客間の椅子に腰掛けたまま、冒険の書を広げてみる。
(とりあえずは、日記のような調子でいいだろうか)
見知らぬ国の人々に、数え切れぬ未知に対する恐怖。
この先も単なる探究心では、きっと立ち向かえない真実もある。
伝え聞いた情報の整理、そんなところからで十分。
妖精からちょうどいいものを貰ったのだし。
それに文字に書き起こせば、幾らか心も休まるはずだ。
(ベラ、今更だが…………
冒険の書って、これで使い方合ってるよな?)
勿論声は返ってこなかったので、
ひとまずは図書館での板書と同じ方法で書き始めることとする。
筆を手にした、その矢先。
「!」
どたどたと忙しい足音がこちらへ駆けて来て、ばんと扉が開かれる。
「い、居たいた!ボルダくん、───何があったの?!」
「お、落ち着け!なんの事言ってるんだ?」
椅子から立つでもなく返した僕は、本当にさっぱりだったのだが、
アドリーはなぜか血相を変えてぶんぶんと髪を振る。
「隠しちゃダメ!勝手に見たのは謝るけどさっ……
タオルにしっかり付いてたんだもん、心配するに決まってるでしょっ」
部屋に駆け入り、彼女はばんと何かを見せ付けてきた。
確かに紅く煌めく液体が付着している、沐浴場のタオルケット。
「ああそれか……なるほどな」
ちょうど気分が落ちていたところだ。
少しこのまま、踊らせてみるのも悪くないかもしれない。
「さっき話してた通り、僕は人間との混血(ハーフエルフ)なんだが───
生まれつき身体が弱いもんでさ。病気にかかりやすいんだ」
「えっ…………」
「メラゾ熱、という病気なんだ、吐血で済むのならまだマシなんだが」
堪えろ。まだ笑うな。
血の気の引いた表情をひとしきり楽しんでからにしよう。
「大丈夫、明日の出発までには、ゴホッ、ゴホッ」
「駄目だよ、早く寝なきゃ死んじゃうよ!!
日記なんて明日にしてさ?できるだけ看病するからさ……っ」
切迫した声に顔を上げるも、そこに怒った顔はない。
「はは、大袈裟だな、冗談だって」
「…………なんで、いつもみんなそうやって、無理して一人で強がるの」
代わりになみなみと透明なものを溜めている、
真っ赤な二つの瞳があった。
「いや、えっ、と……」
覆水盆に返らず。
脳裏によぎったその文字が、彼女の両目から溢れかかった涙と重なる。
「アタシってそんなに頼りないかな、それとも、
キミ達に……信用されてなかっただけ……?」
「ま、待ってくれ!ほんとにただの冗談なんだ、嘘だけど嘘じゃないんだ!!」
ふるふると泣き出しそうに見つめる横で、ぴんと尖った耳が立つ。
「冗談?身体が弱いのはほんとなんじゃ……」
「それは力の話だって!認めたくはないが
───とにかくそれは血じゃなくて、僕の涙の色なんだ」
それも正直、打ち明けるつもりはなかったものの。
この様子だと「隠し事」は彼女にとって大の苦手らしく、
これ以上それを続ける気にもなれなかった。
「紅玉の涙は母様の血を引いているからだよ。
王と最初に話してたのも、人間に狙われた原因についてだ」
「本当、なの、人間達が…………?」
「王がその証人だ。心配なら明日聞いてみればいい」
僕の前で涙を拭うこの少女は、きっと人間達を愛している。
義父である王だけでなく、老若男女問わず街の人々も。
或いは、この国だけではないかもしれない。
「本当に、お前の善意を弄ぶような真似をして、悪かった」
そんな彼女にこの事実を明かすのは、酷なものかと思っていたのだ。
「…………ふ〜ん?」
にひっと明るく口角を上げる、アドリーの顔を見るまでは。
「なあんだ。ボルダくんは物知りだと思ってたけど、
女の子の気持ちは全然知らないんだね」
「どういう意味だよ、……怒ってないのか?」
「えっと、あはは、正直『血じゃなくてよかったー』くらい。
本気で言ってたわけじゃないなら、イタズラなんて怒る必要なくないかな?」
さも当然といった笑顔で首を振られてしまうが、
言葉通りに受け取ったならば、滅茶苦茶に思える理論だった。
「怒る必要がないってお前……
本気で言った事じゃなければ、相手を傷つけていいと?」
困惑気味な僕の疑問に、彼女はまたくすりと笑う。
「ちがうちがう、真面目な話なんだってば、
本当にイタズラくらいでお友達を嫌いになるわけないじゃん」
まだピンと来ない僕に呆れてか、
小首を傾げた真ん丸な瞳にばっちりと覗き込まれる。
「だって、アタシ達が嫌いなのは本当のワルモノだけ。ちがう?」
責められる準備しかしていなかった身体は、
椅子に張り付いたまま、静かに頷くしかなかった。
「何もかも怒ってたら、今日みたく疲れちゃうじゃん。
お父様がアタシのイタズラ全部に構ってたらどうなると思う?」
「…………過労死しそうだな」
「あはは!なにそれ、ちょっと怖めな言い回しだね」
柔らかい声に満ちた固い自信で紡がれる、
そんな言葉がどうしようもなく、正しく思えてしまったから。
「お友達でも、お互い傷つけることはあるけどさ?
