ハサウェイがアムロやシャアに影響される前に機械オタクになった世界線のお話 作:陸奥九十九
でも書いてて楽しかった。元ネタを知らない人はごめんなさい。
次回から話が大きく動いていく、予定です。
お楽しみいただければ嬉しいです。
「良いのか?ホテルまで送っていくぞ?」
「良いですよ、お忙しいでしょう?タクシーを用意してくれただけありがたいです。それに、帰り道ついでに街中でも見ていくので、お気遣いなく。それじゃあ、また明日の午前に」
「ああ、気が変わったらそのまま技術顧問として基地で働いてくれてもいい」
「あははは、お世辞として受け取っておきます。それじゃあ」
「ああ、また明日」
タクシーに乗り込み、大佐に見送られながら基地を出る。
ペーネロペーのセッティングとデータ管理を終えてダバオ基地を出るころには、既に日が傾きかけていた。
思い返せば結構ハードなスケジュールが異常にハードなスケジュールになりかけている。まあペーネロペーは乗ってて楽しかったから良いけども……
「タサダイホテルまでお願いします」
「はいよ。お兄さん凄いね、超高級ホテルだよあそこ?軍の偉い人なのかい?」
「いえいえ、なんというか、テロリストに襲われた、お礼代わりですかね?」
「へえ!そりゃ大変だ」
「おかげで予定は総崩れです。まあ、怪我も無かったので、せめてホテルで取り返そう、って感じですかね」
「はははっ!そりゃあいい。楽しみなね」
「ええ」
東南アジア、といっても、中々その街並みというものは想像できていなかった。
コロニーは出来た当初から街並みが設計されて構築されるが、地球はそうじゃない。その地域の収益やら、お国柄やら、民族性、宗教観、色んな物が内包されて、地球の街並みは作られている。
日本ももちろんそうなのだが、僕の地元はヤシマ重工のお膝元ということもあって、そこら辺の街並みはヤシマ重工を基準に設計され直しているので、あまり実感することが無かった。
シドニーに至っては廃墟同然な場所に実験室を立てているので街並み以前の話だし、その周辺の街も、戦争後に必要に応じて復興されたため、比較的新しい街だった。
そう言う意味でダバオの街並みに面白さというか、民族性を感じられるかと期待していたのだが、ダバオの感想は、思ったよりも普通、だった。
タクシーの車窓から覗く光景は、どこもきれいでシドニーと大して変わらないように思えた。
「きれいになってるでしょ?街並みが」
「え?あ、ええ。そうですね。凄くきれいだ。ダバオは以前からこうなんですか?」
「まさか!ここまで区画整備にお金をかけるようになったのは、ここ5年くらいの話ですよ。魚が取れるようになって、海が綺麗になったからかなあ?観光客なんかも増えて、今はどこも結構儲かってるんですよ」
「へえ……」
「それに、若い連中はみんな宇宙に出稼ぎに行って、お金をためて家族を宇宙に呼ぶか、居住許可証を発行してもらうために環境保護の仕事に就くかでね。まあ、大体は宇宙に行っちゃうから、結果街に残るのが環境関係の意識高い人ばかりなのよ。そのせいか街もきれいなままでね」
「良いですね。お父さんは、ずっと地球に?」
「いやあ、先立つものがねえからねえ。とりあえず夜明けまでは海に出て魚を取って、昼間はこうやってタクシーで稼いでるのよ。とりあえず、子供は学校に入れてやりたくてさ」
「大黒柱は大変ですね」
「はははっ、まあ20年くらい前はジオンやらティターンズやらで生きるか死ぬかの時代だったから、それに比べたら可愛いもんですよ」
街並みは確かにきれいだ。路地に浮浪児がたむろしているわけでもないし、ごみが散乱しているわけでもない。
街を歩く人の多くは身なりの良い人か、軽装でリュックを背負った観光客のような人で、地元っぽい人も勿論いるが、どちらかといえばそうでない人の方が目に入る。
なるほど、ダバオの空港も、泊まる予定のホテルも、明らかに金が掛かっているように思えた。
