タソガレ王国を出航してから、数日が経った。ゼロ・オリジン号は順調に海を進んでいた。永久指針が示す未来国バルジモアへと向かっている。最初のうちは、タソガレ王国を出た時と変わらない穏やかな航海だった。
「……寒くなってきたな」
甲板に立っていた宗次が、少し体を震わせて呟いた。
風が冷たい。それまで感じていた潮風とは明らかに違う。頬を撫でる風には冷気が混じり、吐き出した息が僅かに白くなる。
その冷気をさらに強めるように。白いものが空から落ちてきた。
「雪ね」
カレンが空を見上げる。
ひらり、ひらりと最初初は数えるほどだった。だが、時間が経つにつれて数は増えていく。
白い雪が甲板へと落ち、木製の床の上に積もっていく。ワトソンや宗次はその雪を撤去する。
「雪が降ってきたわね」
ロビンも空を見上げる。
ポツポツだと思っていた雪だったが今はしっかりと降っているというのがハッキリと分かる。
「バルジモアが冬島である証拠ですよ」
雑渡昆奈門が答えた。彼は既に厚手の服へと着替えている。
忍者装束の上から防寒用の外套を羽織っており、頭にも防寒具を身につけている。
「冬島って言っても、ここまで寒いとはな」
ハヤトは冬島の寒さを感じ取るが、泣き言は言わない。
「タソガレ王国を出た時は普通の気候でしたが、やはり偉大なる航路では島によって気候が極端に変化しますね」
急激な気候の変化に孔明は驚くが、冷静に対処している。
空を見上げてスゴい速さで動いている雲を見て、偉大なる航路は一般的な気象学の常識が通じないのだと肌で感じ取る。
「全員、冬服に着替えろ」
悪魔将軍がそう告げる。寒さには勝てない。それだけは誰もが同じだった。各々が冬の雪国で活動するのに相応しい衣装に着替えており寒さを凌ぐ準備に入った。変わらないのは悪魔将軍、常に同じ格好をしている。
「将軍は着替えなくていいの?」
「これは私のコスチューム、極寒の地だろうと灼熱の地であろうと問題無く動ける」
悪魔将軍だけ冬服に着替えていない、と言うよりはオーバーボディを着る時以外は服装を変えている姿を見たことは無い。
風呂等には入念に入っているが冬服に悪魔将軍は着替えないのでカレンは心配するが、悪魔将軍は心配無用と言う。
「しかし……」
キテレツ斎が甲板を見回した。
「この船は……少々傷んでいますな」
その言葉に悪魔将軍がゼロ・オリジン号を見る。
盗んだ船であるゼロ・オリジン号は大きな損傷こそしていないが誰かが整備しているというわけではない。掃除などはしているが、整備はしていない。ゼロ・オリジン号の船体は僅かに軋んでいる。キテレツ斎が修理した部分もあるものの、長年使われてきた船であることには変わりない。船体には傷があり、甲板もキテレツ斎が補修した。
「ここも応急処置ですし、あちらも本格的に修繕した方がいいでしょう。船底も一度確認した方がよろしいかと」
「そうか」
「このまま長期間航海を続けるのは、少々危険では?」
「問題ない」
今のゼロ・オリジン号を見て長期の航海は難しいとキテレツ斎は考えた。
悪魔将軍自身もこのままゼロ・オリジン号での長期の航海は難しいことを理解している。だが問題は無い。
「この船は何れは使い捨てるつもりだ」
このゼロ・オリジン号は何れは使い捨てる。
宝樹アダムで出来た船を作ればそれに乗り換えるので、それまでの間に使えればそれでいい。
「……使い捨てとは随分と思い切ったことを言いますな」
「そもそも、この船には船大工がいない」
キテレツ斎が黙る。それは確かにそうだった。
ゼロ・オリジン号には医者もいる。料理人もいる。航海を担当する者もいる。
戦闘を専門とする者もいる。科学や知識に長けた者もいる。船を専門に修理する船大工はいなかった。
「船は人間の身体と同じです。傷んだ場所を放置すれば、いずれ致命傷になりますぞ」
「分かっている」
「では、なぜ……」
「この船で冒険を続ける気は最初からないからだ」
「…………」
悪魔将軍は最初から宝樹アダムで出来た船を使っての冒険を視野に入れている。
だからゼロ・オリジン号が致命的な損傷をしない限りは大して気にしない。ウォーターセブンにまで続けばそれでいい、そんな感覚だった。
「船大工がいない以上、無理に修理を続けても仕方がない。それでも気になると言うのであればキテレツ斎、貴様が直せる範囲で直せばいい」
