ヘルシング機関に一通の封書が届いたのは、嵐の前の静けさのような午後だった。
『英国騎士団長 インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング殿
初秋の心地よい季節の中、一緒に美術館巡りでもいかが?
私は付き従える狩人殿とお話がしたいです。
10日午後3時に、以下の場所でお待ちしております。
ローマ教皇庁特務局 第13課イスカリオテ機関長 エンリコ・マクスウェル』
ロンドン、王立軍事博物館。
キャスター作『マモン平原会戦のウエスター伯ヴィランデル図』の前。
インテグラは不機嫌そうに懐中時計を確認した。
「……3時10分前だ。遅いな、マクスウェルの奴」
その傍らには、涼しい顔で控えるウォルターと、周囲の近代兵器の展示には目もくれず、ただ静かに佇む狩人の姿があった。
狩人の異様な風体、古びた三角帽子、古びた狩装束は、博物館の展示物以上に歴史の闇を感じさせる。
「おびき寄せるための罠か?」
インテグラが呟くと、ウォルターが静かに答える。
「まさか。幾ら13課でも、公衆の面前で事を起こすとは思えません」
その時だった。
「あっ」
間の抜けた声と共に、召使いを連れた白髪の男が、展示品を指差しながら歩いてくる。
「いかん、遅れたな」
「その様ですな、司教」
エンリコ・マクスウェル。
彼はインテグラたちの存在に気づいていたはずなのに、わざとらしく驚いて見せた。
「やあヘルシング局長。いやあ、良い絵だ。実に良い」
マクスウェルは飄々とした態度で近づいてくるが、インテグラの隣に立つ狩人を見た瞬間、その表情がほんの僅かに、だが確実に歪んだ。
それは、汚物を見る目であり、同時に理解不能な深淵を覗き込んだ際の「生理的な拒絶反応」だった。
「……ヴァチカンが何の用だ」
インテグラがマクスウェルの視線を遮るように、一歩前へ出る。
「コイツに用があるのなら手短に済ませろ。貴様の見世物にするために連れてきたわけではない」
「……フン」
マクスウェルは不快そうに鼻を鳴らし、取り繕うように自己紹介を始めた。
「私はマクスウェル。ヴァチカン特務局第13課の長だ」
「用件はなんだ」
「つれないな、せっかくの会合だというのに。私は君たちと争いに来たわけじゃない」
「白々しい!」
インテグラが声を荒げる。
「お前たちは重大な協定違反を犯して北アイルランドに機関員アンデルセンを派遣し、我々の機関員を攻撃した! これ以上、何の欺瞞が必要だ!」
すると、マクスウェルは歪んだ笑みを浮かべ、本性を吐露し始めた。
「……欺瞞? 違うな。あれは慈悲だよ」
彼はハンカチで口元を隠しながら、冷ややかな視線を狩人に向ける。
「そこのヤツだ。そこの薄汚い狩人……コイツは、ここに居てはならない存在だ」
マクスウェルの声には、隠しきれない嫌悪が滲んでいた。
「例え貴様らが神を信じようが信じまいが、世界の理というものがある。コイツからは、地獄よりも深い、神の光すら届かぬ『底』の臭いがする」
「そんな穢れた異物を飼い慣らしているつもりか? 呑気なのか楽観しているのかハッキリしろ、
「──メス豚!?」
ズズズッ……
インテグラの背後の影が膨れ上がり、真紅のコートを纏った吸血鬼が現れる。
「流石は泣く子も黙る13課。言うことが違う」
アーカードはマクスウェルを見下ろし、嘲るように笑った。
「『四方の諸族を統治して平和を与え、法をしきまつろう民には寛容を、逆らうものは打ち倒す』……か」
「何も変わらんね。2000年前からお前らローマは何も変わらん」
マクスウェルが眉をひそめる。
「吸血鬼アーカード……ヘルシングのゴミ処理屋、殺しの
