「よっしゃぁー!! ついにやったぞ!」
「やりましたね! 依頼主の言ってた通り、案外あっさりと投降しやがった!」
そこそこに日が登り始めた射撃場。立ち込める白く甘い匂いの煙が濃さを失っていき、景色が鮮明になる。睡眠ガスの残滓が漂う中、数人のヘルメット団が歓喜の声を上げていた。
彼女たちの手には、簀巻きにされ両手首を無機質な金属で固定された男が、抗えぬ眠気と戦いながら地面に膝をついていた。取り押さえられたことにより、まだそこらに舞っていた睡眠ガスをケンゴは吸ったのだ。加えて、麻痺の効果もあるらしく、体全体が痺れ抵抗する力すら出せなくなっていた。
(……身体が、動かねえ……。クソ、あのガス……)
ガスを直接吸い込んだダメージは大きく、ケンゴの意識は濁流に呑み込まれそうになっていた。だが、視線の先、遮蔽物越しに奥でぐったりと横たわるイチカの姿だけは辛うじて捉えていた。
(俺の症状的に、イチカはこれで眠ったのか。よかった、眠るだけで。しかし、あのままだったらきっとイチカは攻撃されていたかもしれない。幸いのことに、あいつらが狙ってるのは俺だけみたいだし……これなら、アイツも大丈夫だな)
自分を「友達」と呼んでくれた、唯一仲の良い同級生。彼女をこれ以上傷つけさせたくはなかった。
「おい、さっさと運べ! 届けるまでが仕事だ!報酬はガッポガポだ、ぐずぐずするな!」
乱暴に引き立てられ、ケンゴは用意されていたトラックへと放り込まれる。
扉が閉まる直前、その様子を遠くの茂みから見つめる影があった。
「……えっ、えぇ〜!? 今のって……正義実現委員会の、あの時の人……!?は、早くナギサ様に伝えないとぉ〜!!」
少女は震える手でスマートフォンを取り出し、どこかへ連絡を試みる。その様子を、去りゆくトラックの連中は知る由もなかった。
□□□
天堕ケンゴ誘拐の報は、瞬く間にトリニティ全体へと広まった。
犯人たちは作戦成功に浮かれるあまり、防犯カメラや移動経路に多くの証拠を残していた。正義実現委員会の情報網に掛かるのは、もはや時間の問題だった。
「……監視対象が白昼堂々、トリニティの敷地内から連れ去られた。それも、委員の一人が無力化されて、ですか」
羽川ハスミの冷徹な声が、作戦会議室に響く。その隣では、剣先ツルギが顔を歪め、言葉にならない唸り声を上げながら、椅子を握りつぶしていた。
「……ア、アァ……。コロス……コロス……ッ!!」
「ツルギ、落ち着いてください」
いつもよりも殺気だった顔で、二丁のショットガンを構えるツルギにハスミが手で静止する。
「戻ったよ。ハスミ、ツルギ。追跡の方は、どうなっている?」
ルイとシズミが戻ってきた。そして、続け様にハスミに聞く。
「……現在、委員会総出で足取りを追っています。防犯カメラの映像をもとに移動した場所の手掛かりやトラックを捜索中です。恐らくトラックは今もトリニティ内を移動している可能性が高いと思われます」
「そうか。引き続き頼むよ」
「はい。必ずや取り戻します」
ハスミの瞳には、静かだが苛烈な怒りが宿っている。
監視役であったイチカの失態という以上に、自分の居場所を認め始めていた少年が奪われた事実は、委員会全体の矜持を激しく傷つけていた。殆どの委員が、天堕ケンゴという男を受け入れていた。その中でも、ハスミやツルギ、そしてトップのルイの実力者達からの信頼は厚かった。それに、ケンゴの仕事に対する勤勉さや真面目な行動が、スズミや他の委員達からは好印象だった。
既に、天堕ケンゴという人物はこの輪の中にいることを許されていた。
「不良共といい、ゲヘナといい……どいつもこいつも」
「はぁ。(……異分子は面倒ごとばかりだ)」
……ただ一人を除いて。
「?……シズミ、何か言ったかい?」
「いえ。気のせいかと」
「そうか。……シズミ、君も二人に協力してくれ、機器の扱いは得意だろう?」
「……わかりました。ではツルギ」
「はっ!!」
「早速ですが、今から包囲網を敷いてください。各カメラの確認は私が引き受けます。総員、出動しなさい!」
「「「「はいっ!!!!」」」」
ツルギに続いていき、その場にいた残りの委員達がその場を後にする。
「……よし。私は、少しイチカの様子を見てくる。近くにいた彼女にも、話を聞かなければ」
「私もよろしいですか?実は、ずっと心配で……」
「ふむ。いいだろう」
ハスミがルイに声を上げ、言う。ルイはそれを了承してシズミとツルギを残して、救護騎士団に預けられているイチカのところに向かったのだった。
□□□
救護騎士団の病室。微かな消毒液の匂いの中で、イチカはゆっくりと意識を取り戻した。
「……っ、ケンゴくん……!」
勢いよく身体を起こそうとして、激しい眩暈に襲われる。
「動かないで。まだ睡眠ガスの成分が完全に抜けていないわ」
傍らにいたハスミと、心配そうに見守るルイが視界に入る。
「……ハスミ先輩。それに委員長も……私、何を……」
