DQ外伝─錬金術師と巫女の予言   作:Sephi&ロト

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第三幕、五節

深く息を吸い込んで、木組みの門を通り抜ける。

木々の集まる森の景色の中で、そこだけは、広い空が口を開けていた。

 

緑の匂い、少しひんやりとしたそよ風が、ざわめきと混ざり合う。

 

「無事だったんだな、ボルダ!!」

 

「ごめんな俺達、お礼も見送りもできずに。英雄の帰還だぞ、お前ら!」

 

「土産話も聞きたいところだが、まだまだやる事が山積みなんだろ?

なんでも言ってくれ、ボルダの力になれるなら喜んで知恵を貸すぜ!」

 

安心するような幾つもの声、誇りに思うような感謝の言葉。

通りすがる誰もが、暖かく彼を迎えていた。

 

「聞いて頂戴、ボルダ君!もうすぐ子供が生まれるの」

 

「復興はまだまだ途中だけど。俺達がこうして安全に暮らせるのも、

ボルダのおかげだ!本当にありがとう、改めて礼を……」

 

花道のように、人々は彼のゆく道を空ける。

アタシの手を引いて、彼は淡々と人々の隙間を通り抜けていく。

 

みんなは確かに、ボルダくんを見ているはず。

なのに。なんでだろう、かすかに視線が痛いのは───

 

 

「見直したよ。まさか、火竜を捕まえてくるとはな」

 

「人間を食ってくれるんだって。有難いけど……

ほら、大丈夫なのか?ボルダと一緒に居させても」

 

ちくり、ちくりと、冷たい棘のようなものが耳を刺した。

 

「大丈夫だ、あいつも半分はエルフなんだから。

俺等に害はないだろう?森から離れたところで飼ってくれればさ」

 

「そうは言ってもなあ、火でもつけられたら大問題だろ?

飼い犬に手を噛まれるってことも」

 

(っ、…………)

 

「へ、下手な事言うなって、竜族だぞ?聞こえてたら何されるか」

 

「はははっ、知性を活かして生きてきた我々の言語がか?

水竜族なら話は別だがね。心配無い、力の強い獣ほど餌があれば大人しいさ」

 

ボルダくんの足が早まる。

立ち止まらないように、アタシは前だけ向いて歩いた。

 

乾いた笑い声の中に、きっと悪意は無いのだろう。

 

憎しみとか、恐怖とか、好きとか嫌いとか、

耳に届いたのはきっと、そんな分かりやすいものじゃない。

 

「なにあの見た目?角も翼もないなんて。人間に化けてるつもりかしら」

「髪も不気味なくらい真っ黒だ。ダークエルフだな、まるで」

 

 

ひたすら、北に歩き続けて、扉のついた木の前に辿り着く。

 

「こ、ここなの?図書館って」

 

「……だから言ったろ……馬鹿か、お前」

 

ふっと手を離され、握りしめてみると、かすかに震えていた。

 

ボルダくんの忠告を聞いても、アタシは耳栓をつけなかった。

彼の後から、一人で図書館に追いつくからと。

 

忠告を聞いた時から、こういう目を向けられることは予想していた。

王国のみんなに言われるわけじゃないなら、耐えられるからと。

 

「……ご、ごめん、勝手なこと言って」

 

アタシはただ、耳を塞ぎたくなかった。目を背けたくなかった。

自分の事を知るために、どう見られているのか知りたかった。

 

いちばん嫌なのは、一緒に居るキミまで変な目を向けられること。

 

アタシが一緒にいるせいで。

大好きなはずの故郷で、キミまで嫌な思いをするなんて。

 

でもキミはアタシの腕を引っぱって、一緒に門をくぐってくれた。

 

「ありがと。ほんとバカだ、アタシ」

 

怖がられるのが怖かったくせに。傷つくことも、知ってたくせに。

 

飼い犬呼ばわりされたり、気味悪がられると知りながら、

アタシは進んで聞こうとしたのだから。

 

「キミの言う通りだった。迷子になっただろうし、アタシ一人だと」

 

「違うって、お前、だから……!!」

 

 

顔を上げられないまま、肩が跳ねる。

 

「ご……ごめん、そんなつもりじゃ」

 

なんで毎回、キミを怒らせてしまうんだろう。

怒らせた理由すら、分からないままなんだろう。

 

「期待するから、誰でも仲良くしようとするから、傷つくんだろうが」

 

重いカバンの落ちる音とともに。

何か、抑えていたものが溢れ出すような声だった。

 

「本当のエルフは、団結出来る奴等は、僕よりよっぽど強いんだっ。

皆がみんな、僕みたいに弱い奴らだと思ってたのか」

 

「そ、そんな、違うよ!キミは」

 

「違わない!!悔しくないのか、お前は……っ。

人間が大っ嫌いで、他の種族を見下して、僕らは生きてきたんだぞ」

 

キミは弱くなんてないのに、言い合いなんてしたくないのに。

 

エルフなのに、エルフの強さを説いているのに、

まるでみんなも、自分自身も嫌いだと言っているように聞こえた。

 

言う通り、知らない場所の人々とも仲良くなれると思っていた。

冷たい言葉を投げつけられ、今でもちょっと胸が痛いのに。

 

なのに、どうして涙が出ないんだろう。

 

アタシは、あのエルフの人達と、キミをどうやって区別してる?

