キヴォトス企業、アーキバス・コーポレーション   作:ねうしとら

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ミレニアム

「あなたは、トロッコ問題というのを知っているかしら」

 

 ミレニアムサイエンススクール。そのとある一室にて、一人の大人びた少女と、神経質な大人が相対していた。

 

 全体的に黒を基調とした服を着ている彼女は、ミレニアムのセミナー会長、調月リオ。そして、相対する大人はアーキバス代表取締役社長であるスネイルだ。

 

「くだらない思考実験のことを指しているのであれば、是と答えましょう」

 

 彼女たちが会話をしているのは、もう十年以上も続くセミナーとアーキバスの個人的な関係によるものだ。

 かつてのセミナーを相手に、技術提供を求めたアーキバス側。そして、それを断ったセミナー。

 

 両者の関係は、そこで終わりを迎えるかに思えた。

 

 しかし、サイエンスの名を冠する学園の行政員たちは、アーキバスという科学に通じた人間と会話をすることで少しばかり打ち解けることになった。

 

 そんな奇妙な縁が今でも続き、何かと関係を持ち続けている。

 

 アーキバスが提供する新型武器が手に入るという実益も伴い、何かと伝統的な繋がりになってきていた。

 

「そう。なら、アーキバス社長であるあなたに問うわ。少数を犠牲にして多数を生かすという選択についてどう思うかしら」

 

「ただの数値として見るのであれば、合理的選択であると言っておきましょう」

 

 彼らの会話、その題材となっているトロッコ問題。

 

 ブレーキが利かなくなり暴走したトロッコの線路上には、それに気づかない作業員が五名存在する。このままだと彼らはトロッコに轢かれて犠牲となる。しかし、その事実を唯一知っているあなたの手元には、路線を切り替えることができるレバーがある。

 

 レバーを切り替えれば、路線は変わり一人の作業員がいる方へとトロッコは向かう。

 

 つまり、誰かを助けるために誰かを犠牲にすることは許されるのかという、一種のジレンマについて論じた倫理、道徳的観念である。

 

 それについて調月リオが問い、スネイルが答える。

 

 スネイルは、多数を犠牲に少数を切り捨てるのは合理的だと言った。

 人の命が平等だとするのであれば、より多くの命を救うべきであるというのが考えになる。

 

 それを聞き、リオは答える。

 

「やはり、そうよね……。あなたなら、そう答えると思っていたわ」

 

 合理を重んじる彼女にとって、少数を切り捨てる選択肢は至極当然のことだった。

 いや、大多数の人間は少数を救おうとは思わないだろう。

 

 何故なら、数という値が優位にあるのだから。

 

 しかし、スネイルは言った。

 

 数値として見るのであれば、合理的であると。

 

 それ即ち、場合によって答えは変わるということを意味する。

 

「……何を一人で納得しているのです。私は、“数値”としての観点であれば合理的と言っただけにすぎません。一度の問答で企業を理解したつもりになるのは、傲慢というものです」

 

「……どういうことかしら」

 

「なぜ私が少数を切り捨てることを前提として話が進んでいるのか、いささか疑問ですが。まあいいでしょう。問題は、その問いは前提によって覆ることがあるということです」

 

「……続けて」

 

「トロッコ問題の本題は、二者択一。どちらを生かし、どちらを殺すのか。そこには、前提となる条件が必須でしょう。あなたは、少数と多数どちらを取るかと言いましたが、それはあまりに言葉足らずです。何を前提として、二者択一を迫っているのか。ただの数値としての問題であれば、少数より多数を取るのは当たり前でしょう。それとも、本当にただトロッコ問題についての話をしていると?」

 

 それは至極当然の主張。

 

 誰もがそう考え、誰もが当然のように無意識下で理解している道理。

 

 ただ、調月リオがスネイルに問うたトロッコ問題には、何か別の意図が見え隠れしていた。

 本来のトロッコ問題に答えなどなく、少数を犠牲にするという結論を導き出した人間が正しいという話ではない。

 

 トロッコ問題とは、ただの例題にすぎない。

 そして、彼女の中ではトロッコ問題に類似した議題があるのだろうと思われる。

 

 その場合、彼女がどういった意図でトロッコ問題について聞いたのか。そして、何の前提もなくただ多数と少数を天秤にかけ、少数を切り捨てると判断したその答えが、スネイルという人間の本質だと捉えられているのが不愉快であると、スネイルは言っている。