「ケンゴさんが連れ去られました。……そして、その場で通りかかった人の連絡でかけつけた時、あなたが近くの物陰で倒れていました」
ハスミの言葉に、イチカの思考が凍りついた。
仕事、監視、正義……そんな言葉よりも先に、今朝のケンゴとの会話が脳裏をよぎる。
『イチカといるとき……』
『お前といる時が俺は一番楽しかったって思う』
「…………そう、だったんすね。すみません、私が油断しちゃったばっかりに、大変なご迷惑をかけてしまって」
イチカは俯いた顔をルイ達に向け、状態だけを動かし頭を下げる。任務に失敗し、監視対象である彼を奪われてしまった。正直、イチカは合わせる顔がなかった。責任の重圧がイチカにのしかかる。
「イチカ、体調はどうかね?だるかったりしないかい?」
「いえ、少し体が怠いような気がしますけど。……大丈夫です。心配をおかけしました」
「気にするなイチカ。……そうか、それは安心した」
ルイは特に気にしてなさそうにイチカを心配する。
「……早速だが、何があったのか聞いてもいいかな?」
ルイの顔から笑みが消え、真剣なものに変わる。イチカはその顔を見て僅かに体を震わせた。ほんの僅かな動きだったので気づかれることはなかった。
そうして、イチカはルイに知る限りの事を話した。でも、イチカの話した内容は、既にルイ達は知っていたようで、これといってわかったことは、認可されてない最新の装備を相手が持っていたということだけだった。
「うむ。殆ど映像で見たとおりだね。映像に不備がない限り、フェイクではないかな。……間違いはなさそうだ」
「あはは…任務に失敗した上に、あまり役に立つ情報がなくて申し訳ないっす」
力無く、でも表情を崩さないようにして、ベッドに座りながらまた頭を下げた。落ち込んだイチカに、ルイはすかさずフォローを入れる。
「気に病むことはないさ。それに、少なくとも事実確認は証明できた。十分だよ」
「……はい。そう言っていただけて、ありがとうございます」
「さて。ではハスミ、イチカをしばらく頼む。私はイチカが目を覚ました事をミネに報告した後、ティーパーティーのところに行くから。なにかあれば、シズミに言ってくれ」
「はい。わかりました」
「……では、任せるよ」
「はい。お気を付けて……」
ルイが病室を後にし、バタバタと遠ざかっていく足音が聞こえなくなる。
静まり返った病室に、窓から差し込む朝陽が白いシーツを無機質に照らしていた。
ハスミは椅子を引き寄せ、沈黙を守るイチカの隣に座った。その視線は、イチカが強く握りしめたままの拳に落とされる。
「……自分を責めているのですか、イチカ」
「……はは、まぁ〜、そうっすねぇ。正義実現委員会の名前に泥を塗っちゃったかなーって、ちょっと気にしてますね」
イチカは顔を上げず、いつものような軽い調子を装って答えた。けれど、その声はどこか平坦で、いつもの余裕は感じられない。
「……ハスミ先輩。私、ケンゴ君に『友達』だって言われたんすよ。……私といる時が一番楽しいって」
窓の外を見つめたまま、イチカはポツリと、誰に聞かせるともなく言葉をこぼした。
「……でも、それって私にとっては好都合だったんすよね。監視対象が勝手に心を開いてくれれば、仕事もしやすいし、ボロも出しやすくなる。休暇の時に、彼に友達なんて言ったのも……まあ、ぶっちゃけちゃえば、あいつを上手くコントロールするための、ただの処世術だったんす」
自嘲気味な笑みを浮かべながら、イチカは自分に言い聞かせるように言葉を続ける。
「なのに、ケンゴ君はそれを本気にしちゃって……。監視役の私を庇って、あんな無茶をして。……正直、迷惑っすよね。嘘の友達を助けるためにボロボロになるなんて。……そんなバカ正直な奴を助けに行くのに、私みたいな嘘つきが相応しいわけないじゃないっすか。資格なんて、あるはずもないんす」
そう言って、イチカは小さく溜息をついた。
行きたいという衝動はある。けれど、それを認めてしまえば、自分が積み上げてきた「効率的な監視員」としての仮面が壊れてしまう。それが怖くて、彼女は「資格がない」という言葉を盾に、自分をその場に縛り付けようとしていた。
ハスミは、そんな後輩の横顔を静かに、ただ静かに見守っていた。
イチカがどれだけ言葉で自分を汚そうとしても、握りしめられた拳が震えている理由を、ハスミは知っていたからだ。
「……理由なんて、後から捏造(つく)れば良いのではないですか?」
「……え?」
「理由が正義であれ、任務の続行であれ……。あるいは、あなたが言うような不純な動機であれ。あなたが今、その拳を解けずにいる。……今は、それだけで動く理由としては十分なはずです」
ハスミは立ち上がり、イチカの肩にそっと手を置いた。
「資格については、連れ戻してからケンゴ君に直接聞けばいいのです。……彼なら、きっと笑って答えてくれるでしょう?」
「…………」
イチカは一瞬、呆然とハスミを見たが、やがて困ったような、それでいてどこか吹っ切れたような苦笑いを浮かべた。