 

(ボルダくん───)

 

 

だけど。言い返す気も、言い返せる言葉もなかったけど。

 

キミが仲間を好きになれなくても、この森を、

集落を愛しているのは、本当だと思う。

 

キミの愛する故郷を、少しでも同じように、好きになりたい。

その気持ちにだけは、嘘をつきたくない。

 

「悪い、ことなのかな、好きになりたいって」

 

「……そうじゃない。嫌いになることを、少しは覚えろ」

 

それきり、ボルダくんは手を引いたまま、一言も喋らなかった。

どこか荷物が軽く思えるほど、胸は熱くて、痛かった。

 

 

…………

 

 

図書館の空気は、外の喧騒が嘘みたいに、ひんやりと落ち着いていた。

 

宮殿の資料室とは比べ物にならないほど、見渡す限りの本棚。

 

なんだろ、ボルダくんと歩いてきた森に例えるなら、

若葉のような香りもあれば、歳をとった木のような埃っぽい匂いもある。

 

(不思議な場所……新しい本も、古いのもあるのかな)

 

心の中は、いつまで経っても静かになってくれない。何だか、ざわざわする。

まるでアタシ達以外にも、そこに誰かいるみたいな───

 

 

「「きゃあああ!?!」」

 

突然だった。上の階から、幼い子供のような二つの悲鳴。

何かが雪崩みたいに降ってきて、目の前には本の山が出来上がった。

 

「な、なな、なに!?」

 

「…………ああ。なんだ、お前らか」

 

少しだけ、警戒のほどけた溜息をつきながら、

ボルダくんはばさばさと積み上がった本の山に呼びかける。

 

「留守にしてて悪かった、リリ、メロ」

 

もぞもぞと、返事をするように、無数の本の中から薄紫の髪がはみ出す。

顔を出した小さな二人のエルフが、ぼーっとボルダくんを見つめていた。

 

「だれその、女のひと」

 

女の子の声。なんの前触れもなく、ぽつりと、赤目の子が呟く。

アタシのこと?と、ボルダくんと目を見合せると、何やら複雑な顔で頷かれた。

 

「まだつけてんだ、オレらの、ロザリオ」

 

今度は青目の子が呟く。双子、というやつだろうか。

違いといえば目の色くらいで、ぼさぼさの髪も相まって、区別のしようがない。

 

(!双子ちゃんって、もしかして例の)

 

「お兄ちゃん……ウソつき……」

「おかえりっ、にーちゃん」

 

観察するうち、双子ちゃんは、ぷるぷると紅い涙を流していた。

なんとなく、だけど、二人とも全然違う涙に見えるような。

 

「ああ、ただいま。ちょっと待てリリ、説明するから」

 

 

無言でアタシに弓矢を構えたリリちゃんをなだめながら、

またボルダくんは二人に話を通してくれた。

 

「初めましてリリちゃん、メロくん、アドリーといいます」

「……敬語使えたのか?お前」

 

これがいわゆるお客さんの気分、なんだろうけど、少し歯がゆさが否めない。

 

「そ、そう、それなら。手みやげくらいあるわよね、ドロボー猫っ」

 

リリちゃんにキッと睨まれつつ、はっと思い出す。

 

「うん!なんだっけ……ええと、ツマラナイモノ?ですが」

 

双子ちゃんの前に鞄の中身を広げて見せる。

大人買い、っていうのがしてみたくて、奮発しすぎた気もするけど。

 

 

(!…………)

 

恐る恐る二人を見ると、警戒するような曇りもなく、

その目はキラキラと輝いて、オモチャやアクセサリーに釘付けだった。

 

木々や花々をあしらったティーセットを手に取るメロくん、

大人びた睡蓮の香水に見惚れるリリちゃん。

 

なんでだろ。見ているだけで、体が震えた。

 

「きゃ、あははっ、なにこれ!お目目だけのお化けみたい」

「にーちゃん、これ!まおうの仮面ってヤツっ!?」

 

硝子玉みたいな双子ちゃんの目が、じんわり暖かくて。

 

肩に乗せられた彼の手で、なんとかは我慢できたものの

───流し方を忘れそうだった涙が、頬を伝いかけていた。

 

「このブローチ……ふふふっ、選んだのはお兄ちゃんね?」

 

リリちゃんが大切そうに握っていたのは、十字の刻まれた、赤青二色の胸飾り。

 

「な、なんか照れくせーよ、お揃いみたいじゃんか」

 

「んー、……僕から、渡すつもりだったんだけどな」

 

 

三人は、かけがえの無い家族なのだと、アタシは知る。

 

「あれ?何の日だっけ、今日」

「にーちゃん……そんなの、覚えて」

 

「おめでとう、二人とも。六十年目の誕生日だ」

 

そこにあった彼の姿は、ぎゅっと抱きつく双子の頭を優しく撫でる、

紛れも無い「お兄ちゃん」だった。

 

「その、ありがとーな、アドリー『ねーちゃん』も」

 

