霧が晴れると、そこは「ヤーナム市街」だった。
見上げれば病的な夕焼けが空を覆い、空気は湿ったカビと、乾いた血の鉄臭さで満ちている。
遠くからは、理性を失った群衆の罵声と、人ならざる獣の咆哮が木霊していた。
「素晴らしい……! 実に素晴らしいぞ狩人!」
アーカードは子供のように目を輝かせ、所々剥がれている石畳を踏みしめた。
「ロンドンのような排気ガスの臭いがない。あるのは腐臭と、死と、狂気だけだ! ここはまさに、地獄の特等席だな!」
狩人は無言で松明に火を灯す。
(……相変わらずだ。いや、以前よりも酷くなっているか)
街路には、いつもの獣の群衆だけでなく、また見覚えのない「死体」が混じっていた。
理性を失った野良吸血鬼や、共食いを始めた食屍鬼たちが、ヤーナムの獣たちと殺し合い、あるいは混ざり合っている。
「アッ、ウウゥ……!!」
路地裏から、角材を引きずった第一村人が飛び出してきた。
「グウゥァォァァッ!!」
「おや、現地の方からの歓迎か」
アーカードは避ける素振りも見せず、正面から歩み寄る。
振り下ろされる角材。
だが、次の瞬間、村人の頭部はトマトのように握り潰されていた。
グシャッ!!
「ほう……?」
アーカードは血濡れた手袋を見つめ、ニヤリと笑う。
「柔らかいな。
「これが『獣』か! 単純で、暴力的で、実にいい感触だ!」
二人は大通り、広場の中央で巨大な獣が焼かれている、キャンプファイアーの場所へとたどり着いた。
そこはまさに
獣化しかけた群衆、腹を空かせた食屍鬼、そして血に飢えた下級吸血鬼たちが入り乱れ、三つ巴の乱戦を繰り広げている。
「あそこが観光名所か?」
アーカードが指差す。
「ああ。……いつもなら獣の集会所だが、今はただの蠱毒の壺だな」
「ククク……最高じゃないか。遠慮も、隠蔽工作も、誰への言い訳も要らんわけだ」
アーカードは両手の銃、ジャッカルとカスールを構え、舌なめずりをした。
「狩人、案内ご苦労。……ここからは、
ドォォォォンッ!!
開戦の合図は、広場のど真ん中への爆撃のような発砲だった。
アーカードが躍り出る。
「さあ来い有象無象! 亡者も獣も吸血鬼も! 平等に土へと還してやる!」
狩人もまた、ノコギリ鉈を展開し、群れの中へ飛び込む。
ザシュッ、ガギィッ!
獣の首を刎ね、食屍鬼の胴を断つ。
その横で、アーカードは笑いながらダンスを踊るように銃弾をばら撒き、近づく者を徒手空拳で引き裂いていく。
「フハハハハ! どうした、もっと来い! その程度の爪や牙で、俺を殺せると思ったかァ!?」
アーカードの影が槍のように伸び、吸血鬼たちを串刺しにする。
狩人は淡々と、しかし的確に、アーカードの撃ち漏らした敵を処理していく。
数分後。
広場には、動くものは何一つなくなっていた。
パチパチと燃えるキャンプファイアーの音だけが、静寂を取り戻したヤーナムに響く。
「ふぅ……。良い運動だった」
アーカードは満足げに、足元の獣の死体を踏みつけた。
そして、ふと思いついたように狩人を見る。
「おい狩人。貴様の使っているその武器……『仕掛け武器』と言ったか」
「……ああ」
「俺にも使わせろ。銃だけで殺すのも味気なくなってきた」
狩人は少し考えた後、自身の「夢」の
無骨な「獣狩りの斧」
巨大な鉄塊「教会の石槌」
優雅だが扱いづらい「仕込み杖」
etc…
アーカードはそれらを順に手に取り、眺める。
「斧……野蛮すぎるな。槌……鈍重だ。杖……悪くはないが、俺の趣味ではない」
そして、最後の一つを手に取った瞬間、アーカードの目が輝いた。
それは、細身の美しい剣。
銀色の刀身に、複雑な装飾が施された護拳がついている。
「レイテルパラッシュ」
カインハーストの騎士たちが愛用した、剣と銃が一体となった武器。
「……美しい」
アーカードは切っ先を夜空に向け、構えてみせた。
「レイピアか。……いや、違うな」
カチリ、と変形機構を作動させる。銃鉄の香りが漂う。
「銃身が組み込まれているのか。突き刺すと同時に、変形することで銃弾を叩き込むための機構……」
アーカードは恍惚とした表情で、空を一度突いた。
ヒュンッ!
