禪院の王庫   作:ナムルパス

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第9話 輪郭だけが浮かび上がる

朝の高専は、静かだった。

 

任務のない日特有の、

気の抜けた静寂。

 

だが真依は、その空気を心地いいとは思わなかった。

 

――視線が、違う。

 

歩いているだけで、

周囲の気配が微妙にずれる。

 

(……昨日まで、こんなんじゃなかった)

 

露骨ではない。

だが確実に、“意識されている”。

 

廊下の端で、

数人の生徒が小声で話している。

 

「……昨日の、聞いた?」

「単独で、って……」

「禪院の……銃の方だろ?」

 

名前は出ない。

具体的な話もない。

 

だが、それで十分だった。

 

噂は、形を持たないほど速く広がる。

 

真依は、表情を変えずに歩き続けた。

 

教室に入ると、

空気が一瞬だけ止まる。

 

誰かが咳払いをして、

別の誰かが視線を逸らす。

 

(……分かりやす)

 

席に着き、

銃のメンテナンスを始める。

 

この作業だけは、

余計なことを考えずに済む。

 

弾の感触。

呪力の流れ。

 

昨日と、変わらない。

 

(……私は、変わってない)

 

変わったのは、

周りの見方だけだ。

 

昼。

 

食堂は、それなりに賑わっていた。

 

真衣は、人の少ない端の席を選ぶ。

 

誰かと食べる気はない。

 

トレイを置いた、その時。

 

「……ここ、空いてる?」

 

落ち着いた声。

 

振り向くと、

家入硝子が立っていた。

 

白衣は着ていない。

完全に“日常”の顔だ。

 

「……どうぞ」

 

少しだけ間を置いて答える。

 

硝子は、自然に腰を下ろした。

 

「昨日の任務、怪我は?」

 

いきなり核心には来ない。

 

医者らしい聞き方。

 

「軽い反動だけ」

 

「ふうん」

 

硝子は、真依の手元を見る。

 

銃。

指先。

呪力の流れ。

 

「……普段と違うこと、したでしょ」

 

断定ではない。

観察の結果だ。

 

真依は、少しだけ黙った。

 

「……切り札を」

 

それ以上は言わない。

 

硝子も、深追いしない。

 

「反動が出るタイプは、

使いどころ間違えると厄介だからね」

 

「分かってる」

 

「ならいい」

 

それで終わり。

 

沈黙。

 

硝子が、ふっと息を吐く。

 

「戦力扱い、始まった?」

 

真依は、箸を止めた。

 

(……早いな)

 

「……多分」

 

「嫌?」

 

即答できなかった。

 

嫌悪というより、

既視感。

 

禪院家と、同じ匂い。

 

「……慣れてる」

 

そう答えた。

 

硝子は、少しだけ苦笑した。

 

「そっか」

 

「でもさ」

 

視線を前に向けたまま、

ぽつりと言う。

 

「ここは、家じゃない」

 

「同じにならないとは言わないけど」

 

「全部が、同じでもない」

 

真依は、何も返さなかった。

 

期待しない。

 

それが、一番安全だ。

 

午後。

 

訓練場。

 

総司は、いつも通りそこにいた。

 

立ち位置も、

視線の高さも、

指示の出し方も。

 

昨日と、何一つ変わらない。

 

「距離を取れ」

 

「撃ちすぎるな」

 

「弾数、管理しろ」

 

短く、無駄のない指示。

 

真依は、それに従う。

 

周囲には、見学する生徒が増えていた。

 

誰も口を出さない。

ただ、見ている。

 

(……鬱陶しい)

 

だが、撃つ。

 

動く。

 

一手一手を、

いつも以上に正確に。

 

――“切り札”を使わずに。

 

訓練が終わる頃には、

周囲の視線に、少しだけ変化があった。

 

好奇心から、警戒へ。

 

人は、分からないものを怖がる。

 

人が散った後。

 

総司が、ようやく口を開く。

 

「今日は、それでいい」

 

「分かってる」

 

即答。

 

「周りの目は、気にするな」

 

「……してない」

 

「嘘だ」

 

即断。

 

真依は、何も言い返さない。

 

「だが」

 

総司は続ける。

 

「お前が判断すべきなのは、

敵と、自分の状態だけだ」

 

余計なものは、要らない。

 

守る気も、

説明する気もない。

 

それでも――

切り捨てもしない。

 

夕方。

 

高専の端。

 

真依は、一人で風に当たっていた。

 

(……変わった)

 

昨日までは、

“出来損ないの禪院”。

 

今日は、

“得体の知れない戦力”。

 

評価が変わっただけで、

本質は何も変わらない。

 

それでも。

 

銃を握る手に、

確かな感触がある。

 

私は、ここに立っている。

 

逃げていない。

 

――それだけで、十分だ。

 

遠くで、

禪院の血の気配が動いた。

 

直哉ではない。

 

だが、

近い。

 

(……来る)

 

まだ直接じゃない。

 

けれど、

確実に――こちらを見ている。

 

真依は、空を見上げた。

 

高専の空は、広い。

 

それでも、

逃げ場はない。

 

だが――

逃げる気も、なかった。

 

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