DQ外伝─錬金術師と巫女の予言   作:Sephi&ロト

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第二幕、四節

♢ 炎の宮殿

「「お勤めお疲れ様であります!ボルダ様」」

 

「ああ、ご苦労」

門番二人に会釈を交わし、宮殿の扉が開かれる。

 

「あはは!すっかり有名人だね。衛兵さん達がキミの噂してるのかな?」

 

「嬉しくないぞ。ここまで来ると合わせるしかないだろ」

 

 

そうは言いつつ、満足気に息をついて絨毯を踏むボルダくん。

お父様にアタシの帰りを報告したら街に戻り宿を探すと言っていた。

 

「もう解散かあ、……ちょっと寂しいけど仕方ないよね」

 

人も寝静まる深夜の暗さで見えなかったものの、

宮殿の照明に照らされた彼の目元には薄くクマが浮かんでいる。

 

「何時だと思ってるんだお前。

王が許してたらまだ起きるつもりだったのか」

 

「えへ。まさかまさか」

「…………変なこと企んでないだろうな?」

 

とはいえ丸一日、戦いの後で彼を案内しつつ国を駆けずり回ったため、

さすがのアタシも足に疲れが滲んでいた。

 

ギーメルちゃんの水浴びを待っていたとき無性にお風呂が恋しくなり、

ボルダくんと別れた後は真っ先に向かうつもりだ。

 

「とにかくぐっすり眠らなきゃね。明日の為にも」

 

「ああ、……やっぱり。どうせお前止めても着いてくる気だろ」

 

 

渋々といった様子で肩を落とすボルダくんだが、

お父様の言う「祭具」の在処を求めて旅立つ彼の出発にお供する事となった。

 

盗み聞きがバレた時点で、こっそり彼の後を付ける計画は頓挫したけれど。

 

「ふふっ、それでもアタシは嬉しいよ?何となく反対されると思ってたし」

 

「言っとくけど遠足じゃないからな?

場合によってはあの使徒と戦う羽目になるのも考えておけよ」

 

「は〜い!ご飯とお水沢山持ってかなきゃね」

「それほぼ遠足の準備だろ……さっき言ってた武器も荷物に入れろ」

 

 

こんな彼とのお喋りもだが、それ以上にアタシは嬉しく思っている。

お父様の国を脅かす危険を止めるため、彼は一緒に戦ってくれるのだから。

 

「はぁ……出来る事なら今日の内に、あの馬鹿力も仲間に加えたかったが」

 

「諦めるのは早いよ、仲直りは難しいかもだけどさ?

ノラおじ様が言ってた通りギーメルちゃんも悪い子じゃないと思うし」

 

そう言うアタシの右隣、そんなものか、と溜息混じりに階段を踏む。

 

ボルダくんの言う「仲間」とは、友達とは少し違うらしい。

 

「同じ目的の下で団結できれば、正直人の善さはどうだって構わない。

戦力が大きいに越したことはないが……ギーメルに関しては行動原理が合わなすぎる」

 

 

(……たしかに、それはそう)

 

好きや嫌いを通り越すほどに、

二人が意気投合するとはお世辞にも思えない。

 

「でもさ、あの子を連れてかないのってそれだけじゃないよね」

 

「……何の話だ?」

「ふふ。あれだけ喧嘩しててもキミって優しい子なんだね」

 

 

揶揄うつもりは無かったのだが、不貞腐れた顔で隣を離れ、

ボルダくんは早足に階段を登り始めてしまった。

 

(標的は人間だって、使徒はあの時はっきり言ってた)

 

どれだけ力が強くても、人間である彼女を連れて行けば、

下手を打てば巫女のアタシを放置して真っ先に的に掛けられる。

 

そんな可能性を見越す必要があるのは、恐らく───

 

(明日、……少なくとも近い内にキミは、使徒と戦うつもりだから)

 

 

ぱんと両頬を手で鳴らし、階段を上りきったボルダくんの後を追いかける。

 

この程度の恐怖にアタシ達の国が負けてたまるか。

 

虚実の呪戒が巫女のアタシを本気で乗っ取るつもりなら、

みんなの勇気を背負ってもう一度あの霧を「真実」の祝福に塗り替えてやる。

 

「お前のそれは気合を入れる時の癖なのか?」

 

「まあね。踊りを披露する前は手のひらに八回『人』って書いて飲んでるよ」

「怖っ、……なんだその儀式」

 

 

彼に追い付いた先、玉座の間へ繋がる扉に二人で手を掛ける。

 

「ところで本当にやるのか?