それだけで離れ離れになるなら、その人同士の相性だもん」
「なんで毎回、お友達で例えるんだよ」
「ふふっ。───だって『お友達』はすごいんだよ」
迷いなくそう言った後、僕の机のロウソクに小さな吐息で火をつけた。
「ケンカしても仲直りができて、叱られたら反省できて。
考えすぎるキミだって最後は素直に謝れちゃうんだもん」
先程よりも明るい部屋に、先程よりも明るい笑顔。
夢見る少女の輝きが暗い世界を照らしている───
考えすぎな僕の両目に、そんな景色が見えた気がする。
「アドリーも、たまにはかっこいい事言うんだな」
ふっと零した僕の言葉に、待ち焦がれたかのごとく頬を染める彼女。
褒められるのが大好きなのだと、
一遍の曇りもなく火照った笑顔が物語っていた。
「えへへっ、バカから教わることもあるでしょ」
「…………否定はしないでおく」
いつか「バカ」すら褒め言葉として喜びそうだなんて、
浮かんだ想像の下らなさに呆れてしまう。
(お前の性格なら、人間はみんなお友達とか言うんだろうな)
彼らみんなが悪じゃないのは、言われなくてもわかってる。
性悪説も性善説も、僕は両方信じない主義だ。
「生まれたときから嫌いなものは、なかなか治せないんだよ。
本人を前に言うのもあれだが真逆の考えだな」
しかし言葉の裏側で、僕はそんな僕自身にどうしても疑問が拭えない。
「実はアタシも生まれつき、人間を嫌いになれないの
───にひひ。残念だけどキミのこともね」
こんな自信に負けない強さで、
いつまでも「人間嫌い」を貫ける気でいるのだろうかと。
「うーん。でもまだ少しだけ、元気なさそうに見えちゃうな。
お風呂上がりにしては顔色が悪い気もするし」
今度は神妙な面持ちで、彼女は右から左へと何やら観察し始める。
「ま、まだ何か気が済まないのか……?」
寝る前に日記をつけようとして、書き始めすらまだなんだが。
「!そうだ、マッサージでもしてあげよっか───
ほら。血の巡りが悪いままだと集中だって続かないでしょ?」
唐突に言い放たれた提案に、数秒遅れてハテナが浮かぶ。
「ああ……肩揉みの事だよな、得意なのか?」
「ふふっ、同い歳の子にしてあげるのは初めてだけど。
お父様の肩こりは特に酷いから、いつの間にか特技になっちゃって」
(…………ミイラって肩凝るのか?)
血の巡りなどあるのだろうか、などとは勿論言えないが。
力を抜いて、と肩に置かれた彼女の両手に促され、
ちりちりと燃えるロウソクの音と明かりに意識を委ねてみる。
(何だか……下手に宿屋に泊まらなくて、正解だったかもしれないな)
もみもみと肩に力が入る度、
絡まっていた思考まで解されていくような感覚だった。
「ぼ、ボルダくん、思ってたより手強いかも。
お父様とかノラおじ様より冷えてるし硬い気がする」
「誰がミイラだ。聞き捨てならないぞ」
「へ!?そっそうかもね、なんでミイラ……?
でも意外、姿勢が悪いと肩が凝りやすいはずだけど」
いつだったか、ジエラ様に同じことを注意された記憶がある。
「多分、長いこと図書館に篭もりがちだったからだろ。
いくら姿勢が良くたって、同じ椅子に座りっぱなしだったしな」
「キミは本が好きなんだね。お父様と気が合うのもわかるかも」
心に余裕が出来たおかげか、澄んだ頭の片隅にふと疑問が降ってきた。
「そういえば気になってたんだ、王には書斎があるんだっけ?
