【悲報】聖剣を引き抜いたヒキニートのワイ、魔王を討伐するまで家に帰れない   作:ハギワラ

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名無しの騎士(副団長)とヒキニート

 

 この世には、どう足掻いても覆す事が出来ない不文律が幾つも存在する。

 その内の一つが「生まれ」であり、私は騎士として生きる運命を背負って生まれた。

 

「貴女には、才能があります。次期当主としての自覚を持ち、鍛錬に励みなさい。それが、貴方自身の幸せに繋がります」

 

 母は、微笑みながらそう告げる。

 物心ついて間もない、自分自身を認識したばかりの私に対して。

 この時は、まだ幸せだった。

 自分の特異性に気がつくこともなく、何処にでもいる幼子として自由気ままに過ごせた。

 母からの愛を受けて、健やかに育つ。

 こんな時間が、ずっと続けばいいと思っていた。

 けれども、続きはしなかった。

 私が5歳の誕生日を迎えた瞬間、地獄の日々が幕を開けたから。

 

「魔力が乱れています。一から練り直しなさい」

 

「はい」

 

 母の指導のもと、研鑽を積む。

 体を鍛え、魔術を磨き、剣を振る。

 三日三晩、生きるために必要な寝食以外の時間を訓練に充てる。

 全ては、強くなるために。

 王国を守護する盾になるために。

 何人もの騎士を輩出し続けてきた、誇り高きリーヴェル家を背負う当主になるために。

 

 この世界には、人類に仇なす存在がいる。

 見境なく人間を襲う異形の怪物である魔物。

 知性のない魔物を統率する立場の魔族。

 最後に、魔物と魔族の頂点に立つ魔王。

 

 およそ、千年前。

 魔王はある日、突然現れた。

 それまで、この世界に存在しなかった化け物を率いる彼女は、片っ端から人間を殺していく。

 命乞いする者も、逃げ惑う者も、立ち向かう者も。

 例外なく、命を奪っていく。

 そうやって、瞬く間に大陸を支配するに至ったそうだ。

 まさに、当時の人々にとっての厄災。

 あまりにも圧倒的な力を前に、多くの人々は絶望し、生きる希望を失っていたらしい。

 

 そんな中で、とある人物が現れた。

 誰も素性を知らない、光り輝く剣を携えた青年。

 まさに、彗星の如く現れた彼は、破竹の快進撃を見せる。

 大量の魔物を撃破し、魔族に支配された土地を取り戻し、魔王の直属の配下すら打ち倒す。

 たった一人で魔王と対抗する青年の勇気を讃え、人々は彼を勇者と呼んだ。

 これが、後世に伝わる勇者伝説の始まり。

 

 そして、大陸に存在する国家の中で、最も歴史のある我が王国は、勇者と密な関係を築いていた。

 年若い青年に寄り添い、手厚いサポートを行う。

 具体的に言うと、王国の兵士の中でも優れた実力を持つ精鋭を、彼の護衛として派遣したそうだ。

 これが、王国を守護する騎士の成り立ち。

 

 現在の王国騎士達の大半は、勇者と共に魔王に立ち向かった精鋭の血を引いている。

 偉大なる祖先の血統と共に、魔物と戦う技術が受け継がれて、今に至るのだ。

 その果てに、王国社会の中では、高名な騎士を輩出した家系が、権力を有する決め事が定められて。

 現代においては、エストワール・ヘレティア・リーヴェルの三家が御三家と呼ばれ、数多くの人々に崇められており。

 御三家の中で、一番発言力の弱いリーヴェル家に生まれた私は、先祖の血を色濃く継いでいた。

 騎士として、稀代の才能を持っていた。

 それ故に、期待されてしまったのだ。

 

「いいですか、クーリャ。貴女がリーヴェル家を復興させるのです。強きリーヴェル家を取り戻すのです」

 

 母は、口癖のようにそう告げる。

 その瞳は、私を見ていなかった。

 最初からずっと、私の中に眠る騎士の才能だけを見据えていたから。

 幼い頃に受けた愛情は、仮初のもの。

 そんなモノは初めから存在していなかった事を、幼いながらに悟ってしまった。

 

「山の中に放逐した魔物を狩り尽くしなさい。殲滅するまで、家に帰る事を禁じます」

 

「はい」

 