夜遅くだし人は少ないだろうが、あまり大きい音は立てられないぞ」

 

今更声を忍んでも意味は無い気はするけれど、

彼は最後にアタシの発案に付き合ってやると言ってくれた。

 

「分かってるって、開けるよ…………せーのっ」

「遅かったな。其方等も帰ったか」

 

 

「うおぁあっ?!!」

 

「ひい───お化け!?」

不意に背後から低い声が響き、ずでんと二つ尻もちが揃った。

 

「勝手に殺すな。いくら我とて傷つくぞ」

 

「びびびっくりした、お父様、出掛けてるなら言ってよ!

玉座か部屋にいると思ったのに」

 

誤魔化さなければ、しかし床にへたり着くアタシ達の焦りを訝しんでか、

高く見下ろす石膏の仮面が逆光のせいで余計に威圧的だ。

 

「門番や大臣を除き宮中の者はみな就寝───

隙を見て少し書斎へ寄っただけだ。何故其方等の方がこそこそしておる」

 

とにかくまずい、ここでバレたら最早逆ドッキリで終わってしまう。

 

 

「……〜〜♪」

 

一方で大汗をかいていながらも、彼は口笛で誤魔化す気らしい。

多分無駄だけどやたら上手い。

 

「う、うう、お父様実は……見せたいものがあって」

 

あらぬ音階に跳躍した口笛の音を最後に、

諦めたアタシの一存でドッキリ計画は中止となった。

 

というのも、ウソをついてお父様にバレなかった例はないのだ。

 

「ほう。もしや二人で何か拾って来たか?

壺に頭を突っ込んで見つけた珍しいメダルなら以前貰ったばかりだが」

 

「なななんでバラすの?!───いや違うってば!」

 

 

首を傾げたお父様に、今度はきっぱりと白状する。

 

「新しい踊りを見て欲しいの。お父様に見せるの久しぶりだしさっ、

解散しちゃう前にそれ位いいでしょ?」

 

 

…………

 

 

窓に差し込む夜に照らされ、舞い衣の袖飾りは紫紺に煌めく。

 

宮殿の最上階、玉座の間にはお父様の言った通り、

アタシ達三人を除き人の気配はひとつも無い。

 

鼓膜を包む無音の中でアタシの胸は高鳴りに揺れ、

二人の視線を前にとくんとくんと静かな脈拍を刻んでいる。

 

 

その音が凪いだ頃にすっと一度息を整え、

閉じた瞼を隠すように右手に摘んだ扇の要を導いてゆく。

 

十枚の羽根の緋色をそっと揺らして、アタシの呼吸はゆったりと声を紡ぎ始めた。

 

「天にます陽の燈明りよ。星の瞬く千夜の帳よ」

 

 

絨毯を叩くつま先の音色は、軽やかに楽器を爪弾くように。

 

街の人々へ披露する噴水広場の地面とは違う響きを奏でながら、

巫女の祈りを口ずさむ。

 

国に祝福を願う巫女より、精霊様へ日々の感謝を伝える詩。

 

「朝の光に等しき夜を。夜の夢見に等しき朝を」

 

 

風の流れに舞う一羽の鳥にアタシ自身を重ね、身を翻す。

 

緊張とは少し違う、不思議な感覚だった。

初めて踊りを見せる彼、その右手には最も傍で見守り育ててくれた人。

 

特別な観客二人が目を逸らすことなく、静かにアタシを見てくれている。

 

(二人とも……嬉しいんだよ、アタシ)

 

 

この舞いが浮かんだきっかけは、ボルダくんと見上げた二つの星空。

 

時が止まってしまうほど、何よりも大切に思える一瞬。

 

それが本物でも、たとえ本物じゃなくても、

暗闇に迷いかけたアタシの心を鮮烈に奪う景色だった。

 

(キミがアタシに見せてくれた光。お父様がくれた衣装

───言葉だけじゃなくて、二人から貰った全てで表現したい)

 

 

お父様だけでなく彼にも付き合って貰ったのは、

アタシの世界に吹いた新しい風を、彼自身にも知って欲しかったから。

 

「砂を癒す雨がごとく、枯れぬ明日に幸を乞わん───」

 

 

勇気ある国の人々へ、等しく明るい明日が訪れますように。

 

その祈りごと、背を反らし羽根を広げるように、扇と黒髪を大きく宙へ投げ出す。

 

絨毯を蹴る足は徐々に軽く動きを緩め、伸ばした腕を側に引き寄せ、

最後にふわりと舞い落ちる扇を両手で受け止めた。

 

 

火照りの冷めないまま、長く吐いたアタシの呼吸が舞いの終わりを告げたと同時。

 

ぱち、ぱちと後ろから噛み締めるような拍手が届く。

 

振り向いた先に捉えた音の主はお父様、ではなく。

(…………!)