「はじめまして『マクスウェル』。そしてさようならだ」
アーカードの瞳が殺意で赤く輝く。
「貴様は私の
「お前、生きて英国から帰れると思うなよ? ぶち殺すぞ、
狩人は、アーカードの言葉に微かに反応した。
(……友、か)
この吸血鬼は、自分を友として認識している。その事実は、孤独な狩人にとって奇妙な温かみを感じさせるものだった。
「おぉ、恐ろしい恐ろしい。あんな恐ろしいボディーガードに銃を突きつけられては話もできんな」
マクスウェルは片手を上げて関節を鳴らしてみたが、その目は笑っていなかった。
「だが、そちらがそうなら、こちらも拮抗状態を作るとしよう…!」
彼は高らかにその名を呼んだ。
「AAANNDERSONNG!!!」
カツン……
正面奥の廊下から、硬質な足音が響く。
両手に数多の
「……我に求めよ。さらば汝に諸々の国を嗣業として与え、地の果てを汝の物として与えん」
アンデルセンの詠唱が、博物館の空気を張り詰めさせる。
「汝、黒鉄の杖をもて彼らを打ち破り、陶工の器物のごとくに打ち砕かんと」
「!!」
マクスウェルは自分で呼んだはずのアンデルセンに目を向けて、いかんといったような表情を見せる。
「されば汝ら諸々の王よさとかれ、地の審判人よ教えを受けよ」
アンデルセンの殺気は、アーカードと狩人の二人に向けられていた。
「恐れをもて主につかえ、おののきをもて喜べ。子に接吻せよ。恐らくは彼は怒りを放ち、汝ら途に滅びん。その怒りは速やかに燃ゆベければ。全て彼により頼む者は幸いなり」
「いッ、いかんッ! よせアンデルセン!」
マクスウェルが慌てて制止しようとする。
「一撃で何もかも一切合切決着する! 眼前に敵を放置して何が13課か!? なにがヴァチカンか!?」
「対峙するだけで良いのだ!! 止まれ!!」
アンデルセンは止まらない。
「……
「クククッ……さあ殺ろうぜ、ジューダスプリースト」
アーカードが454カスールとジャッカルを構え、歓喜の表情を浮かべる。
「ハァァハハハハハァ!この前の様にはいかんぞ
「…………」
狩人もまた、無言で銃口をアンデルセンに向けた。
一触即発。博物館が血の海に沈むまで、あとコンマ数秒……。
「ハーイ皆様こっちです〜! こちらが絵のホールですよ〜!」
張り詰めた空気を、場違いに明るい声が切り裂いた。
セラス・ヴィクトリアだ。彼女は旗を持ち、ぞろぞろと続く東洋人の老人たち──北春日部老人会を先導して、殺し合い寸前の化物たちの間を平然と通り抜けていく。
「おや、この神父さんなんで刀なんか構えよるんじゃろ?」
一人の老人が、アンデルセンの銃剣を指差す。
「ああ、きっと前衛藝術ってやつですなコレは! 孫が好きなんじゃよ」
「おじいさんおじいさん、こっちの人は鉄砲を構えていますよ!!」
別の老人がアーカードを見上げる。
「おおー、でっかい鉄砲じゃのう〜〜」
「マンシューハノー!マンシュー!」
「それに隣りの人の格好、随分古臭いものねぇ。しかもでっかい鉈なんか持ってるし」
老婆が狩人のノコギリ鉈をまじまじと見る。
「ホントじゃのぉ〜。こんな大きな鉈さえあれば裏山の竹なんかすぐ削ぎ落せそうじゃい」
「デカくて無理でしょォ〜」
「えへへ、皆さん次はあちらの戦車を見に行きましょうね〜」
セラスはニコニコしながら、怪物たちの殺気を完全に無視して通り過ぎていった。
「…………」
アンデルセンの銃剣から力が抜ける。
アーカードの銃口が下がる。
狩人は静かに鉈を畳んだ。
「興が削がれた」
「闘争の空気ではないな」
「…………」
「……帰って眠る」
「なッ」
「護衛なら狩人とウォルターで充分過ぎるだろう。昼間に起きたので眠い」
