学マス短編集   作:学マスオタク

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花海咲季「放課後、レッスン室」

放課後のレッスン室は、昼間とは別の顔をしている。

 スピーカーの電源は落ち、床に落ちる足音も、空気を切る息遣いも、やけに生々しく響く。

 誰かに見せるための場所ではないはずなのに、ここではいつも以上に誤魔化しが効かない。

 

 鏡の前に立つ咲季さんは、何度目か分からないターンを終え、動きを止めた。

 汗がこめかみを伝い、肩がわずかに上下している。

 

「……違う」

 

 小さく呟いた声は、独り言にしてははっきりしていた。

 俺はドアの近くで立ち止まり、声をかけるべきか一瞬迷う。

 

「どこがですか」

 

 結局、考えるより先に口が動いた。声に混じる悩みと焦りが、背中越しでも分かった。無視できるはずがない。

 咲季さんは肩を震わせ、こちらを振り返った。

 

「……見てたの?」

「偶然、通りかかりまして」

「そう」

 

 素っ気ない返事。咲季さんはすぐに視線を鏡へ戻した。

 どうやら、追い返すつもりはないらしい。

 

「珍しいですね。いつも予定通りに仕上げるあなたが、居残りレッスンとは」

「来週のオーディションで予定しているこのダンス、動き自体は合ってるはずなの。でも……何かが足りない」

「何が、だと思いますか」

「余裕、だと思う。たぶん」

 

 即答だった。歯切れは悪いが、ずっと考えていた答えなのだろう。

 咲季さんが練習していたダンスは、次のオーディションで使う楽曲の要所とも言える部分だ。

 自分に厳しく、他人からの評価よりも、まず自分が納得できるかどうかを基準にしている彼女。昼のレッスンでトレーナーに褒められても、納得がいかずに残っている、ということだろう。

 そして、彼女の納得できるかどうかの物差しには、咲季さんの脳内にある「成長しきった花海佑芽」が用いられている。現時点でも競った実力差であることに違いはないが、咲季さんは、未だ存在のしていない強敵を相手に怯え、レッスンを繰り返しているわけだ。

 俺から見てもダンスの動きは正しく、おそらくトレーナーや先輩アイドル、他のプロデューサーたちが見ても教科書通りと彼女を称えるだろう。しかし、まったく同じ動きができるのならば――学内の評価基準から言って、おそらく花海佑芽さんが勝つ。咲季さんより長い手足はダンス映えしやすいし、フィジカルで上回る佑芽さんは、同じ動きを、もっと余裕をもってこなせるはずだから。

 

「本番だと、もう少し呼吸が楽になるはずです」

「……なにそれ、慰めてくれてるの?」

「分析です。レッスンを繰り返し、疲れ切った体で、余裕なんて出るはずがない」

 

 そう言うと、咲季さんは鼻で笑った。

 

「あなたって、ほんっとーーに可愛げないわね」

「事実を言うのが仕事ですから」

「ふうん」

 

 軽く肩をすくめてから、咲季さんは再びポーズを取る。

 指先の角度、視線の高さ、ほんの数センチの調整。

 その一つ一つに、彼女が積み上げてきた時間が見える。

 

「だから、これも事実として言いますが」

 

 咲季さんが動きを止め、鏡越しにこちらを見た。

 

「……その余裕分、ほんの数ミリでも、伸びしろは残されている」

「っ」

 

 鏡越しの咲季さんの目が、わずかに見開いた。

 

 咲季さんは、もう自分に伸びしろはほとんどないと自称していた。

 事実として、歌を歌えば音程やリズムは外さないし、躍らせても動きは正確で、つま先まで洗練されている動きには、少なくとも直すべきと指示を与えるようなところはどこにも見当たらない。

 しかし。アイドルとしての魅力は、そんな数値化できるところだけでない。――それだけで終わるはずがない。

 かつてそんな話をしたときは、我ながら机上論とも感じていたが。今は違う。

 彼女自身が「余裕」と称する、そのほんのわずかな差は、きっと本番で響く。

 