 

その隣で笑顔でなく、真顔でもなく、ただ驚きに目を見開いたボルダくんの表情。

「ぷ……あははっ!何その顔」

 

 

嬉しくて思わず零れたアタシの笑い声にようやくはっとしたのか、

逆手で目元を擦りながら何やら口ごもっている。

 

「どうしたの?ふふっ、キミに限ってまさか見蕩れちゃったとか」

「お、お前ほんとにアドリーか?幻じゃないよな」

 

「…………ん、どういう意味?それ」

 

 

どうやら本気で疑っているらしい彼の様子にかちんと来て、

浮きかけた口角が一気に下がるのが分かった。

 

「ち、違うんだって、さっきまでと印象が違いすぎてびっくりしただけで」

 

「何も違わないじゃん!!アタシの事なんだと思ってたの」

 

急に黙り始めたかと思えば魚のように緑の目が泳いでいる。

さっきの喜びを返してほしい。

 

「ふん。素直に褒めてくれるとは思ってなかったし別にいいけどさ。

にしたって酷いよねお父様───お、お父様?」

 

 

複雑な思いのままでちらりと隣に目をやった。

 

しかし同意を求めたアタシへの返答はなく、

下向きで落ちそうな石膏の仮面をふるふると震える両手が押さえつけている。

 

「何だ…………違うぞ、泣いてなどおらぬ」

「い、いやまだ何も聞いてないけど」

 

「二百年其方を育てた甲斐があった。たとえ死んでも忘れまい」

 

お父様、頼むからもっと普通に褒めて欲しい。

 

 

「二人とも喜んでくれた、でいいのかな?

思いつきだったけど一番に見て貰えてアタシも嬉しいよ」

 

口にした途端、今更ながら照れくさい気持ちが込み上げてきた。

 

まだ顔を上げないお父様の隣を見てみれば、

そんなアタシを知ってか知らでか、珍しく微笑む彼と目が合う。

 

「…………何その顔っ」

「舞いもそうだが、素敵な詩だった。機会があればまた聴かせてくれ」

 

ああは言ったものの、急に素直になられると返す言葉が見つからない。

ノラおじ様なら笑って返していただろうか。

 

 

「今更だが本当にその扇がアドリーの武器なんだな。さっきはあまり気にならなかったが」

 

「あれ?そういえば───

キミなら真っ先に食いつくと思ってたのに」

 

「あー……いやわからん、舞いに意識が持っていかれたんだろうかな」

 

神器の件よりも踊りに注目してくれていたという意味であれば、

アタシにとっては嬉しい誤算というやつだ。

 

「『朱雀ノ扇』っていうの、名前の通り火の鳥の羽根十枚で出来てて。

戦う時は刃みたいに飛ばしたりもできるんだけど」

 

 

ほうほうと目を輝かせるボルダくんに見せながら、五本指で感触を確かめる。

 

改めて人に説明する機会も稀なせいか、

言葉にしてみると意外とかっこいい武器かもしれない。

 

「どうした。まださっきので怒ってるか?」

 

緋色の羽根の隙間から不思議そうに覗く彼の視線にはっとして、

さっと背中に両手を結び首を横に振って見せる。

 

「ていうか、怒ってたらすぐ気づくくせに。

キミは褒めるの下手くそだから明日までに練習しておいて」

 

 

名残惜しそうに絡まった指を悟られぬよう言い返しつつ、

見届ける役目を終えたとばかりに部屋の出口へ歩く彼の足元を目で追いかける。

 

(確か翌朝、宿屋の前まで迎えに行けばいいんだよね)

 

明日の出発に万全を期すためにも、

お風呂を済ませ次第今日だけは早く眠らなければ。

 

言い出したアタシが寝坊でもしようものなら、間違いなく置いていかれてしまう。

 

「エルバ=メヘト、遅くまで世話になった。

次に宮殿へ帰る時にはいい報せを」

 

「ボルダ、───其方に客間を用意しておる。宿屋に泊まるのはやめておけ」

 

 

「え?お、お父様それって」

 

振り返った銀髪の頭上にも、くっきりとハテナが浮かんで見えた。

 

しかしそんな表情の余裕は直後に抜け落ち、

警戒じみた色に濁る翡翠の瞳は先んじてその意味に気付いたらしい。

 