 訓練は、年を経るごとに苛烈さが増した。

 寝ても、覚めても、鍛錬ばかり。

 母が考案したトレーニングによって、絶えず全身が痛めつけられる。

 吐瀉物どころか血反吐を吐いたし、過度な疲労で倒れたら叱責される。

 食事に味は無いので飽き飽きしているし、ありとあらゆる行動を管理されるので、生活に自由なんてものはない。

 同年代の子供と遊ぶのはもちろん、許可無しに外出する事すら許されない。

 そんな日々を送っていた甲斐あって、私の才能は無事に開花した。

 先祖代々伝えられてきた魔術は完璧に行使出来るし、剣の模擬戦では家の者に負けず、並の魔物ならば拳一つで殺せる身体能力を得た。

 しかし、達成感なんて微塵も感じない。

 どんなに努力しても、居場所なんて無かったから。

 

「クーリャはいいね。お母様に目をかけられて」

 

「2代続けて女が当主を務めるなど我慢ならん。今からでも、我が息子を次期当主に……」

 

 分家の出で、尚且つ女。

 生まれ持った才能だけで、次期当主の座を手にしていた私には敵意が向けられた。

 本家の人間からも、血を分けた兄弟からも。

 羨望、嫉妬、憎悪、などなど。

 多種多様な感情が、渦巻いて離れない。

 家の中に居る限り、心が休まる日は片時も無い。

 敷地内を歩いていると、異物を見るような目で見られるので外に出なくなった。

 食事に毒が盛られる事があるので、密封された食品を食べるようになった。

 

 弱みを見せた瞬間に、周囲の人間は牙を向く。

 そう理解した私は、無表情の仮面を被る。

 心の奥に感情を押し留めて、生命活動を続ける。

 本音を言うと、今すぐ逃げ出したい。

 リーヴェル家次期当主としての立場も捨てて、普通の女の子として生きたい。

 私には愛国心も、英雄の血を引く誇りもない。

 痛いのは嫌だし、訓練は辛いし、魔物は怖い。

 美味しいものを食べたいし、オシャレだってしたいし……何よりも、思いっきり笑ってみたい。

 でも、どう足掻いても望みは叶わない。

 逃げ出したところで、リーヴェル家から追っ手が差し向けられる。

 そうなれば、平穏な生活は送れない。

 私が捕まるか、リーヴェル家の人間を再起不能にするまで、戦い続けなければならなくて。

 明るい未来なんて、存在しない。

 故に、全てを諦めた私は自我を押し殺して、母が望むように生きていた。

 ……あの少年と出会うまでは。

 

「私の、負けだ」

 

 降参の言葉を口にしたエストワール家の少女は、負の感情を隠そうともせずにこちらを睨みつける。

 無傷で勝利した私が壇上から降りると、数多の視線が突き刺さってきた。

 

「エストワール家の長女を倒すとは。リーヴェルの秘蔵っ子は想定以上だな」

 

「勢力図が変動する可能性が高い。今のうちに、接触しておくべきか……」

 

 同年代の子供が、値踏みするような目を向ける。

 やはり、外の世界も変わらないな。

 どうやって立ち回れば、他者を上回れるか。

 騎士の家に生まれた人間は、それしか脳がない。

 そんな彼らと私は、とある試験に参加していた。

 

 10歳の誕生日を迎えた騎士の家系の者は、騎士養成学校の入学試験を受けさせられる。

 純粋に実力だけが試される狭き門の試験内容は、とても単純明快。

 受験生同士で戦い、とにかく勝利する。

 ただそれだけ。

 

 因みに、現在の戦績は4勝0敗。

 一回も負けることなく、勝ち続けている。

 試合数が例年通りであるなら、次の試合で最後。

 まず間違いなく、合格は確定しているだろう。

 

「…………」

 

 だがしかし、気分は晴れない。

 私は、心の中で期待していた。

 外の世界に出れば、鬱屈としたしがらみから逃れられるのではないか。

 顔を合わせる同年代の子供の中には、同じ悩みを抱える子がいるのではないか。

 私と、友達になってくれる子がいるのではないかと、期待していたのに。

 

 結局は、何も変わらなかった。

 家同士の権力争いは、幼い頃から始まっている。

 洗脳じみた親の教育を受けた子供達は、自らの家の格を上げることしか頭にない。

 私が、厭悪しているリーヴェル家の人間と何も変わらなかった。

 友達になれるような子は、存在しなかった……。

 

