各務に想う 〜いったいいつになったらみんな財務会計ってもんを覚えてくれるんだ〜 作:ふぃーあ
重厚な車が地を駆ける。
暗闇を切り裂くヘッドライトが、一刻も早く中の人物を届けるために全力を尽くしていた。
「ふふ……」
檻までついた後部座席に乗って、外の月をほう、と眺めている女……申谷カイは、月に月ではない何かを見て微笑んでいるらしかった。
車が妙な方向に向かっていることに、カイは何となく気が付いていた。D.U.の方角に向かうとしては、月の見える窓の側がおかしかったから。
「……まあ、いいか」
だから、申谷カイは自分に何が起きるのかをただ待ってみることにした。元々、残りの生涯を矯正局で過ごすのかもしれなかった身の上だ。
彼女は少しの時間呆けて待つことなど、本来送られる場所から想起される日々と比べてはなんら苦ではなかろうと思っていたのだった。
車が地下に入り、停車し、彼女の座っていた後部座席のドアが開かれると、運転席から降りた少女が制服を脱ぎ捨てる。それが符牒だったらしく、残りの人物はその少女にまるで敬意でも表すように侍り、少女はその口を開いた。
「まずは決戦、お疲れ様でしたと言わせてもらいましょうかね」
「労いはいらない。私は敗者だし、戦士でもない。戦ったことそのものになんら価値はない人間だよ」
「申谷カイさん。あなたにはまだ価値があります」
いつの間にやら、ロングコートを羽織った少女はそう言い放ち、杖をコツン、と突き鳴らした。
「……ふむ。君は何者だ?」
「犯罪コンサルタント、ニヤニヤ教授とでもお呼びいただければよろしいかと思いますよ」
「ニヤニヤ教授……なるほど、君が。こうして会うのは初めてだね」
ニヤニヤ教授、と。そう名乗った彼女は、頷いた。
「そうですね。貸した人員はどうでしたか?」
「良い実験道具になった。おかげで研究が進んだとも」
「……戦力にすることを想定していたのですが……ほむ。まあいいでしょう」
カイに想定外の動きをされながらも、結果としては望むべくもない望外の成果を得ているが故に何も言うことが無くなったニヤニヤ教授は、結果オーライという言葉に一度現状を叩き込んで不敵に笑う。
「解せないな。君がわざわざ私を助けに来る理由は?」
カイの疑問には、
「まだ利用価値がありますから。それに、苦労したのですよ? あなた方の脱獄という成果を得るために。その成果のうちのひとつをこの段階で失うという訳にもいきませんからねぇ」
さらりと返し。
「当面は追っ手を撒きつつ今しばしの外を楽しめば良いかと思いますよ?」
そう告げられた突然やってきた未来を、
「礼は言わないよ」
すぐにカイは受け入れて、彼女たちに背を向けて歩み出した。
「構いません。代わりに、いつか借りを返してくだされば」
「……わかった。貸しひとつにしておいてやる」
最後に、顔を見ないままそうやり取りして、カイは闇の中に消えていった。
驚くべきことに、申谷カイに逃げられた。
あの後、取り押さえられた申谷カイを矯正局へ再収監するべく連絡した僕らの元へすぐに駆けつけてきた、ヴァルキューレの護送車とその運転手、そして同乗のヴァルキューレの制服を着た三名。
その一切が、偽物だった。
護送車は違法なルートで旧型護送車を改造して、最新型の護送車と同じように塗り直したもの。
制服を手に入れた場所こそ不明だが、どうやってか手に入れたヴァルキューレの正式な制服を身にまとい……申谷カイを偽の護送車に詰め込んで、なんなく僕らからカイを連れ去ってみせたのだ。
それが明らかになったのは、ニセモノたちから三十分遅れでD.U.からやってきた本物のヴァルキューレが現れてからだったというのだから、笑えない。
その鮮やかな逃げに僕もキサキも最早天晴だなと天を仰ぐ他無かったが、チヒロだけはなんとなくそう思わなかったようで。
『……あそこまで負けを認めた人が、最後の最後で逃げを打つ? うぅん……納得し難いかも』
そう思索を巡らせていた。ある意味、僕やキサキのように過去のカイと深い関わりがあった訳ではないからこそ、気づけることがあるやもしれないというので、僕もキサキも特にそこに口出ししないことに努めているから、チヒロは今なお時折それを思索している様子だった。
「やっぱり私、アレは申谷さんの意思ではないと思う」
結論から話しだしたチヒロには、まとまりきらない考えをまとめるために口を開いた感じがあった。だから、僕はその考えを引き出す相手役に回るべきであり、それをチヒロも無言の下に求めていた。
「そう思った最大の理由は?」
「カイの目的がチハヤとの決着を第一にしていたから」
「敗れたことで、再挑戦を目指しているとは考えなかった?」
チヒロはそこでそれを否定するようにゆるゆると首を振った。
「あんなに憑き物が落ちたみたいな人の顔を私はあんまり見たことがないから」
「……そんな顔してたか?」
「少なくとも、私と目を合わせた時の申谷さんはそうだった」
そうだったらしい。僕も、チヒロの感覚に疑うところはない。チヒロの感性は極めて常識的かつ倫理的に上澄みであることを疑う余地のないものだということを前提にすれば、なおその感覚に疑念は差し挟むだけ無駄というものだった。
「だとしたら、誰が、何のために?」
「わからない。そして、これからわかることかもわからない」
「そうだね。ただ、カイを連れていくことにプラスのアドバンテージを得る人物、というものにろくなものは無い。カイの作る薬に価値を見出した人間も、同じだ」
それだけは分かりやすい真実だと思っているから、僕からの意見の提示はこれだけ。カイに価値を見出す人間に、まともな人間はいない。
「猿の手、か。本当にまた会いそうで嫌だなぁ……」
「次会う時は互いに無関係のふりができたらいいんだがな」
なんとなく、二人の考えていることは一致していた。
「はぁ……」
「ふぅ……」
太陽の下、いつものミレニアムの自販機で買ったコーヒーを傾けて、一息つく。そして、一言。
「「無理なんだろうなあ……」」
嫌な悟りを開いた気分になった僕とチヒロだった。
そんななんとなく妙な空気感の僕らに声をかける、勇敢な生徒が一人。
「先輩。ちょっとお時間、よろしいですか?」
青い髪、白いセミナーの制服。……早瀬? 何故ここに……?
