DQ外伝─錬金術師と巫女の予言   作:Sephi&ロト

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第一幕、二節

♢ ♢ ♢

 

 

(?!なんだ今の……声?)

 

聖水屋の扉をくぐって安堵の吐息を漏らす間もなく、大陸の彼方から大気を、

そして魂を直接揺さぶるようなおぞましい雄叫びが響き渡った。

 

「ボルダ君!な、何が起きたの……っ!?」

 

寝室からメリーヌさん達が駆けつけ、

その傍ではメロが耳を塞ぎ、リリは僕の足元にうずくまる。

 

「分からない、僕も……───?!皆、外が!!」

 

 

穏やかだった森に狂ったような嵐が吹き荒れた。

窓がガタガタと悲鳴を上げ、外からは樹木がなぎ倒される凄まじい音が聞こえてくる。

 

(分からない、何も理解が……だが)

 

本能が警鐘を鳴らしていた。

急激に温度を失った大気の冷たさだけは、肌を刺すように伝わる。

 

「きゃぁぁぁぁ!!!」

「助けて!魔物が集落に……!!」

 

(魔物?!馬鹿な……ジエラ様が万全の結界を張っていたはず)

 

この集落にはあり得ない、あってはならないはずの異変だ。

 

頭で考えていても仕方がない。

 

 

「メリーヌさん……子供たちを連れて!

ここじゃ危ない、北の図書館へ避難してくれ!!」

 

僕は震えるリリとメロの手を引き、困惑するメリーヌさんを促して、

悲鳴と怒号、そして魔物の咆哮が入り混じる嵐の中へと飛び出した。

 

(…………妖精図書館、あそこなら外敵の目を躱せるはず。

急いで住民を───!?)

 

 

図書館への道を急ぐ視界に映るのは、先刻まで母様と話していたあの丘の上。

そこには純黒の月夜の下、淡い緑の閃光を全身から放つ背中があった。

 

(ジエラ様……!?)

足を止めずとも、視線はその光景に釘付けになった。

 

 

吹き荒れる暴風をものともせず、

遠くでその背中の凛とした詠唱が天へと突き抜ける。

 

「精霊の鎖、祝福を繋ぎ止める楔……我は忠義(ナツァク)の風の巫女」

 

(あれは浄化の呪文、精霊に何かあったのか……?)

 

その閃光に呼応するように、遠方に見えた空───

五色の閃光が巨大な螺旋を描き、中心の満月へと結ばれていく。

 

♢ ♢

 

天上で激しく衝突する光と闇。

我が身を依り代として、清浄なる風の魔力を純黒の空へと送り届ける。

 

全身が裂けるような感覚、意識は肉体を離れ、遥か高天へと駆け上がる。

 

(私は、止めなければならない……

あの人の遺した予言に抗う術を、何も考えていなかった訳じゃない)

 

 

精霊の巫女は私だけではない。

遠き地の果てから、五色の祈りが光の糸となって結ばれていく。

 

「祝福の主、大精霊ルビス……我ら巫女の祈りをその勝利に捧げん……!!」

 

 

♢ ♢ ♢

 

精霊の声を聴く巫女達を除いて、

地上に生きる者たちがその真理を知る由もない光と闇の大戦。

 

 

「天界の主ともあろうキサマが見下げ果てたものだな…………!!

進化を絶やし無意味に生を費やす地上に与するとは」

 

地獄の軍勢を率いる厄災の王、天界を率いる神竜の創造主。

 

「…………っ、負けられぬ!!生命に替えてもだ」

 

 

『進化を止め、競争を止め、感情の不確定要素で揺れ動く地上…………

切り離され光なき魔界で足掻く知恵の民を差し置いてな』

 

 

衝突する両雄の眼下の地上は、すでに生ける地獄へと塗り潰されている。

 

召喚の主たる闇の精霊の先導の元、上位魔族達は猛り狂う黒い群れとなって、

天地の秩序を侵食し、地上に集った守護天使たちの翼を次々と引き千切ってゆく。

 

 

『分に合わぬ揺り籠で眠り続ける生命など不純物に過ぎん。

楽園の完成を見よ。闇を以て知恵の裁きと為さん…………!!!』

 

 

「聞かれよルミナズール!精霊である貴女に…………

これ以上闇を増大させるわけにはいきません!!」

 

世界樹の頂上、崩れゆく真理の結び目。

その峰に立つ大精霊ルビスはその神々しき双眸を見開く。

 

 

『地上の虫の分際で抗うか。物理的な破壊や焦土など単なる浄化に過ぎん

───我の望みは停滞を謳歌する汝ら生の根源。世界樹の破滅だ』

 