「しょぼくれた顔してんな、お前」

 

 何処かギスギスした雰囲気に見合わない、底抜けに明るい声。

 先程まで、気配がしなかった。

 それなのに、私のすぐ隣に、誰かがいる。

 

「どしたん? 話、聞こか?」

 

 顔を上げると、見慣れない少年がいた。

 金髪碧眼で整った目鼻立ちをしている彼の顔は……とても、だらしなかった。

 有り体に言うと、下心を隠しきれずに鼻の下を伸ばしていたのだ。

 

「さては、負けまくってるんだろ。そんなんで落ち込むなよ、オレなんて、一回も呼ばれてないんだぜ。上の人達に存在を忘れられてんのかなってレベルで」

 

「…………」

 

 べらべらと一方的に捲し立てる少年の姿を前にした私は、思わず絶句する。

 一体、何なのだ、この少年は。

 顔だけでなく、身なりもだらしない。

 他の受験生は高価な装備を着用しているのに、彼が着ているのは、布の服と半ズボン。

 虫取りをする時の格好をしている子供が、本当に騎士の家系の人間なのだろうか。

 自分の事を騎士養成学校の受験生だと思い込んでいる、頭のおかしい平民なのではないか?

 そういった思考が、頭をよぎる。

 

「もし良かったら、試験官の人に聞いてきてくんね? シド・シュトラビットがまだ呼ばれてないんですけど、存在を忘れてませんかってさ」

 

 だが、すぐに立ち消えた。

 話を聞くという言葉はどこに行ったのか。

 コロコロと話が変わっていく少年の名前は、確かに聞いたことがある。

 平民でありながら、並外れた実力を認められて騎士になった男、ヴァルド・シュトラビット。

 彼には、一人の息子がいる。

 自由気ままで、貴族としての礼儀を身につけようともしない碌でなしがいると。

 母親から、聞かせられた。

 

「シド・シュトラビット。クーリャ・リーヴェル。壇上に上がれ」

 

 試験官に名前を呼ばれた私は、思考を止める。

 母親の指令は、入学試験で一度も負けずに、主席で合格する事。

 達成できなければ、折檻が待っている。

 

「お、呼ばれた呼ばれた。しかも、相手はお前なのか。いやー、悪いね。オレも負けらんねーから、手加減はできない。正々堂々、勝負といこうぜ」

 

 なので、私に話しかけてくれた人が相手でも、負けるわけにはいかない。

 何があっても、勝ち続けなければならないのだ。

 

「これより、オーヴァーン王国騎士学校入学試験の最終試合を始める」

 

「え、最終試合!? オレ、これが初めての試合っすよ!?」

 

「私語は慎め、シュトラビット」

 

「じゃあ、一つだけ質問させてください。もしも、この試合で負けたら、オレは……」

 

「不合格だ」

 

「うそーん!? そんなんアリかよ!!」

 

 壇上に立ったシドは、試験官に抗議をする。

 文句を言いたくなるのは当たり前だ。

 他の受験生は5回も試合の機会を与えられているのに対して、シドの試合数は1回だけ。

 それも、対戦相手は未だ無敗の私。

 ……これは間違いなく、差別だ。

 平民出身騎士の息子であるシドを、騎士団から弾くために仕込んだ細工。

 血統主義である王国騎士団の負の側面。

 

「滑稽極まりないな」

 

「相応しくないんだよ、平民風情が」

 

 受験生達は、見下す。

 困惑するシドを、クスクスと嘲笑う。

 そして、そちらの側に私は立っていた。

 彼に救いの手を差し伸べようともせず、口を閉ざして立ち尽くす。

 あれだけ嫌っていた周囲の人間と、迎合する。

 全ては、自分を守るために。

 

「…………」

 

 俯きながら、剣を握りしめる。

 ここで感情のままに行動したら、後でどうなるかは分からない。

 見知らぬ他人を助けるために、不要なリスクを背負い込む必要はない。

 そう自分に言い聞かせて……これから私は、醜い人々の代表として、騎士を志すシドを踏みつける。

 我が身可愛さに、少年を切り捨てる。

 だがしかし。

 

