【第二部完結】各務に想う 〜いつになったら財務会計ってもんをみんな覚えてくれるんだろうか〜   作:ふぃーあ

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信頼、星空、君に捧げて

「……お待たせ、少し待たせちゃったかな?」

 

 濃紺の髪を揺らすチヒロが、施設内に備わった浴場から出てきたのは僕がマッサージチェアのマッサージを受け終わった頃だった。

 

「いや、全く。にしても、キャンプ場というのはすごいな。夜の十時までは風呂まで使えるとは想像以上だった」

「まあ、寝る前には汗は流したいし、心遣いってやつだよね。おかげで気分よく寝れるね」

 

 僕らは水炊きをさんざん楽しんだ後、後片付けをしてキャンプ場備え付けの温泉棟に訪れていた。僕以外の利用者がほぼなかった男風呂を、貸切くらいの気持ちで楽しんだ僕と、恐らくキャンプ場の主客層である生徒たちの流れに巻き込まれていたであろうチヒロとでは感じたものに差はあるだろうが、まあ。

 

「総じて見れば、いい湯だな、というところか」

「そうだね。間違いない……時間は、大丈夫かな」

 

 チヒロの言葉に答えて腕時計を確かめると、針は午後九時を指し示していた。

 

「まあまあいい時間だ。そろそろ戻っておくべきだが、湯冷めしないか心配だね」

「上着のフードを被ればだいぶ違うよ?」

「そうなのか? む、これは湯気というか、登る暖かい空気が服の中で回るんだね……なるほど」

 

 チヒロに教えてもらった方法で体を冷まさないようにテントに戻り、さらに準備をしていく。

 

「お湯を沸かそうか。コーヒーが飲みたい頃合いだろう?」

「なら私は先に豆を挽いておこうかな。このくらいで……チハヤも私の好きなやつでいい?」

「もちろん。僕の分も挽いてくれるのかい?」

「まあ、それくらいはするよ」

 

 水炊きも作ってもらってるのに悪いね、と言うと、そもそも連れてきてもらった身で……と謙遜のしあいが始まることが容易に想像できた僕はそこからをあえて話さなかった。かわりに、チヒロへ流す話題は。

 

「今日の星は特別なんだそうだ。なんでも、流れ星が見られるらしい」

「え? そうなの?」

「あぁ。といっても、一時間観測して5つ見れれば良い方、くらいの流星群ではあるらしいんだが」

 

 チヒロと星の話になった時、最低限恥ずかしくないように。そんな気持ちで調べた天文関連の情報の中に、今日が流星群の極大日であるという話が入っていた。

 

「同じ流星に願いをかけるというのも、まあ悪くないんじゃないかと思ってさ」

「……チハヤって、ロマンチストなところあるよね」

「雰囲気が大事だと思ってるだけさ。なにも夢追い人ってほどじゃない」

 

 コーヒーミルが豆を挽く音と、水が火にかけられ湯に変わる過程で生じる音の心地良さを感じながら、僕がチヒロにそう返してかしばらくして、チヒロがミルの中を確認して頷いた。

 

「できたよ。そっちは?」

「沸いてる。一旦火から上げてるんだ」

「うん。じゃあ、淹れちゃうからね」

「その間に砂糖とか出すよ。何かいるかい?」

 

 チヒロは少し考え込んでから「大丈夫かな、いったん。チハヤの分だけ出しなよ」というので、僕もまた「ブラックで飲むよ、眠気覚ましにはちょうどいいからね」と返す。

 

 チヒロが淹れてくれたコーヒーを手に、二人でテントの入口に折りたたみの椅子を置いて空を見上げる。

 

「うん……綺麗、だね」

「……あぁ」

 

 煌めく星々。暗い夜空とヘイローの浮かぶ空をキャンバスに散りばめられたそれらは、ひとつの美しい絵画のようだった。

 

 無言で僕らはそれを見ている。時折コーヒーを口に運び、何ら言葉のいらない感情の共有を続けている。

 

 この時間が永劫に続くようなことがあっても、それで構わないとすら思う。

 

 いつのまにか消灯時間を迎えたキャンプ場は完全に沈黙し、空にだけ、集中することができるようになっていく。ふと、空を見上げている今なら、抱えてきた胸の内も空に消えていかないかと思った。