闇の精霊、召喚の主としての性質上、

満月の夜にこそ最大化される力へ唯一抗う術は太陽の光。

 

地上の巫女らが集えた閃光を受け───

綻びかけた光の玉を高く掲げ、大精霊ルビスは言霊を紡ぐ。

 

「夜を明かし陽を呼び戻せ……!巫女の黄昏と暁(ラナルータ)!!」

 

世界は時空干渉に軋み、黒に塗り潰された天蓋は狂ったように回転を加速させる。

双眸一つ瞬きの間に満月は霞み、時は正午へと強制的に固定された。

 

 

「はぁっ、く……なぜ、…………っ」

 

『所詮は出来損ないの楽園の片割れよ───

さしずめ汝らは死に損ないの羽虫と云う処か。汝らは天蓋の闇を解くに能わず』

 

しかし真昼の太陽に光り輝くはずの空は、純黒に覆われたまま。

 

 

『精霊共に教えてやる……光と闇は楽園の表裏にして一体なり。

地上を護らんがため祝福を分けた汝らは我が闇の力に遠く及ばぬ』

 

天蓋の裂け目から凍てつく様な闇の雫が降り注ぐ。

現出するは、十の祝福と相反する呪戒司りし地獄の厄災の根。

 

『無知を悔やみ改めよ。知恵を崇め服従せよ

───戦う術の無い汝らに守れる物など無いと知れ』

 

 

それは地上に精神的な破滅を振りまく、万魔の象徴。

 

『海の病衰の盾(グレモリー=ヴィーテル)。嵐の戦の冠(アモン=ウェンリル)。

天秤と火の飢餓の鎧(アガレス=アグニース)……黄泉を連れる死の剣(ブエル=ティトス)』

 

四つの根の先端に、天蓋の純黒が集束する。

時空干渉により不動の的となったルビスを標的に定め、放たれたのは一縷の黒い雷。

 

『闇の雷の意のままに破滅へ転じよ───黒点の火(ミナデイン=ダークネビュラ)!!』

 

「あぁ───あああああ…………っ!!!」

 

 

世界樹の頂上で大精霊は無惨にも焼かれ、精霊の巫女の鎖楔となった彼女の神性は、

無慈悲にも祝福を反転し呪戒の温床と化す。

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

「───な……っ!?」

 

視界を揺るがす意識、満月へ注ぎ込んだ「忠義」の閃光は、

どす黒い闇へと染め上げられ私の身体へ逆流し───

 

「あ、ぐ……うあっ……あああぁぁ!!!」

 

叫びは、もはや祈りではなく。

私に共鳴した風の精霊の声、その色を濁らせた苦悶の叫びが闇に堕ちていく。

 

清らかだった風は死を運ぶ嵐となり、森の木々を引き裂きながら、

拒絶反応にのたうち回る混濁した意識の中で。

 

(精霊の森、が……牙を…………っ)

 

丘の上から見えた景色、私達エルフの愛した森そのものが狂気に駆られる様。

 

大樹の枝がまるで巨大な触手のように家々を押し潰し、

庭園に咲いていた花々は生気を啜る毒花へと、作物は無惨に枯れ果てて。

 

「逃げ……て……ボルダ……っ!」

 

血反吐を吐き、膝を付く私の目には、

黒い光が支配する空から地上を見下ろす声だけが頭に響き続ける。

 

♢ ♢

 

避難の列の最後尾を見届けようとしたその時、背後で鳴った轟音とともに、

集落に攻め込んできたのは魔物だけではなく───

 

「な、森が……襲って…………!?」

 

悲鳴が響き渡る。僕達を優しく包んでいた木枝達は巨大な鞭となってしなり、

逃げ惑う住民達を絡め取ろうとしている。

 

昨日まで集落が守り守られてきた森が、エルフに敵意を向けているというのか。

 

「させるか……!バギマ!!」

 

無我夢中で双弓を引き絞り、風の呪文を矢に纏わせた。

迫りくる蔦を切り裂き、盾となって住民を守り、しかし嵐は激しさを増すばかり。

 

「あうっ……!」

「ボルダにーちゃ、助け……っ!」

 

視界の端で小さな二人が転び、意思を持ちうねる巨大な根に追い詰められるのが見えた。

「リリ!メロ!!」

 

僕が叫んだ瞬間、二人を突き飛ばしてその前に割り込んだのは。

 

「!!やめ、メリーヌさ───」

 

 

鈍い音が響き、彼女の体は無残に跳ね飛ばされた。

瞬く間の静寂、血の匂い。

 

 

その目に映る光景を飲み込めないまま、動かなくなった母親に縋り付く双子の声。

 

「お母さん?ねえ…………お母さん」

 

(……っ、……!!)

