呪霊が消えた後も、修練場の空気は戻らなかった。
術師たちは誰一人として動けず、
ただ、少年の背中を見つめている。
――いや。
正確には、見ないようにしている。
「……総司」
沈黙を破ったのは、長老の一人だった。
皺だらけの顔に、隠しきれない緊張が浮かんでいる。
「今のは……お前の術式か」
総司は、ゆっくりと振り返った。
「見て分からんか」
問い返しでも、挑発でもない。
事実としての一言。
長老は喉を鳴らす。
(やはり……)
《王葬庫》。
禪院家に伝わるどの術式とも異なる、異端。
呪具を呼び出す?
否。
概念を取り出している。
それは術式というより、
「世界の所有権」に近い。
「……危険だな」
別の長老が呟く。
「制御できていない」
「いや」
遮るように、別の声が入った。
「制御している」
誰もが振り向く。
そこに立っていたのは、総司の父――ではない。
禪院家の分家筋。
現当主の側近にあたる男だ。
「制御できていないのなら、
この屋敷はもう半壊している」
「……」
「総司は、必要最低限しか“開いていない”」
その言葉に、空気がさらに冷える。
必要最低限。
つまり――
本気ではない。
総司は、そのやり取りを興味なさそうに聞いていた。
「話は終わりか」
そう言って、真依の肩に手を置く。
真依の身体が、わずかに強張る。
だが、拒まない。
「帰るぞ」
「……はい」
二人が歩き出すと、
道を塞ぐ者はいなかった。
夜。
禪院家の奥座敷では、急遽評議が開かれていた。
「危険すぎる……」
「だが、切れん」
「殺せばいい話ではないのか?」
その言葉に、即座に否定が飛ぶ。
「無理だ。
あれはもう、“人”として扱う段階を過ぎている」
「ならどうする」
沈黙。
やがて、誰かが呟いた。
「……囲うしかない」
王を、檻に入れる。
禪院家という檻に。
「禪院の名を与え、
守り、縛り、外に出さない」
「それで、従うのか?」
「従わせる」
そう言った長老の声は、震えていた。
一方、その夜。
総司の部屋は、異様に静かだった。
真依は、畳の端に正座している。
視線は落としたまま。
「……あの」
珍しく、真依が口を開いた。
「私は……役に立ちましたか」
総司は、少しだけ考える。
「役に立つ、という言い方は違う」
真依の指先が、ぎゅっと握られる。
「お前は、俺の物だ」
淡々とした声。
「それ以上でも、それ以下でもない」
「……はい」
「だが」
一拍。
「俺の物が壊れれば、俺が不快だ」
真依は、ゆっくりと顔を上げた。
「だから守る。
それだけだ」
真依の胸に、奇妙な感情が広がる。
それは安心でも、幸福でもない。
だが――
確かに、救いだった。
「……ありがとうございます」
総司は、答えない。
答える必要がないからだ。
数日後。
禪院家の空気は、はっきりと変わっていた。
総司を「子ども」と呼ぶ者はいない。
名を呼ぶときは、必ず敬意か警戒が混じる。
そして――
一人の少年が、屋敷に戻ってくる。
「へぇ……」
軽薄な笑み。
鋭い眼。
「噂は本当やったんやな」
禪院直哉。
まだ若いが、
すでに自分を“次期当主”と疑わない男。
「総司くん、やったっけ」
直哉は、総司を見下ろすように言った。
「面白そうやん。
禪院に、王様気取りが生まれたって」
総司は、視線を向ける。
「……お前は」
直哉の背後に、
無数の“所有されていないもの”が見える。
空っぽだ。
「雑音だ」
その一言で、
直哉の笑みが一瞬だけ歪んだ。
「……は?」
だが、次の瞬間には、また笑っている。
「ええわ。
すぐに分かる」
――どちらが、上か。
総司は興味を失ったように視線を外す。
その背後で、真依が小さく息を呑んだ。
禪院家は、もう後戻りできない。
王を抱えた家は、
いずれ、王に選別される。