ダバオは、そう言う客向けに地域整備されて行っているのかもしれない。
「海、というか、魚は以前からよく獲れるんですか?」
「いやあ、それもここ5年くらいなもんですよ。昔は家族食っていく分だけで精一杯だったけど、今はそれをホテルとかレストランが高値で買ってくれるからね。ちゃんと商売になってるんですよ」
「海洋ゴミとかは大丈夫そうですか?ほら、浜辺にいろいろ漂着するのとかあるじゃないですか」
「それも少なくなったねえ。昔は網投げてゴミばっかり拾うこともあったけど、今はもうゴミ掬う方が珍しいくらいよ。アナハイムもこういうことが出来るならとっととやって欲しかったってもんよ」
「あははは」
「あとはやっぱり来る船の量かねえ。ほら、今商売で使ってる大きな船は、大体ゴミ拾ってるでしょ?でもここら辺は入り組んでるから、そんなこまめに来ないのよ。だったら、巡回船とかもゴミ拾ってくれればもっと良くなると思うんだけど、アナハイムもそこまでお金かけられないのか、痒いところに手が届いてないような気がするわけでね」
「ああ、なるほど……」
確かにミノフスキーネットの小型化はある程度で放置してたな。小型ミノフスキークラフト+限定的なインコム技術がミノフスキーネットだから、サイズ的にもコスト的にも大型船でもないと搭載できないと思ってたけど、もうちょっと改良した方が良いのかもなあ。
それにしてもあれだな。
色んな物が、こうやって普通に生活してる人にも実感できるレベルまで浸透してきてるのか。
それは……大分嬉しいな。うん、バナージにも教えてあげねば。
意図せずに降りたダバオだったけど、いい思い出になったかもな。
……いやその前にハイジャックに遭ってるわ。まあ……ぎりトントンかな?
ドオォーーーン……
ふと響く重低音に、思わず窓の外を見る。遠くには土煙が立っているが、それを周囲の人が注目している様子はない。
「今のは、ビルでも壊してるんでしょうか?」
「ええ。区画整備と土木工事もありますし、ここ数年は景観の問題もあって、老朽化してる建物は積極的に解体されてるんですよ」
「へえ……」
『よおし!まずはそのモビルスーツから降りるんだ!話ならこの俺がいくらでも聞いてやる!』
『うるせー!お前なんかに何が分かるってんだ!』
「あの……なんか作業用のジムがドリル持って暴れてるように見えるんですけど」
「ああ、よくあるんですよ。ほら、プチモビもモビルスーツも普及したでしょ?作業現場とか、漁港の水揚げにも使われますから。そのせいか、ああやって癇癪起こして振り回す人も結構いるんですよねえ」
「ええ……」
「まあ、警察ももう現場にいるようですし、すぐに収まりますよ」
確かにビルの影から白と黒に塗装されたジェガンが見える。POLICEと装甲に書かれているし、両肩にパトランプのようなものも装備している。うん、特殊仕様だ。少なくとも軍では見たことが無い。
『まあ落ち着け!ここで暴れても仕方がない。まずはモビルスーツから降りて……』
『うるせー公僕!お前みてえな奴に俺の何が分かるってんだよ!?この、税金泥棒!!』
『なんだとぉう!?』
あ、ジムがジェガンに掴みかかった。
「あの、大丈夫なんですか?取っ組み合いになりそうなんですけど……」
「よくあることですよ。まあ、いくら高級観光地になったとはいえ、ダバオも下町や港町はこんなもんですから」
「ええ……?」
あ、ジェガンが殴った。
『なんだぁ貴様あ!納税者だと思って優しくしてやりゃつけあがりやがってぇ!』
『え?う、うわあぁぁーー!!』
『この野郎おおぉぉーー!!』
『ぎゃああぁぁーー!!』
あ、ジムが走って逃げていく。
……うわあ、建物に押し倒した。え?大丈夫なの?あれ、一応警察だよね?
あ、リボルバー抜いた。
『往生、せいやああぁぁーーー!!!』
『いやああぁぁーーーー!?』
ドガン!ドガン!ドガン!ドガン!ドガン!ドガン!