そう言ってアーカードはカツカツと博物館を出ていった。
「先にローマに帰ります」
「……そ、そうか」
「いい博物館だ……次は孤児院の子供達を連れてきましょう」
アンデルセンもまた、銃剣を懐にしまい込んだ。
だが、去り際に狩人を睨みつける。
「……次は殺す。必ず殺す」
嵐は、老人の波と共に去っていった。
そしてマクスウェルが話を切り出す。
「……フウ、ここでは話がしづらい、外のカフェテリアで話さないか?何度も言うようだが、私は話をしにここまで来たのだ」
「……よかろう」
「お互い大変な部下を持って苦労するな、ええ? 『オス豚』?」
「……さ、さっきのおかえしか……。まぁいい、がまんしましょう!」
インテグラの背後でウォルターと、戻ってきたセラスが「よく我慢しました!」とサムズアップを送る。
それを見た狩人もまた、ぎこちなく右手を上げた。
「承認」のジェスチャー。
ヤーナム流のサムズアップ…というよりかは「こっちこっちー!」って感じのジェスチャーである。
インテグラは部下たちの奇妙な連帯感に、少しだけ毒気を抜かれた気がした。
場所を移し、博物館の外のカフェテラス。
気まずい沈黙の中、マクスウェルが口を開いた。
「……さて。本題に入ろう」
マクスウェルがコーヒーを啜る。
「君たちが追っている組織、『ミレニアム』に関する情報を教えてやろう」
インテグラが身を乗り出す。
「! 知っているのか?」
「ああ知っているとも。だがなヘルシング局長」
マクスウェルは椅子にふんぞり返り、ニヤニヤと笑った。
「人に物を尋ねる時は、大事な言葉が必要だろう? 『
ウォルターの目が鋭くなり、狩人が無言でマクスウェルに圧をかける。
だが、インテグラは冷静だった。
プライドよりも、今は情報が重要だ。
「……
インテグラは静かに言った。
「どんな小さい事でも構わないから、教えて貰えまいか?」
マクスウェルは満足げに頷いたが、視線を狩人に向けると再び露骨に顔をしかめた。
「……フン。そこの蛮族にも聞かせるのは癪だが、まあいい」
その態度に、狩人は内心で苦笑した。
(教会の人間というのは、どこの世界でも権威に弱いものだ)
だが同時に、インテグラが自分のために、部外者である自分を含めた「仲間」のために頭を下げたことに、狩人は胸の奥で暖かな残り火を感じていた。
夢の中の人形以外にも、こうして親身になってくれる人間が、この世界にはいるのだ。
「いいだろう、教えてやる。……ミレニアムとは、ナチスの計画名であり、部隊名だ」
マクスウェルが語り始めた内容は、驚愕に値するものだった。
大戦末期、総統の命令で組織された「最後の大隊」
彼らは南米へ逃れ、そこで膨大な物資と有望な人材を掻き集めた。
「そして、恐らくそこには……貴様の言う因子とやらの研究データも含まれている可能性がある」
マクスウェルが狩人を指差す。
「なぜそれを知っているか。……それはかつて、我々ヴァチカンが彼らの逃亡を強力に手助けしたからだ」
インテグラが息を呑む。
敵はナチスの残党。そしてその技術の根底には、ヤーナムの悪夢が関わっている。
パズルのピースが、最悪の形で埋まろうとしていた。
一方、夜のカフェテラスで、二つの影が動いていた。
「作戦を急がせますか?」
白衣を着たドクが尋ねる。
「英国とヴァチカンが接触しました。狩人の存在もバレています」
「いや、まだいい」
男は嬉しそうにグラスを傾けた。
恍惚とした表情で、夜空を見上げた。
そこには、赤く染まりつつある月が浮かんでいる。
「戦争だ……。私は、あの狩人がもたらす『悪夢』を、心から待ち焦がれているのだよ」
to be continued…