キヴォトス企業、アーキバス・コーポレーション 作:ねうしとら
メーテルリンクにとって、スネイルは恩人だ。
出会いはそこまでよいものではなかったが……。いや、最悪とすら言えるものだったかもしれない。でも、それでもメーテルリンクにとって、スネイルは返しきれないほどの恩がある。
私はある日、唐突に居場所を失った。
学籍という、キヴォトスにおける身分を証明するものを失ったのだ。
自身を客観的に定義する拠り所の逸失。何がきっかけだったのか、それは最早覚えていない。決定的だったのは、自分が学園の上層部に対して取り返しのつかないほどの無礼を働いた
誰の顰蹙を買っていたのか、心当たりは無いが。星回りが悪かったのか、些細なきっかけと共に、転がり落ちるように悪いことは連鎖した。
その結果として、学籍の喪失という最も手痛い仕打ちを受けた。
学籍を失ったことで、まず金を失った。
口座に登録していた身分が失効されたのだ。当然、口座は使い物にならなくなった。
そして、バイト先からも解雇された。当然だ。身分証がないのだから。
次に、家を失った。これも道理。
そうして、自分はその日暮らしをする不良に成り下がった。
ブラックマーケットを拠点に、非合法な依頼を受け、貰えるかもわからない賃金を当てにその日を生き抜く。
学籍を持たない不良たちとは、まあ少しは仲間意識も芽生え、互いの傷口を舐め合って生きてきた。
振り返ってみても、思った以上に悪くはないかもしれない生活だった。友人と呼べる存在もでき、不安定で不便ながらも一応は生活できた。
ただ、やはり。
何故自分がこんな境遇にという怒り、後悔。これから先、自分はどうなるのかという不安、恐れ。そういった感情は常日頃から付きまとっていた。
同じ境遇の不良たちも、やはり似たような感情を抱えていたようで、卑屈な部分が見え隠れしていた。
外に出れば、キャピキャピとした自分と同年代の少女たちが、日の当たる場所を歩いている。なんの不便も感じず、学園から出された宿題がどうだとか、話題の新作スイーツがどうだとか、カラオケに行こう、ゲームをしようなんて。
自分たちには、そんな資金も居場所もないのに。
――羨ましい。
くだらない嫉妬に身を焦がすのは、いつものことだ。
呑気なアイツらには分からない、私たちは苦労をしている。現実を知らない温室育ちのお嬢様。
そう思い込むことで、心に傷がつかないように守っていた。そうしなければ、壊れてしまいそうだったから。
ある時だった。
何もしていないのに、唐突に銃で撃たれた。
あまりに唐突すぎて、思考に空白が生まれたことを覚えている。
撃たれた理由は何だったか……。あまり詳しく覚えていない。どうせ、碌でもない理不尽なものだったのだろう。
辛うじて覚えているのは、その理不尽な理由を聞いた瞬間に抱いた、自分自身でコントロールできない負の感情。濁流が如く流れてきたそれを制御できず、目の前が真っ白になり、一周回って冷静になって何もやり返さずにブラックマーケットに戻った。
戻って、理解した。
悔しい。腹立たしい。なぜ、私だけが。私がなりたくて今の境遇になったと思っているのか。不良ならば何をしてもいいのか。私には人間としての尊厳が与えられていないのか。なぜ、世界はこれほど不平等なのか。
決壊したダムのように、溢れ出る感情に抑えが利かず、脳内で渦巻くこの激情を何とか抑え、発狂しないようにブラックマーケットを歩いていた。
多分、その時の自分は見るに堪えない様子だったと思う。
その時だった。
足元ばかりを見て、前方を碌に見ずに歩いていた自分は、狭い通路であったことも相まって必然、反対から歩いてくる人とぶつかった。
そうして――。
「全く、どこを見て歩いているのですか。その顔についた眼は飾りですか?」
厭に鼻につく声で嫌味を言われた。
その些細な一言は、しかしその些細な一言が。私の我慢の限界を突破させるのに、十分すぎる効力を発揮した。
「――――ッ!!」
一瞬で、目の前の大人に銃を向ける。
引き金に指を掛ける。
何故私を見下している。どういう権利があって私を虐げる。呑気に生きて、苦労を知らないで、挙句の果てに弱者を虐めて何が楽しい。
私がどれほど苦労しているか知らないくせに。何も知らない、大人のくせに――ッ!