 

鼓動が狂いかける。助けたい、けれどその死を悼む時間さえ、嵐は与えてくれない。

 

「リリ、メロ、立ってくれ!

今は走るんだ……生きるんだ…………!!」

 

僕は失意の二人を強引に抱き抱えるようにして、必死で走った。

肺が焼け、足が震え、それでも彼らだけは。

 

(死なせない……これ以上……!!)

 

辿り着いた妖精図書館の入り口に二人を押し込み、

住民たちの避難を確かめた僕はすぐさま集落の方へと踵を返した。

 

「ボルダ待って!向こうの気配はもう……」

「行かせてくれ!ジエラ様を置いておけるか……!!」

 

ベラの制止する声を後ろへ振り切り、僕は彼女がいた丘へ走る。

 

(無事でいてくれ、……貴女を失う訳にはいかないんだ!!)

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

「大精霊はもう使い物にならぬな。天使共も我が軍勢の相手にならぬ…………

キサマも何のつもりか知らんが長引かせおって。此度こそ死ぬがよい」

 

皆既日食、百年に一度永遠の時間が交差する時。

 

太陽を闇が覆い隠すその一瞬に時間を止めたルビスの呪文は、

雷に身を焼かれて尚解けてはいない。

 

 

「大精霊の生命は果ててはおらぬ、貴様を封じるには十分だ…………!!」

 

天界の創造主の名の元に神罰たる秘法を解き放つ時、厄災の身は石と化し始めた。

 

「!キ、サマ…………ッ!?」

 

「無の秘法(アイン)、凍れる時間よ

───天地創造の永遠に還りて……永き進化に眠りを来たせ!!」

 

 

永遠の進化と永遠の時間、相反する天地創造の秘法により、

地獄の王は地上に大山の如き石像と化して封じられた。

 

『…………愚者の主風情が小賢しい事を。

たかだか百年の先送りで魔界の屈辱が癒えるとでも思うか』

 

 

罪の根源たる傲慢の声に満ち、地上を見下ろすは闇の精霊、

神の創造を象徴する雷雲を手にしなおも空を黒く染める。

 

『しかし忌まわしき天界の主は消え───

創造の祝福はここに我が知恵の手中となった』

 

 

主たる創造を闇に奪われた世界樹は祝福を途絶え、

光無き空からは絶えず闇が生まれ続け、希望を失いかけた地上の不利は言うまでもなく。

 

輝ける肢体を無惨なまでに黒い雷に焼かれ、

闇の天蓋の下力無く巨木の梢に横たわっていた大精霊。

 

 

「ルビスっ!!意識を保って…………!」

 

二つの理を分かち合った旧友、その瞳には焦燥と怒りを滲ませながら、

大精霊の身体を抱き起こし必死に解呪の魔力を注ぎ込む幻魔女王。

 

『天界の竜といい大精霊といい、無様に散って自己犠牲のつもりか…………

虫唾が走る。取るに足りぬ羽虫風情に今更何が出来る?』

 

 

天界の創造主を失ってなお、地上の光を護らんと女王は抵抗を続ける。

 

「無限の秘法(アイン=ソフ)、知識の輪……

ロトの神器の盟主達よ!旧友たる精霊と交わせし遠き日の約束を果たさん」

 

北西の森、南西の空、北東の海、南の果ての大地───

幻魔女王の祈りに応え、ロトの神器は強く輝き眩い光で地上を照らす。

 

「知識の冠(ドメディ)。勇気の鎧(クシャラミ)。力の聖剣(バルバルー)……守りの盾(カカロン)

───天地雷鳴の永遠に還りて、厄災を逆巻き運命の光と為せ!!」

 

 

しかしその主たる創造は闇の精霊の手中で姿を変え、

天から降り注ぐのは祝福の雨ではなく、命を溶かす闇の雫。

 

「…………っ!!応えて、お願い───!」

 

女王の祈りはもはや届かず罪の根源は大地を飲み込む。

 

『問答にはもう飽きた。無知を呪い無力に死ね…………目障りな羽虫共』

 

「マガ、ルギ……避けてっ!」

 

 

空が割れどす黒く濁った天から、獲物を狙う大蛇のように俊敏に、

大精霊の声で振り返った女王が降り落ちる巨大な根に気づいた時には遅く───

 

「がは、っ……?!!」

 

 

鮮血が舞い、マガルギの身を貫いたその根は心臓ではなく、

生かしたままその生命力を容赦なく抉り取った。

 