「『人間の』国で安全は保証できない、……そう言いたいのか」

 

「エルフを狙う曲者らの存在は否定できぬ。明日には警備の者を手配しておこう。

未だ肩身は狭かろうが今夜ばかり耐えては貰えぬか」

 

ほんの小さく息をつき、彼は胸に手を当てる。

 

「少し僕の見通しが甘かった。ご厚意に預かり感謝しよう」

 

僅かに憂いの滲んだ声が耳の内側で反芻され、

彼の語ってくれた集落での生い立ちを今になって思い出した。

 

 

(…………そう、だよね)

 

いくらアタシより強い彼でも、過去の遺恨を消すことは叶わないのだ。

 

闘技場を巡るギーメルちゃんとの衝突を見ても、

彼の中枢には少なからず人間と相容れない価値観がある。

 

 

「ああそれと、『其方等』。まさかとは思うが徒歩で王墓に赴くつもりではあるまいな」

 

ぎくり、と耳の強張る音がした。

 

「ええーっと、へへ、もしかしてまたバレてた……?」

「馬鹿者。何年娘を見てきたと思っておる」

 

 

怒る様子もなく懐から数枚の羽根を取り出し、放って渡すお父様。

 

両手にそれを受け取り、平然と溜息をつくボルダくんを見ると、

どうやら明日の出発に向けてお忍び気分でいたのはアタシだけだったらしい。

 

「巡礼者の記憶を宿す合星獣(スターキメラ)の翼だ。

特にアドリーはくれぐれも屋根下から翔ぼうとするでないぞ」

 

「え、よく覚えてたねそれ───じゃない!なんでいちいちバラすの?!」

 

 

いくつも複雑に感情が混ざり合う中、

全てを差し置いてアタシの思考を突き動かしたのは。

 

(宿屋じゃない、これってつまりお泊ま───)

 

「おーい。沐浴場は後でいいのか?なら僕が先に入るぞ」

 

「…………はっ?!駄目駄目、アタシが先!

一日五回って決めてたのに昨日から入れてないんだもん」

 

♢ ♢

 

転びそうな勢いで忙しく部屋を駆け出したアドリーの無事を見送った後、

玉座の間に差す星の光は二つの影を照らし出す。

 

「其方にはすまぬが、五度の沐浴は王族の身を清める仕来りでな。

その様子だと娘のわんぱくに相当世話をかけさせたらしい」

 

「……随分嬉しそうに言うんだな。

そう言う貴方はもう水浴びを済ませたのか?」

 

 

宵闇を写すような紫黒の衣、相変わらず表情の読めないまま首を傾げる仮面。

 

過保護にも思える親馬鹿ぶりに少々懐かしいものを覚えつつ、

ふと僕の疑問は再びその中身へ向けられた。

 

「どうしてそこまで肌の露出を控えてるんだ?

それも仕来りだとか、宗教意識の違いだと言うならそれまでだが」

 

先刻それとなくノラさんにいじられた通り、集落を出てからというもの、

衣食住だけを取っても異邦の文化というものに度々驚かされる。

 

実際、図書館で読んだ人間の記述はあくまで種族絡みのもので、

彼らの言う宗教だのにさして明るいわけでもない。

 

「流石は知識の運命を往く旅人よ、飽きもせず聞いてくるものだな。

其方の気掛かりは近衛団を鎮めた時からか」

 

「……まあな。生身の人間じゃない事くらいは」

 

 

図書館でエルフ達の不和を鎮め、不意に発現した戦の権能。

 

『敬虔たる忠義(ナツァク)はその憎悪の側面を制御する祝福に他ならぬ……

言うなれば「憎悪に抗う憎悪の戦」。血に宿る厄災の性が反転し形に成ったというわけだ』

 

火種を介して引き受けた呪い、母様の命を引き換えに受け継いだ祝福、

ドメディによれば僕の意志と血が本来の性質を逆転させたと。

 

しかし初めて相見えた際、明らかに敵意を向けていた近衛団はともかく、

それを一切意に介さず彼は僕に杖を向けた。

 

 

「確かめたいのは貴方というよりは『僕自身の』素性だな───

自分で言うのもなんだが、何か勘違いしている気がするんだ」

 

「…………ほう。勘違いとは?」

 

ここまで振り返った上でやはりおかしい出来事があった。

 

その最たるは間違いなくあの馬鹿力、近衛団長ギーメルの存在。

 

「あの輪の中にいて一度気絶したにも関わらず、

唯一ギーメルだけはあの後も僕に怒りを向けて来たんだ」

 

