蔵の中は、静まり返っていた。
夜の禪院家は音が少ない。
だが今、真依の耳には――
何も聞こえすぎている。
息遣い。
心臓の音。
自分が、ここに立っているという事実。
目の前には、禪院総司がいる。
動かない。
何も言わない。
ただ、立っているだけなのに。
(……こわい)
けれど、それ以上に。
(この人は、逃がしてくれない)
そう直感していた。
「後悔するぞ」
総司が、低く言った。
「俺の物になるということは、そういうことだ」
真依は、小さく息を呑む。
「自由はない」
「選択もない」
「お前の価値は、俺が決める」
淡々と、事実を告げる声。
それでも。
「……それでも」
真依は、俯いたまま言った。
「ここで、何も持たずに壊れるより……ましです」
一瞬。
蔵の空気が、わずかに揺れた。
総司は、真依を見下ろす。
(理解している)
それが、答えだった。
⸻
――俺は、弱いものを拾わない。
哀れだから守る?
守る価値があるから?
違う。
そんな曖昧な理由で、
王が何かを手に入れることはない。
俺が選ぶのは、
自分の立場を理解しているものだけだ。
⸻
真希は、違う。
弱い。
だが、吠える。
牙も力もないのに、
王と同じ高さに立とうとする。
それは反逆だ。
そして――不快だ。
雑種が、王の玉座を見上げるな。
⸻
だが、真依は。
こいつは、自分が何も持たないことを知っている。
才能がない。
力もない。
選択肢もない。
だからこそ――
すべてを差し出せる。
それは、
王の所有物に最も近い在り方だった。
⸻
「顔を上げろ」
総司の声に、真依はゆっくりと顔を上げた。
涙の跡が残る目。
怯えと覚悟が入り混じった表情。
総司は、その目を見て確信する。
(壊れない)
「誓え」
静かな声。
「命」
「心」
「未来」
「全部、俺に捧げると」
真依の喉が鳴る。
逃げることはできない。
逃げても、何も残らない。
だから――
「……ちかいます」
か細い声だった。
「わたしの、ぜんぶ」
「総司さまに、ささげます」
その瞬間。
蔵の空間が、完全に歪んだ。
⸻
見えない“門”が、開く。
一つではない。
十でもない。
無数。
そこから溢れ出すのは、
鉄の匂い。
血の気配。
呪いの残滓。
真依は、理解できない恐怖に息を詰める。
「……なに、これ……」
総司は、初めて――
ほんのわずかに、口角を上げた。
「王葬庫《おうそうこ》」
それが、俺の術式だ。
⸻
空間の裂け目から、
一本の刀が現れる。
刃こぼれし、
柄には無数の手垢。
――死んだ呪術師の呪具。
「ここは、墓場だ」
総司は言う。
「役目を終え、捨てられた武器のな」
次々と、門が開く。
槍。
鎖。
歪な形をした呪具。
どれも、強烈な呪力を纏っている。
真依は、立っていられなかった。
膝が震え、床に崩れる。
「だが、墓には王が必要だ」
総司は、呪具たちを見回す。
「管理する者」
「命じる者」
「使い潰す者」
呪具たちが、微かに鳴いた。
まるで、
主を認めたかのように。
⸻
「これが……総司さま……?」
真依の声は、震えていた。
総司は、真依を見る。
「理解しろ」
「俺は、優しくない」
「正しくもない」
「だが――」
一歩、近づく。
「俺の物は、壊させん」
呪具の一本が、床に突き刺さる。
轟音。
「お前が死ぬなら、それは俺が決める」
「他の誰にも、選ばせない」
真依は、震えながらも頷いた。
「……はい」
その答えを聞いて、
総司は満足した。
⸻
翌日。
蔵で起きた“異変”は、
すぐに禪院家全体に広がった。
「呪具庫が……反応した?」
「あり得ん」
「だが、あの蔵から――」
大人たちは、ざわつく。
だが、誰も近づこうとしない。
「総司様の蔵だ」
「触るな」
恐怖と忌避。
それが、
禪院総司という存在の正体だった。
⸻
中庭では、真希が稽古をしていた。
竹刀を振るう。
殴られる。
それでも、歯を食いしばって立ち上がる。
その様子を、少し離れた場所から、総司が見ていた。
真希は、気づいて睨み返す。
その目は、相変わらずだ。
――吠える目。
総司は、視線を逸らした。
「……雑種が」
それだけ言い、踵を返す。
真依は、その背後に立っていた。
昨日とは違う。
恐怖はあるが、揺らぎはない。
「行くぞ」
総司の言葉に、真依は一歩遅れてついていく。
その背中を、真希は睨み続けていた。
⸻
その夜。
総司は、蔵の中で一人、呪具の気配に囲まれていた。
(……いずれ)
いずれ、この力は表に出る。
禪院家も、
呪術界も、
宿儺でさえ。
俺を無視できなくなる。
「面倒だな」
だが――
悪くない。
王は、
すでに在る。
あとは、
踏み潰すだけだ。