「――夢を、視ました」
台所に立ち二人分の朝食を用意していた遼の背中に、声がかかる。
空気がピンと張り詰め、体の中の何かが共鳴しているように感じて振り返ると、そこには寝巻き姿のヒスイが無表情で
その瞳は寝起きの朝霧の中に神秘の光が宿り、声も直接精神に届けられているような不思議な響きを纏う。
――これが”神託”なのだろうか。
「分かりました。とりあえず朝食ができるので、夢の話はその後で伺いましょう」
ただならぬ雰囲気に飲まれぬよう、平静を装う。この朝の段取りを崩されるのが嫌だったからだ。
それを聞いた途端、ヒスイの瞳に宿っていた光はなりを潜め表情が戻る。
「わぁ!
そう言うと、うきうきとテーブルに着く。
「もう少々かかるので、今のうちに顔を洗ってきて下さい。洗面所はそのドアの先です」
遼に言われるがまま渋々と洗面所に向かうその姿は、先ほどまでの超然とした雰囲気を微塵も感じさせない。
本当に未来を視る力など存在するのだろうか。
その答えは彼女の”神託”を聞き、その結果を見れば出るだろう。
顔を洗い、さっぱりと目覚めた顔でテーブルに戻ってきたヒスイの前に朝食を並べる。
バターを効かせたオムレツに焼きたてのトースト、フルーツサラダと遼こだわりのブレンドコーヒーだ。
「美味しそう! いただきます!」
目を輝かせたヒスイが、遼もテーブルに着くのを待ってから手を合わせる。
「いただきます」
遼もヒスイに倣って手を合わせる。それは、一人の食卓では忘れていた習慣だった。
「美味しい! 遼はお料理が上手なんですね」
「……そんな大したものではないですよ。子供の頃からやってるだけです」
「いいえ、大したものです。きっと、食べる人の事を想ってずっと作ってきたんですね」
その言葉に、父と姉の顔が頭に浮かぶ。
実家には暫く顔を出せていない。
父に姉の失踪を伝えるべきだろうか。
父はきっと、理由を伝えた上で警察に通報しないよう言えば聞いてくれるだろう。
しかし遼は、妻のみならず娘まで失うかもしれないという傷を父に負わせたくはなかった。その傷が、今度こそ本当に父を壊してしまう。そんな予感があったからだ。
――たとえそれが、父に対する裏切りであったとしても。
こだわり抜いたコーヒーにミルクと砂糖を容赦なく投入され軽くショックを受けたものの、朝食とその片付けを終え再びテーブルに向かい合わせで座る。
「地図を出していただけますか?」
ヒスイにそう言われ、寝室からタブレット端末を持ち出し地図アプリを開いてからテーブルに置く。
たどたどしい手つきで操作しているのを見かねて声をかける。
ゲーム機と違い、さすがに通信機器は触らせてもらえなかったのだろうか。
「東京一帯でいいですか? それとも、どこかを拡大します?」
「と……東京を」
二本の指で地図を縮小し、東京都全体が収まるように調整する。
ヒスイがタブレットを見つめると部屋がしんと静寂に包まれ、その瞳に翠の光が宿った
空気が張り詰め、時が停まっているかのように冷たく、そして重たく感じる。
奇妙なことにそれは、『神秘に触れている』というよりも高度な計算機が演算するのを見守っているような感覚だった。
ヒスイの白く細い指が、地図の一点を静かに指し示す。
指先がピタリと停止し、微かに耳鳴りを覚える。
遼はそこにピンを立て、地図を拡大した。
――神託により示されたそこは、都内でニ番目の規模を誇る星雲救世会の施設が建つ場所だった。
「この場所に今日の夕刻、――真理に近しい者が現れます」
そこまで言うとヒスイの目に宿る光は霧散し、停まっていた時が緩やかに流れ出したよう錯覚する。
やはり、全ての鍵は教団にある。
そして、その施設を迷いなく指さしたヒスイの力もまた、本物である可能性が高い。
確信を深め、顎に手を当てて考え込む遼にテーブルに突っ伏したヒスイが気の抜けた声で言う。