 

考えてみれば、彼女のあれは憎悪というより、

矜恃を傷付けられた事による純粋な怒りとも捉えられるが。

 

「はは、ボルダよ……あの小娘と口喧嘩でもしたか。

其方が無事なところを見るとアドリーに喝でも入れられたな?」

 

(…………)

我が子の事となれば当然かもしれないが、察しが良すぎて少し怖い。

 

「別に、僕が言いたいのは彼女自身のことじゃない。

問題は彼女以外の連中の態度だ」

 

 

あの一件以降、不気味なほどに従順な兵士達の様子。

 

確かアドリーはそれを見て『ビビられてる』などと表現していただろうか。

 

「『戦意喪失』、少なくとも貴方達と対峙した時までは……

風の神器で操る権能がそういった類のものだと捉えながら使っていた」

 

僕の言う勘違い、更にいえばその先に至る一つの仮説。

それがもしも正しければ───

 

「この権能は、……みだりに行使すべきものではないかもしれない」

 

 

アドリーの一喝がなければ、恐らくこの可能性に気づけなかった。

 

忌まわしくも僕自身を形作る「憎悪」が彼女達の言葉で浮き彫りにされ、

そして同時にぞっとしたのだ。

 

(……もしもこの感情がある日を境に、影も形も無くなってしまったとしたら)

 

僕の心は何に導かれ、何を頼りに生きていくのだろうか。

 

 

「ならば問うが。其方の勘違いが真であったとして───

真に恨むべき相手を前にしても尚、同じ問いに悩むつもりか?」

 

「!」

こんと軽い力が額にかかり、銀色の繊維が暗い視界を更に覆う。

 

「彼奴が生きていたならば、決まって口にした言葉だ。

『知恵在る者とは理性を以て正しく命を生かすもの』とな」

 

(なん、だ、動け……ない?)

 

ほんの軽い圧力のはずが、振りほどくほどの自由が利かない。

 

追い討ちとばかりに意識を縫い止める彼の視線が、

前髪を透かして見えた仮面の奥から真っ直ぐに僕の双眸を射抜く。

 

「それが強権を動かす立場であれば尚のこと……

生かすも殺すも『我』次第だ。付き纏う責任と損失の重さを固く刻んでおけ」

 

 

直後、ふっと枷を外すように、額から力が離れた。

 

「……っ」

 

額に当てられていたのは何て事の無い、右手に持つ杖の先端に煌めく鏡のフチ。

 

特別な力を使った訳ではない、僕の頭はそう理解した上で、

埋めようのない彼の経験や威圧感そのものに支配されていたのだと気づく。

 

 

「良い機会だ、確認の意味でもう一つ伝えておくとしようか。

其方の生きた二百年とは……我や娘と等しくはあろうが断じて同じ時ではない」

 

帝王学など僕にはさっぱりだが、

それこそ王族のような偉人の言葉は重みを増して響くと聞く。

 

「意図までは測りかねるが。覚えておくよ」

 

しかしながら、僕にだけ聞こえるように静かなその声が、

ただ当然の事を大袈裟めかして言っているようには思えなかった。

 

 

「ふむ、一方的に話を切ってしまったようだが。

其方は初めに我の素性が気掛かりと申しておったはずだな」

 

「!ああ…………正直、今になると少し恐れ多い気もしてしまうが」

 

 

エルバ=メヘト。

父親としての、王族としての、人間としての彼自身。

 

話を聴けば聴くほど、闇に触れれば触れるほど、

一人の人間として秘める彼の深淵が前にも増して読めなくなった。

 

「生来、詮索を好まぬ性質ではあるが……

其方の旅に役立つ知恵ならばよかろう。我の意志で明かす分には問題あるまい」

 

 

黄金で継がれたような紋様がちらちらと光る石膏の仮面、

暗い装束の左手から伸びた掌の色は見えない。

 

「…………!!」

 

真夜中を照らす窓明かりの中で、僕はそれを見た。

 

 

包帯に巻かれた頭部の隙間、枯れ木の褪せた色を思わせる肌。

 

砂漠の王墓に眠るもの達が来世を祈る姿とも、

或いは不届きな盗掘者を呪う王族の怨念とも呼ばれる存在。

 

脳裏にいくつも飛び交う迷信じみた伝承はどれも、

砂漠を語る書物の中で何度も目にした「それ」にまつわるものだった。

 

「ミイ、───ラ?」

 

 

それきり言葉を発しないまま、血の気を帯びず黒ずんだ手のひらに導かれ、

仮面は再び在るべき場所へと帰る。

 

無音に満ちた刹那、遠視を患う僕の眼に辛うじて映ったもの。

 

 

精霊の森に生きるエルフの学者達が図書館の蔵書に名を連ねる中、

僕は昆虫図鑑を好んで読んでいた時期があった。

 

森は勿論、乾燥地域や湿地など多様な分布を記したものだ。

(玉虫、いや……黄金虫……か?)