 

「……僕はね、チヒロ」

 

 だから、そう呼びかけるつもりも無かったのに僕は無言の感情の共有を打ち切ってしまった。

 

「なに? チハヤ」

「この空に消えていってしまいたいと思うことがある」

 

 それは僕の魂の叫びだ。歪みの吐露だ。隠し通すべき、あるいは話すべきでない言葉だ。だが、信頼とはそれらを踏み越えるべきものであると人は言う。

 

「え?」

 

 ならば、チヒロにだけだ。チヒロにだけは、この言葉を言葉として発してもいいと思った。

 

「あの日、君たちのチームに入った時。僕は僕自身が君たちの役に立てると信じて疑わなかった。僕には能力があると。それ相応に努力したのだと。故に、埋められない差はないのだと」

 

 僕はただ、独白する。チヒロはただ、僕の言葉を待ってくれているから。

 

「だが、現実は違った。僕は折れた。傲慢で愚かしく頂点を知らない天峰チハヤは、調月リオと明星ヒマリという二人の頂点を知った。二人だけに許された世界があることを知った」

 

 そうだ。僕は最初から望んで千年難題のチームで雑用をしようと思い立った訳じゃあない。僕の能力はその難題に通用すると信じていただけなのだ。

 

「君は二人だけに許された世界を剪定する庭師のように僕には見えていた。二人が生み出す発想を剪定し、時に組み合わせ、交配させて理想の箱庭を作っていくような、ね」

 

 僕にとって各務チヒロという存在は、不可思議だった。あの天才たちと渡り合う能力を彼女は如何にして持ち得たのか当時の僕には分からなかった。

 

 箱の蓋を開ければ、彼女は渡り合っていたのではなく、寄り添っていた。渡り合うのではなく、別のアプローチでその世界に踏み込む術があることを、僕はチヒロに教わったと言っていい。

 

「それで、僕も似たようなことができる何者かになろうとした。僕にはひとつだけ君たちにない能力があって、それが会計ができることだったから、それを使って世界に入り込んだ」

 

 星空の下で、まだるっこしくチヒロに語っている自分を客観視しようとする理性を黙殺する。

 

「役割を得た時、僕は安堵した。これで僕もまた、存在意義をこの箱庭で得たのだと。だけれど、それと同じくして、こうも思った」

 

 小さく、息をつく。僕が、今なお僕自身に下す僕の評価を、初めて誰かに僕は聞かせるつもりだった。

 

「僕は何者かがあって初めて存在できる。意義を満たせる。レゾンデートルが果たせる。ひとりでは存在しえず、何も生まず、何にもなれない。……そういう存在を、歯車と呼ぶこともできる。だけれど、僕はあえて僕自身を寄生虫と呼ぶことにした」

 

 何者かが無くては存在しえないこと、それそのものは何ら忌むべきことではないはずだ。

 

 僕も、それ自体は理解しているのだから。それでも、あえてこう呼ぶのは、今の立場を手に入れたのは、今こうしていられるのは、何者かになれるのは千年難題のチームに『寄生した』からだという思いがあるからだ。

 

「そして、ひとりで黙考する度に思う。僕はこの立場にあることが本当に正しいのかと。後輩に尊敬されるに足るのかと」

「それで、消えたいって?」

 

 もう、チヒロはこちらを真っ直ぐ見ていた。夜空を見上げるのをやめて、真っ直ぐ、見据えていた。

 

「そんなこと、言わないでよ。チハヤ」

「……だが、僕は」

「だが、とかそうだとしても、とか。やめにしてよ」

 

 チヒロの視線が僕を貫く。さらけ出した弱さを貫いていく。

 

「あなたは、その場その場でなりたいものを決めて、なりたいものになっていった。チハヤのこれまでの積み重ねが、今を作ってる。ヴェリタス、情報処理部、セミナーの子たち。みんな、チハヤのやってきたことを信じてる」

「……それは、そうだろうけれど」

「始まりの形が間違っていたかもしれない……あぁでも、私には分からないけどね。あなたにとっての間違い、ということにしておくけれど、そうだったかもしれない。でも、今に至るまで間違えていたの?」

 

 それは誰にも分からない。それを評価するのは、僕ではない。正しさの基準は……そんな言葉が口をつこうとする。それを遮って、チヒロは静かに椅子を立った。

 

