ロンドンの夜。華やかなネオンの下、酔客たちの喧騒が街角に響いている。
「ふざけんんじゃないわよッ、あんたッ」
「うるっせェッ。だいたいなァ」
平和ボケした日常。だが、それは唐突に終わりを告げる。
「おいッ、ジャンセン!! なんとかいってやれよ」
ジャンセンと呼ばれた男は応えなかった。彼はただ、呆然と夜空を見上げていた。
「……ッ!! 月がッ」
彼が見たのは、月を喰らう巨大な影。
空を覆い尽くさんばかりのツェッペリン型飛行船団。
その垂直尾翼には、鉤十字と共に、血で描かれた不吉なカレル文字『戦争』が刻まれている。
異様極まる光景に、地上の人々は逃げることすら忘れ、ただ口を開けて見上げるしかなかった。
巨大飛行船のブリッジ。
整然と並んだ黒衣の兵士たちの前を、少佐が歩む。
「少佐!!」「少佐殿!!」「代行!!」
熱狂的な唱和。少佐は満足げに壇上へとたどり着いた。
「大隊総員!!
静寂が戻る。少佐は目を細め、慈しむような声で語り始めた。
「諸君。夜が来た」
「無敵の敗残兵諸君。最古参の新兵諸君」
少佐は両腕を広げ、歓喜に身を震わせながら叫ぶ。
「万願成就の夜が来た」
「ようこそ!!
「ハラー! ハラー!」
狂気と歓喜が混じり合う雄叫び。
そんな中、ドクが仰々しく一冊の冊子を掲げた。
表紙にはナチスの腕章をつけた愛くるしいアザラシ。タイトルは『Seelöwe 2』。
「それでは皆様、お手元の『しおり』を」
「『対英上陸戦 第2次あしか作戦』のしおり。3ページ目、『ロンドン大爆発!! ぶっちぎりバトル ヴァンパイアーズ』の項をごらんくださーい」
ガサゴソ……。
兵士たちが一斉にしおりを捲る。修学旅行のような間の抜けた空気。
しかし、その中で一人、冷や汗を流して動揺する者がいた。
シュレディンガー准尉である。
「あれ……あれれ。おろろ、ろろ」
ポケットをまさぐる手つきが焦っている。
「アラアラ、どうしたのですか准尉君」ドクが問う。
「先生……ゴメンなさい。しおり、なくしちゃいました……」
ドクの顔から表情が消える。
「あ」
「コラ!! まったくもう、しかたないですね」
呆れるドクの背後から、大尉が無言で歩み寄り、自分のしおりをスッと差し出した。
二人は一冊のしおりを並んで覗き込む。
「わー……」
少佐が本題へと切り出す。
「目標はヘルシング。そして、アーカードの打倒だ」
少佐が作戦の全貌を語る。
「ゾーリン!! ゾーリン・ブリッツ中尉!!」
右半身に魔術的な刺青を刻んだ女、ゾーリンが進み出る。
少佐は彼女に、先遣隊としてヘルシング本部へ急行するよう命じた。
「強攻は避けたまえ。私と本隊の到着を待つべきだ」
ゾーリンは鼻で笑った。
「ははは。お手をおわずらわせる事もありませんわ。アーカードのいないヘルシングなど、赤子同然」
「それに、狩人と言えど我々の"数"には無謀でしょう?」
少佐は冷ややかに首を横に振った。
「甘く見るな」
少佐の鋭い眼光が彼女を射抜く。
「狩人はもちろんのこと、あの娘達も甘く見るな」
「インテグラ・ヘルシングと、セラス・ヴィクトリアを甘く見るな!!」
少佐は語る。
「インテグラは、あのアーカードが認め、その『
「そしてセラス・ヴィクトリア。彼女は……ははは。奇跡の様な存在だ。冗談の様といってもいいがな」
「2人共恐ろしく未熟で不完全で、だがそれ故に私は彼女らを『宿敵』に値する存在だ。と結論している」
そして、少佐の声が一段低くなる。
「そしてキミらは、あの異界の狩人を甘く見ている」
「何度も見てきただろう? 彼奴はまだアーカード同様、『
「彼の背後には、深淵が口を開けている。発狂死は免れたまえよ? 底知れなさならば、アーカードに十分匹敵する存在だ」
ゾーリンは表情を引き締めた。
「…
「よろしい! よろしい! ならば…」
少佐はどっと椅子に腰掛ける。
「堰を切れ!! 戦争(悪夢)の濁流の堰を切れ!! 諸君!!」
「第一目標はロンドン全域!!」
ピカデリー、ソーホー、シティ、サザーク……。
テムズ西岸の議事堂、ビッグベン、首相官邸。
バッキンガム宮殿、トラファルガー広場、ロンドン塔、大英博物館……。
「目についた物は片端から壊し、目についた者は片端から喰らえ。存分に食い、存分に飲め」
少佐の脳裏には、ロンドンの地図に刻まれるべき「カレル文字」のラインが浮かんでいた。
破壊と虐殺によって描かれる、上位者召喚の儀式陣。
「この人口800万の帝都は、今宵、諸君らの晩飯と成り果てるのだ」
「殺し、殺され、死んだり死なせたりしよう!」
夜の帳が下りたロンドンの空に、巨大な飛行船団が姿を現す。
「映画か何かか?」「ナチだぜ、おい!」
何も知らない市民たちが驚きの声を上げる中、少佐は静かに、しかし力強くグラスを掲げた。
「さあ、
「
ズガガガガガガガッ!!