 

仮面の裏側に張り付く抜け殻のような影、極彩色を思わせる僅かな煌めき。

 

たった一瞬の光景が、そんな記憶に重なった気がした。

 

「…………『翼蟲(ケプリ)の護符』。

冥府の魂に不朽と再生を願う砂漠の信仰を象徴する代物だ」

 

 

ようやく僕の鼓膜を低く叩いた声は、

先程まで話していた「生身」のそれと等しくも異なる響きとなって届く。

 

紫黒の衣に包まれて人の形をしたもの。

 

「百聞一見に如かずとはあながち間違いでは無かろう。

二百年前───火竜の巫女の夫であった肉体は疾うに死んでおる」

 

それは読んで字のごとく、冥府よりの再生(メヘト)を体現する姿だった。

 

 

記憶に蘇るロザリー様の声、そしてようやく自らの誤認に気付く。

 

『エルバ=メヘトを訪ねてください。

地上に残りベルンドを知る数少ない一人です』

 

彼の存命を示唆する文字は、その言葉の中にひとつも無い。

 

「もう一つだけ、聞かせてくれ。これで最後にするよ」

 

どうしてこんな身体で二百年間砂漠を治めて来たのか、

そういう疑問も大きくあった。

 

「無理に気を遣うな。アドリーが其方を呼びに来るまでの間であれば構わん」

 

 

しかし一番に浮かんだその問いは、今この時は重要では無く。

 

「僕がこの国を訪れた時、貴方が虚実(ゲブラ)の使徒と戦っていた時だ。

奴はアドリーの身柄を狙っているように見えた」

 

聞くまでもなく、彼は巫女本人でなければ生身の人間でもない。

 

(使徒───奴らは元々ロトの神器に宿る、地上に分かたれた光の大精霊の祝福。

それらが大戦の中で呪戒の闇に転じた姿)

 

そして思い出したくはないが、僕の戦った憎悪(ナツァク)の使徒の意志は、

抗う術もなく母様の精神を乗っ取ったはず。

 

純血の巫女、浄化の閃光を放った彼女の持つロトの神器を介して。

 

「どうしてアドリーは無事だったんだ?

神器の一つは少なくとも、魔物の襲撃中は首に掛けていたはずじゃ」

 

 

「…………襲撃、だと?」

途端に、王の声色が一変した。

 

その様子はまるで未知の事実に直面して狼狽える、先程の僕と同じように。

 

「どういう事だ、……あの使徒は……宮殿で我に足止めを」

 

 

そこまで言いかけてぷつりと途切れた言葉。

(…………?)

 

しかしすぐ、左手指に仮面のずれを直しつつ、彼の声は元の形を取り戻す。

 

「否、交戦中に外の状況まで把握し切れていなかっただけか。

少なくとも王国の結界が効力を失ったのは、使徒の仕業に相違あるまい」

 

 

落ち着きを取り戻したのか、再び仮面の裏に隠れた真意のほどは分からない。

 

とはいえ、彼のような人にも心当たりの無い事があったとは。

 

「今は我の持ちあわせる正確な情報だけを授けよう。

自国が大事にあるなか、中途半端な憶測で語るのは好きくないでな」

 

「あ、ああ……了解した」

 

 

「神器一つを首に掛けていた、と言ったな。娘に贈った勾玉の事か?

もう一つというのは先程の舞いで見た扇を言っておるのだろうが」

 

やれやれ、とでも言いたげに彼は首を横に振る。

 

こくりと頷いた僕を見てか、はたまたアドリーに対してかもしれないが、

どちらにせよ僕達の認識の誤りを正す意味だろう。

 

「勾玉、朱雀ノ扇───性質は似ておるが、あれらはロトの神器ではない。

呪いを祓い退ける魔除けの類、いわば神器の『形代』だ」

 

 

「形代とは?」と問い返す間も与えず、先を読んだかのように王は答える。

 

「幻魔の依代ではないものの、精霊の祝福を受ける道具を指す。

其方の携えたその双弓に例えるならば、その風だけを纏う矢じりのようなものだな」

 

(……なんだろうこの、遣る瀬無さは)