「嫌……あぁ、ああああああっ…………!!!」

 

「マガルギ……逃、げ…………っ!」

ルビスの掠れた声も、その身に流れる呪戒の声にかき消される。

 

『光ある限り闇もまた在り───

其は万魔の主根。冥府の呪戒の王(コキュートス=グレークス)』

 

 

楽園の裏表たる光の祝福と闇の呪戒。

マガルギの身を蝕むのは、生命を食い荒らし根底から対極の性質へと反転する闇の衣。

 

『言ったはずだ…………ここまでは単なる殺戮だと。

世界樹の根源たる汝らには精神的な破滅をくれてやる』

 

 

意識の混濁、救世の象徴であった神器の輝きは暗黒の根に絡め取られ、

おぞましい怨嗟の光を放ち始める。

 

「駄目……っ、貴女が堕ちてしまったら」

 

「心配しな……いで、ロトの名は授けるものでは───

だからどうか生きて我が友人、旅人たちの集う運命の……日まで…………っ!!」

 

『呪いを集えて喰らい合わせ……『暴食』の根の元にロトの神器を闇と相成せ

───四凶星の厄災(ハルファス=フィル=グレークシア)』

 

 

天界の軍勢を率いる三将の一角、栄光の守護天使。

精霊の風の森に咲く大樹の花の庭園には、集落の守護者たる忠義の剣士。

 

「「…………っ!!」」

 

創造主、大精霊、幻魔女王───

天界の均衡が崩壊したその時、さらなる災禍が世界を襲う。

 

 

上空からは手を伸ばした万魔の根は縛る鎖となって獲物を捕らえる。

 

「あ、ぐ……エルギオス!!」

「ピサロ様、っ…………」

 

天界より闇の根に絡め取られた天使の恋人、

地上では凍れる時間に封じられていた剣士の片割れたる少女。

 

『見下げ果てたものだな……

かつて闇に見初められた魔王の器ともあろう者共が地上に情を絆されるとは』

 

「よせ……彼女には、ラテーナには手を出すな!!」

「ロザリーを離せ!貴様の狙いは我だろう…………!!」

 

 

『地上を愛してはならない(クリフ=イェソド)

───栄光を唱えてはならない(クリフ=ホド)』

 

「「が、あぁ……ああああッ……?!!」」

 

『戒めを破った汝らには破滅の呪いが相応しい。闇へ還り従え……闇が汝らを愛してやる』

 

純白の翼は絶望と嫉妬の色に染まり、純黒の煤となって崩れ落ち、

端正だった剣士の貌は強欲の禁呪による異形の相へと。

 

「ラテーナ、天界を……果実を護れ。私は必ず……!!」

「集落をお前に預ける、生き残れ……お前を失うことだけは…………!!」

 

 

栄光を護るべき天使の身は不浄を振り撒く死の化身へ───

忠義の剣は理性を食らう憎悪と戦の化身へと堕ちた。

 

「やめ、て……ようやく連れ戻した貴方を……」

「連れて行かないで!!私が代わりに、私がぁっ…………!!」

 

悲痛な叫びは虚空に溶けて消える。

 

魂を引き裂く拒絶反応、天地に轟く絶叫は強大な呪いの触媒へと反転し、

厄災の依代達は二の凶星となってどす黒い空に開いた奈落の門へと引かれてゆく。

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

丘を駆け上った先。

だがそこにいたのは僕の知る、慈愛に満ちた女王様の姿はなく。

 

不自然に育った草木の蠢く群れの中で、血反吐を吐き倒れ伏す彼女の姿があった。

 

「!!ジエラ様っ───」

 

しかし駆け寄ろうとする僕の行く手に、

外敵を阻むかのように巨大な木々の根が彼女を覆っていく。

 

(…………!?精霊の……風の、神木の根か?)

 

 

咄嗟に身を引いた僕の眼前で収束し、吹き荒れる黒い嵐を纏い、

全身から禍々しい根を生やした手に持つ杖には冠のような───

 

「その杖、貴女……なのか……!?」

 

蠢く神木の根元、無数の木枝で両腕を強く縛られた身体。

 

中心で四肢を埋め込まれたような「彼女」の瞳は虚ろに染まり、

かつての面影も、僕の問いかけに応える声さえも奪われていたジエラ様の姿。

 

 

『名を違えるな。もっとも…………忠誠は既にこの器には不要だが』

「!」

 

代わりに聴こえたのは、いくつもの歪みが声となり重なり合う風の音。

操り人形のような不自然な動きで、彼女の瞳が僕を見下ろす。

 