「……まぁ、別にいいや。要するに、勝てば良いだけだろ。それなら簡単だ。なんせ、オレは天才だからな。指を咥えて見とけよ、クソ試験官さんよぉ」

 

 シドは、明るさを失わなかった。

 それどころか、反骨精神を剥き出しにして、試験官を挑発する。

 私のように、全てを諦めたりしなかったのだ。

 

「……ふん。それでは、始め!」

 

 そんなシドの態度が気に入らないのか、どこか不満げに試験官が試合開始の合図を告げる。

 半ば反射的に剣を構えた私の心は、ぐらぐらと揺れていた。

 何故、どうして。

 彼の心は折れないのだろうか。

 些細な疑問が、脳にこびりついて離れない。

 

「全力で行くから、悪く思うなよ!」

 

 勢いよく、シドが切りかかってくる。

 その姿は、あまりにも眩しかった。

 薄汚い私には、直視できなかった。

 

「………っ」

 

 流れるような連撃を、ひたすら受け続ける。

 天才という自己評価に違わず、今まで戦った誰よりも……シドの実力は優れていた。

 純粋な膂力、磨き上げた剣術、読みの精度。

 どれをとっても、私と互角。

 唯一、こちらが遅れをとっているのは心構え。

 一切の迷いなく剣を振るうシドと、自らの在り方に迷いながら防御に徹する私。

 勝利するのは当然、前者の方だった。

 

「……勝者、シド・シュトラビット」

 

 試験官は、淡々と言葉を述べる。

 模擬刀を支えにしながら立っている私と、息を切らしながらも元気そうなシド。

 目の前に広がる光景が信じられないとでも言わんばかりに、他の受験生は勝者に目を向けていた。

 

「よっしゃー! 俺の勝ちじゃあー! ちゃんと見てたか、クソ試験官!」

 

「…………」

 

「ねぇ、今どんな気持ち? 今、どんな気持ち? ほら言ってみろよ、ベロベロバー!」

 

「こ、このクソガキがァ……!」

 

「ひゃっひゃっひゃっ。超気持ちいいー!!!」

 

 幼い子供みたいに、試験官を煽り散らかすシド。

 悪人が策を弄そうとも、正義は必ず勝利する……と、かつて勇者は言っていたらしい。

 現状を変えようともせずに悪の側に立ち続けた私が、正義の側に立つ彼に勝てる筈が無かったのだ。

 

 ◇

 

「このっ、恥晒しが!」

 

「……っ」

 

 入学試験を終えた後。

 会場で一部始終を見ていた母親に、頬を殴打された私は地面に倒れ伏す。

 こういった折檻は、普段ならば家で行われる。

 しかし、今回は人気がない屋外で痛めつけられていた。

 恐らく、母親は我慢できなかったのだろう。

 我が家の未来を託した自分の娘が、平民の血を引く子供に負けてしまったから。

 

「御三家の人間に敗北するなら、まだ良い。でも、よりによって、薄汚い平民の血を引く子供に、あの男の息子に負けるだなんて……」

 

「…………」

 

「今回の出来事は、我が家の汚点となるっ! 一生消える事がない、汚点に!」

 

 私の頭を、母親は容赦なく踏みつけた。

 次いで、体重をかけて潰そうとする。

 あまりの痛みに呻き声が出そうになるが、歯を食いしばって堪えた。

 失態を犯した私に、物申す権利はない。

 ここで迂闊に声を漏らせば、母親によって与えられる痛みは増していく。

 だからこそ、黙して耐える。

 感情も、意見も、不満も。

 全てを飲み込んで我慢する他ないのだ。

 

「立ちなさい」

 

「はい」

 

「あの戦いで、貴女は手を抜いたでしょう」

 

 私を立ち上がらせた母親と対面する。

 殺気を放つ彼女は、こちらに問いを投げかけた。

 ……手を抜いた訳ではない。

 だが、全力を出せなかったのは事実。

 どう答えるべきか、検討する。

 その瞬間。

 

「……っ」

 

 母親の顔が、急に歪む。

 私の後ろにいる何かを見た彼女の表情が、厳格なものから緩みきったものに変わっていき。

 

「ぶふっ。あ、あは、あひひひひっ!!!!」

 

 いきなり噴き出した後に、腹を抱えて笑い始めた。

 

「あは、あひ、あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 初めて聴く母親の笑い声は、奇天烈極まりない。

