訓練場の結界が、音もなく閉じた。
それだけで、空気が切り替わる。
視界に映るものは何も変わらない。
それなのに、同じ場所ではないような感覚が生まれる。
五条悟は、いつもと変わらない様子で立っていた。
片手をポケットに突っ込み、首を軽く鳴らす。
「じゃ、模擬戦ね。
お互い、殺しなし。壊しすぎもなし」
条件としては、あまりに緩い。
だが、それを疑う者はいない。
向かいに立つ総司は、返事をしない。
頷きもなく、構えもない。
呪力を立たせることすらしない。
それが、妙に目についた。
(……何も、出してない)
真依は、少し離れた場所からその背中を見つめる。
視線を逸らせば楽なのに、どうしても外せなかった。
訓練のはずだ。
それなのに、胸の奥がひやりとする。
(同じ高専にいるのに……)
理由は分からない。
ただ、立っている“位置”が違うと感じる。
五条が、一歩前に出る。
それだけの動きなのに、
空間が押し縮められたような錯覚が走った。
五条の動きは速い。
派手さはないが、迷いもない。
拳が来る、と認識した時には、
もう間合いは詰められていた。
総司は、前に出ない。
下がりもしない。
代わりに――空間が歪む。
王庫が開いた。
背後に生じた裂け目から、呪具が吐き出される。
刃、杭、短槍。
どれも見覚えのある、2級呪具。
(……それだけ?)
真依は、一瞬そう思ってしまう。
だが、次の瞬間、
その認識が間違いだと分かった。
総司は、武器を掴まない。
呪具は宙に静止し、
次の瞬間、射出された。
直線じゃない。
角度を変え、時間差をつけ、
五条の立つ空間そのものを削るように放たれる。
「へぇ……」
五条が、心底楽しそうに声を漏らす。
軽口だ。
だが、視線は一瞬も逸れていない。
射出された呪具は、五条に届かない。
しかし、意味はある。
踏み込める場所が、減る。
動ける選択肢が、削られていく。
「投げてるってより、完全に“撃ってる”ね」
感想のように言いながら、
五条は自然に間合いをずらす。
総司は追わない。
詰める判断もしない。
王庫から、別の呪具が現れる。
鎖。
射出と同時に分裂し、周囲を囲う。
完全な拘束ではない。
だが、五条の動きが、わずかに制限される。
「なるほど」
五条が笑う。
「派手なのは、あんまり好きじゃない?」
それは冗談めいている。
だが、核心を突いていた。
総司は答えない。
鎖を王庫へ戻し、射出を止める。
戦場が、一瞬だけ静まる。
(……切ってない)
真依は、はっきりと気づく。
王庫には、もっとある。
あんなものだけで終わるはずがない。
それでも、使わない。
(まだ、届いてないんだ)
自分も。
この場も。
五条が、少し距離を取る。
「前半は、こんなところでいいかな」
軽く手を叩き、戦闘を区切る。
「面白いよ。
ちゃんと“選んで”戦ってる」
総司は、何も言わない。
王庫を閉じ、元の位置に戻る。
特別な動作はない。
誇示も、余韻もない。
それでも。
真依には、はっきりと残った。
強さの差じゃない。
技術の差でもない。
立っている場所が、違う。
その隔たりが、
今はまだ、埋めようもなく遠い。