 

『我は使徒。冠の厄災(ディス=ウェンリル)───

凶星の下に等しく嵐と不和を来すもの』

 

 

耳を閉じたくなるような憎悪に満ちた響きが、背筋を凍り付かせる。

「…………!!」

 

威圧的な気配に呼応して神木の根元から吹き荒れる風。

覆う幹肌は手足となって女神のように姿を変え、緑の光が目のように睨みつける。

 

「やめてくれ、ジエラ様っ……目を覚ましてくれ!」

 

 

叫びは猛る嵐にかき消され、放たれる真空の刃が僕のすぐ脇の地面を爆砕する。

 

『無駄だ。器は忘我の中───

精霊への忠誠も…………エルフとしての自我も等しく無い』

 

 

声は冷たく鋭い。

その口元にはかつての微笑みなど、微塵も残されてはない。

 

(聴こえて……ない。戦うしかないのかっ…………?)

 

 

エルフ達の愛し愛された森が、

僕に居場所をくれた唯一の光が───

 

『流れの良い器だ……純血(ハイエルフ)の巫女の強大な魔力。

呪戒を以て増幅し存分に行使してくれようか…………!!』

 

 

視界が爆ぜる。

それはかつて、ジエラ様が森の安らぎを紡ぐがために振るった風ではなく。

 

冠杖から放たれるのは、生命を否定するような根絶やしの嵐だった。

 

『は、はは!!アハハハハハハハ……ッ』

 

その喉から、彼女のものではない歪んだ哄笑が漏れ出る。

一振りの杖が空を裂くたびに、彼女の肌からは生気が失われ。

 

(…………っ!!)

 

代わりに禍々しいまでの雷光が、僕の回避を先読みするように大地を穿つ。

 

 

『代償は生気と理性───良い気分だ。嵐を振り撒くほど器の意識を離れる魔力……

厄災の意志と一つになるこの感覚は』

 

まるで操り人形の不自然な唇の動き、彼女の肉体を使い潰す嵐の声。

「やめろ!!その体から出ていけ、この化け物……ッ!!」

 

叫びは届くことなく、放たれた真空の刃を辛うじて紙一重でかわす。

 

『憎ければ止めてみろ。その神器で示してみろ。紛い物のエルフの忠誠とやらを』

 

僕が弓引くその矢は乗っ取られた彼女の身体を傷つけこそすれ、

使徒の意志にかすり傷一つ与えられない。

 

彼女の髪の白銀は急速に色素の輝きを失っていく。

 

「くっ、……!!」

 

防戦一方、回避に徹する足がもつれる刹那、

加速する猛攻と焦燥に焼かれる頭と鼓動は衝突して足踏みを繰り返すばかり。

 

守りたいのに、傷つけたくない。

けれど僕が立ち止まれば彼女の肉体ごと、使徒の弄ぶ闇の中に消えてしまう。

 

 

「ボルダ、きみがそんなで───巫女さまを救えるの?!」

 

不意に背後から視界を白に染める光。

 

(!?ベラ……図書館から出てきたのか)

 

『ッ!…………小賢しい羽虫が』

至近距離での爆光に使徒がたじろぎ、一瞬だけ暴風の圧が緩む。

 

「説明してる時間が無い……

破邪の火種を受け取って!きみの意思で神器を解き放って!!」

 

 

リリとメロから貰ったロザリオが胸元で木漏れ日のような光を放ち始める。

 

わかってる。頭で考えてる場合じゃないのも、

目の前に居る「彼女」が情に感けて力を惜しみ勝てる相手では無いことも。

 

「月光、風の血に!僕の意思に応えてくれ…………ッ!!」

 

 

両手に握る双弓が解き放つのは、エルフの血に流れる風の魔力。

不完全な血であろうと、高鳴る鼓動の送り出す脈拍が魔力となって溢れ出す。

 

「この風は誰かを傷つけるためのものじゃない!

貴女が教えてくれた、守るべきを守る息吹のはずだ……!!」

 

精神を研ぎ澄まし、引き絞った弓の弦を放った一矢は月光の弾ける五月雨となり、

大気を貫き光の弾幕となって螺旋を描き使徒の眼前へと───

 

『理と生を戒めと換えよ。其は冠にして金星の兜(ナツァク=ビナス)』

 

 

集落を守っていた結界に身を覆い、逃げ場を奪うように嵐が僕の四方を包囲する。

結界に次々と衝突し、矢は火花を散らして虚空へと霧散していく。

 

「ぐ、なら……ッ!最大出力だ、バギクロス!!!」

 

僕はさらに踏み込み、血に宿る風の魔力を解き放つ。

 

正面からぶつかり合う二つの嵐。

大気が悲鳴を上げ、爪も負荷に耐えきれずボロボロと崩れ落ちる。

 

(耐えて……くれ、頼む…………!!)