「”力”を使ったらお腹が空きましたぁ……すみませんが、何か食べるものをください……」
突っ伏したまま動かなくなったヒスイを横目に、未来視の力というのはそれほどまでにエネルギーを使うものなのかと考えながら、席を立ち冷蔵庫へ向かう。
まるで全てが予め決められていたかのように、歯車が回り始めるのを感じる。
苔守村に行ったことも、ヒスイを連れ帰ったことも、そして今日教団施設に向かうことも、それをヒスイが予言したことすらも、全てが大いなる意志に操られているような感覚。
その先に何が待つかはまだわからない。
ならば、今はまだその流れに身を任せてみよう。
抗うのはこの意志を捻じ曲げられんとした、その時でも遅くはない。
眼鏡を押し上げ、静かに冷蔵庫の扉を開いた。
「では、正午になったら行動を開始します。いいですね?」
時間は午前九時。
既に夏の日差しがレースカーテンを貫いて、フローリングを灼いている。
遼の改まった声に、ヒスイの耳と背中がピンと伸びる。
「あ、でも耳はどうしましょう……尻尾は隠せそうな服を燈が見繕ってくれたのですが、あんな大きな帽子をずっと被ってたら変ですよね……?」
遼は眼鏡を押さえて答える。
「それについては、悩みましたが手を打ってあります」
ヒスイを連れて都内を動き回るとなれば、その問題からは逃げられない。そこで昨夜、悩み抜いた挙句助っ人を招集したのだった。
ピンポーンと、見計らったかのようにチャイムが鳴る。驚いたのか、ヒスイの尻尾が箒のように膨らんでいる。
「少し待っててください」
そう言って玄関に向かった遼は、あろうことか一人の女性を連れてリビングに戻ってきた。
明るい髪色の、見るからに快活そうなその女性はヒスイの姿を認めるとたった三歩で目の前まで詰め寄る。
「この子がヒスイちゃん!? かわいい! この耳! 尻尾! ほんとに本物!?」
至近距離でキラキラした目を向けられ、ヒスイの尻尾は限界を超えて膨らんでいる。
「そうです。……怖がってるので少し離れてあげてください」
遼にそう言われ、女性はハッとしたように一歩後ろに距離を取る。
「ごめん。驚かせたよね」
「あっ、いえ……遼、この方は……?」
我に帰ったヒスイがおずおずと遼の方を見る。
「あたしは
呆れ顔の遼が答えるよりも先に自己紹介し、恨めしげな視線を送る。
「彼女は美容師なので、上手く耳を隠す技術を教えてもらえないかと思って呼びました」
ヒスイが不安そうに遼を見ている。
その不安は当然だ。いきなり見ず知らずの相手に正体を明かすことになったのだから。
「ヒスイさんの秘密を知っても、それを口外するような人間ではありません。それは私が保証するので、安心してください」
茉由が胸を張る。
「そこは安心して。絶対、誰にも言わないし春華さんを見つけるためにも是非協力させて」
大学時代、性格は対照的ながら妙に気が合った二人は映画や食事、飲みなどを共にする事が多かった。
その流れで茉由は遼の姉、春華とも自然と顔を合わせるようになり、意気投合した春華の強い推薦もあり一時は付き合っていた時期もあった。
その後自然解消的に友人関係に戻ったが、社会人になった今でも時折飲みに行ったり相談事をする仲が続いている。
遼は知らなかったが、春華ともずっと連絡を取り合っていたらしい。
茉由の前でヒスイは借りてきた猫のようにちょこんと椅子に腰掛け、落ち着かない様子で足の指先をもじもじさせている。
その正面には姿見が置かれ、ヒスイの姿を映し出している。
「ヒスイちゃん、あんまり緊張しないでね。”さん”の方がいっか、年上だもんね」
「ど、どちらでも構いません……」
俯き、消え入るような声で答える。
思っていたよりもヒスイは人見知りするようだ。あるいは、茉由のように押しの強いタイプが苦手なのだろうか。
それにしても遼が初対面の時の堂々たる態度と、随分差があるように思える。
「じゃあいっちょやりますか」
