今宵は、いい満月だった。
雲一つない夜空に、巨大な月が浮かんでいる。
月明かりは島全体を照らし、昼間とはまるで違う景色を作り出していた。
昼間は鉱石を運び、工房からは金属を打つ音が響き、食事時になれば誰かしらが騒いでいる。
だが、夜になればそれも静かになる。皆、それぞれの場所で休んでいる。
そんな中、私は海岸近くまで来ていた。波の音を聞きながら、夜空を見上げる。
「今宵はいい満月ですな〜」
隣から声が聞こえた。振り向くと、ワトソンが立っていた。普段と変わらぬ穏やかな表情で、彼もまた月を見上げている。
「そうだな」
「ミンク族にとっては、特別な夜です」
「……スーロンか」
「ええ、まぁ」
ワトソンが笑う。
ミンク族。普段は温厚な者が多い種族だが、満月の夜にはその身に秘めた力を解放することができる。
スーロン。それがミンク族の月下の姿だ。身体能力は飛躍的に向上する。速度も、瞬発力も、攻撃力も。通常時とは比較にならない。
そしてワトソンもまた、ミンク族である以上、その力を持っている。
「……一つ、お願いがあるのですが」
「何だ?」
「少しばかり、お相手願えませんかな?」
ワトソンがこちらを見る。
「スパーリングを?」
「ええ」
その顔には、悪戯を思わせる笑みが浮かんでいた。
「せっかくの満月ですからな〜。この身体で、どこまでやれるのか確かめてみたいのです」
「構わんが覚悟をしておけ」
私は頷いた。
天のダンベルを取り出して地面に叩きつければプロレスのリングが出てきた。
「では……」
ワトソンが月を見上げる。満月の光が、その身体を照らした。次の瞬間ワトソンの身体が変化した。
青い毛が逆立ち、身体が一回り以上大きくなる。筋肉が膨れ上がり、瞳の雰囲気も変わった。普段の穏やかな老人という印象から一転。そこに立っているのは、明確な戦士だった。スーロン。ミンク族の戦闘形態。
「ほぅ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
ミンク族の変化というものは興味深い。身体の構造そのものが変化しているように見える。単純に筋肉が増えているだけではない。生命力そのものが活性化している。
「では、参りますぞ」
「ああ」
ワトソンが地面を蹴った。
速い。先ほどまでとは明らかに違う。距離が一瞬で詰まる。
拳が飛んできた。私はそれを片手で受け止める。
「……!」
衝撃。
大地が僅かに沈んだ。思った以上の力だ。
私は受け止めた腕を引き、ワトソンの身体を横へ流す。
だが、ワトソンは空中で身体を捻った。
着地。すぐさまこちらへ向かってくる。爪を使った連撃。右。左。蹴り。再び右。私はそれらを避け、受け、時には腕で弾く。
ワトソンの動きは速い。スーロンによって身体能力が大きく向上している。
老いた身体とは思えないほどの動きだった。
ワトソンの拳が私の頬を狙う。私は僅かに身体を傾けて避ける。そのまま懐へ入り込む。
「遅い」
「おっと!」
軽く肩を押す。
それだけでワトソンの身体が後方へ飛んだ。
空中で体勢を立て直し、着地。すぐにこちらへ向かってくる。
今度は速度をさらに上げた。残像すら見える。
なるほど。これがスーロンか。普通の人間ならば、目で追うことすら難しいだろう。だが。
「まだ足りん」
私は踏み込んだ。
ワトソンの動きが止まったように見える。
いや、違う。私の方が速いだけだ。水平チョップを繰り出す。ワトソンは咄嗟に腕を交差して防御した。ドンッ!とチョップの衝撃でワトソンの身体が吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
地面を何度か転がり、ワトソンが立ち上がる。まだ戦意は消えていない
「やりますなぁ……」
「まだやるか?」
「もちろんですとも」
ワトソンは笑った。歳を重ねても、戦うことへの意欲を失っていない。
再びワトソンが来る。今度は正面からではない。
左右へ跳びながら接近してくる。フェイント。フェイント。
そして死角から爪。私は身体を捻って避ける。そのままワトソンの背後へ回る。
「デルタダイナマイト!」
「なっ……!」
私はワトソンに向かってタックルをかます。
ワトソンが後方へと飛ぶ。だが、今度は転ばない。着地した瞬間に振り返る。
その目には、まだ闘志が残っていた。だが、届かない。ワトソンが弱いわけではない。
むしろ強い。スーロンとなったことで、通常時とは比較にならない戦闘能力を発揮している。
全盛期を過ぎた身体でありながら、これだけ動けるのだ。普通の戦士ならば、十分すぎるほど脅威になる。