 

 故に、彼女の真意を探るため、そして誤解を解くために“前提”が必要となった。

 

「そうね。あなたの言う通りだと思うわ。でも、私が聞きたいのは元より“数値”としての話よ」

 

「ですから、その前提となる条件を言えと……」

 

 例題として出された議題を経て、彼女が何を言いたいのか。

 

 お前は、何を見据えて話をしているのか。

 

 本当に聞きたいことはそれなのかと、スネイルは問いかけている。

 

 果たしてそれは、当たりだった。

 

「少数を犠牲にしなければ世界が滅びる時、あなたはその少数を躊躇いなく切り捨てることができるかしら?」

 

 スケールが大きくなったが、凡そトロッコ問題にかかる議論ではある。

 世界が滅びる時、生贄となる少数の人間を切り捨てるのか。

 

「……なるほど。つまり、絶対的な多数と、取るに足らない少数。どちらを天秤にかけるかという話ですか。であれば、少数を犠牲にすることが道理でしょう。世界が天秤に乗っているのですから、多少のコラテラル・ダメージは許容するべきです」

 

 彼の答えを聞き、リオは納得する。

 

「そうね……。やはり、私の判断に間違いは――」

 

 確かに“数値”の話であり、トロッコではない前提であることは明らかとなった。しかし、スネイルの話はまだ終わっていない。

 

「人の話は最後まで聞きなさい。……全く、これだから。よいですか? 確かに私は世界と少数を天秤に乗せた場合、容赦なく少数を切り捨てると言いました。しかし、この“少数”が何を意味しているかによって、取るべき行動は変わります。それも、前提と言える」

 

「属性の話をしているのかしら。そうであれば、この話における“少数”とは、あなたにとって何も関係がないただの他人よ」

 

 彼女の話を聞き、本当にトロッコ問題としての議題であることに気づいた。

 

 いや、前提がそれであるのなら、トロッコ問題よりも結論は明らかとなっている。少数を犠牲にするに値するだけの前提だった。

 

 しかし、それではスネイルの目的である『誤解を解くこと』を解消できない。

 

 何でもかんでも少数を切り捨てる血も涙もない経営者であると疑われるのは……別に悪くはないが、さも当然のように企業を理解した気になっているのが気に食わない。

 

 そのため、スネイルは“前提”をまた付け加える。

 

「なるほど。では、もしもの話をしましょう。仮にこの“少数”に含まれるのが私の命であった場合、私は世界を犠牲にしてでも生き延びるつもりでいます」

 

 犠牲となる“少数”が、自身の命であった場合。レバーを引いた先にいるのが自分だった場合という話に挿げ替えた。

 

 トロッコ問題が問うていることとはまた異なるが、真にズレているわけではない。

 

「世界が滅びてしまえば、あなたも死んでしまうと思うのだけど……」

 

 リオから真っ当な疑問が飛んでくる。

 

「浅はかですね。宇宙にでも逃げればいいのですよ。それに、世界が滅びると言えど、惑星が崩壊するほどのエネルギーが発生するとも限りません。何を以て、“世界”とするのか、それも分かっていません」

 

「詭弁ね。世界の定義なんて、この議題には無意味な問いかけよ」

 

「いいえ。意味はあります。つまり、私は自らが犠牲になるくらいなら、どんな手段を取ってでも生き残る。そう言っているのです。そしてそれが、私の大切なものであったとしても同様です」

 

「思考実験に第三の選択肢を付け足すのは、本題から逸れてしまっているのではないかしら?」

 

 リオの主張も一定の論理はある。

 

 思考実験であるトロッコ問題に、自らに都合の良い解釈を加えたのはスネイルだ。

 だが、人の決断と行動は前提となるものに左右されるというのも、また事実である。

 

 リオが聞いているのは、自らと関係のない人物を切り捨て、より多くの人間を救うのか。

 それに対して、もし切り捨てる人間が自分とそれに準ずる者であれば、何をしてでも抗うと仮定しているのがスネイルだ。

 

 もし自分が切り捨てられる側となったらどうするか。レバーを引いた先にあるのが、自らが大切にしているものだったのならどうするか。

 

 その場合、少なくとも“少数”だからという理由で切り捨てることはない。それだけは確かだった。

 