資料室の本が抜けていたから彼のものかと思ったが」
「え、えっ、よくそんな細かい所まで見てるね……?!
でも中まではわかんないかな、アタシも入っちゃダメって言われてるの」
「娘のお前でも、……か?」
些細な疑問ではあったものの、何か引っ掛かるものがあった。
「うん、教えてくれないのはちょっと寂しいけど。
多分アタシが読んでも、何が何だか分からないんじゃないかな」
次に浮かんだのは、エルバ=メヘトとの対話。
不朽の身で二百年間生きた彼が、
色々と僕に教えた中で唯一頑なに明かさなかったものがある。
(彼の妻、アドリーの母親……先代の巫女の存在)
可能ならば、使徒征伐の手掛かりを一つでも多く貰いたかったが。
「やっぱりキミって好奇心旺盛なのかな?
気になり出したら納得するまで、とことん調べようとするんだもん」
「なんの事やら。僕は至って真剣だぞ」
───僕達二人に任せて問題ない。
王がアドリーの同行を止めなかった辺り、そういう意味だと捉えるのが良さそうだ。
「にしても硬いなあ。ちょっとだけ強く押してあげよっか」
僕の返事を待つこともなく、ぐぐっと十本指が肩にめり込んで来た。
「!痛、くない…………
丁度いいかもしれない。その加減で頼む」
「うそでしょ、みんな痛気持ちいい位は言うのに?!
よくこの身体で今日まで倒れずに生きて来れたね」
酷い言い草だ。丁度さっき悪夢に倒れたばかりだというのに。
(───というか……なんだ、明らかにこれが原因だろ)
「ボルダくん?もし痛かったらちゃんと言ってね」
「いやむしろ、足りないぐらいだ。できるだけ強めに揉んでくれ」
不安の種も飛んで行ったところで、今度は僕から質問を振ってみる。
「この国で過ごして思ったんだが、王は酒が好きなのか?
酒場に宴にオツマミに、やたらと推してる気がするが」
「……よかったねお父様。いい理解者が出来そうだよ」
両手越しに伝わる振動で、
感慨深そうに頷く彼女の顔がありありと浮かんだ。
「お酒自体が好きなのか、宴好きなのか分かんないけど。
お父様は飲みすぎるから肩が凝るって言ってたよ」
「辞めればいいのに……」
「あはは!同感、でも酔わないし辞めれないんだってさ」
酒、言い換えればアルコールは、消毒以外に触れた事がない。
今思えばあの沐浴場にも、
ほのかに似た香りが蓮花に混じっていた気がする。
「油といい、人間は何でもかんでも飲食に使う所が解せないな。
肌からでも摂り過ぎれば毒になるって言うのにさ」
言い終えた途端にぴたりと、肩を揉む手が硬直する。
「えっ、もしかして日焼け止めも駄目だったりする……?」
「い、いやまず使った事がないから分からん……
確かあれって油とアルコールの塊みたいなものだろ」
「うう、知りたくない事知っちゃった……キミの物知りを恨むよ」
露骨に元気を無くした指で肩揉みが再開される。
気の毒とはこのことだ。
「なんで僕のせいなんだよ、聞いてきたのお前だろ───
実害があるようならキアリーで何とか解毒してやる」
「…………ボルダくん。まさか酒場で余裕そうにしてたのってそれ?」
「あーー、肩が楽になった気がするなあいたい痛いッ痛い!
本気で力入れすぎだろ!!」
ひとしきりツボを拳でぐりぐりと押され、肩を揉む手は中断された。
慣れないイタズラは暫く止めにしておこう。
「マッサージおわりっ。またぐりぐりされたい時は言ってね」
「普通に頼むよ……魔法使いは繊細なんだぞ」
構えていた拳骨をふっと下ろし、アドリーは不思議そうに首を傾げる。
肩書きに文句でもつける気だろうか。
「あれボルダくんって、回復が得意なんじゃないの」
「ギーメルに使った呪文の事か?
