朝。
高専の空気は、禪院家とまるで違った。
騒がしいわけではない。
むしろ静かだ。
だが、そこには屋敷特有の、
“張り付いた沈黙”がない。
(……)
真依は、胸の奥で小さく息を吐いた。
息がしやすい。
そう感じてしまったこと自体が、少し怖い。
慣れるな。
ここは、仮置き場だ。
廊下を歩く。
制服姿の生徒たちが、ちらほらと視線を向けてくる。
――禪院。
その姓だけで、意味を持つ。
ただし、屋敷のそれとは違う。
畏怖でも、侮蔑でもない。
好奇と警戒が、入り混じった視線。
(……やっぱ、変な感じ)
真依は、心の中でだけ呟いた。
総司は、気にしない。
歩幅も、速度も、変えない。
視線がぶつかれば、正面から受ける。
逸らさない。
それだけで、周囲の空気が一歩引く。
「お前は周りを見るな」
不意に、総司が言った。
「必要ない」
「……分かってる」
短く返す。
分かっている。
ここでも、自分は“付属品”だ。
教室。
簡素な机と椅子。
壁には、任務表が貼られている。
禪院家では見なかった光景。
そこへ――
「……また増えたか」
気怠げな声。
振り向くと、
長い髪を後ろで束ねた少女が、壁にもたれていた。
気だるそうな目。
眠そうで、だが鋭い。
「家入硝子」
「医者みたいなもん」
視線が、真依に向く。
「……銃?」
「術式です」
真依は、淡々と答えた。
硝子は少しだけ目を細める。
「ふーん」
「分かりやすいね」
評価でも、否定でもない。
ただ、事実を受け取っただけ。
次に、総司を見る。
「で、君は?」
「総司」
「禪院総司だ」
硝子は、軽く肩をすくめた。
「また厄介なの来たなあ」
「五条が楽しそうだった理由、分かる」
総司は、答えない。
沈黙が、そのまま場を支配する。
そこへ――
「おはよー」
間延びした声。
白髪、目隠し。
五条悟だった。
「どう? 初日」
「居心地は?」
真依は、少し考えてから言う。
「……静かです」
五条は、笑った。
「あー、それ褒めてないね」
総司は、五条を見る。
「俺たちは、いつから任務だ」
「はやっ」
五条は楽しそうに言う。
「焦らなくていいよ」
「まずは――」
教室を見渡す。
「君たちが、どれくらい“異物”か」
「みんなに分かってもらわないと」
真依の肩が、わずかに強張る。
異物。
否定できない言葉。
だが――
総司は、平然としていた。
「分からせる必要はない」
「使えるかどうか」
「それだけだ」
五条は、にやりと笑う。
「いいね」
「じゃあ午後、軽く行こうか」
「実地で」
真依の胸が、きゅっと縮む。
(……来る)
ここでも、試される。
総司が振り返る。
「準備しろ」
短い命令。
けれど――
屋敷で受けるそれより、ずっと軽かった。
高専の空気は、噂が走るのが早い。
任務の詳細は伏せられていた。
それでも、断片だけは確実に広がる。
――禪院家の娘が前に立った。
――銃の術式で、呪霊を処理した。
――当主筋の少年は、一切動かなかった。
教室の隅。
真依は、椅子に座ったまま俯いていた。
視線を感じる。
昨日よりも、明確なそれ。
(……やっぱ、そうなるよね)
無視しようとしても、耳に入る。
「……あの子が?」
「銃だけで?」
「でも、呪力量は――」
評価と疑念が、混ざった声。
禪院家で浴びてきたものと、似ている。
けれど、決定的に違う。
ここでは、
“最初から出来損ない”として扱われていない。
それが、怖かった。
「真依」
声をかけられて、顔を上げる。
硝子だった。
「調子は?」
「……普通」
嘘ではない。
硝子は、それ以上踏み込まない。
「そう」
短く言って、隣に座る。
「ここさ」
「出来るようになると、急に距離詰めてくる人、増えるから」
真依は、少しだけ眉を動かした。
「……それ、慰めですか?」
「忠告」
硝子は、淡々としている。
「壊れやすい人ほど、消耗が早い」
その言葉に、真依は返せなかった。
――別の場所。
訓練場。
総司は、一人で立っていた。
視線の先には、誰もいない。
それでも、周囲の呪力の流れを読んでいる。
「……相変わらず、浮いてるねえ」
背後から、五条の声。
「褒め言葉じゃない」
総司は、振り返らない。
「分かってるよ」
五条は、隣に立つ。
「でもさ」
「君、あの子を前に出しすぎ」
総司の視線が、初めて五条に向いた。
「使える」
それだけ。
五条は、少しだけ表情を変えた。
「それ、“使えるから出す”じゃなくて」
「“出したいから使ってる”でしょ」
総司は、否定しない。
「俺の物だ」
「壊れるかどうかは、俺が決める」
五条は、苦笑した。
「禪院らしいね」
「でも――」
一拍。
「ここでは、君の所有物って理屈は通らない」
総司は、静かに言った。
「通す」
断言。
五条は、それ以上言わなかった。
――夕方。
寮の廊下。
真依は、壁にもたれていた。
考えないようにしても、考えてしまう。
前に出た。
撃った。
倒した。
――評価された。
それが、落ち着かない。
足音。
総司だ。
「戻るぞ」
「……どこに?」
「訓練場」
短い返答。
真依は、立ち上がる。
「私、今日は……」
言いかけて、止まる。
“疲れた”と言いそうになったから。
総司は、真依を見る。
「無理はさせん」
「だが、慣れろ」
真衣は、小さく息を吸う。
「……うん」
訓練場。
銃を構える。
弾は、今日は作らせない。
総司が、そう決めている。
「撃つな」
「構えろ」
真依は、従う。
前に立つ。
何もできない状態で。
心臓の音が、うるさい。
(……嫌だ)
また、あの感情。
だが、今日は違う。
総司が、後ろにいる。
出てこない。
助けない。
それでも、そこにいる。
「いい」
総司が言う。
「それを覚えろ」
「撃てなくても、前に立て」
真依は、唇を噛んだ。
それは、
守られる側の言葉じゃない。
「……私」
声が震える。
「壊れてもいい、って言われる方が楽だった」
総司は、答えない。
ただ、一言。
「それは許さん」
真依は、目を閉じた。
逃げ場がない。
それでも――
ここに立っている。
それだけで、
何かが変わり始めている気がした。