茉由が椅子に座るヒスイの後ろに立ち、半袖なのに腕まくりのジェスチャーをする。
持参した鞄から花があしらわれた大きめの髪飾りを取り出すと、口頭でやり方を説明しつつ、慣れた手つきでヒスイの髪を結って頭に取り付ける。
「髪もサラッサラのツヤッツヤ! 羨ましい〜」
美容師らしく、ヒスイの緊張を解そうとしてくれているようだ。
編んだ髪束に耳を組み込むと、耳の毛色が髪と同じなのも相まって見事に馴染んでいた。
これならば街中を歩いていても、そうそう気付かれることはないだろう。
「……さすがだな」
黙って見守っていた遼から、思わず感嘆の声が漏れる。
自分でもできるようにとその手の動きと解説に集中していたが、途中から何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。
「ヒスイちゃん、耳痛くない?」
背後からその顔を覗き込むように聞く。
「大丈夫です。凄いですね、これ……耳があるのが全然わかりません……ちょっと音がくぐもって聞こえますけど」
ヒスイは姿見を覗き込んでしきりに関心している。その声色からも、だいぶ緊張の色が薄れている。
「どう? 自分でもできそう?」
「じ、自信はありませんがやってみます」
そう答えると、茉由が笑顔を作り親指を立てる。
「うちに来てくれたら毎朝でもセットしたげるのに〜。ほんと尻尾ふわふわ〜」
ヒスイの尻尾をさわさわと撫でながら、遼の方を見て悪戯っぽく笑う。
「……芹澤さん、今日は朝早くからありがとうございました。また何かあれば協力を仰ぐかもしれません」
咳払いをしてから遼が言うと、茉由は不満そうな顔をする。
「”さん”だって、そんな他人行儀な。一ノ瀬は変わんないよね、そういうとこ」
そう言って、少し寂しそうに笑う。
それは、彼女と”付き合っていた”時期に幾度か目にした笑みだった。
遼の前まで来て続ける。
「春華さんを助けるためってんだから、あたしにとっても
遼はじくりとした胸の痛みに、言葉を返すことができなかった。
ヒスイに手を振ってから部屋を出て行く茉由を見送る。
玄関のドアが開くと、真夏の熱気が出迎える。
「うわ、あっつ〜。出かけるならヒスイちゃんが倒れないように気をつけてあげなよ」
茉由が手のひらで額に
「ええ、あなたも気をつけて」
「うん。あ、そろそろ髪切りに来なよ。だいぶ伸びてるよ」
そう言われ、前髪を摘む。
「……そうですね、落ち着いたら予約を入れますよ」
ひらひらと手を振って去って行く茉由の背中が、エレベーターに消えるのを見届ける。
――もしかしたら、彼女を危険に巻き込んでしまったかもしれない。
そんな不安と後悔が、拳を強く握らせた。
握り込んだ手のひらに汗が滲む。
それでも遼は拳を解くことを忘れて、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「決まりましたか?」
敷布団の下に敷くマットレスの前で、感触を確かめたりしながら悩んでいるヒスイに声を掛ける。
「ベッドを使ってもらっても構わないんですよ」
「それは遼に悪いですし、村ではずっとお布団でしたから……これにします」
そう答えて目の前のマットレスを指差す。
実を言うと昨夜、寝ぼけたヒスイがいつもの調子で立ちあがろうとしてベッドから足を踏み外し、派手にすっ転んだのであろう音を聞いていた。
お尻をさすりながらトイレに向かうその後ろ姿が哀れに見えて声は掛けなかったが、ベッドに恐怖心を抱くのも無理はない。
ヒスイ用の寝具一式を車の後部座席に積み込む。
「視えたのは夕方だったという事ですが、何時頃か分かりますか? あ、シートベルトしてください」
助手席に掛けたヒスイが不慣れな手つきでシートベルトを付ける。遼は無言で、捻れたベルトを戻してから付け直した。
「夕陽が視えただけなので、正確な時刻までは……」