「私は船大工ではありませんよ?」
「それでも貴様は直せるだろう?」
「……まあ、出来なくはありませんが」
自分が何気なく船の状態を確認しただけで、いつの間にか修理担当のような扱いになっている。
しかし自分の乗る船なので修理はしっかりとしておきたい。キテレツ斎は船にあった木材を用いて今すぐに修復しなければ危ないなと思える部分を修理した。
永久指針がカタカタ。小刻みに揺れていた。
「永久指針が反応しています……これは」
孔明が永久指針の変化に気付く。
「バルジモアが近いのでしょう」
「もうそんなところまで来たの?」
カレンが驚く。
昆奈門は頷いた。
「ええ。バルジモアは冬島です。ここまで来れば、そう遠くありません」
「だったら、そろそろ島が見えるんじゃないですか?」
宗次が水平線を見る。
しかし島らしい場所は見えない。肉眼では見えないどころか雪景色のせいで上手く周りが見えない。
「この雪では見えにくいですが……」
孔明は望遠鏡を取り出した。
甲板から遠くを見渡す。白い雪、灰色の空、荒れ始めた海。視界を遮るものが多く、肉眼では何も見えない。
「……」
孔明が望遠鏡を覗いたまま沈黙する。
「どうだったの?」
沈黙をしているということは何かがあったのだろうとロビンが孔明に尋ねる。
「……見えました」
「本当!?」
カレンが身を乗り出す。
「ええ。永久指針の針の向きからして、バルジモア……冬島と言われているだけに雪に覆われています。山も見えます……かなり大きな島ですね」
「成る程、噂に聞いた通りのバルジモアですね」
孔明から貰った断片的な情報からバルジモアであるなと昆奈門は確信する。
何時ぐらいに辿り着くか分からなかったたやっとバルジモアについたのだとどこか安堵したような声が出ている。
数日間という短い間だったがこの船で世話になったそしてこの島が、キテレツ斎の新しい人生の始まりになる。これでキテレツ斎は一安心する事が出来る。
「喜ぶのはいいですが問題は上陸方法です」
徐々にバルジモアに近づいているのが分かったので次なる問題点に関して孔明が言った。
「バルジモアはベガパンクの生まれ故郷。そして研究資料が残されている可能性が高い……」
「海軍がいる可能性が高い、ということか」
貴虎が尋ねる。
「その通りです」
孔明は頷いた。
「世界一の天才科学者として知られるベガパンク。その生まれ故郷であり、研究施設まで存在した島です。政府や海軍が完全に放置していると考える方が不自然でしょう。ベガパンクの研究資料を狙う者がいる可能性もあります」
「海軍だけではないということか」
リグレットは他にも敵がいる可能性が視野されることを孔明に聞けば孔明は頷いた。
「ええ」
海賊、賞金稼ぎ、政府関係者、科学者。ベガパンクの研究成果を狙う者は決して少なくない。
例えベガパンクが発明した物の仕組みや内容を理解することが出来なくとも設計図1つだけで途轍もない価値を宿しているだろう。
「正面から行くんです?」
宗次が船をどこに停めるかについて聞いた。
「論外です」
孔明が即答した。
そりゃそうだ。この船には賞金首の人間が何人も乗っているのだから。
「港に船を停泊させれば、すぐに目立つでしょう。特に何名かは顔が割れています」
「なら、裏から入るぞ」
悪魔将軍が言った。全員が悪魔将軍を見る。
「港の反対側から上陸する」
「それがいいでしょう」
昆奈門も同意した。
「港側はどうしても人の出入りが多い。反対側ならば比較的人目につきにくいはず」
「ゼロ・オリジン号は?」
「ならば船も港から離れた場所に停泊させる。目立たないようにする」
「誰が残るの?」
カレンが聞く。
「全員が上陸する必要はない」
「……そうね……」
ロビンが悪魔将軍の言葉に頷く。
「少人数で島を調べるということね」
悪魔将軍は永久指針を見る。針はバルジモアを示している。
何時もならば誰かが船に残って、誰かが散策して交代して散策していた者達が船に残って、船に残った者達が散策をするという事になるが今回はそれをしない。
「まずは島の状況を確認する。海軍がいるなら接触を避ける。ベガパンクの研究施設を探したい」
「それも構いませんが、キテレツ斎様を安全な場所へ連れて行くことを優先してほしい」