 

図書館でドメディやロザリー様から受けた、講義じみた説明と似た感を覚えた。

 

実際知らない事の方が多いのでやむ無しとはいえ、

丁寧に例え話まで使って己の無知を気遣われると少々きついものがある。

 

「聞き慣れぬ語ばかりで混乱するであろうが、我の持つ杖も同様その一つ。

太陽神(ラー)の鏡杖、東国の伝承に即せば『八咫鏡』とも呼ぶ」

 

「な、なあ……補足にしても情報過多だろ。わざと混乱させに来てないだろうな」

 

「『鎧』の神器と呼ぶくらいだ。これまで見た中に思い当たる節は無いか?」

 

(あ、無視…………)

 

 

ともかく、なるほど。

分かり易くヒントを貰えたおかげで解答には辿り着けた。

 

「神鳥の舞い衣のことか。火に焼けないのは精霊の祝福があるお陰なんだな」

 

「見事。興が乗って少々回りくどくなったか」

「…………だいぶな」

 

 

「はは。其方には彼奴の面影を濃く感じる……

宴の席で語らった記憶が蘇るかのようだ、それこそ何百年ぶりでな」

 

やはり揶揄われていたようだったが、不思議と嫌な気分はしなかった。

むしろ───

 

「ふふっ。アドリーに今のを聴かせたら喜ぶかもしれないな」

 

「余計な世話だ……変なものでも食ったかと逆に疑われてしまうわ」

 

会ったことのない父親でも、遺伝というのは確からしい。

 

(羽の無い身体も。ジエラ様…………

貴女達に貰った大切な命なのだと、今は誇らしくさえ思えます)

 

 

「ボルダくんーっ、お父様も!お風呂空いたよ」

 

噂をすればなんとやら、たんたんと快活な足音が玉座の間を跳ねた。

 

「深夜に大声を上げるでない。何度目だ」

 

ぴしゃりと言い放つ声とともに、

仮面の視線は僕の後ろの方へと通り過ぎてゆく。

 

「あ、あっはは……ごめんってば」

 

 

薄暗い夜の静寂に、目と耳が慣れたせいだろうか。

 

ほんの些細な親子の仕草が、夕方よりも僕の近くで鮮明に、

そして少しだけ離れたところで意識を揺する気がした。

 

 

「沐浴場は宮殿の門の北側、其方の客間も真隣にある。

迷子になる広さでもあるまいが念の為な」

 

「ああ、どれも丁寧でありがたい…………

待ち時間の話し相手まで、退屈しなくて助かった」

 

「何よりだ。国に平穏が戻った暁には祝杯でも交わすとしようか」

 

「え、ちょっと、なになに?二人ともいつの間にそんな仲良くなったの」

 

「ふふっ。ほらな───お前にはまた明日話すよ」

 

 

…………

 

 

静かにそよぐ風の匂い。

 

目を開けた先、いつもと変わらぬのどかな森の木漏れ日が僕を迎えた。

「ボルダにーちゃん!」

 

ほのかに甘い花の香りは、エルフの双子がくれたもの。

 

「見てみて!もう一回挑戦してみたの。昨日よりもうまく出来てるでしょ?」

 

 

ただいま、二人とも。

 

「うん!───おかえり、ボルダお兄ちゃん」

 

「無事でよかった。やっぱりオレらのお祈りが精霊様に届いたんだな!」

 

 

ああ、お前らも。

二人で喧嘩はしてなかったか?

 

「お利口さんにしてたもん。花冠だってメロと二人で作ったんだから」

 

「リリがうるせーの、やっぱり大事なプレゼントだからって」

「な……何がうるさいのよ!」

 

はは、二人はやっぱり元気だな。

それに僕は、もうロザリオを貰ったのに。

 

「大事にかけてくれてるんだなっ、失くしたりすんなよ」

 

「大丈夫!壊れたらまたわたしたち、新しく作ってあげるから」

 

 

失くすもんか、壊すもんか。

 

二人の誕生日だってもうすぐなんだ、とびきり綺麗なものをあげるよ。

 

「オレはカッコイイ弓とか、魔法使いの杖がいい!

にーちゃんみたいになれるからさ」

 

「わたしはお花かな?それとも絵本がいいかな

───何だって嬉しいな、大好きなお兄ちゃんのくれるものなら」

 

ああ、分かってるよ。

 

僕も二人のくれるものなら、何だって大切にするさ。

 

 

「大きくなったら、お兄ちゃんのお嫁さんになるんだもん!

