チェダー村の惨状は、ただ事ではなかった。
ウォルターが二人の怪物を引き剥がした直後、現場には異様な静寂が満ちていた。
空を見上げれば、雲の切れ間から覗く月が、不吉な赤黒い色に変色している。それは吸血鬼がもたらす幻術の夜とも、自然現象とも違う。もっと根源的な、世界そのものが病に侵されたような色だった。
焼け焦げたバリケードを部下と共に通り抜け、何かをやらかしてくれた従僕を迎えに行く。
ヘルシング機関当主、インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング。
彼女は葉巻の煙を吐き出しながら、眉間に深い皺を刻んでいた。
「……報告では吸血鬼が一体、ということだったが。これはどういうことだ、ウォルター」
インテグラの視線の先には、上機嫌で瓦礫に腰掛けるアーカードと、その少し離れた場所で沈黙を守る、古めかしい装束の狩人がいた。
現場の空気は、硝煙と血、そして嗅いだことのない「古い油と獣の臭い」が混じり合っている。
「申し訳ありません、お嬢様。少々、規格外の『横槍』が入りまして」
ウォルターが恭しく頭を下げる。
「ですが、事態は収束しました。……彼もまた、人ならざるモノを狩る側のようです」
インテグラは鋭い眼光で狩人を品定めする。
(……なんだ、この男は。ただ立っているだけで、周囲の空間が歪んで見える。アーカードと対等に渡り合ったというのか? この、博物館から抜け出してきたような男が)
「……貴様が、この騒ぎのもう一人の主犯か」
インテグラが問いかけると、狩人はゆっくりと顔を向けた。
帽子のつばの下、その瞳には感情の色がない。ただ、職務に忠実な処刑人のような冷徹さがあるだけだ。
「騒ぎを起こすつもりはなかった」
狩人の声は低く、淡々としていた。
「だが、獣がいれば狩る。……それだけだ」
その言葉には、言い訳も誇張もない。ただの事実としての重みがあった。
インテグラはふ、と口元を緩めた。
「いいだろう。ここは往来だ。詳しい話は屋敷で聞かせてもらおうか。……乗りたまえ、正体不明の訪問者殿」
セラス・ヴィクトリアは、へたり込んだままその光景を呆然と眺めていた。
(な、なんなのこの人たち……。私、これからどうなっちゃうの……!?)
ヘルシング機関本部、当主執務室。
重厚な机を挟んで、インテグラと狩人は対峙していた。
部屋の隅には、影に溶け込むようにアーカードが佇み、ウォルターが紅茶を淹れている。
「……なるほど。貴様は『ヤーナム』という場所から、ある種の『穢れた血』を追ってこのロンドンへ来たと」
狩人の説明は簡潔だった。
時空を超えた追跡。獣の病。そして、この世界で感じ取った「死んだ血」の気配。
多くの人間ならば精神異常者の妄言と切り捨てる内容だが、インテグラは違った。彼女は静かに紅茶に口をつけ、記憶の糸を手繰り寄せる。
「『ヤーナム』……。その名は、聞き覚えがある」
インテグラは立ち上がり、書架から一冊の古びたオカルト書を抜き出した。
「曾祖父の時代の噂話だ。東欧の山奥とも、地下遺跡の彼方とも言われる幻の都。そこではあらゆる病を癒やす『血の医療』が行われていたが、ある夜を境に住民全員が消え失せた、とな」
「……ただの噂ではなかった、ということか」
アーカードが愉しげに口を挟む。
「空間ごと隔離された悪夢の都。クク、道理で匂うわけだ。貴様からは、何百年もの時間を凝縮したような、濃密な血の香りがする」
狩人は小さく頷いた。
「街は、夢に沈んだ。私はその夢の狩人であり、掃除屋だ。……こちらの世界で、あの病に似た兆候を感じた」
インテグラは頷き、狩人の目を見据えた。
「我々ヘルシング機関の使命は、大英帝国と国教を犯す『化け物』の殲滅だ。最近、我々が相手にしている吸血鬼たちも、どこか様子がおかしい。人為的で、組織的なきな臭さを感じる」
「利害は一致しているようだな。……どうだ、狩人。我々と手を組まないか?」
インテグラの提案は合理的だった。
狩人には、この時代の地理や情報がない。ヘルシングには、超常的な戦力が欲しい。
「……承知した」
狩人は短く答えた。
「貴公らが獣を匿う者でない限り、私の刃は貴公らの敵に向く。……それに、ここの工房は悪くない」
「決まりだな」
インテグラは不敵に微笑んだ。
これが、夜を統べる二つの狂気が手を結んだ瞬間だった。
翌日、ヘルシング機関射撃場。
そこでは、吸血鬼となったばかりのセラス・ヴィクトリアに対する訓練が行われていた。
「いいか婦警。まずは的に当てることなど考えなくていい。銃の反動に慣れろ」
アーカードの厳しい指導が飛ぶ中、セラスは涙目で大きな銃を抱えていた。
「む、無理ですよぉ! こんなの人間が扱える反動じゃ……あ、もう人間じゃないんでしたっけ……」
その様子を、ベンチに座ったインテグラが新聞を読みながら横目で見ている。
そして狩人は、壁にもたれて静かにセラスの動きを観察していた。
「……筋は悪くない」
狩人がボソリと呟く。
「だが、『間』が死んでいる」
「間、ですか?」
セラスが首を傾げる。
狩人は無言で歩み出ると、懐から自身の愛銃「獣狩りの短銃」を取り出した。古臭いラッパ銃のような形状だが、放たれる殺気は本物だ。
「貴公の膂力なら、敵の攻撃を止めることは容易い。……見ていろ」
狩人はウォルターに目配せをする。ウォルターがスイッチを押すと、訓練用の武装人形(動く標的)が飛び出してきた。
人形が錆びたナイフを振り上げ、狩人に襲いかかる。
その刃が振り下ろされる、まさにその瞬間。
パンッ!