悪魔将軍がバルジモアでの方針を告げるが昆奈門がキテレツ斎の身の安全を第一にと主張する。
しかしキテレツ斎をバルジモアにまで連れてくるという事は殆ど完了している。ならば何処かにあるであろうベガパンクの研究所を探すのを優先したいのが悪魔将軍の意見だ。
「お前の目的はこのバルジモアにキテレツ斎を置いていくことだ……だが、私達にも目的はある。ベガパンクの研究所にある様々な発明品の設計図を見たい」
悪魔将軍の視線がキテレツ斎へ向く。
「貴様も興味を持つのなら、見る価値はあるだろう」
「……私が?」
「世界一の天才の研究資料だ。発明家ならば興味がないとは言わんだろう?」
「それは……」
キテレツ斎が少しだけ表情が揺れ動く。目が僅かに輝いた。
「確かに興味はありますな」
キテレツ斎の反応はからくり技師として、そして発明家として当然の反応だった。
ベガパンクは世界一の天才、その名はキテレツ斎も知っている。自分とは異なる分野、発想、技術。そんな男が残した研究資料がある。それを見たいと思わない科学者など、ほとんどいないだろう。
「ベガパンクが残した資料……気になります」
キテレツ斎は笑った。
このバルジモアの住人になろうと考えていたが、バルジモアには世界一の天才であるベガパンクが残した研究資料の数々がある。それを見たいという欲求に駆られた。それを見たらきっとまた素晴らしい発明をすることが出来るだろうとキテレツ斎は年甲斐もなくワクワクしている。
「見えてきた!」
ハヤトが叫んだ。全員が前方を見る。雪景色の向こう。巨大な島影が姿を現していた。白い。どこまでも白い。島全体が雪に覆われ、山々には分厚い雪が積もっている。自然そのものが作り出した巨大な白銀の世界。
「未来国バルジモア……」
ベガパンクの故郷。
そしてこれからキテレツ斎が新たな人生を歩むことになるかもしれない場所。
「将軍殿」
昆奈門が声をかける。
「港が見えてきました」
「正面から入るな」
「了解だ!」
ハヤトが舵を切る。
ゼロ・オリジン号は港へ向かうのではなく、そのまま島の反対側へと進路を変えた。
港は目の前にあるのに上陸しなくて別の反対側に向かっていいのかという疑問を抱いている者が何名かいるので悪魔将軍は軽く説明をする。
「海軍と鉢合わせする可能性が高い場所へ、わざわざ正面から入る理由がない」
「確かに、その通りですな」
船はバルジモアの裏側へと回り込んでいく。
雪がさらに激しくなる。海岸へ近づくにつれ、波も荒くなっていった。所々で氷の塊もあり、キテレツ斎がゼロ・オリジン号を少し改造して砕氷船の機能が無ければゼロ・オリジン号は大きな損傷を受けていただろう。
「この辺りなら大丈夫でしょう」
昆奈門が周囲を確認する。
周りには住居らしい住居は無い。目印がない銀世界、一歩間違えれば遭難する。だからこそここならば船を停めるのに最適な場所だと判断を下した。
錨が下ろされる。雪の降り積もる海岸。そこへゼロ・オリジン号が静かに停泊した。
「ここから上陸する」
悪魔将軍が甲板からバルジモアを見る。悪魔将軍の号令と共に全員が準備を始める。
防寒具を確認し、必要な荷物をまとめる。雪国での活動になる以上、防寒対策は重要だ。
「キテレツ斎様、寒くありませんか?」
昆奈門が尋ねる。
「大丈夫だ。この程度の過酷な環境、ヘッチャラだ」
「無理はしないでください」
「分かっている」
キテレツ斎が笑う。そして、ゆっくりと船を降りる。
雪の上へ足を置いた。白い雪が靴を包む。吐息が白くなる。目の前に広がるのは、誰にも踏み荒らされていない雪原だった。
悪魔将軍は周囲を見る。港側とは違い、人の気配がほとんどない。今のところ海軍らしき姿も見えない。
「ここならば、しばらくは大丈夫でしょう」
孔明が言う。
「では、行きましょう」
昆奈門が先頭に立つ。
「バルジモアの内部へ」
悪魔将軍率いる一行は未来国バルジモアへと上陸した。
今回上陸したのは悪魔将軍、キテレツ斎、雑渡昆奈門、孔明、ロビン、ワトソンの6人。他の面々は万が一を想定してゼロ・オリジン号に残っている。万が一を想定し、悪魔将軍は貴虎から電伝虫を渡されていた。
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