「……チヒロ、すまないが少し話を聞いてもいいかい?」
「いいよ。ユウカ、手短に済ませてね?」
「はい。と言っても、チヒロ先輩にも関係のあるお話ですよ」
そういう早瀬は、手元のバインダーに目を向けることなく真っ直ぐ僕らを見ていた。
「先日の山海経からのお客様の対応ありがとうございました……本当に助かりました」
「あぁ……なるほどね。うん、別に大したことはしていない。本当に」
「うん、まあ。うん……?」
チヒロが首を傾げている気もするが、大したことはしていない。大したことになったのは、その対応をした後だから。セーフだろ? ……セーフであれ。
「……無理筋だと思うよ私は」
耳元で囁かれるその一言に、僕はそうか……と肩を落とした。
それを見て不思議そうにしながら、早瀬は言葉を続ける。
「こちらも一区切りつきましたし、そろそろ恩を精算した方がいいと思いまして」
「と、いうと……?」
僕がそう問い返すと、早瀬は少しだけ息を入れた。
「以前、C&Cがオデュッセイアのカジノ船に任務で入ったことがありまして。その際、アスナ先輩が、まあ」
「……異常な豪運で爆勝ちしたんだな。なんとなくわかる。それで?」
「潜入が露見する事態となり、大半の要素は喪失してしまったんですけど……まだ残っている要素はアスナ先輩がセミナーのためにと下さったんです。他の要素は色んな方法で換金したんですが……これだけは、差し上げたいと思っていたんです。良い機会ですから」
そう早瀬が言いながら、こちらにバインダーから外したクリアファイルにまとめられた、一式の資料を渡してきた。
中には、まず冊子が二つ。それから、封筒がひとつ。
取り出した冊子の表紙には、『セレモニアルビーチ・コテージ』の文字。封筒の中には、チケットが2枚。
「もしかして、これは」
「……はい。お二人で、行かれてはどうかと」
「いいの? ……私は、嬉しい、けど……」
早瀬は、頷いた。吹っ切った笑みを浮かべて、雲ひとつない快晴の下で。
「もちろんです、チヒロ先輩。これは、お祝いでもあるんですから!」
「「お祝い?」」
声を揃えて、問う。早瀬は一切の影を感じさせない笑顔のまま、口を開いた。
「それはもう……学内でも噂ですので。『前より近い』と」
「んなぁっ……!?」
チヒロが茹るのを後目に、僕は静かにファイルを片手にしっかりと持ち、早瀬に軽く一礼した。可愛いチヒロを見る機会は多いが、茹るチヒロは最近めっきり見なくなって久しい。心からの感謝だった。
「あぁもう……してやられた」
「ふふ。チヒロ先輩とは実は一度戦う前から負けていたようなので、これで一勝一敗ということになりませんか?」
「ん? ……あぁ、そういうことだったの。余計いいの? チャンスだったと思うけど」
早瀬は僕の一礼を華麗にスルーして、チヒロに笑いかける。
「ええ。私はチハヤ先輩の幸せを願ってますから。チハヤ先輩の幸せが、チヒロ先輩のそばにいる事なら……私、応援しています」
「……複雑な気分だよ。仮にもお題目が反セミナーの組織な人間が、セミナーに塩を送られて応援までされるなんてね。でも……うん。ありがとう。楽しんでくる」
そんなわけで、僕らは近々旅に出る。目指す場所はトリニティ自治区、セレモニアルビーチの近隣にある海沿いのコテージへ。
与えられた期間は一週間。随分と長い休暇が取れそうだと話しながら僕らは部室に戻ってきていた。部室には今誰もいない。いつものように、ゲーミングチェアに座った僕がチヒロを膝の上に座らせて、心地よい時間を過ごしていると、チヒロがこの手の二人の時間には珍しく口を開いた。
「……楽しみだね、チハヤ」
「そうだな、チヒロ。……僕たちの、旅行か」
「うん。……その、さ。これ、ハネムーンってことにしたら……怒る?」
恥ずかしそうに、頬を染めながらチヒロはこちらにそう問いかける。
「そんなわけないさ。……そうだな、そういう区切りってことにしても、いいかもな」
「本当に? ……嬉しいな。チハヤと蜜月旅行なんて……ふふっ」
「……全く、ほんと……チヒロって可愛らしいよ」
僕らの蜜月は、あるいはもう始まっているのかもしれない。
2.5部、完結です。シリアス編でつまらないというアレがあったら申し訳なかったと思いつつ、過去の因縁絡みでした。またイチャつかせます(宣誓)
また次回お会いしましょう!感想評価、お待ちしてます!!