ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第八話 裏 顕現する奇跡

 

 コハクが告げた母の名は、森を渡る風に溶けた。

「ヒスイ――か。二人とも宝石の名前なんだな」

 その名を忘れないよう、噛み締めるように言葉にする。

 それは二つの世界を繋ぐ細い鎖のように思えた。

「そう、ワタリビトが残した言葉。……私の名前はジュストが付けてくれたの」

「そうだったのか」

 思わず笑ってしまう。

 神隠しにあった遥か遠い先祖が、今目の前にいる少女の名付け親だという。

 その因果を思うと、自分が今ここに立っていることも単なる偶然とは思えなくなってくる。

 

 夕陽に照らされた森が茜色に燃えている。

「この先に川があるから、そこで野営しよう」

 サクラダケの山を抜け、広葉樹の森を数時間進んだところでコハクが足を止めて振り返った。

「ありがたい、もう脚が棒みたいだ」

 その場にへたり込みそうになるのを堪えてコハクの背を追うと、目の前に川原(かわら)が広がった。

 膝ほどの深さに澄んだ水がさらさらと流れ、それに逆らうように泳ぐ魚の姿も見える。

 キャンプ場ですらない完全な野宿に不安はあったが、その反面ワクワクもしていた。

「じゃあ焚き木を集めてくるよ」

 川原に荷物を置き、景真は再び森に入る。

 

 静かな森の中に、傾いた太陽が木々と景真の影を長く伸ばしている。

 ――いや、あれを太陽と呼んでいいのだろうか。

 ここが異世界ならば空に燃えるあれもまた、太陽とは別の恒星ということになるだろう。

 ネビュラは地球と同じ時を刻む――自転も、公転も。ならばここは、遠い未来の地球なのではないか。その仮説だけが、どうしても頭から離れなかった。

 答えの出ない思考を巡らせながら、なるべく乾いた枝を選んで集めていく。

 

 両手に抱える程度の焚き木を集めて川原に戻ると、コハクが石を積んだ簡素な竈門を組んでいた。

 日は山の向こうに姿を隠し、そこから漏れ出る光が別れを惜しむように大地を照らしている。

 コハクの傍らに焚き木を置き、竈門の横に置かれた毛皮の寝袋の上に胡座(あぐら)をかく。

 コハクは竈門の中に枝を積むと、両手をかざして目を閉じた。

 何か宗教的な儀式なのだろうか。

 ぼんやりと考えながらその様子を眺めていると、間もなく焚き木の周囲に光の粒が浮かび始めた。

 それは蛍のように薄暮の中に浮かび上がり、竈門の中に集まっていく。

 すると焚き木から燻るように煙が上がり、ついには真っ赤な炎が起こる。

「なんだそれ、魔法か!?」

 この世界に来て初めて、目に見える形を成した超常的な力に思わず声が出た。

「……マホウ? 火起こしのこと?」

 興奮した様子の景真に、コハクのはきょとんとしている。

「そっか、見せたことなかったね。……アニマに呼びかけて火を起こしたり色んなことができるんだけど、私は未来視以外はあんまり上手じゃないから」

 謙遜するでもなく、当たり前のことのように言う。

「それって誰でもできるものなのか?」

「体の中にアニマがあれば。でも、できることや強さは人によって違う」

「アニマがあれば……か」

 やはりワタリビトには使えないのだろう。景真は肩を落とす。

「でも……前にも言ったけど景真からはなぜかアニマを感じる。だから、ひょっとしたら使えるかもしれない」

 過度に期待させないように言葉を選びつつ励ましてくれているようだ。

「うーん、ちなみにどうやるんだ?」

 コハクは少し考え込む。

 感覚的なものをどう言語化するか悩んでいるのか、尻尾がうねうねと妙な動きをしている。

「……体の中のアニマに『こうして』って念じて、外のアニマにそれを伝えてもらう……感じ?」

「わかるような、わからんような……」

 二人は揃って首を捻る。

 

 竈門の前でテキパキと夕食の支度を進めるコハクを尻目に、景真は枝を手に念じる。

 ……念じるのだが、何も起こらない。

 

 使えるものならどんな力でも手に入れておきたいと思った。

 このままでは幼子のようにコハクに守られているだけだ。

 

「体内のアニマってのを感じられないとダメかもな」

 独りごち、じっと左手を見る。

 一瞬、何かがぞわりと血管を流れるような感覚がしたが、何かを掴むことなく霧散してしまった。

 その痕跡を追うように、指先が微かに震えている。

 

 しばらくその感覚を追いかけていた景真だったが、コハクの「ご飯できたよ」の声で断念し、手に持った枝を竈門に放り込む。

 