リボルバーの銃弾を全部ぶっ放したのか、弾は出なくなってる。……なのにまだ引き金引いてないか?あれ……
あ、地面が崩れたのかジェガンも倒れた。
直後、大きな水柱が立つ。
「あれ?終わりました?」
「えーっと……多分ジムもジェガンも海に落ちました」
「え?やだなあ、明日船出せなくなるかもなあ」
警察のモビルスーツが海に落ちたことに動揺してる様子はない。
……え?もしかして、これってダバオの日常なの?いかん、ヨクサンさんやヒューゲストさんを見る目が変わってしまう。
まあ、ジムもジェガンも気密性は高いし、コクピットとかを水浸しにしない限りは気にしなくていいだろうけど……でも海水だもんなあ……。
回収後にジャバジャバ水かけて海水を洗い流して、関節や駆動部分はメンテナンス、最悪オーバーホールじゃないか?
というかモビルスーツが戦闘をして海に落ちたというのに、現地の人たちが全然動揺してない。あと普通に警察も市街地で発砲してるけど、大丈夫なのか?そんなわけないよな?
「あの、割とあるんですか?ダバオだと」
「え?何がです?」
「その、作業用モビルスーツを止めるために警察のモビルスーツが発砲するとか」
「いやあ何を仰る、そんなに多くはありませんよ」
「あ、ですよね」
「ええ。週に1回あるかどうかです」
いやそれは多くないか???
「ああ、なるほど……」
「ええ。最近は治安も良くなってきたってもんです」
「ええーー……」
しみじみと頷く運転手さんだが、ちょっと想像の斜め上過ぎた
……やっぱり東南アジアって別世界だ。ちょっと、いや大分オーストラリアとか日本とは比較できない。なんなら木星の方が安心できるんじゃないか???
世のお金持ちたち向けの観光地らしいダバオ。世のお金持ちは、本当にこのダバオで快適なリゾート地として楽しめているのか?それとも、こういうスリリングな非日常を求めて旅行に来てたりするのか?
いやあ、ダバオって奥深い……少なくとも旅行で行こうって気には絶妙にならなくなったかもしれない。
※
部屋が32階とのことだったから、そりゃもう凄いホテルなんだろうと思ってたけど、ちょっと桁が違った。
普通に道を走ってもらって、見えましたよと言われ覗いた先には、バベルの塔もかくやといった超高層建築のホテルがそびえ立っていた。
空港からトンネルを通ってほんの数分で行けるような距離。いや、ホテルと空港の交通の便を良くするために、その為だけに幹線道路として道を作り、その道に合わせて区画整備をしたかのような特殊な街づくりにも思えた。
ああ、本当に別世界を作ったんだな。
さっきまでいた下町と、全く町の作りが違う。もっと言うのであれば、空港やホテルが島に対して酷く浮いているようにも思える。
あくまでもアジア地域の避暑地やバカンス地としてのダバオ。そんなダバオを満喫するための設備としての空港とホテル。多分周辺にお抱えの観光ガイドとかもいるんだろう。いや、本当のお金持ちは喧騒から離れたいだけで観光とかしないのか?よく分からん。
ホテルの入り口付近はロータリーになっており、そこの周辺には高級ハイヤーしか止まっていなかった。
当然普通のタクシーできた僕たちはロータリーに入ることなどできず大分手前で止められた。すぐにホテルの警備員が来て、絶妙に慇懃無礼な感じで、何の用でしょう?と、さながら警察の職務質問のように止められたわけだ。
空港で渡されたホテルのカードを見せると途端に態度が変わって、「大変失礼しました!どうぞこちらへ!」なんて態度に変わったが、そのまま進ませるのも運転手さんにもホテル側にも面倒を掛けるかな?と思ってその場でタクシーから降りた。
「すみません、なんか面倒かけちゃったみたいで」
「構いませんよ。まあ、こんな場所に来る機会も無いですから、いい経験になったとでも思っておきます」
「あはは、助かります。これ、迷惑料だと思って」
「ああどうも……って、いや、多くないですかい?いや、こっちとしちゃありがたいですが……」
「お子さんにお土産でも買ってあげてください。それじゃあ」
良いホテルだとは思う。けれど、排他的だな。何となくそう感じた。
いや、恐らくこの地域に住む人たちの収入と、このホテルの料金設定は全く噛み合わないほどかけ離れているのだろう。1泊するにあたって自分の月収を超えるようなホテルには普通泊まらない。泊まれない。もしもそれが2か月分や3か月分となれば尚更だ。
