学マス短編集   作:学マスオタク

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姫崎莉波「また、明日」

夕方の校舎は、昼間とは空気が違う。

 人の気配が薄れ、音が整理されていくにつれて、建物そのものが息を整えているように感じられる。

 校舎内を歩き、外に近づくにつれ、外気が流れてくるのを感じる。秋の息遣いが感じられるようなこの空気は、ほどよい寒さを感じさせてくる。防寒対策にマフラーをしているが、防げない顔――取り分け頬や耳に感じる冷たさが、俺は嫌いではなかった。

 

 放課後まで校舎に残り、事務作業を片付けた俺が校舎を出ようとするときだった。

 姫崎莉波――俺の幼馴染にして担当アイドルが、校門に立っていた。俺の姿を見つけると、小走りでこちらに駆け寄ってくる。

 

「遅かったね、プロデューサーくんっ」

「姫崎さん……どうして、こんな時間までここに?」

「プロデューサーくんを待ってたの」

 

 そう言ってはにかんだ彼女の頬は、ほんのわずかな朱色に染まっている。

 背後から差し込む夕焼けの影響か、レッスン終わりで体が温まっているのか。その答えを俺は持ち得ないが、彼女の言葉に対する返答だけは決まっていた。

 

「ありがとうございます。しかし、最近はめっきり寒くなりましたからね。風邪をひいてはいけない、早く帰りましょう」

 

 そう言って、姫崎さんの住む寮の方角へと向き直す。数歩ほど進んだところで、姫崎さんが後ろから着いてきた。

 

「なんで待ってたんだーって、聞いてくれないんだ」

「聞いて答えてもらえるなら、自分から話すでしょうから」

 

 並んで歩き始めると、自然と俺たちの歩幅が揃う。

 どちらが合わせるわけでもなく。これまで二人で、何度も同じ時間に、同じ場所を歩いてきた結果だ。

 

「久しぶりに、一緒に帰りたくなったの。最近はきみとこうして歩くこと、少し減ってきたから」

「そうでしょうか。……そうかもしれませんね」

 

 はてそうだっただろうか、と間をおいて自分の脳内に問いかけてみたが、なるほどそうだったかもしれない。

 姫崎さんのプロデュースを始めてからというものの、公私ともに一緒に行動することがとても多かったが、ここ数週間は確かに一人で帰ることのほうが多かった。

 大前提学生の身分であるための授業やレッスン室の確保等日常業務に加え、オーディションやライブに至るまでのスケジュール調整など。嬉しい悲鳴ではあるが、アイドルとして飛躍し始めた彼女を担当に持つ身として、こなさなければいけない業務量は確実に増えていた。

 

「最近は、昼間のレッスンでは見てくれているけど……放課後、いつも忙しそうだったから」

「そうですね。すみません」

「あ、べ、別に攻めてるわけじゃないんだよ!?」

 

 慌てた様子で姫崎さんが否定してくる。ころころと変わる表情は、いつもながらに見ていて飽きない。

 声を抑えて笑っていると、姫崎さんが足を止め、ふくれっ面でこちらを見ていた。吹き出しをつけるとしたら、「むう」あたりが妥当だろうか。

 

「プロデューサーくん、なんだか機嫌がよさそうだね」

「そうですね。久しぶりに一緒に歩けて、気分が良いのかもしれません」

「……そ、それって……」

 

 なんだか気恥ずかしくなって、俺はまた寮に向かって歩き始めた。また少し遅れて、姫崎さんがついてくる。並び立って、歩幅が揃う。

 後ろから差し込む夕日が、俺たちの影を長く伸ばしていた。少し目線をあげると、鳩かカラスか――よくは見えないが、数羽の鳥がVの字を描いて飛んでいるのが見えた。

 

 それ以上、姫崎さんからの追求はない。照れたのか納得したのかはわからないが、その沈黙もまた心地よかった。

 

 昼間はまだ太陽の温かみも残る季節だが。昼の熱を失った、冷たい秋風が頬を撫で、一日の終わりを告げてくる。

 俺たちの間に言葉はない。葉を踏む足音や、校舎のどこかで鳴っている「初」のBGM。その折に遠くから聞こえてくる、女性同士の会話している声。

 女子寮が近い。そろそろ、この心地良い時間とも別れを告げなければならないらしい。

 

「姫崎さん」

「なあに? プロデューサーくん」

 

 振り返って、姫崎さんの顔を見る。

 にこりと微笑んだ頬は、先ほどと同じく、夕日に染められたままだった。

 言葉を失って、ほんの一瞬間が空く。

 何を言うか迷っているわけじゃない。

 言うと決まっているからこそ、その置き場所を選んでいる。

 

「……また、明日」

 

 それだけだった。それでも、その言葉は続く内容を含んでいた。

 

「……うん、また明日」

 

 同じ言葉を繰り返すと、姫崎さんは小さく頷いた。

 

「明日も、一緒に帰ろうね」

 

 姫崎さんの姿が、小さい頃の……出会ったばかりの頃の姿に、重なった。

 特に約束をしていたわけでもないのに、二人ともそれが当たり前であるかのように合流して、夕暮れに向かって歩いていた。

 そんな情景が思い浮かぶ。

 

 姫崎さんが背を向け、女子寮の方向へ歩き始めた。

 その背中を見ながら、俺は思う。これまでアイドルとして悩み続けた彼女を、俺は正しい道へ導けているのだろうか。

 真面目な彼女は、明日もきっと悩む。迷って、立ち止まって、それでも歩いていく。

 その隣に立って一緒に歩くことが、俺の仕事であり、何よりも夢中になれることなのだろう。

 

 彼女の背中が見えなくなると、俺は袖口の時計を確認して帰路についた。

 頭の中で、明日のレッスン予定を思い出す。ヴォーカルレッスンか。

 

 また、明日。頭の中で再生される、彼女の口から紡がれたその言葉。

 もう、頬は冷たくなかった。

 

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