 

使徒の歪んだ哄笑と共に膨れ上がる紫電、拮抗していた力の均衡が一気に崩れる。

まずい、出力の制御が効かない、押し返され───

 

「が、ぐあ……っ!?」

 

「ボルダっ!!」

荒んだ風の泣く声にベラの叫びは掻き消され、嵐の逆流が僕の身体を切り刻む。

 

抗いようのない風の激流に飲み込まれ背後の岩壁が身体に叩きつけられる。

赤く染まる視界は無様に地面を転がり、焼くような痛みに指一つさえ曲げられず。

 

 

肺から空気が搾り出され、四肢の一つ一つが重力に殺されたかのように動かない。

 

元々強大な彼女の魔力、呪戒に増幅させられ吹き荒れる嵐の前

───羽のない僕との戦力差は火を見るよりも明らかだった。

 

「かっ、は……まだだ……っ」

 

 

逆流する血反吐、全身の悲鳴を飲み込んで地面に杖を付く。

 

(力で勝てる相手じゃない、何か……何か!

誰も救えないまま、こんな終わり方は…………!!)

 

正気と狂気の狭間、焼き切れそうな脳に辛うじて届く五感を頼りに探る。

 

鼓膜を震わせる嵐の声、手に握り締めた弓の神器。

 

 

『…………所詮紛い物のエルフよ。

元より素体に敵わぬ風で上位の嵐に勝てると思うか』

 

ジエラ様の自我を食らい、精神を厄災と化し操る呪戒の闇。

嵐を増幅するその力は彼女の身体そのものではなく、握りしめる杖の神器に宿っている。

 

 

(あれは彼女自身じゃない、……彼女を救いたいなら)

 

もしも彼女を蝕む神器の呪いの矛先を───

この手に挿げ替えることができたなら?

 

「…………ジエラ、様……!」

 

胸元に手を当てて、ロザリオの輝きを握りしめた。

破邪の火種が厄災に抗う意志だと言うのなら、僕にとって使い道は一つしかない。

 

「ボルダ!?まさか……正気?」

 

力を抜いたままふわりと身体を浮かせ、一直線に、囚われた彼女の懐へと走り出す。

 

「ああ……悪いけどベラ、僕は出来損ないのエルフだから───

精霊の風が決めた犠牲の文字なんて一つも読めないんだ」

 

『血迷ったか。ならば厄災にその身を捧げよ……!!』

 

 

嵐に身を投じた僕にもはや答える言葉はない。

回避を捨て降り注ぐ雷光も、肩や腹を焼き削ぐ風にも、一歩も引かない。

 

「我が女王、ジエラ様、聴いてくれ───聴こえていなくたっていい」

 

親の顔さえ知らぬまま、皆と違う身体を憎んだ。

エルフの涙の意味も知らぬまま、強欲に僕を追い遣った人間を憎んだ。

 

 

(しかし違う。少なくとも今は……僕が本当に憎むべき相手は───)

 

嵐の先辿り着いた使徒の足元から冠杖を見据え、弓の神器を握る手に全身全霊を込める。

 

「心身を捧げる、僕の意志に応えろ…………!!!」

 

刹那、奥底で鳴る鼓動に共鳴したのは───

 

『…………知識の冠の名の元に。

憎悪と戦の災いに仇なす忠義の意志の元に顕現せん』

 

 

月光双弓、神器と直結した意志の間、誰かの声が響いた。

火種の光は彼女の手へ、闇に飲まれた嵐の冠杖と双弓の間を繋ぎ───

 

「「が、…………ッ!?!」」

 

魂が裏返るような激痛、駆け巡るどす黒い血の滾り、

彼女の杖から僕の手元へと凄まじい勢いで逆流を始めた。

 

「あ、ぐあ、あああああ……っ!」

(ジエ……ラ、様……!!)

 

混濁する意識の中で確かに聴こえた絶叫。

目の前で命を削られ続ける彼女の姿とその声だけが、闇の淵で僕を踏み止まらせる。

 

『戒めを破り呪いを引き受けるか、よかろう……!