恐らく島民はこのホテルにとって顧客にはなりえないと判断されているんだろう。現地民もホテルに近づかないし、だからこそホテル側も現地民が来たら、何事か、強盗じゃないだろうな?と疑ってかかる。
仕方ないことだとは思う。もしもホームレス同然の身なりの人が宝石店に入れば訝し気に見られるだろうし、そもそも入店を断るかもしれない。それは自己防衛の観点からしても当然のことだと思う。
このホテルに泊まるのは多分世界的に見てもブルジョワな人たちだけだ。そんな人たちが誘拐された、窃盗を働かれたなんてなれば、ホテルからしても責任問題になりかねない。だから警戒してかかる。当然の話だ。
ただ、それはそれとして何か心に引っかかるものもあった。
あのタクシーのドライバーは、良い父親だった。漁師としても働いて、子供の将来に頭を悩ませて。
そんな良い人だったからこそ、多分心に引っかかったのだと思う。良し悪しでは無く、感情として。
ホテルのエントランスは、思ったよりもカジュアルな作りだった。
南国をイメージしたであろうココナッツの木を模した、いや、本物の木か?が室内庭園のように各所に植えられ、しかしその周辺はしっかりと現代建築よろしく整然と配置されていた。
見晴らしの良いエントランスには、2階からもその様相が見えるように吹き抜けの造りをしていて、何なら広くて新しい大病院かと思えるほどに現代的だった。
こういうものなんだな。もっとこう、18世紀や19世紀のヨーロッパ建築みたいな造りだと思ってた。
赤いベロアの絨毯に、大理石の床、豪奢な金装飾が施された柱に、天井を華やかに彩るシャンデリア、エントランスから一直線に伸びる中央階段には、よく磨かれた黒檀の手すりに、正面に飾られるそのホテルを象徴する絵画。
そんなこてこてのホテル、というかお城をイメージしていたが、ここはもっとカジュアルかつリゾート地的な爽やかな雰囲気の仕様だった。
エントランスを抜け受付へと、渡されていたホテルのカードを差し出し部屋の案内を受けているとき、ふと声が掛かった。
「ハサウェイ!」
ふと振り向くと、そこには談話室のような小スペースで、グラスを片手にこちらを見るアンダルシアさんの姿があった。
彼女は僕を見ると、婀娜っぽく、しかし確かな足取りで近づいてきた。
「ずいぶん遅かったのね。お父様への連絡は済んだの?」
「えっと、まあ……」
「ちょうど、良いワインを開けてもらったの。あなたも飲むでしょう?」
どこか艶っぽさを演じるかのようにして、しかし何かを畏れるようにも見える彼女が、親し気に僕に話しかける。
それを見たホテルマンは気を遣ってか、荷物は先に部屋に運んでおきますと言って早々に席を外した。
彼女に手を取られて、席へと招かれる。
適切にお断りするだけの元気がなく、流されるままに席へ座ると、彼女からどこか安堵した気配が伝わってきた。
安堵?……何故?
そうだ、彼女の雰囲気には違和感があった。
本当に我儘な人っていうのは、相手を慮ったりしない。あえて言うのであれば「この私が誘っているんだ。予定を開けてくれるよな?優先してくれるよな?」と、誘いに乗るのが当然であるかのような意識で人を引き込む。
これはある程度年の行った、権力も社会的地位もある人に多い。それこそ、ビスト技研の技術をわが社へ無償提供しろ、なんて話を持ち掛けてくる人はみんなそんな傾向にあった。
そういう、無礼を当然とする人でなくとも、出自がそれなり以上に尊い人たちというのはそう言う気配を漂わせている。なんと言うべきか、奉仕されるのが当然である、という雰囲気だ。
バーンさんやロニさんは割とそう言う人たちであるし、多分その究極はシャアだと思う。溢れるカリスマと、何とも言えない甘えん坊気質が噛み合って、上げ膳据え膳で左団扇になるときがある。そして周囲の人がそれを良しとする瞬間があるし、本人もそれを当然のように受け入れることが出来る。
でも、彼女はそうではない。どこか遠慮が、いや、畏れがあるように思えた。
大丈夫だよね?この位では怒らないよね?でも、今時間を取って欲しいんだ、分かってくれるよね?とでもいうような。
なんというか、婀娜っぽく艶っぽく振舞うその様が、何もかも演技であるかのように思えてきた。妖艶さを演じる少女。女性というにはまだ幼く、子供というには歳を重ねた、その中間の意味としての、少女。
演技が出来て、状況に合わせて芝居が出来るから、その立ち振る舞いで他者との距離感を図ろうとしている、不器用な少女。
いや、そうせざるを得なかったのかな?