飛行船のハッチが一斉に開かれ、轟音とともに無数のV1改ミサイルが撃ち出された。
「キィィィィィィン」と空を切り裂く死の咆哮。
ドォォォォン!! ズドドドォォォン!!
ロンドンの街並みは一瞬にして火の海へと変わっていく
ビッグベンが崩れ落ち、歴史ある建物が爆風で粉砕される。
平穏な夜を楽しんでいた市民たちの悲鳴は、絶え間ない爆発音にかき消されていく。
「大打撃!! 大打撃!!!」
「V1改!! 全弾発射!!! 続いてV2改!! 第2巡発射及び…!!」
弾道弾が次々と発射され、帝都を灰燼に帰していく。
その炎の赤と、夜空の闇が混ざり合い、空の色が徐々に「悪夢の紫色」へと変質し始めていた。
地獄絵図と化した街を眺めながら、少佐の口元は、醜悪なまでに歪んだ歓喜の笑みを浮かべていた。
ゴォォォォォォォォォ……
ロンドンの夜空を圧する重低音。
巨大な飛行船のハッチが開き、暗闇の中に無数の兵士たちのシルエットが浮かび上がる。
彼らの瞳は、人間のものではない。獣の如く赤く、あるいは黄色く濁り、眼下の
一人の将校が、興奮と脂汗で顔を歪ませながら呟く。
「きれいだ……!!
無情な号令が下される。
「着上陸戦開始。降下兵団出撃せよ」
「いくぞ前線豚ども。フライト時間だ」
「5(Fünf!)4(Vier!) 3(drei!) 2(zwei!) 1(eins!)」
カウントダウンが冷徹に刻まれる。
「
「0(Null!)」
衝撃音と共に、武装した吸血鬼──否、吸血鬼でありながら、「
月明かりを背に、マントを翻して空を滑走する兵士たち。
背負ったロケット噴射がボボボボと火を吹き、彼らは重力に逆らうように、獲物の首筋へ噛み付く獣の速度で、ロンドンのビル街へとなだれ込んでいく。
ドォォッ!!
巨大な質量が空を裂き、静寂だった帝都は一気に戦場へと変貌した。
オォォォッ!!
凄まじい着地音。アスファルトが砕け、衝撃波がガラスを割る。
ロンドンの路上に降り立ったのは、ナチスの軍服を着た獣たち。
無線から、血に酔った高揚した報告が飛び込む。
『第二小隊長ラインボード・フォルトナー曹長落着。英国着上陸第一号者です。戦闘開始!!』
『英国上陸成功!! 先陣を切りました! 市民を、獲物を寄越せ!!』
それを受けた指揮官は、冷酷な賞賛を送る。
「よくやった騎士十字章ものだ。あとで処女の血をおごってやると伝えろ」
「存分に喰らえ。今宵は『狩り』の夜だ!」
視点は変わり、地下深くの安全保障指導部本営。
そこは、情報の奔流と絶望に溺れかけていた。
「市街全土が攻撃を受けています!」
「シティ・サザークで大規模火災発生中!! 飛行船団からのロケット攻撃です!!」
「ロンドン市街150ヶ所以上で爆発炎上!!」
「空軍は…空軍は何をしているんだ!」
「空軍総局、各基地施設、通信途絶!!」
「首相・首脳部、軍部上層とも連絡取れません!」
「回線網、通信網、命令系統はズタズタです!」
「英国の主要な軍施設・通信中枢 指揮中枢約150ヶ所が、通信途絶 もしくは正体不明の敵勢力と交戦中です!」
「!!」
ペンウッド卿が動揺し、椅子にしがみつく。
インテグラが乾いた声で吐き捨てる。
「先程我々を襲った連中と同じですな。『永遠の命』『吸血鬼』『獣』等という甘い果実に誘われた五月蝿がそれだけ多かったという事」
「売国奴が……ここも奴らの攻撃目標になっているはず。早く脱出すべきです、ペンウッド卿」
しかし、ペンウッド卿は首を横に振った。
「君は……君は君の機関へ一刻も早く帰りたまえ」
「君には君にしかできない
「そ、それだけはできない」
「市街上空の飛行船団から兵士達が降下中! これはッ、こんな……バカな……ド… ドイツ兵です!」
「
「な… 何だと!?」
インテグラは強く促す。
「脱出するんです! ペンウッド卿!! 脱出を!!」
「刻々と一刻とせず、吸血鬼の群れがここに押し寄せています。この有様では……ここの指揮能力はほとんどありません。死ぬ気ですか?」
