今更ですがコマンドー40周年おめでとうございます。
ロンドン、ヘルシング機関本部。
午後の日差しが差し込む窓辺の一室。そこには、見るも無惨な光景が広がっていた。
床一面に散乱した、空っぽの医療用輸血液パック。
その中心にある椅子に深くもたれかかり、泥のように、あるいは死体のように眠りこけている吸血鬼、アーカードの姿があった。
カッ、カッ、カッ……。
廊下から規則正しい足音が近づき、部屋に入ってくる。
「こんな所にいたんですかマスター、探しましたよー。インテグラ様がお呼びなんですよー?」
セラス・ヴィクトリアが声をかけるが、主であるアーカードはピクリとも動かない。サングラス越しの目は閉じられ、呼吸すら止まっているように見える。
「……マスター? ……うわ、完全に寝てる……」
セラスはジトっとした目で主を見下ろした。
(うわー……起こせないー……こわー……!)
「そのようですな。……それにしても、この有様は」
遅れて入ってきたウォルターが、床に転がる空のパックを拾い上げる。
部屋の隅、影に溶け込むように佇んでいた狩人が、腕を組んだまま呟いた。
「……潤沢に喰らい……泥のように眠り……まるで『獣』のようだ」
「獣、ですか」
ウォルターが苦笑する。
「ええ。きっと彼の中の『獣性』が、何かを感じ取ったのでしょうな。近づく嵐の気配か、血の臭いか……」
「におい……?」
セラスがキョトンと首を傾げると、眠っているはずのアーカードが、不意に口元をニィッと歪めた。
「あ! 今笑った! 笑いましたよマスター! 」
「その様ですな」
セラスは、眠る子供を見るような、少し呆れたような眼差しでアーカードを見つめる。
「……まるで明日何して遊ぼうか考えて眠る、遠足前の子供みたいですね……」
「夢……でも見ているのかもしれぬな」
狩人は、南米からの帰路、ジェット機内で見たアーカードの血の涙を思い出していた。
彼もまた、何か巨大な因果に縛られている。この眠りは、その因果が彼に見せている幻影なのかもしれない。
極彩色の背景。狂ったパースペクティブ。
そこには、奇妙な精霊たちが飛び交っていた。
『あたしっ! 貴方の新しい相棒、レイパラの妖精よぉ〜!』
背中に羽根を生やした精霊が、甲高い声で叫びながら飛び回る。
『ねえねえ新しいご主人様ぁ〜! フゥん、前の持ち主ほどじゃないけど……悪くないツラ構えね! いいわ! 合格よ! さあ! 私に血晶石を貢ぎなさい!!』
『いい加減暖かくない濡血晶をよこしなさいよぉぉ!!』
『オマエ誰だウィリスっ!? ジャッカルの精である私より出しゃばるんでないでウィリス!!』
もう1匹の精霊が対抗して割り込んでくる。
『なによ!? アンタこそ誰よこのハゲ!! 引っ込んでなさいよ!』
『ハゲとはなんだウィリス!! だいたいこのウィリス空間に勝手に入ってくんなウィリス!』
『うっさいわね!! ハゲ親父には興味ないのよ!! それよりご主人様、私と一緒に地底に潜って永遠にマラソンをしましょう? 私を最強にするのよッ!デブ共を殺して物理結晶をはめ込むのよ!!』
『ふざけんなウィリス! コイツはここから出さないでウィリス!!』
『なんですってェ!? やんのかコラァ!!』
混沌とする脳内空間。
そこへ、どこからともなく飛来したロケットランチャーの弾頭が着弾する。
ヅバーン!!
