ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第三話 表 かみさまの旅立ち 前

 

 揺れる車内のバックミラーの中で、神様が眠っている。

 

 大きな鞄を抱くようにして、すうすうと寝息を立てる姿はあどけない少女のようにも見える。

 だが、その正体は数百年を生きた異世界人だという。

 

 全く、馬鹿げている。

 

 ほんの数日前まで一ノ瀬遼は、ただ現実と対峙して日々を過ごしていた。

 刑事として事件を追い、その真実を追求する。

 きっとこの先何十年もこの残酷で、凡庸な現実と向き合い続けるのだろうと思っていた。

 

 それがどうだ。

 姉が失踪し、見知らぬ男から連絡を受け、今は神様を乗せて車を走らせている。

 ――あまりに日常と乖離した状況に思わず、自嘲の笑みが漏れる。

 

 神様――ヒスイの言葉は全て真実だと思った。

 刑事の勘、というのもあるが彼女の言葉はそれ自体が有無を言わせぬ説得力を持っていた。

 それに、彼女の言葉を事実と仮定すれば色々な点に説明が付くのだ。

 影すら踏めなかった教団の正体すら、その先に掴めるかもしれない。

 

 そして何より、ヒスイは春華に辿り着くための唯一と言っていい手掛かりだ。

 富士山麓に向かった明石景真とも連絡がつかなくなった今、彼女の持つ異世界(ネビュラ)の情報と未来視の力は必要不可欠だろう。

 

 遼は次の一手を頭の中で巡らせつつ、家路を急ぐ。

 

 

 

 

「わたしをここから連れ出して下さい」

 ヒスイがトマトの果汁で汚れた口元をティッシュで拭ってからそう言う。

「……いいんですか? あなたは仮にもこの村の守り神なのでは?」

 (あかり)の方を伺うと、彼女もまたこちらを真っ直ぐに見据えている。

「どうか、ヒスイ様の願いを聞いてあげて下さい」

 手をついて深く頭を下げる。

「ヒスイ様はもう、十分過ぎるほどこの村のために生きてくれました。だから、故郷に……ネビュラに帰して、あげたいんです」

 凛とした響きだったが、語尾が微かに震える。

 頭を下げたまま告げられたその言葉は、ウカノミタマの巫女のものではなく、ヒスイを親愛する一人の少女のものだった。

「燈……」

 ヒスイは立ち上がり、未だ土下座のような体勢でいる燈の傍にそっと座るとその頭を膝に抱く。

「ヒスイ……様……っ」

 堪えきれなかったように、燈の声に涙が混じる。

 ヒスイが燈の頭を撫でながら言う。

「ありがとう、燈」

 その言葉はどこまでも優しく、豊穣の女神に相応しい温もりを湛えていた。

 その暖かさに、ついに決壊した燈の泣き声が社に響き渡る。

 幼子のように泣きじゃくる燈をヒスイはただ静かに、包み込むように撫で続けていた。

 

 

「お見苦しいところをお見せしました」

 泣き腫らした顔の燈が鼻をかんでから言う。

「でもまだ、答えを、聞いてません」

 じっ、と遼を見つめている。

 なんとか取り繕おうとしているのは伝わるが、鼻をすすりながら喋るのでどうにも締まらない。

「ヒスイ……さんをネビュラに帰す、という約束はしかねます」

 二人の願いを叶えたい、という思いはあるが遼にそれが成せるかは今の時点では全く分からない。

「それでも構いません。あなたの目的のためにも、わたしの力が役立つはずです」

「未来視……ですか。率直に言って、どこまで視えてるのですか?」

 全ての未来を見通しているなら、こんな交渉をする必要はないはずだ。

「……分かりません。夢に視たり、あるいは強く念じる事で視えたり、突然イメージが浮かんだりするのですが、この世界ではアニマの絶対量が足りないので……」

「能力が安定しない、と」

 それでも、遼の来訪を予言したように能力を発揮できれば得難い手がかりになるだろう。

 規模すら計り知れない教団を相手取るのだ。この力に賭けない手はない。

「分かりました。共に行きましょう。今日、すぐでも問題ないですか?」

 もう一度この村に戻ってくる時間も惜しい。ヒスイを連れ出すならこの帰路しかない。

 すると、燈が立ち上がり隣室から大きな鞄を持って来る。

「支度は整えてあります」

 真っ赤な鼻を得意げに鳴らす。

「では、すぐに発ちましょう」

 頷き、立ち上がったヒスイが燈の袖を引いて鞄を指さす。

「燈、アレは入ってますよね?」

「ヒスイさま、クレイドル……台座を入れ忘れてましたよ」

 何やら小声で話し合っている。

「では遼様、参りましょう。あ、ちなみに遼様のお宅には”わいふぁい”はありますか?」

「ありますけど……それが?」

 怪訝な顔で尋ね返す。

「いえ、何でもありません。さあ行きましょう」

 そう言うが、その顔には抑えきれない笑みが張り付いていた。

 

 社の引き戸を開くと、外には夜の帳が下りていた。

 昼間の暴力的な熱はなりを潜め、足元では虫たちが気持ち良さそうに鳴いている。

 

 遼の車を目指す三人の影を、夜闇が飲み込んでいく。

 

 

 

 

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