アタシと目が合い、照れくさそうに目を伏せるメロくんの言葉、

の途中、なぜかリリちゃんがぽかりと後ろ頭をはたいた。

 

「痛って!?リリが虐めてくる!!」

「メロのお馬鹿!!わたしまだ、認めてないからっ」

 

「何の話!?あーあ、お行儀悪いとにーちゃんに嫌わ───ばふ?!!」

 

 

止めないでいいの?と目配せしようとすると、

隣に目当ての姿はなく、気付けばボルダくんは図書館の奥に歩き始めていた。

 

「置いてくぞ、アドリー」

 

お土産の鞄だけ置いて、アタシは彼の背中を追おうとした。

 

「待って」

 

不意にきゅっと、舞衣の裾をつままれる。

半べそでうずくまるメロくんを置き、赤い目が下を向いていた。

 

「リリちゃん?」

 

「お兄ちゃんのこと。困らせたら、許さないから」

 

双子ちゃんの思いを受け取り、暖かいものが胸を満たした。

 

「ありがと。二人とも、また後でね」

 

前を向けば、また本棚だらけの迷宮みたいな道。

再び踏み出した一歩は軽くて、それでも確かな重みがあった。

 

そして歩きながら、ふと、買い物の記憶が蘇る。

 

(ステテコのおむつ買ったの、余計だったな……)

 

六十年目の誕生日、だとすると双子ちゃんは、

人間で言うならおじ様やおば様くらいの歳なんだろうし。

 

やっぱり、エルフの寿命は人間の何倍も長いんだろう。

二人もボルダくんみたいに、きっと、何年もかけて。

 

 

(あれ、…………)

 

「どうした?」

 

「!う、ううん、なんでも」

 

「ふーん?……まあ、ちょっと待ってろ、ここの本棚に仕掛けが」

 

お父様に貰った舞衣の布地を、少しだけ強く握った。

 

『して、衣の着勝手はどうだ』

『ぴったりだよ!サイズまで全部、アタシに合わせたんじゃないかって』

 

なんでアタシ、変だと思わなかったんだろ。

 

生まれてから、鏡というものを初めて見た時から。

人間もエルフも、他の種族でも多分、歳を重ねて背が伸びるはず。

 

それなら一体、何なんだ。

二百年間、一寸たりとも、背丈が変わらないアタシは。

 

「この種族に生まれたから」、本当にそれだけ?

 

「アドリー。ここはお前の仕事だぞ」

 

 

止まっちゃ駄目だ。今はただ、アタシに出来ることを。

 

古井戸の底を歩くように、キンとする静謐の中、

邪魔な黒髪を振り払い目をこらすと、六つの台座に囲まれていた。

 

その一つ、緑のオーブだけが淡く部屋を照らしている。

 

隣の台座、赤い玉にそっと手を触れるも、何も起こらない。

それらしく念じてもみた、けれど。

 

(……っ、何で何も)

 

「魔力を注ぐ訳じゃない。こればかりは、『気持ち』の問題だ」

 

いつの間にか、隣のアタシと同じように、

緑のオーブに触れて静かに目を閉じるボルダくんが居た。

 

「らしくないかもだが、……出来るかどうかじゃない、

お前なら分かるはずだ。光をどこに、誰のために使いたいのか」

 

ぐっと、目を閉じてみる。

 

なぜだか、やけに心が落ち着いた。

何も見えないのなら、暗闇と光の区別も、そこには何も無いみたいで。

 

───そうだ。護りたいものなんて、悩む必要も無い。

 

みんなが笑顔で、今日という日を終える。

明日の朝ごはんを夢見ながら、明るい夜に目を閉じる。

 

目が覚めても、何年経っても、そんな毎日が続くように。

 

厄災の使徒が、闇夜の恐怖が悪夢を見せるのなら、

光を取り戻すまで、アタシがみんなを照らしていたい。

 

出来なくても、出来るまでは護り続けたい、目を背けたくない。

 

(お父様の国を、みんなの、笑顔を)

 

 

目に飛び込んできた光は、なんだかとても懐かしかった。

 

はっと開けた目を、熱く見つめ返すかのように、

オーブは星と見紛うほどの赤い光を放っている。

 

「出来た、の?アタシ」

 

隣から返事が来ない。

見てみると彼の方も呆然としていて、目が合わない、というか。

 

何となくボルダくんの視線、アタシのおでこに寄ってる気が。

 

「目、…………二つだよな、お前って」

 

ゾッと、首筋が冷えた。

おでこから眉間まで確かめてみるも、やっぱり何も無い。

 

「無いよね?何も無い……よね、ほんとに」

 

「い、いや、忘れていい。見間違えたんだ、虫か何かと」

 

せめて虫じゃなければいいけど。

いや怖い、無いなら無いで余計怖い、さっきの反応的に。

 

 

「ボルダ様。手出しは無用、だったご様子ですね」

 

ふわりと、柔らかい花の香りに振り返る。

虚をつかれたような彼の視線は、見知らぬエルフの少女に向いていた。

 

「ロザリー、様?いつから」

 

微笑みとともに、薄桃色の髪が揺れる。

可憐な振る舞いに見とれて、声を出すのを忘れかけた。

 

「ベラ様に気を利かせて頂きまして。住民に代わり、非礼のお詫びにと」

 