『あーれー』『ウィリスゥゥゥゥ』
精霊たちは爆散し、星になって消えていく。
『くたばったか?いい腕だ、みんな急所だ』
『ありがとう』
『どういたしまして』
『やはりソ連製の銃の方が…アッ!あんな所にベネット!? 殺されたんじゃ…!』
『残念だったな、トリックだよ』
『野郎オブクラッシャー!!!』
『いたぞぉ、いたぞおおおぉぉぉ!!うああああああ!!いたぞおおおおおおおお!!!出て来いクソッタレエェェェ!!』
『クック!?』
『へへっ元グリーンベレーの俺に勝てるもんか…!』
『みんな下がれ! 早く! 司令官が爆発する!』
『ほわああああああああ!!!!』
『アホだなお前ら』
アーカードは肺の中の空気を全て吐き出すような勢いで、ガバッと上半身を起こした。
「うわっ!? びっくりしたぁ!」
セラスが飛び退く。
「お目覚めですな」
アーカードは荒い息を吐きながら、ギョロリと周囲を見渡した。その瞳孔は極限まで開いている。
まるで、理解不能な上位者の悪夢を直視した直後のように。
「……悪夢か?」
狩人が静かに問う。
アーカードは自身の愛銃ジャッカルと、懐にあるレイテルパラッシュを忌々しげに睨みつけると、フン、と鼻を鳴らした。
「……いや、なんでもない」
「ただの……くだらん夢だ」
場所は変わり、ロンドン地下深部。英国安全保障指導部、本営。
巨大なモニターと無数のオペレーターがひしめくその部屋は、張り詰めた緊張感に支配されていた。
「偵察に出た航空隊からの連絡はまだか!? 衛星情報の解析写真を!」
「情報局からは何の情報も未だ報告ありません!」
「おい、
怒号が飛び交う中、重厚な扉が軋んだ音を立てて開かれる。
入室したのは、インテグラル・ヘルシングと、従者のウォルター。
「
部屋の空気が変わる。
海軍中将ペンウッド卿が、苦虫を噛み潰したような顔で見据える。
「来たか、インテグラ卿」
周囲の将校たちからは、隠しきれない不満と侮蔑の声が漏れ出る。
「連中の手を借りるつもりか?」
「管轄外の者たちが出る幕ではない」
「オカルト屋ごときが……」
そんな視線を意にも介さず、インテグラは悠然と中央の椅子に腰掛け、細い葉巻を咥えた。
ウォルターが恭しく火を点ける。
「……我々の同席がお気に召さないようだな。帰っても宜しいが、本当によろしいのか?」
「何だと!? 貴様ッ!」
「待ちたまえ!」
ペンウッド卿が慌てて部下を制し、インテグラに向き直る。
「頼む……同席してくれたまえヘルシング卿。事は、我々の常識を超えている」
ペンウッド卿は、モニターに一枚の衛星写真を映し出した。
大西洋上に浮かぶ空母。その甲板には、赤黒い液体で描かれた巨大な紋章があった。
ナチスの鉤十字と、それを歪めたような不吉な記号、カレル文字『
「ミレニアム……最後の大隊……この紋様は……」
インテグラが目を細める。
「馬鹿馬鹿しいッ!」
将校の一人が机を叩く。
「吸血鬼? ナチの残党? 冗談も大概にしろ!! 将軍!! あなたもあなただ、正気とは思えない!! 貴様らとオカルトごっこをしているヒマはない!!」
「吸血鬼? はッ、これは艦内反乱か暴動だ。貴様らがどれほど女王陛下に信頼されているか知らんが、貴様らの特権とやらが何もかもに通じると思ったら大間違いだ」
「ひっこんでもらおうか!」
罵声を浴びせられながらも、インテグラは表情一つ変えず、紫煙を吐き出した。
「……ならばよろしい。お手並みを見せて頂きたい」
「……ッ!!」
「……状況を伝えてやれ」ペンウッド卿が力なく命じる。
「はッ」
オペレーターが震える声で報告を始める。
「事件発生後、数度に渡って回線を開こうといたしましたが、全く何の応答もありません」
「数度の偵察機を出しましたが、反応なし。まるで無人船……いや……幽霊船です」
「いや、最新の情報では……甲板に一人だけ人影が……日傘をさした女が……」
「!」
インテグラの目が鋭く光る。
「現在、調査制圧のために
「もう間もなく到着のはずです」
インテグラは、天井を仰ぎ、静かに宣告した。
「兵が哀れだ」
「何だとぉ!!」将校が色めき立つ。
「将軍、これだけはいえます」
インテグラは冷酷な事実を突きつけた。
「全滅です」
「貴方がたは、ただ30名の肉塊を生産したに過ぎない」
その時、通信機からノイズ混じりの絶叫が響いた。
『ヘリが……撃墜されました!!』
「な、何だと!? 空母の搭載兵器か!?」
『いえ……いえッ! 違います! 甲板上の人間の発砲した……マスケット銃のただの一発で……だと!?』
モニターの映像に、信じがたい光景が映し出される。
甲板の女が長銃を構える。放たれた弾丸は、赤黒い軌跡を描き、生き物のように空中で直角に曲がった。
それはヘリのコックピットを貫通し、パイロットの眉間に着弾。
バシュッ!!