「……はぁ。ハスミ先輩には敵わないっすね。……そうっすね、理由なんて、後であいつ……ケンゴ君に押し付ければいいか」
イチカはベッドから脚を下ろし、ゆっくりと床に立った。身体はまだ重いが、その薄っすらと開かれた瞳にはいつもの、けれど少しだけ熱を帯びた鋭い光が戻っていた。
「……私、やっぱり行きます。あいつら倒して、連れ戻して……。ついでに、私のこのモヤモヤも全部、ケンゴ君に責任取ってもらうことにするっす」
愛銃を手に取り、肩に担ぐ。
背負い直した銃の重みが、今の彼女には何よりも確かな「答え」だった。
「待っててください、ケンゴ君。私をこんなに心配させたお礼、たっぷりさせてもらうから。私の目から逃れようだなんて、思わないでくださいっすよ!」
病室の扉を開け、イチカはいつもの、けれど少しだけ早足な歩調で踏み出した
□□□
ルイが訪れたティーパーティーのテラスには、いつもなら三つ並んでいるはずの椅子が、今は主を欠いて寂しく佇んでいた。広大なテラスの中。長机の端に、桐藤ナギサただ一人が、重圧を背負って座っている。
ルイは周囲を見渡し、眉をひそめて問いかけた。
「……ナギサ様。随分と静かだね。他の二人はどうしたんだい? この緊急事態に、ティーパーティーが君一人というのは心細い」
ナギサは力なく首を振った。
「……ミカさんは少し用事があると言い残したまま、現在連絡がつきません。セイアさんは、いつもの体調不良で本日はお休みです。なので、今回は私のみです」
「それは、災難だね」
「……それで?ケンゴさんの行方の方は、何か進捗は?」
「そうだね……。さっき丁度シズミから連絡が来たところだ」
ルイの言葉に、ナギサは手元のティーカップを机に置き、彼女の言葉を待つ。その表情は、かつてないほどに沈んでいる。ナギサが今回の誘拐の話を、たまたま近くを通りかかったという一年生のヒフミという生徒から聞いた。それからすぐにルイやシズミに連絡してケンゴ捜索を開始し、今に至っている。
「……先ほど、シズミから受け取った情報によるとだ、今から5分程前にケンゴを乗せたトラックがトリニティの境界を突破……あろうことか“ゲヘナ自治区”へと進入したとのことです」
「……っ、ゲヘナですか!?」
ナギサの声が鋭く響く。ヘルメット団が意図したものか、あるいは単なる逃走経路の結果か。だが、その行き先は最悪という他なかった。
「ゲヘナは危険なとこです。野蛮でテロが絶えない地帯ですからね。早急に手を打つべきかと思います。私はこれから部隊の準備を整えます。整い次第、ケンゴくんの捜索と救出を開始しようと思います。ハスミやツルギなどの少数精鋭で先行すれば、騒ぎが大きくなる前に連れ戻せるはずかと」
「――いいえ、ルイさん。それは許可できません。正義実現委員会には、待機していただきます」
「……本気ですか、ナギサ様?」
ナギサの冷徹な言葉に、ルイの瞳に険しさが宿る。
「現在、私たちはゲヘナとの間での和平条約……“エデン条約”の締結に向けた極めて繊細な交渉の最中にあります。この時期に、武力組織である正義実現委員会を連れてゲヘナ自治区へ踏み込めば、向こうの万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)に宣戦布告だと受け取られかねません。条約破棄の口実を与えるようなものです」
「ナギサ様。……お言葉ですが、学園の仲間が攫われたのですよ。まだグレーな存在ではありますが、あんな危険な場所に居させるのは危険です。責任は私が持ちます……なので、許可を――」
「わかっています! ……ですが、私はトリニティの代表として、数百人の生徒と安全を天秤にかけねばならないのです。……個人の救出のために全面戦争の引き金を引くことは、断じて許されません」
「それに……ケンゴさんはまだ要監視対象です。この時期に現れ、歴史から消された派閥から来た存在なのです。まだ確信はないですが……、敵である可能性の高い彼を戻すのは、早計とも思っています」
ナギサは固く目を閉じ、震える手でティーカップを握りしめた。彼女もまた、この不条理な決断に心を痛めていた。だが、ミカもセイアもいない今、彼女一人でこの巨大な学園の舵を取らねばならない。心を鬼に、割り切らなくてはならない。
「……独断専行は許しません。……今は、待つのです。外交ルートでの解決を模索し、あちらに一度連絡をしてからでないと、なにもできません。委員長であるルイさんにも、それはわかっているはずです!……どうか、飲み込んでください」
「…………はい」
ルイはナギサを射抜くような視線で見つめた後、一言も発さず、翻るマントと共に庭園を後にした。
その足取りは重く、大理石の床に響く足音が、彼女の心中にある怒りと無力感を物語っていた。
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