乾いた銃声が一発。
水銀弾が人形の肩口に衝撃を与え、その姿勢を大きく崩す。
敵の攻撃動作そのものを「弾く」かのような、絶妙なタイミング。
体勢を崩した人形に対し、狩人は素手で踏み込み、胸部へ強烈な掌底、内臓攻撃の予備動作を叩き込み、寸前で止めた。
「……敵の殺意が極まる瞬間、水銀の弾丸を叩き込む」
狩人は淡々と解説する。
「早すぎればただ攻撃を喰らうだけ、遅すぎれば相打ち。……筋肉が収縮し、攻撃へと転じる『不可逆の点』を撃ち抜け」
「は、はぁ……不可逆の点……」
セラスは呆然としながらも、大型のライフルを構え直した。
「や、やってみます!」
次の人形が現れる。セラスは目を皿のようにしてタイミングを計る。
(今だっ!)
ドォォン!!
凄まじい発砲音と共に、人形の上半身が消し飛んだ。
「……あ」
「馬鹿者」
インテグラが新聞をめくりながらため息をつく。
「それはパリィではない。ただの粉砕だ」
「ち、違うんです! タイミングが分からなくて、つい力んじゃって!」
セラスが慌てて言い訳をする。狩人は小さく首を横に振った。
「……貴公のその武器では、威力が過ぎるか。それに、恐れがあるうちは見切れない」
「ククク……面白い理屈だ」
それまで黙って見ていたアーカードが、ゆらりと進み出た。
「敵の攻撃を『受ける』のではなく、殺意の切っ先を銃弾で挫くか。……リスクを愉しむ、狂人の妙技だな」
アーカードは自身の愛銃「カスールカスタム」を構える。
「やってみよう」
ウォルターが再びスイッチを押す。今度はより素早い、強化された訓練用ターゲットだ。
高速で迫る刃。アーカードは微動だにしない。
セラスが「危ない!」と叫びそうになった刹那。
バァンッ!
13mm爆裂徹甲弾が放たれたのは、刃がアーカードの鼻先に届くコンマ数秒前。
衝撃でターゲットの腕が弾かれ、のけぞる。
その隙を見逃さず、アーカードの手刀がターゲットの心臓を貫いていた。
「……なるほど。これはいい」
アーカードは血に濡れた手を見つめ、恍惚とした笑みを浮かべる。
「ただ殺すだけではない。敵が『やった!』と確信した瞬間を絶望に突き落とす。……実に嗜虐的で、実に有効だ」
「……飲み込みが早いな」
狩人もまた、アーカードの技量に感嘆の意を示す。
この吸血鬼は、獣のような狂気を持っていながら、戦いに関しては恐ろしく冷静で貪欲だ。
「しかし、シビアだな」
アーカードは銃を回して懐に納める。
「コンマ1秒でもズレれば、肉を断たれる。再生能力を持たぬ貴様がこれを常用しているとは……やはり貴様、狂っているな?」
「……正気でなければ、悪夢は生き残れない」
狩人は短く答えた。
セラスは、そんな二人(と一人の上司)を見ながら、ガックリと肩を落とした。
「あうぅ……私、こんな人たちの中でやっていけるんでしょうか……」
インテグラは新聞を閉じ、立ち上がった。
「安心しろ、婦警。貴様には貴様のやり方がある。……だが、彼らの技術は盗んでおけ。これからの戦いは、今までとは違う」
インテグラは窓の外、広がるロンドンの街並みを見据えた。
「吸血鬼、そして『ヤーナム』の影。……忙しくなるぞ」
射撃場に、再びセラスの放つ豪快な(そして下手くそな)銃声が響き渡った。
それは、奇妙な共同戦線の始まりを告げる号砲のようでもあった。
to be continued…
HELLSINGは漫画の方を読みました。いつかOVAもちゃんと見たい…