「すぐに成果が出ることはないでしょう。それでも……、燃えてきますね」

 

 咲季さんは、一見直情的に見えるが論理的な人間だ。理屈と結果でしか納得しない。

 しかし、そうした数字化できない要素――言葉にしにくい何かを、今まさにつかみ始めている。

 言語化しづらい要素は、試行錯誤の中に組み込むのが難しい。何が正解かがわからないから。

 難しい。しかし、だからこそ、彼女は燃える。

 

「……そう、ね」

 

 俯く。鏡越しでも、その表情は見えない。

 咲季さんが顔を上げた。鏡越しに確認しなくてもわかる。いつもの、自信をのぞかせるような目だ。

 

「やれること全部やらなきゃ、勝つのも負けるのも、納得いかないもの!」

 

 迷いは、もう声からは感じられない。

 咲季さんは元々自走できるタイプだ。俺の仕事は、彼女の迷いを断ち切ること。最短最速で彼女を走らせること。

 そうすればその先は、彼女自身が見せてくれる。

 

 思わず口角があがっている俺の表情に気付いたのか、咲季さんが振り返り、俺を見る。

 

「ねえ、プロデューサー」

「はい」

 

 少し低く、問い掛けるような声。

 昼間の喧騒に溶け込んだ明るさとは違う、放課後特有の響き。

 次の言葉を選ぶように、一度息がとまった。

 

「あなた、時々わたしが失敗する前提で話すことあるわよね」

「必要な想定です」

「でも」

 

 咲季さんは一歩だけ距離を縮め、俺を見上げた。

 

「わたし、本番では……、ファンのみんなや佑芽には、成功するところしか見せる気ないから」

 

 真正面からぶつけられた言葉に、言い返す準備が間に合わなかった。

 

「本番前、わたしだって不安になるときや、逃げだしたいときだってあるけど……」

 

 その瞳は真剣で、逃げ場がない。

 

「あなたの前以外では、そんな姿誰にも見せない。完璧なわたしであり続けるわ」

 

 言い切った後、彼女のまなざしがほんの少しだけ、揺れたような気がした。

 

「……そうですか」

 

 ようやく、それだけを返す。

 

「だから、これからもわたしのこと、ちゃんと見ていなさい」

「はい。誰よりも、あなたのことを見ています。頂点に立つ、その時までずっと」

「誰よりも?」

「はい」

 

 短く答えると、咲季さんは満足そうに息を吐いた。いつも通り、自信満々を張り付けたような表情で笑う。

 

「頂点に立つときまで……、ね」

 

 あっさりと話を切り上げ、咲季さんは再び鏡の前へ戻る。

 その背中は、先ほどレッスン室についたときよりも軽くなったように見えた。

 

「期待してなさい」

 

 振り返らずに言う。

 だが、声は確かにこちらへ向いている。

 

「来週のオーディション、きっと良いものを見せてあげるわ」

「ええ」

 

 俺は頷く。

 

「楽しみにしています」

 

 放課後のレッスン室は、まだステージではない。

 彼女のステージに用意されるはずの照明も、歓声も、音楽もない。

 

 それでも、この場所には確かに「途上」の輝きがある。

 完成には至っていないからこそ、伸びていく瞬間がはっきりと見える。

 

 咲季さんは、まだ未完成だ。決して伸びしろがない、なんてことはない。まだまだ彼女はたくさんの可能性を持っているし、勝ち続ける彼女はこの小さな背中にたくさんの期待とプレッシャーを背負っている。

 だけどその背中を、彼女は他人には見せないものと言っているのだ。背負い込んだものは、ここで背負いなおすのみ。ステージでは完璧なパフォーマンスしか見せないと、そう言った。

 

 ――ステージ未満。だからこそ今、目を離せない。少しずつでも、懸命に歩みを進めるその姿を見れるのが、プロデューサーの醍醐味だと思う。

 

 俺は袖元に忍ばせた時計を確認し、次のレッスンの構成を頭の中で組み直した。

 来週の咲季さんが、太陽のような笑顔で勝利報告をしてくる――そんな情景を、思い浮かべて。

 

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