朝の禪院家は、異様な静けさに包まれていた。
鳥の鳴き声すら遠く感じる。
屋敷に勤める使用人たちは、普段よりも足音を抑え、視線を落として歩いている。
理由は、誰もが分かっていた。
――当主が、動いた。
広間は、最低限の人数だけが集められていた。
直系。
分家の中でも、発言力を持つ者。
そして、禪院という家の歪みを象徴する存在たち。
真希は、壁際に立っていた。
(……空気が重い)
呪力ではない。
威圧でもない。
“決まる”という予感そのものが、空気を張り詰めさせている。
やがて、襖が開いた。
禪院直毘人が、入ってくる。
歩き方は遅い。
だが、迷いはない。
誰かが声をかけることもなく、
直毘人は定位置に立った。
「……話がある」
それだけだった。
形式も、前置きもない。
「最近、家の中が騒がしい」
視線が、自然と泳ぐ。
直哉。
真希。
分家の長老格。
そして――総司。
「原因は分かっている」
直毘人は、総司を見る。
値踏みする目ではない。
評価する目でもない。
ただ、“事実を見る目”だった。
「お前が来てから、家の均衡が崩れ始めた」
責める調子ではない。
だが、肯定でもない。
「直哉との件。真依の扱い。分家の動揺」
一つずつ、淡々と並べる。
「放置すれば、この家は内側から割れる」
沈黙。
誰も否定できない。
直毘人は、軽く息を吐いた。
「だから決めた」
その言葉だけで、場の全員が理解した。
――裁定だ。
「禪院総司」
名を呼ばれ、総司が一歩前に出る。
姿勢は変わらない。
背筋も、視線も。
「お前を、禪院家の正式な一員として扱う」
ざわめきが広がる。
期待。
反発。
恐れ。
その全てが、混ざった音。
直毘人は続ける。
「命令はしない。思想にも口出ししない」
(……?)
真希は、眉をひそめた。
「誰を守るか、誰を切るかも、お前が決めろ」
一瞬、広間の空気が凍る。
当主が言う言葉ではない。
少なくとも、普通の家なら。
「ただし」
直毘人の声が、低くなる。
「禪院の名を使う以上、結果はすべて、この家に返ってくる」
責任だけを、突きつける。
囲わない。
縛らない。
だが、逃がしもしない。
それが、直毘人の出した答えだった。
総司は、少しの間、黙っていた。
考えているようにも、
迷っているようにも見えない。
やがて口を開く。
「構わない」
短い。
「俺は、
禪院を背負う気はない」
ざわめきが大きくなる。
だが、総司は気にしない。
「ただ、
俺のものを守るためにこの名が使えるなら、使う」
真希は、思わず歯を食いしばった。
(……こいつ)
徹底している。
理想もない。
言い訳もない。
直毘人は、しばらく総司を見つめた後、言った。
「それでいい」
驚きの声が上がる。
「禪院は、
お前の信条を矯正する気はない」
「その代わり、お前が壊したものは、禪院が引き受ける」
視線が鋭くなる。
「覚悟だけは、忘れるな」
総司は、短く頷いた。
集まりは、それで終わった。
誰も余計な言葉を発さず、
それぞれが広間を出ていく。
真希は、廊下で立ち止まった。
総司が、前を歩いている。
(……今の裁定)
納得できない。
だが、否定もできない。
真希は、足を進め、声をかけた。
「……真依は」
総司が、立ち止まる。
真希は、言葉を切った。
「納得してるのか」
疑問形だが、詰問に近い。
総司は、振り返らない。
「している」
即答だった。
「選択肢は示した。決めたのは、あいつだ」
真希は、拳を握る。
「逃げ場がないだけだろ」
総司は、ゆっくり振り返った。
「この家に、逃げ場があったことがあるか」
言葉が、真希の胸に刺さる。
「俺は、それを“俺の側”に置いただけだ」
真希は、唇を噛んだ。
「……壊すな」
総司は、少しだけ黙る。
「壊すのは、禪院だ」
静かな声。
「俺の物は、壊させない」
それだけ言って、
総司は歩き去った。
夜。
真依は、自室で銃を整備していた。
噂は、耳に入っている。
当主の裁定。
総司の立場。
自分の扱い。
(……静か)
不思議なほど、心が落ち着いていた。
怖くないわけではない。
だが、迷いがない。
(私は……)
一人では、生きられない。
それを、否定しなくていい。
捧げると誓った。
守られると決めた。
それが、
自分の選んだ“生存”だ。
一方、直毘人は一人、酒を飲んでいた。
(……総司)
忠誠も、理想もない。
ただ、
自分の所有物だけを守る。
(王だな)
民を導かない王。
だが、財を失わぬ王。
「……厄介だ」
小さく呟き、酒を煽る。
(だが)
(この家には、必要かもしれん)
そう思ってしまう自分を、
直毘人は否定しなかった。
禪院家は、
確実に変わり始めていた。
それが破滅か、
あるいは――
生き残りか。
答えは、まだ出ない。