だが。私には届かない。それだけだ。
「……はぁっ!」
ワトソンが最後の力を振り絞るように突っ込んできた。
私はその攻撃を真正面から受け止め技の体勢に入る。
「疾きこと風の如く!」
ワトソンの腕を掴んで、リング上を円状に走り回った後に投げ捨てる。
「静かなること林の如く!」
ローリングクレイドルでワトソンと共に上空に飛びあがる。
「侵略すること火の如く!」
パイルドライバーでワトソンをリングに叩きつける
「動かざること山の如し」
最後だとワトソンにロメロスペシャルをかける
手足の強靭さ、体の捻りの柔軟さ、体のバランス、パワーを一気に出し切る集中力……私が主体にしている戦闘である超人プロレスの基礎の集大成、キン肉マンの48の殺人技のNo.3、風林火山を決めた。
ワトソンはグフっと血を吐いた。風林火山を受けてワトソンの体はボロボロになった。
「やはり、無理ですなぁ」
「まだ終わってはいないぞ」
「いいえ、どうやら、時間切れのようです」
ワトソンは空を見上げた。月が、僅かに雲へ隠れ始めていた。
その瞬間だった。 ワトソンの身体から力が抜ける。
膨れ上がっていた筋肉が元へ戻り、逆立っていた毛も落ち着いていく。
スーロンが解除された。そこにいるのは、いつものワトソンだった。ワトソンは自分両手を見つめる。そして、小さく息を吐いた。
「スーロン状態ならば、将軍さんに手傷の一つでもつけられると思ったんですがね〜」
「……」
私は自分の身体を見る。
傷一つない。服は着ていないも同然で汚れているということなどはなかった。
「私に挑むにはまだまだ遠い。だが少なくとも、普通の戦士が相手ならば苦戦させられるだろう」
「それはどうも」
ワトソンは笑った。
だが、私の言葉が慰めでしかないことも理解しているようだった。
実際、私はほとんダメージを受けていない。それはワトソンの力が弱かったからではない。
私が強すぎるのだ。悪魔の実によって与えられた能力。それによって私は、老いというものからある程度解放されている。
肉体そのものが衰えない。そして、それだけではない。
私は長い年月を修業に費やしてきた。
技を磨き。身体を鍛え。覇気を鍛錬し。超人としてとぎ澄ませてきた。
百年近い時間、それだけの歳月を、一つの肉体で戦い続けてきたのだ。
積み重ねたものは、決して小さくない。
だからこそ私は知っている。老いとは恐ろしいものだ。
どれだけ鍛えた肉体であろうと、時間には逆らえない。若い頃にできたことができなくなる。
速度が落ちる。力が落ちる。反応が遅くなる。経験は増えても、肉体がそれについてこなくなる。
レイリーも。白ひげも。ガープも。
私が知る限り、あの時代を生きた強者達も。老いによって全盛期から遠ざかっていく。
だからこそ、ワトソンの言葉が少しだけ引っ掛かった。
「悪魔将軍殿は……悪魔の実の能力だけではありませんな」
「……」
「基本的な戦闘能力そのものが、凄まじい」
ワトソンは顎に手を当てる。
「私が知る限りでは……右に出る者は居ないんじゃないでしょうか?」
「そうだな」
私は即答した。
「右に出る者は居ないだろう」
「ほう」
ワトソンが少し驚いた顔をする。
私は夜空を見る。
「私は本来ならば、ロジャーよりも古い世代の人間だからな」
自分でも不思議な話だと思う。ロジャーがまだ若かった頃。
この世界で海賊というものが今ほど巨大な存在になる前。
私は既に修業をしていた。長い時間を修業に使ってきた。そして今もなお、戦士として成長している。
「ロジャーの世代の海賊達は、今では老いている」
「ええ」
「全盛期の肉体を保っている者はいない」
ワトソンは何も言わず、私の話を聞いている。
「もしも……」
私は一度、言葉を止めた。
「もしも、あの者達が老いによって弱体化することなく、今も全盛期の肉体を維持したまま成長し続けていたなら」
私は拳を握る。
「私と互角以上に戦える者も、いたかもしれんな」
それは決して謙遜ではない。事実だ。
ロジャー。白ひげ。ガープ。
あの世代には、そういう者達が存在していた。
私が戦ったことのない者ばかり。だが、彼らの名前が世界に刻んだものを考えれば分かる。
あの時代の強者達が、もしも肉体的な衰えを知らず、今もなお成長を続けていたなら。
私は彼らとの戦いを楽しめただろう。互いに限界まで鍛え。互いに技を磨き。互いの奥義をぶつけ合う。そういう戦いを。私は、心の底から真剣勝負を経験してみたかったのかもしれない。
「……」
私は右腕を上げた。
そして、意識を集中させる。
身体の硬度が変化する。皮膚。筋肉。身体そのものが、一段階違う存在へ変わっていく。