わたしのことも大切にしてね」

 

「ばかだなリリ、そしたらにーちゃんがアニキになっちゃうじゃんか」

 

はいはい、大きくなったらな。

 

「またごまかした!お嫁さんにアイソつかされちゃうぞ」

 

「いーのメロ、お兄ちゃんはこう見えて恥ずかしがり屋さんだから」

 

 

ああでも、僕も見てみたいな。

 

大きくなったリリとメロが、メリーヌさんから聖水屋の店主を任されてさ。

 

そしたら僕もジエラ様も、集落のみんな二人のお世話になる番だ。

 

 

「?メリーヌ、ジエラ、って…………」

 

「だれだろう。お兄ちゃんのおともだち?」

 

はは。

何言ってるんだよ、二人とも。

 

「だってよ、もともとオレたち二人の聖水屋だろ?」

 

「そうそう、昨日だって三人で誕生日パーティしたじゃない」

 

 

───だから、お前ら、

さっきから何言ってるんだよ。

 

そんなわけないだろ?

 

「にーちゃん?」

 

「なんで、そんな顔するの……こわいよ……」

 

 

お前ら二人を、女手一つで大切に育ててくれたろ。

お泊まり会も「四人で」したろ。

 

最期まで、守ってくれたはずじゃないか。

 

「そっか!さてはにーちゃんまだ寝ぼけてんだろ?」

 

「ああなんだ、びっくりさせないでよ!

集落に来た時からずーっと言ってるでしょ?」

 

 

「わたしたちに『お母さん』なんかいないんだってば」

 

 

♢ 炎の宮殿:沐浴場

「うぁあああああああッ!!!」

 

目を開けた先に待っていたのは、紅く歪んだ世界だった。

 

大小不揃いな鼓動、長短不揃いな動悸

───それだけが耳の奥深くで延々と、幾度となく繰り返される。

 

 

「はあッ、はあッ、……はぁッ」

 

割れるような頭の、張り裂けそうな心臓の痛み、それだけを頼りに確信できた。

 

少なくとも、これは現実なのだと。

 

視界を歪ませていた紅色は徐々に頬を滑ってゆき、

大粒の雫となってぱたりと滴る。

 

 

鏡張りの丸床を囲み、見渡す限り一面に、

乳白色の湯に浮かべられた蓮花の香りがふわりと立った。

 

あの夢の中で双子のくれた、花冠の匂いだった。

 

(死んでしまった人は「居なくなった」わけじゃないっ……

存在ごと無かったことになるなんて、あってたまるか)

 

 

見たくても見られない幸せな夢とは逆に、

見たくない時に限って悪夢を見るのは何故だろうか。

 

疲れや不安の現れなのか、それとも使徒の───

 

『毎晩悪夢に苦しめた末……儀式の生贄にでもしますかねェ』

 

 

湿気に耐えかねて弛む前髪を、何度も横に振りほどく。

 

(違うっ、……馬鹿か僕は!!責任転嫁もいいところだ)

 

悪夢なんてどうせ慣れない床で眠ったせいだ。

 

 

目線を下ろせば、もう一人の自分と目が合った。

 

タオルケットに遜色無く白い肌、銀髪に隠れた翡翠の瞳、

紅い涙を流すそいつは紛れもなく僕自身。

 

何でもかんでも、誰かのせいにするな

───憎悪の矛先を間違えるな。

 

夢の中とはいえ、使徒なんかよりも何よりも、

一秒でもそんな想像をしてしまった自分自身に向けるべきだろうが。

 

 

(さっきの声、……外に漏れていないといいが)

 

軽く目元の紅色を庇いつつ、ちゃぷんと足から湯につけてみると、

ふと息が安らいだ。

 

清らかで少し甘い香りを乗せた湯気が、

表面からじんわりと身体の芯を温めてゆく。

 

なるほど、アドリーが気に入るのも無理はない。

 

昼の暑さは勿論、それでいて夜は一気に冷え込む砂漠。

 

身体を温め直す設備として、

これほどこの国の生活に適したものもないだろう。

 

(……うまく、頭が回らないな)

 

 

寝惚けたみたいな思考のモヤが、どうしても抜けてくれない。

 

玉座の間であの二人と別れて間もなく眠りに落ちたのは、

単に身体の疲れが溜まっていただけだろうか。

 

 

(……出よう。のぼせ過ぎだ)

 

タオルケットを片手に一歩、一歩と、湯に浮く石板の道を渡る。

 

思えば長い夜だった───

しかし今は、ただ明日に真っ直ぐ向かってゆけばいい。

 

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