憎め、怒れ、理性を食らい尽くせ!!欠陥品の空白を憎悪の闇で満たしてやる』

 

器に執着するような純然たる悪意の叫び、

文字通り魂を蝕む毒気の拒絶反応に赤黒く染まる視界。

 

「黙っ、てろ……!!仕える主君は貴女であって『貴様』じゃない」

 

貴女を奪い、集落を汚し、命を弄ぶ厄災に対する負の感情のすべてを一点に収束させた。

 

「希望の火種(コークス=ホープス)───」

 

 

火種の光と神器に共鳴するのはいつか見た古臭い書物の中、

さながら主君に忠誠を誓う騎士のような青臭い僕の意志。

 

『何、だ?!!その呪文は、……ッ』

 

「呪文じゃない。ただの言葉遊びさ……ジエラ様が、貴女だけが僕にくれた光だ」

 

神器の声、忠義(ナツァク)の意志と精神を一つに固め、

意識の檻へと闇を強引に引きずり込む。

 

「怒りに仇なす光、憎悪に抗う憎悪、……これが僕の『戦』だッ…………!!」

 

『ガァッ、アァァ……×××××××××××××!!!』

 

 

断末魔に似て彼女の喉から漏れた、彼女のものではない使徒の声。

 

「ぎッ、あぐ……っ、───!!」

 

同時に思考の空白を塗り潰す黒い毒、身体と精神の剥離に狂い始める四肢。

 

不自然な角度にのたうち、意識を絶やさぬよう奥歯を噛み締め、

内臓に逆流しかけた鉄の味を押し込めた。

 

「…………はぁッ。く……ジエ、ラ様」

 

 

立ち上がれないまま白黒に明滅する視界を上げた先、

彼女を覆っていた根が解け、操る糸の切れたようにふわりと浮いた銀の長髪。

 

何も元通りにはなっていなかった。

色彩を失った森も、黒く塗り潰された天も───

 

(動けっ、……立てなくてもいい……っ)

 

違うのは、獲物を食らい尽くし眠りについたような嵐の沈黙だけ。

 

 

血に濡れた指先で這ってゆく。

 

彼女の身体を柔らかく受け止めた草花の地面、崩壊した使徒の残滓が霧散し、

ただあまりに脆く横たわる彼女の元へ。

 

「……ボ……ル、ダ」

 

「ここにいます、ジエラ様……僕はここに……っ」

 

僕の耳を微かに揺らす呼び声、たどり着いたそれは死の影に薄く覆われ、

今にも吹き消されそうなほどに淡い紅の灯火。

 

「……ああわた、し……の」

 

「ジエラ……様、……回復を……!!」

 

今も僕の血管を灼くような泥濘は、僕が引き受けたのは憎悪の呪いであって、

失われた生命力が戻るわけではないのだ。

 

 

「聴いて、……もう時間はない……から」

 

彼女の頬に掛けた手が離れることを拒んでも、

視界を歪ませる雫を振り払おうとしても───

 

(っ、…………駄目だ、魔力が……!)

 

銀色の髪、紅い瞳、薄桃色の肌から唇まで血の色の温度が奪われていく。

 

「ごめんなさい……何も力に、何もあなたに、伝えられなくて」

 

 

僕が見たかったのは、僕が聴きたかったのはそんな言葉じゃないんだ。

 

「違、う……ちがう、…………!!」

 

僕が望んだのはいつも通りに、優しく僕に微笑みかけてくれる貴女の声だ。

 

こんなところで失いたくない。

僕は貴女に、何も返せていないじゃないか。

 

 

「一体、なんのためにっ……!僕の戦いは、貴女への……忠誠は」

 

嫌だ。いやだ───

 

「泣かない……で。私の…………かわいい、男の子」

 

 

滲んだ頬から焦燥を拭うように、優しい感触が包み込む。

 

「え、…………っ」

 

「私を繋ぎ止めているのは、巫女の血に宿る……忠義(ナツァク)の祝福」

 

冷たく、動かす事さえ叶わないほどに弱く、

それでも僕の気配を探して細く震わせる貴女の指先だった。

 

 

「厄災に使い潰された身体には、それ以外に何も……残っていません」

 

消え入りそうな温もりが僕の頬を優しく撫でる。

 

掠れた声が、僕の鼓動を締め上げる。

 

「巫女の血と、あの人の……火種を継ぐあなたなら。

共鳴する祝福を引き継いで、厄災の呪いを運命の意志に換えられる」

 

「そん、な、そうしたら……貴女の命は」

 

 

命の灯火を繋ぎ止めるものが無くなれば、その後の事は容易に想像が着く。

 

「ボルダ。私は…………しあわせですよ」

 

「…………っ、───」

 

崩れかける僕の目元を果敢なく拭う指先。

 

「強く、やさしく……育ってくれたあなたと。

私のために泣いてくれるあなたと……この日を迎えられて」

 

 