 出来上がった夕食は三種ほどの野菜と干し肉を煮たスープと、保存が効くようガチガチに水分を抜かれたパンだった。

 夜になり冷え込んできたところに、旨そうな匂いが乗った湯気が鼻腔をくすぐる。

「いただきます」

 木の匙ですくい、口へ運ぶ。

 柔らかく煮込まれた野菜の甘みが、ほのかな塩味とともに口に広がっていく。

 オービスの料理に比べるとシンプルな味付けだが、柔らかく広がる滋味が今はとても好ましく思えた。

 続けて、硬いパンをちぎってスープに浸す。

 パンはスポンジの如くスープを吸い、それを口に運ぶと中から溢れ出たスープがパンの旨みとともに(ほど)けていく。

「美味いよコハク。あの石みたいなパンもこんなに美味しく食べられるんだな」

「そう? よかった」

 世辞でもなんでもなく、心から称賛を送るとコハクは少し照れくさそうに笑っている。

 素朴ながら優しく体に染み入るその味は、彼女の人柄そのもののようだった。

 

 食後の後片付けを買って出た景真が川の水の冷たさに悲鳴を上げ、それを見たコハクがくすくす笑う。

 

 冷えた手を焚き火で暖めてからそれぞれの寝袋に(くる)まり、空を見上げた。

 

 ダイヤの詰まったバケツをひっくり返したかのように星が瞬いている。

 東京では決して見られなかった満天の星空だ。

「こんなの、プラネタリウムでしか見た事ないな……」

 焚き木がパチッと音を立てて爆ぜる。

 

 ふと、ある事に気づく。

 

 ネビュラで夜を迎えるたび、ずっとあった違和感の、その正体。

 

 ――ネビュラの空には、月が無かった。

 

 

 

 

 ――寒い。

 寝袋越しに背中へ這い上がる冷たさで目を覚ます。

 上半身を起こして伸びをし、冷たい空気を吸い込んでから辺りを見渡す。

 日はまだ登ってはいないが、東の山の向こう側からその登場を予告するように光が漏れている。

 

 焚き木は燃え尽き、灰だけが残っていた。

 景真はコハクを起こさないよう静かに立ち上がり、川へ向かう。

 流れる水に手を差し入れると指先を痛い程の冷たさが襲い、漏れかけた声を咄嗟に飲み込む。

 そのまま掬い上げ顔を洗うと、残っていた眠気も澄んだ水に溶けていった。

 

 音を鳴らさないよう、慎重に砂利を踏み締めて竈門の前に向かう。コハクはこちらに背を向けて静かに寝息を立てている。

 余っていた焚き木を積んで左手を(かざ)し、目を閉じる。

 すると、今は影も形もないが、以前左手のひらに浮かんだ紋様をなぞるように皮膚の下で何かが蠢く。

 自分の体の一部ではない”何か”が、確かにそこにある。

 しかし、やはりその感覚はあと少しで掴める――というところでするりと逃げてしまった。

 

 今の感覚を覚えている内にもう一度、と再び左手を翳したが、

「ケーマ? ……もう起きてたんだ」

 背後からの声に振り向くと、起き上がったコハクが眠たそうに目を擦っている。右耳が折れているのは寝癖と呼んでもいいのだろうか。

「おはよう。起こしちゃったか?」

「ううん」

 コハクは首を横に振ると、東の空を指差す。

「日が登ったから」

 指の先に目をやるとその輝きに目が眩む。

 

 静かな夜が明け、静かな朝がやって来る。

 

 あれが景真の知る太陽ではなかったとして、このネビュラの大地に光と生命を(もたら)している事に変わりはない。

 二人は黙って目を細め、新しい一日の誕生を祝うように恒星が完全に姿を現すのを見守っていた。

 

 昨夜のスープの残りにパンを入れて煮込んだ粥を食べ、荷物をまとめて再び公都への道を行く。

 森を抜けるとその先の平原には、街道と言って差し支えない立派な道路が敷かれていた。その道の左右は腰の高さほどの黄色い草に覆われている。

「この先に村があるから、今夜はそこに泊まろう。多分、日が暮れる前に着けると思う」

 横を歩くコハクが景真の顔を見上げながら言う。

 やはりコハクはこの道を通って幾度も公都とゴンド温泉郷を行き来しているようだ。

「屋内で休めるのは助かる……けど、お金は大丈夫なのか?」

 ずっと気になってはいたが聞き辛かった事を尋ねる。現状コハクの懐に寄りかかっている景真にとってそれは常に引け目となっている事柄だった。

「心配ない。ちゃんと稼いで、貯めたお金がある」

 コハクはそう言って鼻を鳴らす。

「占い……だっけ? 結構儲かるもんなのか」

「ゴンドには大陸中からお金持ちが湯治に来る。その中には狐族の未来視目当ての人が結構いるの」

「なるほどなぁ」

 そのしたたかさに、改めて目の前の少女が見た目より長い時を生きてきたのだと実感し嘆息する。

 

