で見るのは稀だったろうな」
木の葉が残していった香りを、肺いっぱいに吸い込んでみると、
不意の風に揺られ、さらさらと擦れ合う音がアタシを囲んだ。
「日も落ちてきた頃合だ。森の空気は冷たいだろ」
「!『森』……そっか、これがっ」
声をあげると、身体の奥から緑の匂いが蘇る。
確かにひんやりしてはいるけれど、胸の高鳴りは冷めなかった。
「この森が、ボルダくんの故郷なんだ」
「そう……僕が生まれた場所。そして同時に、生命でもある。
生まれてからの半分以上を、共に育みあった生命だ」
なんだか、聞き慣れない響きだった。
アタシなんかよりも自由で、きっとずっと広い視界で。
家族のもとで胸を撫で下ろすかのような、優しい声だった。
「そういえば虫、平気か?ここから見えるだけでも、数十匹は」
「へっ!?だ、だ、大丈夫、見えてないから」
大きな声を出してしまうと、驚かせてしまうんだっけ。
呼吸を整え直すアタシの行動が正しかったからか、
それともよほど可笑しかったのか、笑みを浮かべるボルダくん。
「……キミってさあ。もしかして意地悪?」
「日暮れは本来活発だが、虫たちは樹液のおかげで温厚なんだ。
この様子なら、神木にも異常は無いか───よし、こっちだ」
淡い日差しを反射して、きらきらと緑を揺らす木々。
アタシの手を引く彼の足は、その隙間をずんずんと迷いなく進んでいく。
(森が生命、生まれた時からずっと一緒。
ってことはキミからすれば、幼馴染……?)
「?難しい顔だな、いつになく」
森にヤキモチを妬くなんておかしな話だし、
彼がアタシほど人肌に飢えているわけでもないだろうけど。
砂漠に降り立って、王国を訪れて間もないとき、
ボルダくんがどんな気持ちだったのか、少しわかった気がする。
「考え事をしてる間にもうすぐだ、アドリー。
到着したらだけど……少し、集落の入口で待っててくれるか?」
「うん?いいけど、何か用事?」
木々の隙間から灯りが漏れているのを二人で確かめたとき、
銀髪の隙間から覗く目が、どこか物憂げに映った。
「別に、大した事じゃない。
輪の中にいきなり放り込むよりは、話を通しておきたいんだ」
「あっ……あー、たしかに。じゃあ、この辺りで」
軽く頷き、ボルダくんが向かう先に見えた景色。
木組みで出来た家々や、羽で空を飛ぶ人々
───エルフ達だけが暮らす、小さな街。
生まれ育った場所ではなくとも、第二の故郷と呼べる場所。
ボルダくんのお母様が、治めていたという集落。
(そっかあ、だよね、いきなり入ったら……
お父様もギーメルちゃんも、最初は敵意剥き出しだったもんね)
遠目に見えるボルダくんの周りには、何人ものエルフ達が集まっている。
それに、ここからでも聞こえる。
彼の帰還を喜ぶ、ヒーローを讃えるような賑わいが。
「はあ……」
太めの木にもたれかかって、地面の草に指を絡めてみると、
なんだか柔らかく指を絡め返してくれた気がした。
そういえば森に着いてから、やけに優しいと思った。
キミなりに、慣れてないアタシを気遣ってくれてたんだろう。
それにも気付けず、アタシってやつは。
『意地悪だよねー、あいつ』
───え?
『意地悪だし、おまけにヘンクツ!妖精差別もしまくりよ!
まったく、わたしの気遣いもいつか返してほしいもんだわ』
「だ、誰!?」
フフンと、むしろまさしく意地悪そうな笑い声が聞こえた。
見えない誰かがそこにいて、声だけが飛び回っているような。
『っていうか、見慣れない種族ね?この子……
ロザリーちゃんも、ホントの事しか言ってなかったはずだけど』
「よう、せい?ボルダくんの知り合いなの?」
『あー、不便なんだから、もう!やりにくいったらありゃしないわ!
霊って火種がないだけでこんなに会話しづらいわけ!?』
なんだか感情豊かで忙しそうなその声は、
とうとう何か諦めたのか、落ち着いた声で語り始めた。
『ボルダの心を覗いてみたら、きみとの会話が聞こえたの。
わたしは妖精ベラ!よろしくね、虫が苦手なアドリーちゃん』
「ええと?心を、って」
『ああごめん、きみの声は聞こえないし、心の中も覗けないの。
火竜族…………ほんとにそれでいいんだよね、きみ?』
試しに頷いてみると、どうやら伝わるみたいだった。
『おっかしいなあ、せっかくのドッキリ大作戦が……
まあいいわ!あっちもそろそろだし。暇潰しにはなったでしょ?』
ベラちゃん、と名乗る妖精さんの声がする方向に目を向けると。
住人達に話を通してくれたのだろう、
ボルダくんがアタシの方へ歩いてくるのが見えた。
『図書館に用があるなら、また後で会えると思うわ。
ふふん、あの子が心を開いたなら、きっといい子に違いないもの』
「ま、待って!ベラちゃ……」
もちろん声は届いてくれず、気配を追うことすらもできず、
それきりベラちゃんの声は聞こえなくなった。
───わからない。
誰も嘘はついてないのに、知ってる種族と違う?
「待たせて悪い、行くぞ」
はっとして、平然を装いボルダくんの方へと向き直る。
多分あの様子だと、
ベラちゃんはバレないようにちょっかいをかけに来たんだろうし。
「ううん?ありがとね、わざわざ」
辛うじて怪しまれずにいられたのはきっと、
アタシの演技が上手かったからじゃない。
彼の表情には、そんな些細な事を気にする余裕が見えなかったから。
「ボル、ダ……くん?」
人間が嫌いだった彼。使徒と戦い、激情を露わにした彼。
森に思いを馳せるような、優しい彼の顔ではなく。
忌まわしくてたまらないもの、嫌いで仕方無いもの、
あるいは軽蔑すべきものを見る、静かな憎しみに満ちた目だった。
「いきなり連れて行かなくて正解だったよ、本当に」
「わ!?な、何……」
突然投げて渡されたのは、二つの小さな木片だった。
「何って、───耳栓だけど。不快な音を遮る道具。
あいつらの声が聞きたくないなら、付けておけ」
待ち望んでいた瞬間が、期待通りに訪れるとは限らない。
そんな簡単なことすらも知らずに、アタシはここへ来たのだろう。
何より、種族を隔てる境界が、どれだけ深いものかさえも。