お辞儀をくれて、透き通る空色の目がアタシを捉える。

 

そういえば、昨夜にもボルダくんから、

神器の話を聞くうちに何度か名前を聞いていたっけ。

 

「そんなっ、とんでもないです。初めまして、ロザリーさま」

 

「ええ、お初にお目に掛かります」

 

輝くオーブをそっと撫でながら、ロザリーさまは目を細める。

 

「では、謝礼としてではなく、種族を越えた隣人として。

庭園の泉でよろしければ是非とも、水浴びにいらしてくださいませ」

 

───天使かこの子は。

ちらりと、ボルダくんの方を見ると、何も言わずに頷いてくれた。

 

「はいっ。是非、お邪魔させていただきます」

 

心が浄化されていくような気分だった、と同時に、

彼の用事が少し気にかかる。一人でやる、とは言ってたけど。

 

「手伝わなくても大丈夫?何か用事がある、って」

 

彼は何か不思議そうに首を傾げる。

なんだか一瞬、本当に何の話か分からないように見えた。

 

「あー、……いや別に、大丈夫。むしろ、僕一人でやりたいんだ」

 

「?そ、そっか、じゃあまた後で」

 

 

気にはなるけど、深く聞かない方がいいか。

不意に、くすりと微笑ましそうに、ロザリーさまが息をつく。

 

「双子様には、もう会われましたか、アドリー様?」

 

二人にしか分からない、誕生日のお祝いに何を喜んでくれるのか、

ボルダくんの読みは見事に当たっている様子だった。

 

好きなものを選んでいたアタシに比べ、一言で言えば───

 

「流石お兄ちゃんだなあ、って。

アタシ一人だと何ていうか、子どもじみたのしか選べなくて」

 

「私であれば、嬉しく思ってしまいます。素直な気持ちが伝わるものは」

 

出口への足取りを、ロザリーさまは少し緩めてくれていた。

丁寧だけど親しみやすい声の、不思議な優しさに、今更ながら癒される。

 

「っていうか、…………見てたんですか?ロザリーさま」

 

「ロザリーちゃん、で宜しいのですよ。貴女は、貴女のままでいい」

 

女の子同士だけど、不覚にも胸を撃たれた。

 

間違い無い、天使どころか聖女だ。

アタシの事も、アタシが知らない事も、見えているんじゃないかとさえ思える。

 

(聞いてみても、いいのかな)

 

すっと息を整えて、花で編まれたような香りを受け取る。

隣を歩くと、彼女は嬉しそうに首をかしげた。

 

「アタシもそういう呼び方がいい、かも。ロザリーちゃん」

 

「ふふっ。───畏まりました、アドリーちゃん」

 

 

集落の景色を横目に、後をついていく。

森に着いてから、ここに来るまでの間だけでも、いくつも生まれた疑問。

 

ロザリーちゃんになら、きっと聞ける。

 

アタシがどうして、こういう体に生まれてきたのか。

妖精のベラちゃんから言われた事にも、きっと何か関係がある。

 

「ベラちゃんとは、お喋りも出来るの?」

 

「私の場合は少し例外ですね、ただ」

 

聞く限り、ベラちゃんが特別という訳では無かった。

 

ほとんどの妖精さんは彼女同様に、

生き物や自然の景色が見えていて、あらゆる心の声、心の音を聞いている。

 

「声を聞き合うだけであれば、実は誰にでも叶います。

気まぐれで、おまけに姿が見えませんので、気付かない方がほとんどですが」

 

元になる元素の精霊や巫女、錬金術師でなければ見えない妖精さん。

アタシが姿を見られないのは、おかしなことでは無いらしい。

 

ただ一つ、アタシにだけ当てはまらないことがある。

 

「ベラちゃんがね。アタシの声が聞こえないんだ、って」

 

「ええ、……そんなご様子に見受けました」

 

いつからか、風に運ばれて、あたりに鮮やかな花びらが舞う。

 

「妖精がその心に干渉しえないものは、種族とは限りませんよ」

 

 

風音がどこか小さく聞こえる、ゆったりとした歩みの中。

花の咲き誇る庭園を臨みながら、ロザリーちゃんは言葉を紡いだ。

 

「生き物であれ、自然であれ。心を鳴らすものには必ず、『魂』なるものが宿ります」

 

ボルダくんは、この森のことを、一つの生命と呼んでいた。

 

自然そのものを生き物として考えるなら、

妖精さんに聞こえる森の音は、森に宿る魂の声なのかもしれない。

 

「ただ、私の知るものの中に一つだけ、例外がある。

───星の祈り、大精霊の御心、あるいはそれに等しい誰か」

 

花を踏まない道を辿り、泉のほとりに足が止まる。

 

ロザリーちゃんとアタシはようやく、真っ直ぐに見つめ合うことができた。

 

「その意志に生かされる魂。『勇者』と呼ばれた、人の子です」

 

 

「勇、者……」

 

神鳥様の背中に乗り、大空を飛んだという英雄。

どんな昔話にも、伝説として語り継がれる名前だった。

 

そして伝説の終わりに、魔王と戦うことができる、ただ一人の「人間」だと。

 