 この議論は平行線になるかに思われた。

 

 しかし、この議題にも着地点はあった。

 

「……はぁ。私が言いたいのは、切り捨てるべきと判断された“少数”が、ただ何もせずに言われるがまま犠牲になることなどない。という話をしているのです」

 

「…………」

 

「本来のトロッコ問題の話に戻りましょう。暴走したトロッコが向かう先には、作業中の五人の人間がいる。あなたの判断でレバーを引けば、一人の作業員がいる路線に切り替えることができる。ですが、犠牲となった人間の遺族は、レバーを引いた人間のことをどう思うでしょうか」

 

 話の規模が大きくなっていることを自覚しなら、スネイルは言う。

 

 トロッコ問題は取り残された人間について考える思考実験ではない。だが、元より話は犠牲となる人間についての話ではなくなっている。

 

 だが、規模を大きくするきっかけとなったのは向こうであると大義名分を抱えながら、スネイルは言う。

 

「トロッコ問題が問うているのは、合理ではなく倫理。数値化されない、あなたが抱えている価値基準を問うているのです」

 

「そうね」

 

「私が大切にしているものは、他の何を犠牲としても助けたいと思うでしょう。人間であれば、それは当然のことです。そして、切り捨てるべきだと判断した者に対してもそう考えている人間はいる」

 

 つらつらと論理を並べ立ててきたが、結局は時と場合によって話は変わるのだということ。

 

 少数を切り捨てるのが当たり前であるかのような捉え方をされたのが、腹立たしかっただけのことだ。

 その訂正に時間がかかったが、分かればよろしいとスネイルは満足する。

 

 最後に、時と場合によって選択肢は変わるのだと結論付け――。

 

「それは……覚悟はできているわ。何があろうと、決断を下した側に責任がある。恨まれたとしても、その恨みを受けて生きて行くと……」

 

 何やら聞き捨てならない言葉を聞いた。

 

「……思考実験の話ではなかったのか全く」

 

 なるほど、この話題をこの場で出したのは、似たような現状に身を置くためか。

 つまり、婉曲的に相談相手となっていたわけであると。

 

 そう、スネイルは理解する。

 

「……はぁ。いいですか? 私たち科学者にとって最も大切なことは、“前提を疑う”ことです。自らが立てた仮説を過信していては、想定外のエラーに足をすくわれ身動きが取れなくなる。常識と思われていたことを疑い、挑戦するのが科学者の本懐。前提ばかりに囚われていては、視野狭窄となる。……企業である私からの直々の説教です。その身に染みこませるように」

 

「……覚えておくわ」

 

「初心を忘れた人間は腐るのみ。何が自分を突き動かすのか、それを自覚しなさい。よいですね?」

 

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 

 何やらくだらぬ議題に付き合わされ、あまつさえ企業を決めつけようなど傲慢な考えを持ったセミナー会長との会合はようやく終わりを迎えました。

 

 さて、やや面倒であった業務も終了しました。

 

 さっさと本社へ戻り、いつもの業務を進めるとしましょう。

 

 そう思い、ミレニアムの校舎を歩いていると、何やら見知った顔が見えました。

 

「おや。シャーレの先生ではないですか。奇遇ですね」

 

 “あ、スネイルさん。お疲れ様です”

 

 そういえば、先生は今ミレニアムを訪れていると言っていましたね。まさか本当に出くわすとは思っていませんでしたが、何やら生徒たちを連れている様子です。

 

 桃色と緑色、そして青。

 

 第一印象はそのような感じでしょうか。

 

「先生、知り合い?」

 

 “うん。アーキバス・コーポレーション代表取締役社長のスネイルさん”

 

「アーキバスの社長さん……。す、すごい人なんですね……」

 

 桃色の生徒が問い、緑色の生徒が反応します。

 そして、青色の生徒は、何やら目を輝かせてこちらを見ていますが……。

 

「アリス、知ってます! スネイルは『はじまりの町』に出てくる雑魚モンスターです!」

 

 …………。

 

『ア、アリス(ちゃん)!?』

 

 どいつもこいつも、この私を苛立たせる……!

 

 死んで平伏しろ!

 

 私こそが――!

 

 “すいません、悪気はないんです!!”

 

「……はぁ。まあ、いいでしょう。では私はこれで」

 

 さっさと帰りましょう。

 

 

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