 もう、訳がわからなかった。

 あまりの急展開に、私の脳みそはついてこれない。

 だが、目の前で笑い転げる母親が、空想の産物でないことは事実で。

 

「ふー。ふーっ……ふくく、あはははっ!」

 

 地面に倒れながら、呼吸を整えたと思いきや、また笑い出す。

 そんな母親の姿は、滑稽だった。

 感情を殺してきた私の中に、面白いという感情が湧き出てくる。

 

「はぁっ、はあっ。お、覚えておきなさいよ。この屈辱は、いずれ絶対に返すわ」

 

 すっかり笑い疲れた母親は、ふらふらとした足取りでその場を後にする。

 一体、なんだったんだろう。

 そう思った私が、後ろの様子を確認しようとすると。

 

「わあっ!!!!!」

 

「……っ」

 

「ちっ、ビビんねーのかよ。笑い上戸の母親と違って、お前はつまんねーのな」

 

 見知った顔の少年が、驚かそうとしてくる。

 普段から被っている鉄仮面が機能したお陰で、表情には出なかったが、ちゃんとびっくりはした。

 けれど、そんなのはどうでも良い。

 

「母上に、何をしたのですか?」

 

「変な事はしてないぜ。オレのとっておきの変顔を披露しただけ。親父も笑うくらいの自信作だから、絶対に効くと思ったんだよ。堅物っぽい奴ほど、笑いのツボは浅いからさ」

 

「何故、ここにいるのですか?」

 

「オレに負けた後のお前の様子がおかしかったから。なんか、やべー事が起きそうだと思って、ついてきたんだよ」

 

 悪びれる様子もなく、シドはそう告げる。

 他にも尋ねたい事はあるが、それどころではない。

 私は、これ以上、耐えきれそうになかった。

 

「あ、おい。どこ行くんだよ!」

 

「助けて頂いた事は感謝します。でも、絶対に着いてこないでください」

 

「ちくしょー。一度でも良いから、笑わせてやりたかったのによ……」

 

 歩みを進めるたびに、シドの声が遠ざかっていく。

 私の事を思ってくれる気持ちは嬉しかったが、止まるわけにはいかない。

 そうやって、ずっと歩き続けて。

 人が誰も通らないような暗がりにたどり着いた私は、我慢していたものを解放する。

 脳裏に、滑稽だった母の姿を浮かべて。

 

「ふ、ふふふ。あははははっ!!!!」

 

 周囲を気にする事なく、思いっきり笑った。

 本当に、生まれて初めてだった。

 このように、感情を爆発させるのは。

 

「だ、誰か、たす、助けてっ」

 

 笑いすぎて、お腹が痛い。

 如何なる時も厳格な母親が笑い転がる様を思い浮かべるたびに、笑いが込み上げてくる。

 完全にツボに入ってしまったのだ。

 

 今の私の頭の中には、煩雑な感情が存在しない。

 ただただ楽しいという気持ちと、今日出会ったばかりの少年に対する感謝で埋め尽くされていた。

 

 入学試験の時、私はシドを見捨てた。

 悪人の一人となって、追い詰めようとした。

 でも、シドは……そんな私を助けてくれた。

 躊躇なく、救いの手を差し伸べてくれた。

 

「ふー、ふーっ……」

 

 笑いが収まった私は、決意する。

 今日から、生まれ変わる事を。

 悲劇のヒロインのように振る舞って、流されるままに生きるのは金輪際やめる。

 母親とか、リーヴェル家とか、関係なしに。

 自らの意思で行動して、生きていく。

 

 きっと、厳しい道のりになるだろうが、それでも構わない。

 他人の傀儡となって生きて後悔するよりも、自らの行動の責任を取って後悔する方が良いと思うから。

 

 そして、シドから受けた恩は、絶対に忘れない。

 いつの日か、必ず返してみせる。

 そのために、まずは入学試験のことを謝って。

 私を助けてくれたお礼を、改めて伝えて。

 ……あわよくば、仲良くなりたい。

 お互いに本音を言える関係を築きたい……なんて事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がコミュ障過ぎるせいで、気兼ねなく接してくれるシドと仲良くなる事すら出来ず。

 フラグがへし折れて、瞬く間に疎遠になって。

 彼に対する感情が膨れ上がった果てに、ストーカーと化してしまう悲惨な未来を知らずに。





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