 まっすぐに伸びる道をひたすら歩き、小一時間ほどが経った。

 右手に広がる草原の先で、牛に似た動物が群れをなしてのんびりと草を食んでいる。

 日が高くなるにつれ気温も上がり、その長閑(のどか)な光景にあくびが出る。

 ふと視線の先に、道の端に大きな荷物を置き座り込んでいる人影があるのに気がついた。

 距離が縮まると、その人影もこちらに気づいたようで座ったまま大きく手を振ってきた。

 柔和な笑顔を浮かべた小柄な男で、頭にはコハクほど大きくはない獣の耳が生えている。

「そこのお二人! いやぁ助かった! これぞ女神のお導き」

 景真たちが目の前で立ち止まると、甲高い声でそう言って左手で祈りの形を作る。

「どうかしたのか?」

 面倒ごとに巻き込まれたくはなかったが、無視するわけにもいかず景真が声をかける。

「いやァ、(ワタクシ)しがない行商人をしているキケロという者なんですが道中で足を痛めちまいまして、ここに来てついに立てなくなっちまったんです。本当はゴンドの鎮魂祭(ちんこんさい)で売り出すつもりだった商品が”おじゃん”になっちまいました」

 捲し立てるように、聞いてもない事をペラペラと喋る男に景真とコハクは目を見合わせる。

 

 初対面において最も警戒すべき相手は商人だ。

 商人という生き物は基本的に”信用”を武器に戦うが、行きずりの相手ならその理は通じない。

 隙を見せれば骨までしゃぶられるから決して信用するな、と旅に出る前、二人揃ってニャーラに釘を刺されていた。

 

「あっ! いやいや、こいつを売りつけようとかそんなつもりはありゃしませんよ。怪我に効く薬でもお持ちでしたら譲っていただけないかと思いましてね。もちろん、お代は払います」

 キケロは大袈裟な手振りで弁明する。

 そういう事ならペテンにかけられる心配は無いだろうか。

 再び隣に立つコハクと目を見合わせると、彼女は小さく頷きキケロの足元にしゃがみ込んだ。

「痛いのは左足?」

「そうですそうです! なんで分かったんで?」

 コハクはそれには答えず、キケロの左足に手を翳して目を閉じた。

 昨晩見た時より周りが明るいからか微かにしか見えなかったが、光の粒が結合しながら男の足に集まっていく。

 やがて音もなく光が消え、コハクは額に浮かんだ汗を拭い手を下ろした。

「……どう?」

「……痛みが引いてる! へェ、こんな見事な治癒術、聖都でもなかなかお目に掛かれませんぜ。お嬢さん……いや、狐族ならお姉さんか。いや大したもんだ!」

 立ち上がり、ピョンピョン跳ねながらひとしきり騒ぐと荷物の中から銀貨を一枚取り出しコハクに差し出す。

「これは約束のお礼です」

「!……こんなに貰えない」

 キケロは固辞するコハクに押し付けるように銀貨を手渡してから荷物を背負う。

「助けて貰わなきゃここで野垂れ死んでたかもしれねェんですから安いもんです。この商品も、祭りの時ほどの値は付かなくても無駄にしないで済みました」

 そう言って、背中の鞄をぽんぽん叩く。

「ところでお兄さん」

 キケロがこちらを見る。

 その視線は景真の胸の奥まで見透かすような鋭さで突き刺さる。

「ひょっとして、”ワタリビト”ですかい?」

 その言葉と目線に思わず身構えた。

 キケロはすぐに笑顔を浮かべておどけるように言う。

「あ、そんな警戒せんで下さい。商人ってのは人を見る商売なんで、この手の”違い”には鼻が効くんでさァ。……それじゃあ、ここらで失礼します。商売の基本は”善は急げ”ですからね」

 二人は、景真たちが来た方向へと軽い足取りで去っていくキケロの背中を見送った。

 

「……何事もなかったな」

「うん。まだ日が沈むまでに村に着けるから急ごう」

 二人は歩みを早め、村を目指す。

 頭上まで登った日が空気を温め、草いきれが辺りを満たしている。

「そう言えば、アニマって怪我の治療なんてこともできるんだな」

「私だとちょっとした怪我くらいしか治せないけど、上位の治癒師は切断した腕をくっつけたりできるらしいよ」

 コハクは謙遜するでもなく言う。

「凄いな、アニマ。……ずっと気になってたんだけど、初めて出会った時に俺の肩の傷を治してくれたのってコハクだったのか?」

 前を向いたままこくりと頷く。

「そうか。ありがとうな」

 コハクは言葉は返さず焦げ茶色の尻尾が三度、大きく揺れる。

 

