禪院直毘人が屋敷の門をくぐったのは、日が傾ききる直前だった。
季節は秋。
だが、屋敷に漂う空気は妙に重く、湿っている。
「……変だな」
独り言のように呟き、直毘人は足を止めた。
長年この家に身を置いてきた男の感覚が、はっきりと警鐘を鳴らしている。
――禪院家が、落ち着いていない。
玄関先に控えていた使用人たちは、いつもより動きが硬い。
頭を下げる角度も、声をかけるタイミングも、どこか揃っていない。
「……お帰りなさいませ、直毘人様」
ようやく絞り出したような声。
直毘人は軽く手を上げ、靴を脱ぎながら視線を巡らせた。
「何かあったな」
問いというより、確認だった。
使用人は一瞬言葉に詰まり、
それから覚悟を決めたように答える。
「……数日前、屋敷の内部で呪霊が」
「内部?」
その一言で、空気が張り詰める。
直毘人の目から、酒気の抜けた鋭さが覗いた。
「結界の外じゃないな」
「……はい」
(なるほど)
直毘人は理解する。
禪院家の結界は、外から破られるほど甘くない。
ならば原因は一つ。
「対処したのは誰だ」
使用人は、声を低くして答えた。
「……禪院総司様です」
直毘人は、ふっと息を吐いた。
「やっぱりか」
驚きはない。
むしろ、想定より少し早かっただけだ。
奥座敷。
急ごしらえで集められた長老たちが、畳の上に並んでいた。
直毘人が入ると、一斉に頭が下がる。
「お戻りになられて早々、恐れ入ります」
「いい。で、どういう話だ」
直毘人は腰を下ろし、盃を受け取る。
「総司の件です」
「他にないだろ」
ぶっきらぼうな返答に、長老の一人が苦々しく続ける。
「術式が……想定以上でした」
「想定、な」
直毘人は鼻で笑う。
「想定できてたら、今頃こんな顔してない」
沈黙。
別の長老が、重い口を開く。
「《王葬庫》……
あれは、術式の域を超えています」
直毘人は盃を傾けながら言った。
「具体的に言え」
語られたのは、数日前の出来事。
屋敷内部に侵入した呪霊。
虚空が歪み、刃の“概念”が現れ、触れただけで存在が消えたこと。
話を聞き終えた直毘人は、しばらく黙っていた。
(やはりな)
術式ではない。
在り方そのものが違う。
「で、結論は?」
長老の一人が、慎重に言葉を選ぶ。
「……囲うべきかと」
「殺せない。使えない。逃がせない。
だから囲う、か」
直毘人は盃を置く。
「無難だな」
「お認めになりますか」
直毘人は、長老たちを見回した。
「一つ聞く」
全員が身構える。
「――総司は、禪院を守るか?」
答えは出ない。
誰も、肯定できない。
直毘人は、小さく笑った。
「だろうな」
立ち上がり、言葉を続ける。
「勘違いするな。
あれは、禪院が飼える存在じゃない」
一拍置いて、はっきり告げる。
「禪院が、選ばれる側だ」
長老たちの顔色が変わる。
「囲うのは構わない。
だが、主従を履き違えるな」
そう言い残し、直毘人は部屋を出た。
夜。
直毘人は一人、屋敷の奥へ向かう。
目的地は分かっている。
今、この屋敷で最も“中心”に近い場所。
禪院総司の部屋。
襖の前で足を止め、気配を隠さず声をかける。
「入るぞ」
返事はない。
だが、拒絶もない。
襖を開けると、畳の上に少年が座っていた。
禪院総司。
その背後、半歩下がった位置に禪院真依。
二人の距離感を見ただけで、直毘人は理解する。
(もう関係は出来上がってる)
「初めてちゃんと話すな」
直毘人はそう言って、向かいに腰を下ろした。
総司は立たない。
礼もしない。
だが直毘人は、それを咎めなかった。
「噂は聞いてる」
視線を真依に向ける。
「随分、歪んだ拾い方だ」
総司は即答する。
「俺の物だ」
「だろうな」
直毘人は軽く笑った。
「問題があるか?」
「ない」
即断だった。
「禪院らしい」
その言葉に、真依の指先がわずかに震えた。
直毘人は総司を真正面から見る。
「一つだけ聞かせてくれ」
「何だ」
「お前は、禪院に何を求めてる?」
総司は少し考え、それから答えた。
「何も」
迷いのない声。
「俺は、俺の物だけ守る。
禪院は、その中に入っていない」
直毘人は、確信する。
――これは、当主では制御できない。
だが同時に、
これほど禪院家らしい存在もいない。
直毘人は立ち上がり、背を向けた。
「好きにしろ」
襖に手をかけ、振り返る。
「ただし」
一言、付け加える。
「禪院を壊す時は、
一声かけてくれ」
総司は答えない。
だが、否定もしなかった。
廊下に出た直毘人は、独り言のように呟く。
「……直哉には、刺激が強すぎるな」
そして理解していた。
禪院家はもう、
王を抱えた。
この家は、
王に選別される側になったのだ。