車の時計に目をやると、現在十五時半。この時期だと夕陽と言えるようになるのは早くても十八時くらいだろうか。
地図アプリで確認すると、ここから一時間程度で最寄りのコインパーキングに着けそうだ。
「
それを聞き、ヒスイは目を輝かせている。つくづくこの神様は食べることに目がないようだ。
「そう言えば、耳は痛くないですか?」
茉由がセットしてくれたそれはなんら違和感なく髪と一体化しているが、ぺたんと折り畳まれていて本人がどんな感覚なのかは想像もつかない。
「……痛くはないですが、やはり少し音が聞こえづらいですね」
セットを崩さないよう、慎重に自分の頭を触っている。
「でも、元々この世界の方々より耳が良いようなので、支障はないと思います」
そう言って微笑むヒスイを見ても、その本心までは覗けない。
仮に支障があったとしても、代替案が無いため我慢してもらう他ない事を心苦しく思いながら車を出した。
予定通り一時間ほどで施設近辺のコインパーキングに到着し、車を降りる。
そこから五分ほどの道のりを歩き、カフェに着いた時には二人とも既にじわりと汗をかいていた。
店内は木の梁が天井を支え、北欧調の家具で統一されながらも、店主の趣味なのかロケットの発射時の写真や宇宙服のレプリカなどが飾られており、若干カオスな雰囲気を醸し出している。
案内された窓際のテーブルに向い合わせで座ると、間もなくホールスタッフがメニューと水を運んできた。
「好きなものを注文してください」
そう言って、ヒスイにメニューを差し出す。
それを受け取ったヒスイは、それでなくても大きな目をさらに見開いて凝視している。
「ヒスイさん、尻尾が動いてます」
スカートの中を忙しなく動くそれを小声で咎める。
感情が読みやすいのは助かるが、外では抑えてもらわないと耳を隠した意味がない。
その尻尾の動きとともに、ページをめくる手がピタリと止まった。
「決まりましたか?」
「では……これを」
ヒスイがおずおずと指差して見せてきたそれは――
「き……軌道エレベーターメガ盛りパフェ……」
遼は思わず慄く。
「本当にこれでいいんですか? 昼食ですよ……?」
ずれた眼鏡を押し上げながら確認するが、ヒスイの眼差しは一歩も引かぬ覚悟に満ちている。
好きなものを注文しろなどと言った数分前の自分を呪う。
ため息をついてから手を挙げて店員を呼び、パフェとコーヒーを注文する。
「遼は食べないのですか?」
ヒスイが心配そうに尋ねる。
「見てるだけでお腹いっぱいになりそうなので」
そう答えたが、遼は予感していた。聳え立つパフェの後片付けをする羽目になる事を。
程なくしてさすがに名前負けはしつつも、とてもヒスイの体に収まるとはとても思えない高さのパフェが運ばれてきた。
クリームや果物、アイスなどが層を成しており、外周に突き刺さったチョコ菓子だけでも遼にとっては一ヶ月分の甘味だった。
「わぁ……すごい。夢みたいです」
ヒスイは、人類の業を司る禍々しき塔をうっとりと見つめている。
「パフェは初めてですか?」
「村には無かったので……燈と一緒に作ったことがありますが、ここまで大きなものは初めてです」
こんな邪悪なシロモノは遼も初めて見たが、その言葉は口にせず飲み込んだ。
幸せそうにパフェを口に運ぶヒスイを横目に窓の外を眺める。
道路を挟んだその先に星雲救世会の施設が見える。
苔守村で見たそれよりも二回りは大きく、純白の外観に所々金色の装飾が施されている荘厳な姿は一目で宗教施設だと分かる。
正面に窓はなく、重厚な門がこちらを睨む様はさながら要塞のようでもあった。
都内にこれだけの建物を持てる教団の力は、やはり相当に大きなものなのだろう。
最初は勢いよくパフェの山を掘削していたヒスイだったが、半分も食べ進まないうちにみるみる勢いが落ちてきている。
「……大丈夫ですか?」
心配になって声をかけると、体が冷えたのか小刻みに震えている。冷房の効いた店内でこんな冷たいものを山盛り食べれば無理もない。
