朝の高専は、静かだった。
任務のない日特有の、
気の抜けた静寂。
だが真依は、その空気を心地いいとは思わなかった。
――視線が、違う。
歩いているだけで、
周囲の気配が微妙にずれる。
(……昨日まで、こんなんじゃなかった)
露骨ではない。
だが確実に、“意識されている”。
廊下の端で、
数人の生徒が小声で話している。
「……昨日の、聞いた?」
「単独で、って……」
「禪院の……銃の方だろ?」
名前は出ない。
具体的な話もない。
だが、それで十分だった。
噂は、形を持たないほど速く広がる。
真依は、表情を変えずに歩き続けた。
教室に入ると、
空気が一瞬だけ止まる。
誰かが咳払いをして、
別の誰かが視線を逸らす。
(……分かりやす)
席に着き、
銃のメンテナンスを始める。
この作業だけは、
余計なことを考えずに済む。
弾の感触。
呪力の流れ。
昨日と、変わらない。
(……私は、変わってない)
変わったのは、
周りの見方だけだ。
昼。
食堂は、それなりに賑わっていた。
真衣は、人の少ない端の席を選ぶ。
誰かと食べる気はない。
トレイを置いた、その時。
「……ここ、空いてる?」
落ち着いた声。
振り向くと、
家入硝子が立っていた。
白衣は着ていない。
完全に“日常”の顔だ。
「……どうぞ」
少しだけ間を置いて答える。
硝子は、自然に腰を下ろした。
「昨日の任務、怪我は?」
いきなり核心には来ない。
医者らしい聞き方。
「軽い反動だけ」
「ふうん」
硝子は、真依の手元を見る。
銃。
指先。
呪力の流れ。
「……普段と違うこと、したでしょ」
断定ではない。
観察の結果だ。
真依は、少しだけ黙った。
「……切り札を」
それ以上は言わない。
硝子も、深追いしない。
「反動が出るタイプは、
使いどころ間違えると厄介だからね」
「分かってる」
「ならいい」
それで終わり。
沈黙。
硝子が、ふっと息を吐く。
「戦力扱い、始まった?」
真依は、箸を止めた。
(……早いな)
「……多分」
「嫌?」
即答できなかった。
嫌悪というより、
既視感。
禪院家と、同じ匂い。
「……慣れてる」
そう答えた。
硝子は、少しだけ苦笑した。
「そっか」
「でもさ」
視線を前に向けたまま、
ぽつりと言う。
「ここは、家じゃない」
「同じにならないとは言わないけど」
「全部が、同じでもない」
真依は、何も返さなかった。
期待しない。
それが、一番安全だ。
午後。
訓練場。
総司は、いつも通りそこにいた。
立ち位置も、
視線の高さも、
指示の出し方も。
昨日と、何一つ変わらない。
「距離を取れ」
「撃ちすぎるな」
「弾数、管理しろ」
短く、無駄のない指示。
真依は、それに従う。
周囲には、見学する生徒が増えていた。
誰も口を出さない。
ただ、見ている。
(……鬱陶しい)
だが、撃つ。
動く。
一手一手を、
いつも以上に正確に。
――“切り札”を使わずに。
訓練が終わる頃には、
周囲の視線に、少しだけ変化があった。
好奇心から、警戒へ。
人は、分からないものを怖がる。
人が散った後。
総司が、ようやく口を開く。
「今日は、それでいい」
「分かってる」
即答。
「周りの目は、気にするな」
「……してない」
「嘘だ」
即断。
真依は、何も言い返さない。
「だが」
総司は続ける。
「お前が判断すべきなのは、
敵と、自分の状態だけだ」
余計なものは、要らない。
守る気も、
説明する気もない。
それでも――
切り捨てもしない。
夕方。
高専の端。
真依は、一人で風に当たっていた。
(……変わった)
昨日までは、
“出来損ないの禪院”。
今日は、
“得体の知れない戦力”。
評価が変わっただけで、
本質は何も変わらない。
それでも。
銃を握る手に、
確かな感触がある。
私は、ここに立っている。
逃げていない。
――それだけで、十分だ。
遠くで、
禪院の血の気配が動いた。
直哉ではない。
だが、
近い。
(……来る)
まだ直接じゃない。
けれど、
確実に――こちらを見ている。
真依は、空を見上げた。
高専の空は、広い。
それでも、
逃げ場はない。
だが――
逃げる気も、なかった。