禪院の王庫   作:ナムルパス

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第3話 当主の眼 後編

朝の禪院邸は、異様な静けさに包まれていた。

 

人の気配はある。

使用人も、分家の術師も、いつも通り動いている。

 

だが――

空気だけが、重い。

 

中庭に集められた分家筋の術師たちは、誰一人として声を出さなかった。

 

その中央に立つ男――

禪院直哉は、静かに周囲を見回していた。

 

「……つまり」

 

穏やかな声。

 

「総司には、干渉するな、と。

親父はそう言うたわけやな」

 

「……はい」

 

答えた分家の男は、視線を伏せたまま頷く。

 

直哉は小さく息を吐いた。

 

「随分と思い切った判断や」

 

口元には笑み。

だが、その目は冷えている。

 

「才能があるのは分かっとる。

せやけどな……禪院いう家は、

“好きにさせる”ためにある場所やない」

 

その時だった。

 

「その考え方が、もう古い」

 

背後から、低い声がかかる。

 

直哉は驚かない。

最初から、来ると分かっていたかのように振り返る。

 

そこにいたのは――

禪院総司。

 

その隣には、真依が控えている。

 

直哉は総司を見て、薄く笑った。

 

「……やっぱり来とったか」

 

視線を上下に動かす。

 

「相変わらず、えらく堂々としてるな。

ここがどこか、分かっとるんやろ?」

 

総司は答えない。

 

ただ、直哉を見る。

 

「忠告しとく」

 

直哉は声の調子を変えない。

 

「禪院ではな、

立場いうもんが何より大事や」

 

「それを無視して動く人間は、

大抵……長生きせえへん」

 

真依が、わずかに身を強張らせた。

 

直哉はそれに気づき、真依に目を向ける。

 

「……君は」

 

どこか嘲るような目。

 

「姉と違って、分を弁えとる。

その点は、悪くない判断やと思うで」

 

総司の視線が、初めて鋭くなった。

 

「――俺の物に、勝手に口を出すな」

 

声は低い。

だが、はっきりとしていた。

 

直哉の眉が、わずかに動く。

 

「“物”か」

 

小さく笑う。

 

「そう言うところが、

当主に目を掛けられる理由なんやろな」

 

その瞬間。

 

空間が、沈んだ。

 

目に見える変化はない。

だが、直哉は即座に理解する。

 

(……来た)

 

投射呪法を起動しようとした――

その思考が、途中で止まった。

 

身体が、動かない。

 

いや、違う。

 

動く意味が、消えている。

 

直哉は、自分が“そこに立つ必要のない存在”に

されていることを悟った。

 

(拘束……やない)

 

呪力で縛られているわけでもない。

術式で抑えられているわけでもない。

 

場の主導権そのものを、奪われている。

 

総司が言う。

 

「勘違いするな」

 

「禪院がどうなろうと、

俺は何とも思っていない」

 

直哉の目が、わずかに見開かれる。

 

「利用する気もない。

守る気もない」

 

「俺にとって重要なのは、俺の物だけだ」

 

圧が、増した。

 

直哉の足が、自然と沈む。

 

膝が折れる。

 

――跪いたのではない。

立っている理由を、失っただけだ。

 

「……っ」

 

歯を食いしばる。

 

(何や……この感覚)

 

格下だと思っていた相手に、

否定されたわけではない。

 

最初から、眼中にない。

 

それが、何よりも堪えた。

 

総司は、直哉を見下ろさない。

 

興味を失ったように、視線を外す。

 

「お前は、俺の物じゃない」

 

「だから、守らない」

 

圧が消えた。

 

直哉は、地面に手をついたまま、しばらく動けなかった。

 

総司は、真依にだけ声をかける。

 

「行くぞ」

 

「……はい」

 

迷いのない返事。

 

二人は、そのまま中庭を後にした。

 

 

 

少し離れた縁側。

 

その一部始終を、黙って見ていた男がいる。

 

禪院直毘人。

 

盃を傾けながら、静かに息を吐いた。

 

「……なるほどな」

 

(囲われる気も、従う気もない)

 

(だが、誰よりも“王”に近い)

 

直毘人は、苦笑する。

 

「禪院も……厄介なもんを抱えたわ」

 

だが、その表情はどこか楽しそうだった。

 

 

 

夜。

 

総司の部屋。

 

真依は正座したまま、俯いていた。

 

昼の出来事が、頭から離れない。

 

「……私は」

 

小さく口を開く。

 

「今日、皆から……

“総司様の物”として見られていました」

 

総司は、否定しない。

 

「事実だ」

 

真依は、ゆっくりと息を吸う。

 

「……それで、構いません」

 

顔を上げる。

 

「私は、

捧げることでしか生きられません」

 

総司は、淡々と言う。

 

「捧げた以上、

壊されることはない」

 

それは情ではない。

約束でもない。

 

当然の帰結だ。

 

真依は、深く頭を下げた。

 

「……全てを捧げます」

 

総司は、答えない。

 

ただ、そこにいることを許す。

 

 

 

同じ夜。

 

直哉は、自室で天井を見つめていた。

 

(……最初から、

見下されとったわけやない)

 

(存在を、数えられてすらいない)

 

拳を、強く握る。

 

恐怖と、屈辱。

 

そして――

初めて知った、決定的な差。

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