「これは……」
ワトソンが目を見開いた。私の身体が光を反射する。
硬度調節機能が働く。
「硬度10,ダイヤモンドパワー」
身体全体が、ダイヤモンドへと変化する。
月明かりを受け、私の身体が輝いた。ワトソンは黙っている。
「これが私の力の一つだ」
「……凄まじいですな」
「ああ」
私は拳を握る。ダイヤモンドパワー。
私はこれを完全に使いこなせている。
かつてならば、ここまでの硬度を自在に操ることすら容易ではなかった。だが、長い研鑽によって今では完全に制御できる。
硬くするだけではない。必要に応じて硬度を調整し、攻撃、防御、身体操作。
あらゆる場面で利用する。私にとっては、既に身に付いた技術の一つだ。
私は知っている。ダイヤモンドパワーには、その先がある。ダイヤモンドを越える力。ダイヤモンドを越えるダイヤモンド。
その存在を、私は知っている。私は、ダイヤモンドパワーの先へ至る条件も知っている。
「……」
私は拳を見る。この世界では、その条件を満たすことはできないだろう。
少なくとも、今の私には。どれだけ一人で鍛錬しても届かない。どれだけ身体を鍛えようとも。どれだけ技を磨こうとも。どれだけ長い年月を費やそうとも。一人では辿り着けない。それが、あの力だ。ほんの一瞬。ならばと私は別の可能性を考えた。
「……マグネットパワーで増幅させるか?」
私の脳裏に、あの力が浮かぶ。
この星の生命エネルギー。それらを利用して、己の力を増幅する。
かつて私は、それを研究し、実際に使ってきた。強力な力であることは間違いない。
「……いや」
すぐに考えを捨てる。
「アレは邪道だ」
マグネットパワーそのものを否定しているわけではない。
あれは確かに強力だ。
使い方次第では、凄まじい力を発揮する。
だが私はあまり頼りたくない。
自分自身の肉体。自分自身の技、自分自身の研鑽。それらを極限まで高めてこそ、私が求める強さなのだ。 外部の力で己を増幅することは、私の求める道とは少し違う。
「……」
ダイヤモンドパワーを解除する。
身体が元へ戻る。ワトソンは黙って私を見ていた。
「どうかなさいましたか?」
「いや」
私は首を横に振った。
「少し考え事をしていただけだ」
「そうですか」
ワトソンはそれ以上聞かなかった。
こういうところは、奴は大人としての対応が出来る。
私は再び月を見上げた。 満月が雲の向こうへ隠れている。
もうスーロンになることはできない。だが、そんなことはどうでもよかった。
私は、自分の手を見る。この手で、私は数え切れないほどの戦いをしてきた。
そして今もなお、鍛錬を続けている。私は強くなった。おそらく、この世界に存在する大半の戦士ならば、相手にならない。
それでも私は知っている。まだ先がある。ダイヤモンドパワーを越える力。それを完全に使いこなした時。
その時こそ、私の奥義もまた一段上へ進化する。
私には分かっている。ダイヤモンドを越えるダイヤモンド。その力を使えば私の地獄の断頭台を上回る奥義を生み出すことができる。
どれほどの威力になるのか。どれほどの速度になるのか。どれほどの強敵を相手にして、初めて完成するのか。まだ分からない。
ただ一つだけ分かっていることがある。それを使うには、相応しい相手が必要だ。
私一人の研鑽だけでは辿り着けない。ならば、その先へ進むためには
「……」
私は夜空を見上げる。
満月が雲の隙間から再び姿を現していた。
美しい月だった。この世界には、強者がいる。
四皇。大海賊。海軍の英雄。名を上げればきりがない。
これから先、まだ戦ったことのない強者と出会うこともあるだろう。
もしかしたら、私の知らない怪物がどこかにいるかもしれない。
私は今、妙に確信していた。
ダイヤモンドを越えるダイヤモンド。そして、それによって生み出される、地獄の断頭台をも上回る奥義。それを真正面から受け止められる者は。
「……この世界の何処にも、いないな」
ぽつりと呟く。自惚れではない。
ただの事実だ。私は長い年月を生きた。
老いることなく鍛え続け技を磨き続けた。
かつてならば、私と互角に戦える者を探すだけでも苦労しなかっただろう。
だが今は違う。私の前には、あまりにも広い道が残っている。そして、その道を歩める者がいない。
この世界のどこかで何時か私の想像すら超える強者が現れるかもしれない。
その時まで、鍛錬を続ければいい。ダイヤモンドを越えるダイヤモンド。
それを発現するその日まで。私は歩き出した。背後では、波が静かに打ち寄せている。
満月の夜は、まだ終わっていなかった。