鋭い風切り音。
「ハハハ! なんて素敵な発想だ! 優雅で、卑怯で、殺意に満ちている!」
「気に入ったぞ狩人! 俺の普段使いは
狩人は小さく頷いた。
(……吸血鬼の様な貴族が作った武器だ。吸血鬼が気に入るのも道理か)
「さて、新しい玩具も手に入れた。メインディッシュといこう」
二人はさらに奥へ進み、前よりもボロボロな長い石造りの大橋へとたどり着いた。
冷たい風が吹き抜ける。
その橋の奥から、ビリビリと肌を刺すようなプレッシャーが漂ってくる。
「……居るな」
アーカードがニヤリと笑う。
「そこらの雑魚とは格が違う。……ああ、この聖なる腐臭。どこぞの神父を思い出す」
狩人は無言でノコギリ鉈を構えた。
予感は的中した。
橋の欄干の向こうから、悲鳴のような咆哮と共に、巨大な毛むくじゃらの怪物が飛び降りてきた。
『グオオオオオオオオオッ!!』
「聖職者の獣」
片腕が異様に肥大化し、歪んだ角を生やした、かつての聖職者のなれの果て。
「クク……ハハハ! 傑作だ!」
アーカードはレイテルパラッシュを右手に、ジャッカルを左手に構える。
「神に仕える者が、最も醜い獣に堕ちるとは! これこそヤーナムのジョークか!」
戦闘開始。
獣が巨大な左腕を振り上げ、叩きつけてくる。
狩人は前へのステップでその懐に潜り込み、鉈を振るう。
アーカードは後ろへ跳躍し、空中で銃弾を放つ。
「遅いぞ、図体ばかりのウドの大木が!」
アーカードの挑発に獣が激昂し、薙ぎ払いを繰り出す。
だが、二人の怪物はその攻撃を踊るように回避する。
「ここだッ!」
アーカードが出来心で獣の頭部を正確に狙い撃った。
ズドンッ!!
13mm炸裂弾が顔面に直撃。
『ギャッ、アアア……!?』
獣が悲鳴を上げ、たたらを踏む。体勢が崩れ、膝をついてダウンした。
「……今だ」
狩人が滑り込む。獣の顔面へ手を突き出し、内臓攻撃を叩き込む。
グチュッ!!
内臓を引き抜き、大量の返り血が舞う。
だが、獣はまだ息がある。
「狩人! 俺に譲れ!」
アーカードが疾走する。
手には、銀色に輝くレイテルパラッシュ。
アーカードは獣の胸板へ、レイピアを深々と突き刺した。
そして、ガチャンッと変形し、トリガーを引く。
ドォォンッ!!
体内で炸裂するアーカード製の水銀弾。
獣は断末魔を上げることもできず、ビクンと痙攣し、やがて光の粒子となって消滅していった。
「…………ふゥー」
アーカードはレイテルパラッシュについた血を振るい落とし、変形を解除して納めた。
「素晴らしい……。実に手に馴染む」
狩人は静かに、大橋にある「灯り」に火を点けた。
帰還の合図だ。
────────────────
白い花畑の上。
「おかえりなさいませ」
人形が静かに微笑んで出迎える。
アーカードは手に入れたレイテルパラッシュを光源にかざし、その刃紋をうっとりと眺めていたが、やがて満足げに懐へ収めると、ゆっくりと狩人の方へ向き直った。
「……いい夜だった」
アーカードの声は低く、粘り気のある愉悦に満ちていた。
「腐った血、終わらぬ悪夢、救いのない獣たち……。クク…まるで俺の
狩人は無言で帽子を目深にかぶり直す。
関わりたくない、という意志表示だ。
だが、アーカードはそれを許さない。
ヌゥッ……と影が伸び、狩人の背後へ回り込む。
冷たい革手袋の手が、狩人の肩を鷲掴みにした。馴れ合いの抱擁ではない。逃がさないという、捕食者の拘束だ。
「……そう邪険にするな」
アーカードが耳元で囁く。
「認めろ、狩人。貴様も楽しかったはずだ。あの絶望的な掃き溜めこそが、我らのような化け物が呼吸できる
狩人は肩を振りほどこうとするが、万力のような力で動かない。
アーカードは狩人の首筋に顔を寄せ、深々とその匂いを嗅いだ。
「……そうだ。その匂いだ」
「血と、鉄と、獣の臭い。……貴様とは、長い付き合いになりそうだ」
アーカードは狩人を突き放すと、高らかに笑い声を上げながら、夢の霧の中へと溶けていく。
「また誘え。退屈なロンドンの夜に飽きたら、いつでも殺しに付き合ってやる」
その姿が消え失せても、アーカードが残した濃厚な殺気と、不気味な連帯感は消えなかった。
狩人は深いため息をつき、どっと疲れが出たようにその場に座り込んだ。
「……ふふ」
その様子を見ていた人形が、少しだけ困ったように、けれど愛おしそうに首を傾げる。
「お疲れ様でした、狩人様」
人形は狩人の隣に跪き、そっとその頭を撫でた。
「……少し、賑やかになりましたね」
狩人は答えず、人形の冷たい手に身体を預けた。人形はそんな狩人を優しく抱きとめて支える。これでやっと狩人が人形に甘えることができた。
不本意ながら、あの最強の吸血鬼との間に、言葉不要の「血の盟約」めいたものが刻まれてしまったことを、狩人は予感していた。
悪夢の夜は、まだ明けないのだった。