ありったけの憎悪を込めた一撃を放とうとした。やろうと思えばすぐにでも撃てる。誰に口を利いたのか、それをその体で思い知らせてやる。その傲慢を打ち砕いてやる。
そう思って、私は引き金の指を動かそうと思って――。
「……ほう。初対面の人間に対して銃を向けるとは……。そちらに非があるというのに逆上ですか。全く、所属する学園の程度も知れる。どきなさい。狂犬の相手などしていられません」
目の前の大人の一言に唖然とした。
銃を向けられて、なおその態度に陰りが出ないその図太さに感心すればいいのか。
しかし、そんなことよりも許せないことがあった。その一言だけが、私の心をかき乱した。
「……ない」
「なんです?」
「――私に、所属する学園なんてない!!」
悔しさとやるせなさ。それらを存分に込めて、自分がどこにも居場所がないことを言い放ってしまった。
これを言ったところで事態は何も好転しない。何なら、自分がいかに惨めな存在なのかを証明してしまっている。だけど、なぜか言わざるを得なかった。言わないなんて選択肢はなかった。
今まで抱えていた不満が、あふれ出す。
その一言に、私はどういう意味を含有していたのか。自分でもわからなかった。SOSなのか、自虐なのか。自分がどう見られたいのかすらも覚束なかった。
そんな、私の魂の叫びを聞いた目の前の大人は、意外にも口を噤んで考え事をしている。
正直、意外だった。今までの態度から、私が学園に所属していないことを知れば弱みに付け込んで散々煽ってくるものと思っていたからだ。
しかし、目の前の大人はそんな想定とは真逆の反応を示している。
顎に手を当て、真剣に何かを思案している。
私はその想定外の行動に、引き金にかけていた手を緩めてしまった。普通ではない反応をされ、とうとう訳が分からなくなってしまったのだ。
「学園に所属していないと言いましたね。住居はどうしたのです」
「……ない。強いて言うのならブラックマーケットの廃墟」
「収入は?」
「……ネットにばらまかれてる合法なのかも分からない依頼を熟してる」
「……なるほど」
一体、目の前の大人は何を考えているのか。自分が学園に所属していないことを明かした瞬間に、学籍を失った人間がどうなるのか分からない訳でもないだろうに、自明なことを聞いてくる。
その後もいくつか個人情報に関する質問をされた。
私はいよいよこの男が何を目的としているのかを考えるのを辞め、ただ惰性で質問に答えていた。最早、かつての怒りも冷めていた。
「……その手があったか」
一通り質問に答えた後、目の前の大人は光明を見たと言わんばかりの様子でそんな独り言を呟いた。
「貴方に一つ提案をしましょう」
何を……。
「私が代表を務める企業『アーキバス』に所属する気はありませんか? どうせ、行く当てもないのでしょう? 答えなど決まっているようなものでしょうが」
何を……言っている?
企業に、所属? 私が……?