「でもさ、ロザリーちゃん、アタシは」

 

「そう、……人間の血を継いでいない。

ですがそこにある魂は、確かに言っております。貴女が勇者であるのだと」

 

はらりと、葉っぱの擦れるように軽やかな音を立てて、

ロザリーちゃんは身に纏う衣服を───

 

「ま、待って、待って」

 

彼女は動きを止め、不思議そうに首をかしげる。

 

「水浴び、されるのでしょう?アドリーちゃん」

 

「そうだけど、え……い、一緒に?」

 

はっと、何に気付いたのか、すっかり気落ちしたように俯いてしまった。

 

「……私としたことが、気が回らず。お供させて頂くのは、まだ」

 

「ち、違う違う、違うんだよ!?入ろ、一緒に」

 

 

彩り豊かな花の香りに包まれながら、水に足をつける。

ビックリしちゃっただけだけど、繊細な心にヒビを入れるところだった。

 

(あ……水。冷たくないかも、思ったより)

 

ちゃぷんと、ロザリーちゃんの後に続いて、泉の真ん中まで歩く。

 

それこそ、昔話に喩えるのなら、

水の羽衣を身に纏う泉の精があまりに似合う、そんな姿だ。

 

「邪魔しちゃったけどさ、あるの?さっきの、続きって」

 

数瞬、間が空いたものの、彼女は頷くように髪を振る。

 

「そう、ですね。ここまで話したのなら」

 

細い手足に水を伝わせながら、ロザリーちゃんは静かに息をつく。

 

「人々が魔王を恐れた時代というのは、かなり昔の話です。

この大地には、それに値する闇の王も、それについを為す勇者も居ない」

 

(この、大地?)

 

まるで、その時代を見てきたかのような。

乙女に聞くのは野暮だけれど、何歳なんだろうか、この子。

 

「当然、魔王の誕生が何よりも恐れられた。

───人は勇者を望みましたが、神はそれを許さなかった」

 

「なんで……人が、恐れてるのに」

 

掬いあげた水が、指の隙間を滑り落ちる。

 

「神は、いいえ神こそ、魔王を恐れ……

そして知っていた。勇者が生まれること自体が、その引き金になると」

 

そんな話があって、いいのか。

人の望みが叶った途端に、悪夢が生まれてしまうなんて。

 

「勇者とはすなわち、天と人の子にほかなりません。

天の光が大地を照らしすぎれば、照らされなかった所には、闇が生まれる」

 

「天って、何?」

 

分かっている。

その悲劇は、今起きているわけではない。

 

「アドリーちゃん、……」

 

投げかけた問いに籠ってしまった怒りは多分、行き場の無いものだと思う。

 

「星空の下、雲の上にある神の国を、人は天空界と呼びます。

そこに住む種族たちは、過ぎた人との交わりを禁じられた」

 

ここまで聞けば、アタシでも、少しずつ見えてきた。

 

「勇者が、生まれちゃうから、って事?」

 

泉から天を見上げるロザリーちゃんは、とても哀しげに見えた。

 

「勇者も、魔王も生まれない、そんな世界であれと。

神は人間の平和を、神の光ではなく、人間自身に託した」

 

泉の水面に映る顔と、目が合う。

 

そう言われると、この怒りは、誰に向けるべきでもない。

神様は意地悪をした訳じゃなくて、人間を信じたということだから。

 

「古い時代の話、としてお聞き流し下さい。

貴女が知ろうとしていたのは、種族の名前でしたね」

 

人と交わってはいけない、種族。

 

アタシにはその魂が宿っている、というのだろうか。

 

「私の知る名は、二つ。『天空人』……そしてもう一つ、『竜神族』」

 

 

泉の真ん中に二人、せせらぎの音が止む。

 

「修行の末に人の姿を取り、はるか雲の上より、天を衝く山に暮らす。

ごくわずかではありますが、身一つで人里に下った者もいる、と」

 

どくんと、胸の中心から。

水を滴らせる手足の指先一つ一つに、熱い血潮が巡る。

 

一つ、最後に浮かんだ疑問だけが、胸に残った。

天と人との間に生まれた魂が、ここに宿るのなら。

 

───人の血を持たないこの身体は、誰のものなのか。

 

「ロザリー、ちゃん」

 

少なくともこれだけは、分かる。

この身体に流れるのは、人と交われない種族の血。

 

彼女に何を伝えようと、名前を呼んだんだろう。

助けを求めようと、したんだろうか。

 

 

「おいでくださいませ、アドリーちゃん」

 

静かだった水の、波打つ音が聞こえた。

魂そのものでなく心に巣食う、正体不明の化け物の声が。

 

「私をお救いくださったのは、『魔王』と謳われる御方でした」

 

(───)

 

「闇の血に生まれた運命と戦い続ける、その道すがら、

私が救われただけ。彼が誰に忌み嫌われ、その血が悪だと罵られても」

 

なだめるように、ゆっくりと背中を撫でる、あまりに細いキミの手。

 

力の込め方がわからなくて、それを抱き返せずにいた。

 

「彼に救われた。救われた者に残るのは、ただそれだけ。

多くを救ったもう一人を、救われた多くの人が、『勇者』と語り継いだだけ」

 