「答えは必要ない。チハヤ自身がその始まりを否定するとしても、誰かがあなたの道筋の果てから正しさを証明する。チハヤはそういう道を歩んできたし、これからもそうだと、私は信じてる」

「……」

 

 今度は僕が、チヒロの言葉を待つ番だった。チヒロが、荒れ狂う感情を抑えて言葉を選ぶのが伝わってくるから。

 

「それに、寄生虫って言うけど。千年難題のチームは、あなたに利用された訳じゃない。あなたを利用したわけでもない。ただ、私は一人の仲間としてあなたを迎えた。たぶんリオも、ヒマリもそうだったと思う」

 

 まあ、別に。とチヒロは困った顔をして続ける。

 

「ここまで言ってきたことはどうでもいいんだけどね。あえて、あなたの言葉を否定した。私は今、初めてチハヤに対する立場になった。そのうえで、チハヤがチハヤ自身を否定する立場にあるんでしょ? そうだね、それの対抗なんだから……」

 

 そう言って、チハヤは小さく微笑んだ。

 

「私は、あなたを肯定してみることにする。あなたに間違いがなかったことを証明する。消えてしまいたいと、そう思わないように、今のあなたの言葉を否定する立場に立つ」

「……チヒ、ロ……?」

「あぁもう、私、何言いたかったのかわからなくなってきたな……正直に言っちゃうけど」

 

 チヒロは視線を逸らそうとして、それを理性で押さえつけて僕を見据えていた。顔が赤く染まっている。

 

「今更、あなたがいなくなるなんて。今の私じゃ、もう耐えられないかもしれない。チハヤ、私だけじゃ寂しいよ」

 

 その言葉に、ふとあの日を思い出した。僕が倒れたらチヒロは困るか? なんて、面倒なことを聞いたあの日のことを。

 

「……チヒロ。全部頼んでおいてなんだが、最後の頼み事がある」

「なに? これで消えたいとかまだ言うなら……」

 

 ふっ、と笑う。理性で抑え込むよりも、大切なことがある。チヒロは伝えたいことは理性で縛らなかった。なら、僕もそうすればいい。君は、全てを教えてくれる。だから。

 

「僕を見ていてくれ。どこにも消えないように」

「ふふ、なにそれ……わかるから、いいけど。ねぇ、チハヤ。それってさ、もっと簡単に言えないの?」

 

 チヒロが、何かを求めている。それはわかる。僕には、何を求めているかがわからない……いや、わからなかった。今なら、わかると思い込んだ。チヒロは、求めている。そう信じる。

 

 僕が、チヒロを求めることを、求めているんだと信じよう。

 

 なら、僕が言うべき言葉は、たったひとつだけ。

 

「やっと気付いたよ……チヒロが僕には、必要なんだな」

「ズルいよ? その言い方はさ。……いいの? 私で」

「君以外の誰にだって、僕の相棒は務まらないよ」

 

 顔が熱い。久々に感情のままに言葉を語りかけたからだろうか。それとも、もっと別の理由から? 

 

 僕が今述べたことは、情けないほど正直な真実……

 

 違う。そうじゃない。理屈建てて自分を納得させる必要なんかひとつもない。黙っていろと、どうでもいいと、理屈を感情のままに放り捨てる。

 

 なんでこうも胸が苦しくなるのかがわからない。あるいは、そうか。これが焦がれるというものなのか。

 

 だが、そうだな。わからなくていい。理解など必要ない。今は、ただ、心のままに。

 

「好きだよ、チヒロ」

 

 もう理屈はいらない。虚勢は張らない。

 

「……ずっと、待ってたんだよ」

 

 ぽす、と。上着同士が触れ合い、服の中の空気が抜ける音がする。

 

 その時、見ろとばかり流れ星が流れていく様子が、視界の端に映って消えた。

 

「ごめん」

 

 でも、今は、今だけは。

 

 流星に願いをするよりも、ただ、目の前の大切な人を感じていたかった。

 





恋を書き記すことの難しさ。どうか二人の想いが伝わっていてくれると嬉しいのですが。

終わるような引きですけど全然続きますので、是非ともよろしくお願いします。

モチベになるので評価感想等、よろしくお願いします。
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