いや、どうせ詐欺だ。碌なことにならない。
私みたいな居場所がない生徒に声をかけるなんて、正気ではない。どうせ非合法な仕事をさせられるか、道具のように消費されるのがオチだ。
如何にも怪しい。
今日、ここでぶつかっただけの大人に勧誘される理由がない。そもそも、信用がない。
考えれば考えるほど、怪しい。
私の理性が、断るべきだと言っている。もっとマシな人材を勧誘するべきだ。もっと正式な場を用意するのが、雇用というものじゃないのか。
理性では分かっている。
きっと、碌なことにならないと。確率としては9割以上はそうなるだろうと。
でも、この時の私は正常な思考ができていなかった。
理不尽に扱われる人生は懲り懲りなのだ。誰かに嵌められ、蔑まれ、生きて行くのに精一杯な生活は、もううんざりなのだ。
例え、差し出されたこの手が地獄への入り口だったとしても、変われるのであれば手を取りたい。
今より良くなる可能性が、ほんの少しでもあるのであれば、賭けるべきだと。私の本能は、そう言っていた。
そうして、迷っていた私の背中を押す、最後の一声が掛けられた。
それを聞いたら、もう迷いは消えてしまった。
「来なさい。貴方に意味を与えましょう」
◇◆◇◆
某日、アーキバス本社にて。
「おや、メーテルリンクではありませんか。こんなところで何をしているのです?」
「スネイル閣下。お疲れ様です。……少し、昔のことを思い出していただけです」
「なるほど。過去に想いを馳せる程度の余裕ができたのは良いことです。かつての貴方は、中々手のかかる狂犬でしたからね」
スネイル閣下の皮肉交じりの一言を私は失笑で返す。
こういう所がなければ、素直に尊敬できる人だったんだけどなぁ……。
でもまあ、こういう所が閣下らしさでもあるのだが。
慣れてしまえば、あまり気にならない。言っていること自体は正論だし、倫理もあるし、価値観はまともだ。
なんでこんなひねくれた性格をしているのか、気になって先輩方に聞いたことがあった。
何気ない疑問だったのだが、ラスティ第四隊長に興味本位で聞いた結果、彼も知らないとのことだった。
しかし、議論はそこでは終わらず、気になったラスティ第四隊長が他の隊長たちにまで聞き始めたのだ。
ホーキンス第五隊長、オキーフ第三隊長ですら知らず、結局スネイル閣下の性格についてあれこれ好き勝手考察する時間となっていたところに、ふらっと現れたフロイト第一隊長が話題に交じり、真実をサラッと言ってしまった。
曰く。
「スネイルは元々はあんな皮肉屋ではなかった。だが、出る杭は打たれるという諺がある通り、色々と人間関係で苦労した結果があの性格に現れてるんだろうな。主にカイザーのせいだが」
と言って去っていったフロイト隊長を見ながら、私たちは妙な納得感で心を一つにしたことを覚えている。
さて、そんなことを考えながらも一つ閣下に聞きたいことがあったことを思い出す。
大したことではないのだが、いい機会だし聞いておこうと思っていた話題だ。
「閣下に少し、お尋ねしたいことがあったのですが……。なぜ、私は第六隊の隊長に選ばれたのでしょうか」
「私の采配に不満があると?」
「いえ、そのような意図は無いのですが……。正直、他の隊長たちは大人であるにもかかわらず、私だけ生徒の身で隊長を務めても良いのかと……」
アーキバスはあくまで企業であり、隊長たちにも各々役割が与えられている。例えば、ペイター隊長なら外部雇用担当。ホーキンス隊長なら輜重部門責任者。スウィンバーン隊長ならば会計責任者などだ。
部隊長だけでなく、企業における役割も期待されていることが窺える。
そして、ヴェスパー部隊の隊長を大人に任せるのはスネイル閣下の考えでもある。
アーキバスと正式な雇用関係であり、戦闘や戦術における専門の教育を受けてきた者を対象としている。
謂わば、れっきとした軍人なのだ。
しかし、私は生徒だ。
閣下の恩寵により、普段はアーキバスと連邦生徒会長によって設立された学園で授業を受けているし、他の隊長たちのように専門の教育を受けているわけではない。いや、現在進行形で受けているのだけれど。
そういった理由で、率直な疑問を抱いていたのだ。
そんな私の質問に対して、スネイル閣下は答える。
「そういうことですか。ならば、理由は単純です。それだけの実力があると私が判断した。ただそれだけのことです。ああ、他の理由もあるにはあります。わが社が抱える従業員の内、生徒の総数は四分の一にまで達しています。彼女たちを率いるのであれば、同じ生徒である貴方が適任だと判断したまでです」
期待されている。ということなのだろう。
自然と、滾る。
彼に拾われ、居場所を与えられ、尊厳を保証された私が、閣下に期待されているのだという実感に、この身が震える。
「そろそろ時間ですね。私は業務に戻ります。貴方も励むように」
そう言って、閣下は行ってしまわれた。
私は、少し上がったモチベーションのまま、アーキバスにおける自分の業務を再開しようと歩き出す。
社命(スネイル)に忠実な性格