その姿には、どこか見覚えがあった。
ああーー……昔のクェスとすごく似てる。うん、そっくりだ。
強い人間として振舞わなくてはならなかったけど、そうしたいわけでは無かった。頼れる大人が誰もいない状況で、一人で生きていくと決めて、その結果大人のふるまいを覚えた。
でも、その本質は、意外にも子供っぽい。
「彼のグラスを用意して。それと何かつまめるものを……そうね、クラッカーでいいわ」
「いえ、お酒はいいので、オレンジジュースをお願いします」
ウェイターへ指示を飛ばす彼女の言葉をそう遮って伝えると、彼女は驚いたように僕を見る。
「あら意外ね。お酒はダメ?」
「昨日今日とほとんど寝れてなくて、多分今飲むと大分酷いことになりそうなので」
「そう……それと、敬語じゃなくていいわ。年齢は、多分貴方の方が上でしょう?」
顔を伏せて上目遣いに僕を見る。
……うん、なんというか、年上の男性が好みそうな若い女性の立ち振る舞いのデパートみたいな感じだな。
雰囲気がある。彼女には人を惹きつける雰囲気があって、それが彼女を守っている。
でも、その雰囲気まで知覚すると、彼女は意外にも普通だ。いや、年の割には幼いのかもしれない。
異性と距離を詰める、自分を魅力的に演出する。そう言った限定的なコミュニケーション能力は凄いと思う。きっと彼女を欲しがる男性は沢山いるんだろう。そして、彼女はそんなパートナーを得て、今の地位を手に入れた。
ただ、生まれついてのブルジョワではないんだろう。そう感じた。立ち振る舞いの苛烈さは、我の弱さの証明でもある。
席を正面に据えて、こうして互いに向き合うとそれが顕著になる。
子猫のようだと思った。小さな小さな子猫が、自分の存在を証明しようと暴れまわり、そして相手が絶対的な強者だと分かると、気に入られようと小さくなる。
よく手入れされた容貌と、上質で彼女の雰囲気ともマッチした服飾がパッと目に入り、そこから彼女をレディのように感じさせるが、その本質は普遍的な、他者を畏れる少女のようだと感じさせた。
彼女の気配が、僕の表面を撫でる。しかし、心までは踏み込んでこない。その領域が、彼女が自身で定めた僕との境界線なんだろう。多分、空港で僕がした忠告を律義に守っているんだろう。
無遠慮でも無ければ、自己中心的なわけでもない。そう見える振る舞いは、それが意味を成すときにしかしない。
小市民的とも言えるし、その振る舞いを強制されたような悲壮感も感じる。その悲壮感が何とも痛々しく見えて、同情だと思うけれど、ほんの少しだけ優しくすべきなのかなと感じた。
「でも勿体ないわ。せっかくのラフィットなのに」
「そう、だね。フランスワインが好き、なのかい?」
言葉を崩すくらいの譲歩はしてもいいだろう。そう思った。
彼女も僕の返答に一瞬止まるが、ふと視線を合わせ、しかしすぐに逸らし、焦ったように言葉を続ける。
「え、ええ。フランスワインが特段好きなわけでは無いけれど、華やかなワインは好きよ。最近はシャンパーニュも勉強しているの」
「シャンパーニュか……例えば、クリュッグとか、サロンとか、ドンペリニヨンとか?」
「ええ!ドンペリニヨンは好きよ。はく……良くしてくれる方が好きで、よく飲むわ」
「へえ……僕はドンペリはP2とかしか飲んだことないなあ。良い人だね、ギギさんの恋人は」
そう返すと、彼女は何処か焦ったように視線をそらして、ばつの悪そうな顔でグラスを視ていた。
「……ラフィットも良いよね。5大シャトーの中でも特に評価されているし。華やかなシャンパーニュなら、テタンジェとか美味しかったなあ。まあ、それもちょっと前の記憶だけど、うん、あれは美味しかったよ。確か、シャンパーニュ伯爵、なんて呼ばれてた」
納得の美味しさだったよ、と返すと、彼女は僕を見つめていた。
「知って、いるの?私、伯爵のことを」
「え?ギギさんって爵位を持ってるの?」
しかも伯爵?マジで?