化け物の手では、拒まれてしまう。

そんな心のまま、震えたままの腕で、キミの背中を抱き返した。

 

「キミ───は、っ」

 

勇気を出して、細い身体を抱きしめる手に、力を込めたとき。

 

その彼が、もうそばにいない事を。

キミを救った人と、キミは離れ離れになったのだと、知ってしまった。

 

「それでも、『多くを救いたい』と。貴女はきっと、そんな御方」

 

水の中に崩れ落ちたまま、小さな肩に体を預けた。

優しく背中を撫で続けるキミの全てが、暖かかった。

 

「貴女の血が、それを拒むのだとしても。

その魂がそう叫ぶというなら、救いに行けば良いのですよ」

 

 

♢ ♢

 

 

さらさらと、目を閉じて祈る僕の髪が、静かに揺れていた。

 

胸の前に合わせた両手に、指を結び合わせる。

丘の上、柔らかな草地が両膝を押し返すのと、同じほどの強さで。

 

(どうか。メリーヌさんにもお伝え下さい、ジエラ様)

 

血の繋がりを隠して、女王として僕を迎えたとき、

丸くした目を細め直した貴女の顔を覚えている。

 

貴女の吐いてくれた嘘が、今の僕に続いている。

 

この忠義を捧げたのが、───

生まれて初めて温もりに出会わせてくれたのが、貴女でよかった。

 

別れの言葉は、受け止め切れない悲しみで塗り潰されてしまったけれど。

 

(今ここにあるのは、貴女がくれた生命だから)

 

僕はここに手を合わせる。惜別でなく、感謝を告白するために。

たとえ、聞こえなくとも、届きはしないのだとしても。

 

貴女と、貴女の生きた日々を想うこの時間が、僕の生きている証拠だから。

 

 

ふと目を開け、すぐ隣にあったのは、手のひらほどの妖精の姿。

 

「───、……」

 

らしくもなく、音も立てず祈りを捧げる紫の髪が、少し有難く思えた。

 

思えばベラは唯一、知っている相手だ。

言葉を覚える以前、自分の名前を知る以前、森にいた頃の僕を。

 

目に見えない風、木々という、物言わぬ生命。

風の声だけを頼りに、大いなるその一つとして、僕はただ生きていた。

 

誰を相手取るでもなく、両手を宙にすり合わせる

───祈る、という仕草。

 

それは声にもならない、心象だけで生きていた頃から。

不思議と、誰に教わった訳でもなく、知らず知らずに身に付いていた。

 

「誰に向けて、なんだろうな」

 

返事を求めたわけでは、おそらく無い。

それも、心が読めるこいつなら気付いただろうけど。

 

「死んじゃっても、何も無くなるわけじゃないもの」

 

思うところが、あったのだろうか。

ふと息を吐くように口にしたベラに、ようやく目線を返す。

 

「それも、言葉がなくても聞こえるのか。お前には」

 

正直、あれば便利だろうが、羨ましいとは思わない。

聞きたい時、聞きたい声だけ聞けるとしても、場合による。

 

「きみの思ってる通り、いいものじゃないわ」

 

何故か、どこか寂しそうに、庭園の方を見つめていた。

 

「ロザリーちゃんみたく、───ほら、

心が読めてもさ。相手に届く言葉って、中々言えないもの」

 

彼女にアドリーの事をお任せしてから、思えば何時か経つ。

 

墓参りに行く、とまでは言えなかったものの。

ベラの言う意味を考えれば、少し気が休まる気がした。

 

「そういうきみはさ。どんな風に思う訳?アドリーちゃんの事」

 

 

何故、わざわざ聞く。心が読めるくせに。

 

「ふふん、考えてもらわないと読めないじゃない?

都合の悪いことは覚えてないのねー、賢いくせに」

 

「……別に、随分昔だろ、それ聞いたの」

 

普段の調子に戻っただけで、こうまで鬱陶しいとは。

どうせ、先程色々見たのだろうし、聞かれて困ることもないが。

 

「馬鹿正直な奴、だと思ってるよ。お前と違って悪戯も、嘘をつくのもヘタクソで」

 

おまけに、我儘に見えるくせ、自分の事を考えなさすぎる。

みっともないが、僕らしくもなく声を荒らげてしまった。

 

「あは、もしかして、ホントに何んにも考えて無いとか?」

 

相も変わらずニヤニヤと。

両手を上げて「おお怖い怖い」、などと、いちいち態とらしい。

 

「まあまあ、一応真面目な話、そうとしか思えなかったもの。

知ってるでしょ?わたしたち妖精が、どうやって声を聞いてるか」

 

「……は?何の話だ、急に」

 

質問の意図はイマイチだが、知らない訳ではない。

 

こいつは肉声を聞いているわけではなく、

「僕自身の耳に届いた」僕の声を、心の内側から聞いている。

 

「そのとーり。たとえばきみが嘘をつけば、すぐ分かるわ。

本音と建前が違えば、声は『二つ』聞こえてくるもの」

 

迷惑な話だが、余計に、妖精に生まれなくてよかったと思う。

 

「こういう返事が欲しいから」、「こう言えば傷付くだろうから」

───何を取り繕われようが、汚い本音が聞こえるわけだし。

 

