禪院の王庫   作:ナムルパス

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第4話 禪院という檻 前編

禪院家は、静かだった。

 

音がないわけではない。

使用人は歩いているし、分家の術師も行き来している。

 

だが、誰もが必要以上の会話を避け、

互いに目を合わせない。

 

――空気だけが、明らかにおかしい。

 

「……聞いたか」

 

「直系の……」

 

「いや、まさかだろ」

 

声は、必ず途中で途切れる。

名を出すことすら、無意識に避けられていた。

 

それでも噂は、確実に広がっている。

 

禪院直哉が、膝をついた。

相手は――禪院総司。

 

 

 

その名は、

屋敷の中に見えない歪みを作り始めていた。

 

 

 

真希は、稽古場で一人、木刀を振っていた。

 

乾いた音が、一定の間隔で響く。

振りは正確だ。

無駄もない。

 

だが、身体は重かった。

 

「……っ」

 

息を吐き、木刀を下ろす。

 

周囲には誰もいない。

 

本来なら、若い分家の人間が

順番待ちをしている時間帯だ。

 

だが今日は、

最初から最後まで、真希一人だった。

 

(……避けられている)

 

自覚は、もうある。

 

ここ数日、明らかに態度が変わった。

話しかけてこない。

近づいても、すぐに距離を取られる。

 

――そして、

代わりに向けられる視線がある。

 

(……真依)

 

胸の奥が、わずかにざわつく。

 

噂は、真希の耳にも入っていた。

 

直哉が総司に敗れたこと。

当主が総司に自由を許したこと。

そして――

 

真依が、“守られている”という話。

 

(守られている……?)

 

その言葉が、どうしても引っかかる。

 

真希は、真依を知っている。

 

臆病で、弱くて、

戦うことから逃げたがっていた妹。

 

強くなりたいなんて、

一度も口にしなかった。

 

ただ、この家から――

普通の場所へ行きたがっていただけだ。

 

(……それなのに)

 

守られている、という言葉は、

まるで真依が“何かを選ばされた”ように聞こえる。

 

(総司……)

 

禪院総司。

 

突然現れた、異質な存在。

 

力を持ちながら、

禪院の価値観に迎合しない男。

 

弱者を救う理想も語らず、

家に抗う意思も見せない。

 

(何を考えてる)

 

真希には、それが分からない。

 

そして分からないからこそ、

苛立ちが募る。

 

(……真依は)

 

本当に、それでいいのか。

 

答えは出ない。

 

真希は、木刀を床に置いた。

 

 

 

別棟の一室。

 

直哉は、静かに座っていた。

 

茶は冷めている。

それでも、手を伸ばす気にならない。

 

「……噂が広がるのは、早いな」

 

独り言のように呟く。

 

向かいに座る分家の男は、

言葉を選びあぐねている様子だった。

 

「直哉様……」

 

「構わへん」

 

直哉は、淡々と遮る。

 

「否定するつもりはない。事実やからな」

 

空気が、僅かに重くなる。

 

「ただ……」

 

直哉は視線を落としたまま、続ける。

 

「負けた、いうのも少し違う」

 

思い出すのは、

総司の目。

 

――評価すらされなかった。

 

「土俵が、違っただけや」

 

自嘲するような声。

 

(才能でも、努力でもない)

 

(最初から……

立っとる場所が別や)

 

それが分かった瞬間、

胸の奥に、はっきりとした恐怖が生まれた。

 

(あいつは、禪院に縛られる気がない)

 

ならば――

 

(縛れる状況を、作るしかない)

 

直哉は、静かに結論を出す。

 

禪院という家。

その重さ。

そのしがらみ。

 

それ自体を使う。

 

それが唯一、

総司を“こちら側”に留める方法だった。

 

 

 

真依は、部屋で銃を分解していた。

 

手つきは慣れている。

感情は、表に出ない。

 

最近、

自分を見る周囲の視線が変わったことには、

とっくに気づいていた。

 

個人としてではなく、

“誰のものか”を測る目。

 

(……総司様の)

 

その意識が、

奇妙なほど心を落ち着かせる。

 

怖くはない。

 

むしろ、

自分の立ち位置がはっきりしたことで、

迷いが減った。

 

(私は……)

 

一人では、何もできない。

 

それを、

もう否定しなくていい。

 

分解を終え、

銃を組み上げる。

 

(捧げると、決めた)

 

それは逃げではない。

自分が選んだ、

一つの生き方だ。

 

 

 

屋敷の最上階。

 

直毘人は、報告書に目を通していた。

 

簡潔な文章。

だが、内容は重い。

 

直哉の動き。

真希の不安定さ。

真依の立場の変化。

 

そして――

総司が、何もしていないこと。

 

「……動かん、か」

 

呟きは低い。

 

力を誇示する者は、分かりやすい。

野心を語る者も、扱いやすい。

 

だが、

何も求めない者は違う。

 

(縛れん)

 

(囲えん)

 

(それでいて……敵に回すと厄介や)

 

直毘人は、盃を傾ける。

 

「禪院は……試されとるな」

 

この家が、

王を受け入れる器かどうか。

 

 

 

夜。

 

真希は、縁側に座り、月を見上げていた。

 

冷たい風が、頬を撫でる。

 

(……真依)

 

守られている、という言葉が、

まだ胸に引っかかっている。

 

それが、

真依自身の意思なのか。

それとも――。

 

真希は、拳を握りしめた。

 

(……まだ、分からない)

 

ただ一つ、確かなことがある。

 

――禪院家は、

もう元の形には戻らない。

 

そして、その中心にいるのは、

禪院総司だ。

 

 

 

遠く。

 

禪院家の動きを、

静かに記録し始めた者たちがいることを、

まだ誰も知らない。

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