え、じゃあ僕の予想全部外れ?しかも伯爵位って、一代で獲得するのはかなり難しいだろうから、もしかしなくても名家の出身?
え?でも、アンダルシアなんて名家あったか?名前からしてスパニッシュだろうけど、え?ハプスブルグ?それともアンジュ―?今でも家が残ってるとは聞いた覚えが無いけど……まさかブルボン?
「……いえ、私は爵位は持ってないわ」
「あ、そうなんだ。びっくりした、一瞬ブルボン家の系譜の方なら無礼すぎるかなってちょっと怖くなってました」
「ふ、ふふふっ、ハサウェイでもそんな風に驚くことがあるのねっ、ふふ、あはははははっ」
ええーー……めっちゃ笑うじゃん。
いや、貴族筋の方と会うのって気を遣うんだよ。そうそう会うことは無いから余計に。祖父ちゃんに連れられて正装でって言われて、初めてタキシードを着た工専入学前の15歳の春、本当に緊張した。公家どころか宮家とは聞いてないって……。
「緊張しますよ。そりゃもう。そもそも僕が緊張せずに会える尊貴な方ってほとんどいませんから」
「少しはいるの?どなた?」
「言葉の綾です」
そう返すとまた面白いものを見れたと言わんばかりに彼女は笑う。
丁度その時ウェイターがオレンジジュースを運んできてくれて、転がるように笑う彼女を見て驚いたような表情を一瞬見せていた。
未だ興奮冷めやらぬのか、くつくつと小さく笑い続ける彼女を余所に、ダバオの暑気の為に滲む汗を冷やすようにオレンジジュースを飲む。
あ、美味しい。オレンジジュースの後味の苦さが全然ない。でも水っぽくも無い。何だろう、オレンジの風味が聞いているけど、後味が爽やかだ。
「そうだ!このホテル、最上階にダンスフロアがあるんだって!今夜一緒に行かない?」
「ダンスフロア?」
ダンス……ボールルームのこと?
「いや、流石にタキシードは持ってきてないよ。ごめんね」
「え?なんでタキシードが?」
「え?」
「え?」
「いや……ダンスフロアってボールルームでしょ?それに舞踏会ならお招きいただかないと入れないだろうし、それに正装も準備してないし」
「え?」
「え?」
おかしい、何故だか話が噛み合ってない。
え?もしかして僕がおかしいのか?いや、でもダンスでしょ?こういうホテルでダンスの為のフロアと言ったら、ワルツじゃないのか?しかも社交界としてのダンスフロアでしょ?
……え?
状況が呑み込めずにホテルマンに聞くと、このホテルの最上階にあるダンスフロアとは、ディスコクラブ然としたダンスフロアである、とのことだった。
ディスコ、聞いたことがある。たしか、西暦時代の1960年代に流行したダンスミュージックに端を発した文化で、黒人文化とも馴染みのあるダンスジャンルであると。
当時のポップカルチャーでもあり、ソウルやブルースと言った黒人音楽とも馴染みが深い、はずだ。詳しくは知らない。
僕が祖父ちゃんから習った音楽はクラシックとロックだけだから、僕が詳しいのはもうちょっと後か、そこから大分昔の音楽だ。
ダンスに関しては母さんが詳しいはずだけど、ただ母さん基本的にはクラシックバレエしか見ないからなあ……。コンテンポラリーさえ見ないから、家にあるダンスの映像は基本的に古典バレエの王道のものしかない。ボレロとか好きだけど、母さんはチャイコの3大バレエとか、本当に古典派の王道ばっかり見てる。
その為か、ポップな文化という奴に馴染みが無かった。
ようやくディスコダンスに得心がいった頃には、ギギさんは何とも言えぬ表情でそっぽを向いていた。
ああ、あんまりにも話題が噛み合わないと白けるよね。ごめん。
ああ思い出す。バナージとバーンさんが一緒になってうちに遊びに来た時、ちょうどタイミングよく、悪く?トミナガさんとハヤシさんもいて、結果野郎だけでレストアしたばかりのZ1を振り回してジムカーナごっこして盛り上がって、バーンさんを放ってしまったことがあった。あの後バナージは割と怒られたらしい。南無。
そう、話が噛み合わないと話は盛り上がらないのだ。……何当たり前なこと言ってるんだ?疲れてるのか?