「そ、そーなるのね?慣れれば楽しいんだけどなあ、意外と」

 

冗談じゃない。けど確かに、悪戯好きの嘘つきまみれで育てば、

ハタ迷惑な気まぐれで悪意もなく人を騙すのも、上手くはなるか。

 

「ほぼ名指しでしょそれ…………けどまあ、そういうこと。

逆に下手なコは、人を騙せた経験が殆ど無いまま育ったコかな」

 

 

言われてみればアドリーにも、いくつか重なる節がある気が。

 

『ええーっと、へへ、もしかしてまたバレてた?』

 

『馬鹿者。何年、娘を見てきたと思っておる』

 

サプライズにしろ、王墓に出掛けるにしろ、

秘密裏の計画に、エルバ=メヘトはどれ一つとして騙されなかった。

 

『冗談?身体が弱いのは、ほんとなんじゃ』

 

思い返せば、ベラの事を言えた立場ではないが。

ほんの悪戯程度に吐いた嘘で、アドリーは僕に泣かされてしまった。

 

「うわあ、ひどいねきみ」

 

いや、かと言ってお前に言われる筋合いも無いけど。

 

「にしてもまあ、珍しいっていうか───

いや、多分あの種族じゃなくても、一番読めないタイプかもね」

 

火竜族、の事だと思うが、なんだその言い方。

 

(そういえば、あいつ……)

 

自分で自分が分からない、というのは、解決したのだろうか。

 

「そーゆーのはわたしじゃなくて、直接聞いてあげるの。

出来るでしょ?同じ事で悩んでたんだからさ、きみも」

 

「…………うるさい。余計なお世話だ」

 

とはいえ、今の内に聞いておかなければ解決できない事もある。

 

あいつの悩みは、あいつ自身の事だけじゃない。

その種族に生まれた血のせいで、仲良くできない相手がいる事だ。

 

魔物と人間、間に生まれた双子の片割れ。

もう片方は奴隷商人とやらの手で、『黄金の爪』の実験台に利用されていると。

 

(レーニエ、だったか)

 

王国の結界から外に出してやれたのなら、連れて来させたいところだったが。

 

「ふぅーん……?」

 

「いいだろ別にっ、……何か無いのか?魔物を、人間にする方法」

 

 

アドリーが気に掛かるのもあるが、重要なのはもう一つの理由だ。

 

王国を出発する直前、黄金の広がる景色で交わした、ローゼとの契約。

双子の救出、ひいてはそれらの元凶、奴隷商人の計画阻止。

 

───ドン=カベルネ、だとかいったか。

 

勿論、オーブの光を取り戻すのを最優先に、旅は続けるつもりだ。

無理矢理依頼に付き合わされてる部分もあるが、単純な事件じゃない。

 

ほぼ確実に、この契約を果たすことが、そのまま王国の異変解決に繋がる。

 

「ベラ。確認だが、精霊の森が暴れ出した『日食』、

凶星の使徒が現れたのはオーブの光が奪われたから、だったな」

 

母様による祝福の結界が呪戒に反転し、魔物がなだれ込んできたのも。

 

「そのはずよ。ロザリーちゃんの授業は、覚えてる?」

 

アドリーを連れたあの祭壇には六つ、オーブが安置されている。

 

光と闇の二大精霊と幻魔女王との間に交わされた盟約は、

配下にあたる幻魔、「ロトのオーブ」の盟主に四大元素の加護を授けるもの。

 

ロザリー様によれば光の加護は祝福、闇の加護は呪戒、

それぞれに名を分ける加護が「結界」というものであると。

 

「オーブが光を失ったままでも、小さな結界なら巫女さまやボルダも使える。

けど集落とか、王国を覆うくらいの規模になると、話が別になるってわけね」

 

(……と、すると)

 

日食においてオーブの光が奪われたこと。

光の敗北が意味するものは、四大元素の加護の主が闇に転じたこと。

 

魔物を阻む結界が破れた、というのは、人間目線なら正しいだろうが、

正確にはそのために機能するものでは無くなった、というのが真相だ。

 

祝福に阻まれるのが魔物で、呪戒はその真逆にあたる。

 

「そうなるね、『魔物以外を通さない』ことになるけど……何か、気になるわけ?」

 

純粋な魔物なら、闇の加護には阻まれずに通り抜けられただろう。

『黄金の爪』に操られて押し寄せた大群にしろ、それは同じだったはず。

 

タチが悪いのは、ローゼの言う双子は「混血」であるという点。

 

「!そっか……そのコ、どっちみち通れないのね」

 

契約にあたり、ローゼはこうも言っていた。

『黄金の爪』の実験台になっているのは、レーニエではないもう一人。

 

勿論、契約に準ずるのなら、レーニエも人間にすべきだろう。

一番の問題は、片割れであるもう一人を救い出さなければ、異変は終わらない。

 

「それで人間にしてあげる方法が欲しい、ってわけね」

 

「…………まあな。正直、癪だけど」

 

互いに死なせたくない相手を死なせない手段で、という契約。

「殺さない」という当然の事を、わざわざ条件として提示するあたりが信用ならない。

 

