ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第一話 表 始まりの朝

 

 姉の後輩を名乗る男――明石景真から連絡があったのは姉、一ノ瀬春華が遼からの電話に出なかった次の日の朝だった。

 

 午前七時ちょうど。

 朝日と呼ぶのも躊躇われる真夏の暴力がレースカーテンを貫いて差し込んでいる。

 その時間を待っていたかのように、聞き慣れた着信音が白と黒を基調に偏執的なまでに整えられた部屋を切り裂く。

 

 朝食を終え新聞に目を通しながら好物のコーヒーを嗜んでいた遼は、侵されざる時間への闖入者(ちんにゅうしゃ)に眉を顰める。

 眼鏡のブリッジを中指で抑えてから目をやるとスマートフォンの画面には未登録の番号が表示されている。

 

 一瞬取るのを躊躇するが、予感がした。

 昨夜珍しく電話に出ず、折り返しすらしてこなかった姉。

 七時ぴったりに見知らぬ番号から掛かってきた電話。

 

 何かが、それもよからぬ事が起こっている。そんな予感が。

 

 「一ノ瀬です。――あなたは何者ですか?」

 突然の名乗りと問い掛けに面食らったのか、電話口の相手が息を呑む気配が伝わる。

 返って来たのは恐らく、自分と同世代くらいの男の声。

 

「……あんたが一ノ瀬遼か? 俺は春華さんの後輩の明石だ。明石景真」

 

 ――なるほど。

 予感は当たっていた。それも、どうやら悪い方向に。

 

「その明石さんが朝早くに私に連絡してきた。つまり姉さん……姉に何かあった、という事ですね」

 数秒の沈黙。

「何かあった……のかは分からない。先輩には二日連絡が無ければあんたに連絡するよう言われてたんだが、昨晩にはもう連絡が付かなかった。今朝も――」

 その声には強い焦りが感じられた。捲し立てるように喋る景真を制止する。

「明石さん、焦らなくても大丈夫です。――姉はなぜ私の連絡先をあなたに?」

 

 遼の冷静沈着な声色に若干の落ち着きを取り戻した景真は昨日の出来事を語り始めた。

 

「――星雲救世会、ですか」

 この仕事をしていれば行方不明者の情報など毎日のように入ってくる。

 そして、その中の到底無視できない件数が星雲救世会の周囲で起きている事もまた周知の事実となっている。

 

 『”教団”には手を出すな』

 

 かつて、新人だった頃の遼に刑事のノウハウを叩き込んでくれた先輩に言われた言葉だ。

 目に見えない圧力は、警視庁全体を包み込んでいた。

 行方不明者の調査をし、それに教団が関わり有りと見るや未解決事件として処理されていく。

 そんな光景を幾度も見てきた。

 

 ――そんなものに姉が関わってしまった。

 

 胃の下辺りにずんと重いものを感じる。

 大切なものを失ってしまったという喪失感。

 生存への希望と不安、

 

 ――悔しさ。

 

 なぜ事前に相談してくれなかったのか。

 以前一度だけ姉が教団について尋ねてきた事があったが、その時は記者としての興味だろうと、大して気にも留めていなかった。

 あの時、姉からは微かな切迫感を覚えたがこの事態を予想すらできなかった。

 

 だが――

 

「状況は把握しました」

 その動揺が声に出ぬよう、細心の注意を払う。

「私は本日から姉の捜索と星雲救世会の調査に入ります。明石さん、迅速な連絡ありがとうございました」

 

 幸か不幸か有給は溜まりに溜まっている。

 仕事も山積みではあるが、同僚は皆頼れる連中だ。もっとも、奢りくらいは要求されるだろうが。

 

 それにあの姉さんが簡単に死ぬはずがない。

『諦めなければ必ず道はある』

 それは姉の生き方から教わった遼の矜持であり、呪いだ。

 だから、姉さんを諦める事なんてできるはずもない。

 

 景真が最初より覇気の感じられる声で応える。

「ああ、俺も心当たりを当たってみるよ。何か分かったらまた連絡する」

 

 通話を終え、景真の番号を連絡先に登録するとネクタイを締めジャケットに袖を通す。

 

 「ええ、――はい。本日から四十日間、休暇に入らせていただきます」

 

 左手首に目を落とす。時刻は午前八時。

 靴を履き玄関のドアを開け放つと、堰を切ったように熱気が雪崩れ込む。

 

 腹は括った。あとは、成すだけだ。

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