禪院の王庫   作:ナムルパス

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第11話 隔たり 後編

結界の内側で、空気が変わった。

 

誰かが合図を出したわけじゃない。

ただ、五条悟が一歩、踏み出しただけだ。

 

それだけで、真依は直感する。

 

(……さっきと、違う)

 

呪力の量が増えたわけじゃない。

圧が露骨になったわけでもない。

 

なのに、

足元の感覚が、わずかに狂う。

 

五条は、笑っていた。

 

「大丈夫大丈夫。

 さっきより、ほんのちょっとだけだから」

 

“ちょっとだけ”。

 

その言葉を、

真に受けていい類の相手じゃないことを、真依はもう知っている。

 

五条が、踏み込む。

 

速度は変わらない。

動きも、派手さはない。

 

だが――

“来る”のが早い。

 

認識と同時に距離が詰まる。

反応しようとした時には、すでに間合いの外に立たれている。

 

総司は、下がらない。

 

王庫が、再び開いた。

 

今度も出てくるのは、2級呪具だけだ。

刃、杭、短剣。

 

だが、数が違う。

 

射出。

 

間断なく、連続で放たれる。

さっきのような間合い制圧ではない。

 

動線そのものを潰しにきている。

 

五条は、それを避けない。

跳ねもしない。

 

“ずらす”。

 

ほんの数センチ。

致命になる軌道だけを、自然に外していく。

 

「うんうん」

 

五条が、楽しそうに頷く。

 

「分かってる分かってる。

 近づく気、最初からないよね」

 

総司は答えない。

 

射出の密度が、さらに上がる。

だが、やみくもじゃない。

 

五条が動いた“後”を狙っている。

読んでいるのではなく、想定している。

 

(……先を見てる)

 

真依は、ようやく気づく。

 

反射でも、勘でもない。

この二人は、同じ時間を生きていない。

 

五条が、一度だけ前に出る。

 

総司の射出が止まる。

 

その判断が、あまりに早い。

 

次の瞬間、

五条の拳が、総司の目前をかすめた。

 

当たらない。

だが、距離は確実に詰められている。

 

「惜しい」

 

軽口。

 

「今の、普通は下がるんだけどね」

 

総司は動かない。

 

王庫から、別の呪具が現れる。

短い刃。

投擲用。

 

射出――ではない。

 

一瞬だけ、遅らせる。

 

その僅かな間で、総司は横にずれる。

五条の視線が、その動きを追う。

 

「……あー」

 

五条が、納得したように息を吐く。

 

「“詰められない位置”を、ずっと保ってるんだ」

 

評価だ。

だが、驚きはない。

 

まるで、

そこに来ることを最初から知っていたかのように。

 

総司は、刃を戻す。

王庫が閉じる。

 

それ以上、攻めない。

 

五条は、そこで止まった。

 

一歩、下がる。

 

「はい。ここまで」

 

戦闘が、終わる。

 

唐突だった。

だが、異論を挟める者はいない。

 

「これ以上やるとさ」

 

五条は、肩をすくめる。

 

「“模擬”じゃなくなる」

 

笑顔のまま。

けれど、その言葉には、確かな線引きがあった。

 

総司は、頷きもしない。

ただ、何事もなかったように立っている。

 

真依は、しばらく動けなかった。

 

派手な技は見ていない。

特別な呪具も、出てきていない。

 

それなのに。

 

(……遠い)

 

今の数分で、

はっきりと突きつけられた。

 

総司は、まだ上を見ている。

五条は、そのさらに先に立っている。

 

そして、自分は――

ようやく“下から見上げた”だけだ。

 

五条は、ふっと真依に目を向ける。

 

一瞬だけ。

教師の顔で。

 

「焦らなくていいよ」

 

軽い声。

 

「今のは、見えなくて正解だから」

 

慰めではない。

事実の提示だ。

 

総司は、その言葉に反応しない。

 

ただ、王庫を完全に閉じ、

結界の出口へと向かう。

 

背中は、いつも通り。

変わらない。

 

だが、真依には分かる。

 

あの背中は、

追いつくための目標じゃない。

 

――追いつけない高さを、

ただ、示されただけなのだと。

 

結界が、解除される。

 

日常の音が戻ってくる。

 

それでも刻まれた隔たりだけは

消えることなく、そこに残っていた。

 

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