「だ……だいじょうぶです」
口ではそう言うが、顔も青ざめている。
「すみません、ホットコーヒーを。あとスプーンも一つお願いします」
通りがかった店員を呼び止める。
甘いものはあまり得意ではないが、ここは腹を括るしかない。遼は食べ物を残すということに、人一倍抵抗があった。
コーヒーとスプーンが運ばれてくると、コーヒーをヒスイの前に置きパフェを引き寄せる。
「体を温めないと風邪を引きますよ」
「ありがとうございます……」
力なくコーヒーに口を付けたヒスイが壮絶に顔を顰め、慌ててミルクと砂糖を入れている。
改めてコーヒーをすすり、ほっと息をつくヒスイを見届けてからパフェに手をつけようとしたところで、
――向かいの道路に黒塗りの車が停まるのが見えた。
車道側の後部座席のドアが開き、黒衣に身を包んだ長身の男が降りてくる。
周囲を警戒する様子で、しかし自然に振る舞う様子は一目で只者ではないと知れる。
男は車の後ろから反対側に回り込み、後部座席のドアを開く。
向こう側に現れたのは純白のローブに身を包み、腰まである黒髪を靡かせた女だった。
女が降り立った瞬間、その周囲に立ち昇っていた陽炎が掻き消えたように見えた。
「
その女は、公安の資料で見た星雲救世会の教祖だった。
四十年も前の教団発足時から教祖の座に君臨し、信者の前以外にはほとんど姿を現さない。
圧倒的なカリスマ性を持ち、教団を監視していた公安の職員が入信していたという話もある。
そして、資料にはその当時から”容姿が全く変わっていない”と明記されていた。
遼は半信半疑だったが、今目の当たりにしている女は実際にどう見ても二十代半ばにしか見えない。
そして、今の遼はそれが事実であると考えられる根拠を持っている。
――御堂コトネもまた、ヒスイと同じくネビュラからやって来た。
そう考えれば、ヒスイの神託がここに導いたことにも納得がいく。
しかし、どうするべきか。
御堂コトネが何かを知っている可能性は極めて高い。
だが、ここで出て行って姉の事を問い正したところでまともな回答が得られるだろうか。
可能な限り思考の速度を上げる。
施設に入られてしまえばもう手出しできない。何かアクションを起こすなら今しかないが――
ふと、再び視線を道路の向こう側に送る。
――視線を戻した瞬間、御堂コトネの横に立つ黒衣の男と視線が合った。
その目は射抜くように遼と、ヒスイを捉えている。
凝視していたわけでもないのに、この距離で、なぜ見つかる?
まるで、
背中を冷たいものが伝う。
視線を外して何食わぬ顔をしなければと頭では考えているのに目を離すことができない。
男が御堂コトネに耳打ちする。
そして、表情など分からないはずの距離ではっきりと見えた。
御堂コトネの顔がゆっくりとこちらを向き、世にも美しく、
その瞬間、全身に感じたことのない悪寒が走り総毛立つ。
遼は反射的に立ち上がると、コーヒーカップを両手で包むようにしてぼんやりしているヒスイの手を掴んだ。
「遼? どうかしたのですか?」
返事をする余裕すらなく、カウンターに伝票と一万円札を叩きつけるように置き、カフェを出てまっすぐに車を目指す。
あれは人間ではない。
戦って、ましてや話し合いでなんとかなるような相手ではあり得ない。
車に乗り込み、シートベルトを着けるのも忘れてアクセルを踏む。
「……教団の教祖がいました」
ヒスイが息を呑む気配を感じる。
「……あれは、恐らくこの世界の人間ではありません」
ヒスイが何か言おうと口を開いたその時、遼のスマートフォンがけたたましい声を上げた。
状況が状況だけに無視するべきか悩んだが、なぜかこの電話を取らなければならない。そんな強迫観念にも似た感覚に襲われる。
ハザードを出し道路の端に寄せて停車すると、スマートフォンの画面を確認する。
――その着信は、明石景真からのものだった。