元々僕は回復なんて一切使えなかったよ」
祝福ごとジエラ様の魔力を受け継いでから、ようやく要領が掴めたばかり。
本職の僧侶やらには敵うまいが、
薬草学と解剖学の知識で傷の手当くらいの効果は出せる。
「ふんっ。あいつにとってはその手当すら屈辱だったみたいだけどな」
「頼むから早く仲直りしてよね、止めるの大変なんだもん……
そういえばさっきよりも元気な顔色になったねっ」
期待を込めた眼差しで、何やら圧をかけられる。
「ああ。アドリーのおかげで血行が良くなったみたいだ」
不気味な謎の間が置かれ、ふうんと頬を膨らせたまま、
彼女は静寂の戻った部屋の出口に歩き出す。
「……褒められ待ちじゃなかったのか?」
「何か言った?褒めるの下手なボルダくん───おやすみ」
最後にそれだけ言い残し、
中にいる僕を締め出すかのような音で扉が閉じられる。
何を間違えたのか分からないが、不名誉なあだ名をつけられた。
(さて。日記の続きでも書くか)
指先はさらさらと記憶を綴り、
眠い目を擦るでもなく、ただひたすらに筆を進める。
長い、長い夜の終わりに、一人の時間を手に入れた。
寄る辺無い故の孤立ではなく、心地よいひと時の孤独だった。
いつしか睡魔に誘われ、瞼の重さに意識を委ねる。
ロウソクの火は、点けたまま。
夢の続きは、もう見なかった。
♢ ♢
♢ 妖精図書館
窓に差し込む星の明かりが、わずかなホコリを透かしている。
絵本の上で羽を休め、わたしは次の朝を待つ。
(ボルダ、お土産のことちゃんと覚えてるかなあ)
柄にもなく眺めていた外の景色を、指でくるりとなぞってみた。
風に葉っぱをそよがせる精霊の森の静けさが、
ちっぽけな胸の奥を音もなく騒がせる。
形の無い風ひとつさえ、きみと巫女さまが守り続けた大事なもの。
「はあ。わたしも着いていきたかったな」
「サボりの口実ですか?ベラ様」
「うわあ?!」
すてん、と逆さまになった視界に、
ほこらしげに桃色髪をかきあげるエルフの少女が現れた。
「くすっ。今日は珍しく成功しましたね」
「うかつだった……いつもならイタズラなんて、心を読んで気づけるのに」
「勝ちは勝ちです。考え事でもされていたのですか?」
天地を再び身体ごとひっくり返し、
ロザリーちゃんのおでこに乗ってぱたぱたと羽を震わせる。
「お土産の事考えてたの。
ボルダにあげたお小遣い袋に、ちゃんと書いたはずなんだけど」
「ええ、顔に書いてありますね。確かにベラ様は寂しがり屋なところがお在りですし」
「───なっ」
「あれだけで良ろしかったのですか?
王国での買い物には、少々足りない気もしますが」
呪文書の並ぶ本棚の角、ちょんと突き出たルーラの書。
「あの子は、お金が嫌いだと思うから。さっと使い切れる位でいいの」
わたしのいささか不慣れな呪文で、
合図も待たず飛ばされたきみの気持ちが思いやられる。
「そう言うロザリーちゃんは、さ。
大好きな人と離れ離れで、寂しくなったりしないの?」
「寂しいだなんてとんでもない。
私はあの方、ピサロ様を信じておりますから」
「…………」
もう一人、お空の星に連れ去られた彼。
「ふふ、もっと聞いてくださっても良いですのに
───恋バナみたいで楽しいでしょう?」
「そういうの、わたしにはまだ早いのかもね」
しゅんと萎んだ彼女の瞳の空色は、
輝く生気を失うまいと明日だけを強く見つめている。
塔の上の王女様でも、ガラスの靴のお姫様でも、こんな悲劇は知らないだろう。
二度もこうなる運命だった、だなんて。
「庭園の水やりは済ませたし、きみもわたしも休まなきゃ。
集落みんなのお手伝いで流石に羽が疲れたもの」
「住民の皆様方にもご理解頂けたようですし、集落の復旧に尽くすべき。
さぼろうものなら巫女に代わってお仕置ですよ」
「ひ、ひどい!わたし一言も言ってないのに」
森の嵐に吹き飛ばされた、風の集落の生活基盤。
大災害に見舞われて巫女さますらも失って
───それで終わるほど、エルフのみんなは弱くなかった。
「折角ですから二人で、お洒落なサプライズもご用意しましょうか。