しかし、ペンウッド卿の瞳には、弱々しくとも消えない光があった。
「もしかしたら…もしかしたら通信が回復して命令が伝達するかもしれない…どこかの基地が敵を撃退して我々の指示を待っているかもしれない」
「わ、私はここの指揮者だ……ここが生きている限り、離れる訳にはいかないだろう」
彼は震える手を見つめ、独白する。
「インテグラ。私は駄目な男だ。無能だ。臆病者だ。自分でも何故こんな地位にいるかわからん程駄目な男だ」
「生まれついての家柄と地位だけで生きてきたも同然だ。自分で何もつかもうとしてこなかった」
「いつも人から与えられた地位と
彼は顔を上げ、インテグラを見据えた。
「だから、せめて
「この
「行きなさい。行ってくれ、インテグラ。君には……
インテグラは数秒の沈黙の後、懐から拳銃を取り出し、机上に置いた。
ゴトリ、と重い音が響く。
「法儀済の粒化銀弾丸が入っています。ただの鉄よりは連中に効果的でしょう」
「御然らばです。御武運を、ペンウッド卿」
「ああ。そして君もな、ヘルシング卿」
インテグラが去ろうとする背中で、ペンウッド卿が部下たちに声をかける。
「さあ君らも早く脱出しろ。逃げるんだ」
「ここは必要最小限な人員だけでいい…というか、もう、その、なんていうか…あれだ。ぶっちゃけ私だけでいいんじゃないかな?」
「みんな脱出しなさいよ。早く」
ペンウッド卿は必死に部下達にも脱出を促す。
すると、張り詰めた空気の中、将校たちが顔を見合わせ──吹き出した。
「ぷ、ぷはッ。はははは」
「なッ何だッ、何だッ、何がおかしい! 笑ってるヒマなんかないぞッ! 早く逃げるんだッ!! 命令だぞッ!」
部下の一人が、涙を拭いながらコンソールに向き直る。
「再度国防総局へ通信を試みます。生きている回線の捜索を再開します」
「!? 何をやっとるんだッ! 早くッ、早く脱出しろッ」
ペンウッド卿は狼狽するが、部下たちは聞く耳を持たず、淡々と、しかし熱を帯びた声で業務を続行する。
「被害状況を再整理しろ! 隊伍を組織して直接連絡を取りに行け!!
「生き残った兵と弾薬と武器を集めろ!!」
「守備隊を組織ッ! 走れ!!」
「はッ、な… 何をッ」
「出入口にバリケード構築! 急げ!!」
ペンウッド卿は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「何をしておるバカモンッ! こんなコトにつき合う必要はないッ!!」
部下の将校が、ニカリと笑って答えた。
「何言ってるんです提督。あなたじゃコンソール一つ動かせないでしょ」
「いつも通り座っててください。仕事の邪魔ですから」
「…………」
ペンウッド卿は絶句し、そして目頭を押さえた。
「すまん……皆、すまんな」
インテグラは本営を後にする。
彼女の表情は、指揮官の覚悟を見届けた者としての、満ち足りた、そして決意に満ちたものだった。
「帰るぞ
「はッ」
「市内を突っ切る。できるな」
「おおせのままに」
インテグラは車に乗り込む直前、影に控えていた狩人を振り返った。
「私は私の
「狩人」
インテグラの瞳が、狩人を射抜く。
「お前は、ロンドンに蔓延る
「敵は必ず来る。奴らは、お前の故郷の悪夢を再現しようとしている」
狩人は三角羽根帽子のつばに手を添え、静かに頷いた。
「……
狩人の姿が消えていく。夜の中へ、炎の中へと。
獣狩りの夜が始まる。
──ロンドン市街
「はははははははははははは!!」
「はははははははははははは!!!」
兵士たちが、一斉に、並んで、陣形を組んで。
壊していく。殺していく。狩っていく。火をつけていく。
人間としての理性を捨て、獣としての本能のままに。
英国の夜。
上空から見下ろしたその景色は、燃え盛る炎に溺れ、歪な文字を描いていた。
一本の
破壊と殺戮によって描かれた、彼方への呼びかけのひとつ。
カレル文字『
その形が、ロンドンの大地に赤々と焼き付けられていた。
to be continued…
ストックが尽きました。これからは不定期投稿になっていきます。