目を細めた母様の白い頬を伝って、紅い雫が僕の手の甲を濡らしていた。

 

「女王として、だけではなくて、

いまだけは母として……二百歳になったあなたに、贈り物をさせて」

 

 

握りしめたロザリオは、今も胸に火種の輝きを放っている。

 

「母様、……っ」

 

誕生日のわがままを言っていいのなら

───僕は早く明日になって、貴女と過ごす毎日がほしかった。

 

「はい、……っ、……喜んで。貴女の望みが叶うなら」

 

 

薄く和らいだ微笑みの目は、最後に映る景色を焼き付けるようにして、

僕の双眸を離してくれなかった。

 

「満ち足りし……双月よ。遥か見通す月の眼よ」

 

眩い輝きから目を逸らさぬよう、

神器と共鳴し光に抱かれる意識の中で跪き祈りを捧げ続ける。

 

(ああ、…………祝福よ)

 

「ボルダ。生まれてきてくれて、

…………いきていてくれて、ありがとう」

 

 

願わくば、どうかその血の呪いが戦の嵐ではなく───

 

「どうかその風に、……あなたを導く……運命のまじないがありますように」

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「……あぁ、……マガ、ルギ」

 

世界樹の頂、千年に一度永遠の生命が芽吹く場所。

滴り落ちる血は破滅の雫と変わり果て、光降る聖域の葉を枯らしてゆく。

 

声なき声に光は無く、限り無き闇に呑まれてゆく。

 

 

『知恵無き獣たる厄災に凶星の意志を……

闇を欲せよ。光を奪い糧とせよ。生を供物と捧げ理性を喰らい尽くせ』

 

 

闇の支配する光景の傍らに一つ、大精霊は悟る。

 

(このまま肉体を保てば……私達は、呪戒の鎖に縛られたまま)

 

胴を貫く暴食の根は管の如く幻魔女王の生命を吸い上げ、

絶命さえ許さぬままその身を空に吊るし上げんとしていた。

 

「光を絶やす訳には、……旅人達の集う、約束の日まで……っ」

 

 

黒点の雷に神性を灼かれ意識の薄れゆく中、

暗く閉ざされた闇の底、それでも光は来るべき再生の日を願った。

 

「今一度根源に還り、どうか祈りを……聞き届けて……

永久に光あれ(エーテル=エバーラストライト)───」

 

 

秘法の解放を以て二柱の光は実体を棄て、

大精霊と幻魔女王の命は世界樹の頂に植わる種へと還る。

 

『力尽きなお判らぬか……忌まわしき羽虫共。つくづく聞き分けの悪い』

 

眼下の静寂を一笑に付し、

黒天より操り闇の弄ぶ幾万の魔の根を従える闇の精霊は惨劇の未遂を宣ずる。

 

『汝らの死は狼煙に過ぎぬ。凶星の意志を得た獣と使徒───

厄災が地上に破滅を振り撒くほど怨嗟は連なり鎖となるのだから』

 

切り離された知恵の闇、

その悲願たるは光も闇も分かちがたく統合された「楽園」の完成。

 

『創造の秩序はじきに破滅の渾沌へ……

再び王の目覚める刻。地上は新たな王国の礎として生まれ変わる』

 

 

凍れる時間の封印に不動の石像と化した地獄の帝王とその軍勢は、

煤けた無数の根を軋ませ、天蓋に開いた奈落の門へ黒い群れとなり昇ってゆく。

 

大戦に引かれた幕は、闇の残した哄笑とともに破滅の夜明けを告げた。

 

『案ずるな。汝らは黙して待てば良い、……くはははは…………っ!!』

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

「……母、様」

 

言葉は途切れたまま、返事はない。

空は暗闇を湛え僕達を冷たく見下ろしている。

 

傷が塞がっていく腕の中にあるのは、僕のすべてだった人の亡骸なのだろう。

 

自身の肌にみるみる生気を取り戻し始める血、

そこに脈々と熱を帯びる感じたことの無い風の魔力の流れ───

 

 

「……あぁ、……っ、───」

 

巫女の命は、祝福は喪われたのではなく確かにこの血に宿っている。

 

それは気付けば頬から伝い落ち、枯れることを知らず視界を煌々と歪ませる、

貴女と同じ紅色の雫が何よりの証明だった。

 

 

視界を照らすロザリオも、足元に転がる月光も、淡く翠光を放つ冠杖も遠く霞む。

 

最後の最後に名実ともに血で繋がれた貴女の名を呼んでも、

抑え切れず叫んだ僕の嗚咽も、轟く雷鳴がかき消して何も聴こえなかった。

 

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