何より十年もの間、効き目が無かったとはいえ、平気でアドリーに毒を盛った女だ。

 

「ふぅーん……まあ、心当たりが無いわけじゃないわ。

混血なんていうのは前代未聞だけど、役に立つかもしれないわね」

 

 

ふよふよとこちらに寄ってきて、ベラはフンと息を鳴らした。

 

「エルフが人間嫌いなのは、色々理由あるわよね。

でもボルダ、知ってる?この集落には特別、ふかーい歴史があるの」

 

面倒臭いが、一応耳を傾ける。

こいつが饒舌になる時は決まって、昔話をする時だ。

 

「失礼ね!?妖精をばーさんみたいに───ま、まあいいわ」

 

ぴんと耳を尖らせて、おほんとわざとらしく咳払いするベラ。

 

「みんなはあまり知らないけれど、巫女さまは知ってたはずよ。

ここでは昔、人間とエルフが駆け落ちしたんだって」

 

(…………!)

 

「人間がルビーを狙っただとか、恋が許されなかっただとか、

言い伝えも色々だけどね。それから長いこと、人間は出入りできなくなった」

 

しかしジエラ様は、人間である父様と集落を治めたはず。

何より事実、僕というものがここにいる。

 

「きみの場合は、……ベルンドが特別だっただけかな。

誤解はとっくに解けたらしいけど、エルフの人間嫌いは相変わらずよ」

 

(聞き入るところだったが、何故そんな話を)

 

「大事なのはその『ルビー』。エルフの流す涙の意味よ」

 

ぱたぱた飛んで来たかと思えば、ベラは僕の両目を指さす。

 

その意味を理解した時、ロザリー様の話を思い出した。

異形となったピサロを元に戻したのは、恋人を想う涙だったと。

 

「エルフの涙が、ルビーみたいな結晶になるのはね。

『その人がその人のままでいてほしい』って、心の底から想うときだけ」

 

「何だ、……じゃあ」

 

金目当てにエルフを襲った人間、というのは。

 

「……そう、それが無駄とも知らずに。

そんなやり方で、無理矢理痛めつけたって、宝石なんて生まれないの」

 

目一杯、歯を食いしばる。

ロザリー様と距離の近いベラの方が、よっぽど心が痛いはずだ。

 

何よりベラに聞きたいのは、考えるべきはそこじゃない。

 

「エルフにとってのルビーみたいに、涙に想いが宿る宝石。

───錬金術では『涙の結晶(ラクリマ)』、そう呼ばれてるわ」

 

異形のものを在るべき姿に戻すほどの想いが、宝石の正体なら。

 

「魔物も、人間になれるのか?」

 

難しそうに、目の前で小さな人差し指を並べ、ぴたりとくっつけた。

 

「他に手が無いわけじゃない、けど…………

これ以外だと危険すぎるってだけ。混血なのよね、そのコ?」

 

レーニエの件から、アドリーを連れて歩く間も、いくつか方法は考えていた。

 

たとえば、魔除けに振り掛ける聖水であれば、

魔物を魔物たらしめる血を浄化出来るかもしれない。

 

が、子供とはいえ、十年はかけて身体に馴染んだであろう魔物の血。

 

ベラの言う通り混血児である双子では、たとえ半分が人間であれ、

身体が浄化に耐えきれず、ただの魔物として命を落とすだろう。

 

「そうなるわ、───ね、ねえちょっと、グロい想像しないで」

 

遮るようにベラが割り込む。

なんでこういう耐性は無いんだろうか、霊体のくせに。

 

「関係無くない!?妖精を何だと思ってるのよ、おばけとかゾンビみたいに」

 

そういえば、涙の結晶(ラクリマ)のような方法に、成功例はあるのだろうか。

 

「一人だけ、いや一匹……?まあいいや、一応居るわ。

一緒に冒険した人と同じ姿になりたくて、ホントに人間になれちゃったコが」

 

在るべき姿への思いが、自分自身の体に影響した、という事になるが。

相手へのというよりは、「相手の隣にいられる自分」への憧れだろうか。

 

ともかく、可能性は広がった。魔物に出来て、混血にそれが出来ない道理は無い。

 

(───ただ)

 

 

たとえその方法が、有効なのだとしても。

一番重要なのは、もっと根本的な問題ではないのか?

 

「どの方法でも、最終的な決め手になるのは、本人の願いだろ」

 

片割れの方もそうだが、レーニエ本人がそう願わないなら、人間になるのは無理だ。

 

「そうなるね、……人間になりたくない理由があるかも、ってこと?」

 

アドリーとのやり取りを見る限り、仲良くしたい気持ち自体は同じだろう。

レーニエの願いに方法が噛み合えば、不可能では無いかもしれない。

 

ただし、それを上回る執着が他になければ、の話。

 

憶測の域を出ないが、アドリーのもとを去る間際、

『要らない』と言われることに、レーニエはひどく怯えて見えた。

 

「拗らせまくったきみみたいね、そのコ……何とは言わないけど」

 

引き合いに出されるのは癪だが、言い得て妙かもしれない。

 

友達のために強さを捨てて人間になるか。

母親のために強さを選び、魔物であるか。

 

───同じ二択を迫られていたら、僕ならどうしただろうか。

 

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