着弾の瞬間、パイロットの頭部が内部から破裂し、血液の棘となって四散する。
血質による超長距離狙撃。
『生存者は……SASの生存者はッ……こんな馬鹿な事は……ありえんッ!』
『偵察機の報告では……海面での炎上がひどくこれ以上は……』
「空挺司令部へ連絡を取れッ! 第2派隊の長を呼び出せッ!」
「こんな馬鹿な事があるか…! 誤認ではないのかッ 確認を…」
狼狽する軍部。
インテグラは席を立ち、冷たく言い放った。
「茶番だ」
「な…ッ 何だと!?」
「茶番だと申し上げただけだが」
インテグラは扉へと歩き出す。
「どっ… どこに行く気だ インテグラ卿!」
「つき合いきれませんな。こんな茶番をしている間にも、何物にもかえられぬ時間は出血し続けている」
「我々はこの一連の事象を吸血鬼の行動と認識し、我々は独自の行動を取らせて頂く」
「な…何だと!? 馬鹿も休み休みいえ!!」
「ペンウッド卿、お伝えしましたぞ」
「将ッ、将軍!!」
ペンウッド卿は深く息を吐き、頷いた。
「……わかった。わかったともインテグラ」
「諸君ら
「
インテグラは一礼し、踵を返した。
廊下を早足で歩きながら、インテグラとウォルターが作戦を練る。
「あからさまなデコイ《囮》です」
「ああ。だが時間が経てば奴らの思うつぼだ。ロンドンへの足掛かりにされる」
「ならば、あの魔弾をかいくぐるためにはどうするべきか?」
インテグラが問う。
「大型艦船?」
「NON。的にされるだけです」
「小型快速艇?」
「NON。近づく前に海の藻屑です」
「航空機直下からの降下?」
「NON。空中で撃ち抜かれます」
「デコイ・チャフを大量に使用して航空機の使用?」
「NON。あの弾丸は熱源など追尾していません。殺意を追尾しているのです」
「結論は」
影の中から、アーカードがヌゥッと現れ、ニヤリと笑う。
「ミサイルも弾雨も魔弾も物ともせず、海上にこの私を立たせることが出来る、そんな
「正しく無理難題だな」
インテグラが眉をひそめると、ウォルターが静かに遮った。
「いえ、あります」
「この世で恐らく、一機種のみ。その無謀をかなえる機体が」
ウォルターが提示したのは、かつて米軍が開発した超音速偵察機。
SR-71 ブラックバード。
マッハ3で成層圏を飛び、あらゆる迎撃を速度だけで振り切る、空飛ぶ鉄塊。
「ほう! いいな、気に入った!」
アーカードが歓喜する中、狩人が静かに進み出た。
「……私も行こう」
狩人の瞳には、決意が宿っていた。
「奴らに組み込まれた因子、此度は血質の攻撃…カインハーストの穢れを埋め込まれたか…少し見ておきたい」
しかし、アーカードがそれを手で制した。
「よせ、狩人。今回の機体は改造しても一人乗りだ」
アーカードは狩人の肩をポンと叩く。
「それに……空を飛ぶのは私だけでいい。お前は留守番だ」
「……何故だ。二人なら確実だ」
「本番は
アーカードの声色が、ふと真面目なものに変わる。
「私の勘だ。……奴らの狙いは、ただの海戦ではない。もっとドデカイ『悪夢』をここに降ろそうとしている」
「奴らは、お前の
アーカードはインテグラに向き直った。
「インテグラ。狩人とセラス、そしてウォルターをここに残す。……私の帰る場所を守っておいてくれ」
インテグラは、アーカードの真意を悟り、頷いた。
「わかった。……行け、アーカード」
狩人は小さく溜息をつき、一歩下がった。
アーカードの言う通りだ。ロンドンの空気が、徐々に歪み始めているのを彼も感じていた。
「……承知した。留守は預かる」
アーカードは愉しげに嗤い、影の中へと消えていく。
「ああ。思う存分、狂うといいさ…フフ…」
アーカードは単騎、空へと向かう。
残された狩人は、窓の外、迫りくるロンドンの夜を眺めた。
本当の地獄は、すぐそこまで来ている。
to be continued…