……いや疲れてるな。昨日からほぼ寝てないもん。
それにしても、良いのか?聞く限りディスコって社交の場じゃなくて、男女の出会いの場としての側面が強いらしいけど、彼女のパートナーはそれを良しとしているのか?
……まあ、部外者が口を挟むことでもないか。
「お話しできて楽しかったです。それじゃあ僕はこれで……」
「えっ、今夜一緒に踊るよね?」
「あははは、ギギさんのパートナーに悪いですし、遠慮させてもらいます。それにちょっと疲れているので」
伯爵で会話が引っかかって、でもギギさん自身が爵位を持ってないとするならば、彼女のパートナーが伯爵位なんだろう。ギギさんと近い年齢で伯爵位を継承した貴人は覚えが無いけど、まあそれは関係ないか。どちらにせよ貴族と変に事を構えたくない。
僕も一代限りの騎士爵位は貰っているけれど、あくまで学生騎士レベルのお飾り同然のものだ。僕は社交界で影響力をほぼ持たないし、何より夜遊びでビスト技研のこれからに影響など及ぼしたくもない。
そう言う意味でもバナージみたいに結婚は済ませた方が良いのかなあ……まあ今考えることでも無いな。うん、脳が死にかけてる。
それじゃあ、と挨拶を済ませてロビーから離れる。
ギギさんは動く気配もないし、ボトルも残っているから、もうしばらく飲むのだろう。ラフィット美味しいしね。
ウェイターにオレンジジュースの代金は3201のハサウェイ・ノアに請求して、と伝えてエレベーターに乗る。
人目が無くなると、とたんに疲労が全身に押し寄せてくる。
ああ、本当に疲れてたんだな、とそこでようやく気が付いた。
動いているかもわからないほど静粛性の高いエレベーターは早々に32階まで到達し、古めかしいベルの音と共にドアを開ける。
32階は、ロビーと違ってシックな作りになっていた。観葉植物に間接照明を埋め込んだ壁と、何より高い天井。
南国の風情を取り込みながらも、確かに高級さを感じさせる造りは、本当にブルジョワ向けに作られているのだなと感心さえした。
ホテルのカードをドアにかざすと、電子ロックはたちまちに解除されてドアが開く。
部屋に入って正面が大きなガラスで夜景を一望できるような、大パノラマを見せる、リゾートの風情を良く感じさせる部屋の造りだった。
大パノラマから覗く景色は、既に夕日さえも地平に沈むようで、夜の帳が今まさに降りようとしていた。
部屋の中に部屋が2部屋あって、ベッドルームがそれぞれあるのか。凄い仕様だな。一人で泊まるような部屋じゃない。
本当に色々あった。
いつの間にか知らないシャトルに乗っていて、ハイジャックに遭って、何故かダバオに降りて、その後流れでペーネロペーのチューニングをして……うん、本当に色々あったな。
とりあえず寝よう。ご飯も何もどうでもいい。とりあえず寝たい。
ジャケットとタイを放り投げて、スラックスまで何とか脱いで、ベッドに倒れ込む。
ああ、いい気分だ。
ベッドの上でもぞもぞと蠢きながら靴下とシャツを脱ぎ、肌着ばかりになったところで、僕の意識はぷつんと切れた。
読了ありがとうございました。
本当にギギというキャラが掴めずに、何とか自分の中で折り合いをつけるまで時間がかかりました。
多分「こんなのギギじゃない!ギギはこういうキャラじゃない!」と思う方も沢山いらっしゃるかと思います。
その方に対しては本当に申し訳ない。私の解像度だとここまででした。
是非とも感想で意見を頂ければ嬉しいです。
いつも誤字報告ありがとうございます!
そして感想と高評価もありがとうございます。閃光のハサウェイ編は結構難しくて、書くに難儀する場面もありつつ楽しんで書いていますが、皆様にも楽しんでいただけているようで本当に嬉しいです。
引き続き感想、高評価、頂けると嬉しいです。