妖精とエルフのツリーハウスなど如何でしょう」
「う、うーん?できるだけ前と同じ、
慣れ親しんだ故郷の方が喜ぶんじゃないかな」
「ボルダ様が、そして今亡き二人の長の魂が笑顔で還れる……
そんな故郷の為に尽くせる。守護者として至上の喜びですね」
故郷を焼かれた悲しみは、誰かが帰りたいと願う気持ちがある限り。
逢いたい人に逢う喜びは、力尽きても消えはしない。
わたしは、そんなエルフや人間達の良き友であれて幸せだ。
「ていうか、家づくりって意外と大変だね。
わたしは瓶にカーテンに組み木とか、軽いものしか運べないけど」
「それを言うならリリ様、メロ様のお二人は、
幼いながら働き者ですね。ボルダ様のお帰りを特に辛抱なさっているご様子で」
「そうだね。あの二人にとってボルダはたった一人の、…………ううん」
どうか、忘れてしまわないでね。
「血が繋がってなくなって、大事な一人のお兄さんだもの」
きみの帰りを願う家族は、今も変わらず待っているから。
「誕生日の四人パーティを隅から見守るわたしまで、
そんな幸せを分けて貰えたもの」
「ふふっ。それなら一層、復旧に気合を入れさせて頂きましょうか」
「そうそう!それが言いたかったの。集落のみんなだって家族がいるし、
どうやら近いうち新しいエルフの子も生まれるらしいしね」
「ええ、喜ばしい限りです。
その命への祝福も兼ね、動ける皆様を支えなくては」
冒険の書を書き綴るのは、歴史に光を刻むため。
どうかきみに、深い霧の中を照らすおまじないがありますように。
「私どもは私どもらしく、使命を全う致しましょう。
『ロトの地に招かれざるもの』として」
♢ ♢
♢ 炎の宮殿:客間
騒々しい野鳥の羽音。
鳴き声の群れの中で、一際通る高い響きに耳が澄まされる。
(…………カラス、か)
どこかで聞いた話。
血の匂いに敏感な彼らは、誰かの死にも先んじて反応すると。
鵜呑みにするタチではないものの、
旅立つ不安が無いわけではない。
それでも、どんなに暗い夜にも、必ず等しく朝は来る。
寝そべった机から身を奮い立たせ、
開きっぱなしの冒険の書を荷物の鞄に仕舞い込む。
そんな不意を突くように、こんこんと扉が鳴る音。
「失礼しますっ。ボルダくんはお目覚めでしょうか」
そしてカラスの迷信など露も知らず目覚めたであろう、
呑気な少女の声がした。
何だ、ちょうど起こしに行こうとしたのに。
「…………寝てるよ」
「起きてるじゃんっ。あの後はぐっすり眠れた?」
「ああ、まあ。なんで扉越しに話すんだ?」
昨日の話の続きだろうか。
「てへへ、ごめんごめん。お着替え中だとまずいと思ってさ」
押して開かれた扉から、腕に揺れる薄地の袖飾りが、
てらてらと朝の光を浴びる。
そして僕の顔を見るなり、彼女はほっと息をついた。
「よかった。今日は泣いてないんだね」
「…………何かと思えば」
もしそれを見たらまずい、とでも気遣ってくれたのだろう。
「気持ちは有難いが、僕を心配する暇があるならさっさと行くぞ。
もっと大きな心配事を先に片付けるべきだ」
「む、ほんと素直じゃないねキミって」
鞄から一枚の羽根を取り出す僕に応じて、
よっと部屋に踏み入るや否や、笑顔で右手を差し出す彼女。
アドリーにとっては、こういうお人好しが通常運転らしい。
「早く早くっ、恥ずかしがらずに。
ちゃんと手繋いでないと一緒に翔べないよ?」
「あのな……まあいいや。窓から直接翔べばいいんだったな?」
きゅっと指を結んだまま、開け放した窓から風の熱気が入り込む。
念の為、下の景色を覗いてみると。
「……落ちない、よな?」
宮殿の一階、とはいえ地表の砂粒が見えないほどの高さはある。
「ふふん、怖いなら尚更離しちゃダメ、
こういうときこそ勢いが大事なんだからね!」
恐れを知らない能天気な掛け声に、不安を煽られたまま。
「お、おい待て、やっぱり普通に出口からっ」
訴えも虚しく強引に跳んだ彼女は僕の身体ごと───
「はなしを聞けぇええっ!!」
「ルーラ(舞い上がれ)───!」