 吹き抜ける風が、道を挟むように広がる黄金の海原を波立たせた。

 

 

 

 

 

 なんとか日暮れ前に辿り着いた村は正に中世の農村といった風情で、ゴンドと比べると簡素な造りの家がまばらに建っている。

 その中にあって、村の大通りに建つ石造りの建造物はその大きさと存在感でもって完全に風景から浮いていた。

「あれは宿屋。ゴンドに行くお金持ち向けの」

 口を開けてその建物を見上げていた景真にコハクが解説する。

「道理で……まさかここに泊まるのか?」

「私たちはこっち」

 そう言って裏通りに入っていくコハクの後について行く。

「ここ……ガルス村は昔はもっと小さい村だったんだけど、ゴンドが温泉地として有名になるにつれてその中継点として大きくなっていったんだ」

 その言葉は単にこの村の過去の歴史としてではなく、実際にその変遷を目の当たりにしてきたという温度を伴っていた。

 

 裏路地をしばらく歩き、先ほどの宿屋と比べると随分小さな木造の家屋の前に着いた。

 コハクは迷いなく扉を引いて中へと入る。

 オイルランプのゆらめく炎で照らされた屋内はどこか懐かしく、木と染み込んだ油の匂いが田舎の祖父の家を想起させた。

 コハクは正面のカウンターの中で椅子に掛けて編み物をする女性に声をかけた。

 女性は地球(オービス)の人間と変わらない姿で、年は景真と同年代くらいに見える。しかし、ネビュラにおいて外見年齢があてになるのかは分からない。

「ナーシャ、こんばんは」

「あらコハクさん。また公都へ?」

 ナーシャと呼ばれた女性は編み物をしていた手を止めカウンターに置くと、立ち上がってコハクを出迎える。そのお腹は大きく膨らんでいた。

 コハクは頷いてから女性に座るよう促す。

「ナーシャは座ってて。部屋空いてる? 二人部屋」

「ありがとう。部屋は空いてるよ。そちらの方は?」

 目が合った景真が思わず会釈すると、女性もにっこり笑って会釈を返す。その上品な佇まいはどこか長閑な農村には似つかわしくないようにも思えた。

「ワタリビトの、ケーマ」

 コハクがそう返答するとナーシャは口を押さえて驚き、視線を景真とコハクの間で往復させた。

「それは珍しいお連れさんね。直にお目にかかるの何年振りかしら。よろしくね、ケーマさん」

 そう言いつつ部屋の鍵とランプをカウンターに置いた。

「二階の三号室ね。夕食はどうする?」

「うーん……酒場に行こうかな」

 コハクは少し迷ってからそう答える。

「ええ、主人に伝えておくわね」

 鍵を受け取り、カウンター横の階段を昇る。

 木の階段には手すりもなく、一歩踏み締めるごとにギシッ、ギシッと音を立てて軋む。

 コハクが手にした鍵でドアを開き客室に入り、壁に取り付けられたフックにランプを吊り下げる。

 木製のベッドが二つと小さな丸テーブルが置かれただけの質素な部屋だったが、チリ一つ残さず綺麗に整えられていた。

 床に荷物を置きベッドに腰掛けるとこのまま倒れ込みたい衝動に駆られるが、空腹がその上を行った。思えば今日は昼食も食べずに歩き通しだった。

 それはコハクも同じだったようで、すぐに夕食を摂るべく酒場へと向かうことになった。

 

「あ、コハクさん」

 再び階段を降りてカウンターの横を通ると、ナーシャに呼び止められた。

「この間お客さんが”異端者”の連中がワタリビト狩りをしてるって噂してたの……この村で奴らを見たって話は聞かないけれど、ケーマさんがワタリビトだって事は隠しといた方がいいかもね」

 ナーシャは声をひそめる。

 “異端者”に”ワタリビト狩り”。

 穏やかとは言えない単語が唐突に現れ、部屋の温度が下がったように感じる。その噂が事実なら景真は紛れもなく狙われる立場だ。

「分かった。気をつける」

「うん、いってらっしゃい」

 小さく手を振るナーシャに見送られて宿を後にする。

 

 外に出ると、村は夜の色に染まっていた。標高が高いためか、日が沈むと気温が下がるのが早い。

 草むらから響く、耳馴染みのない虫が奏でる和音を聞きながら表通りへと歩いていく。

「……”異端者”ってどんな奴らなんだ?」

 コハクは言葉を探すように尻尾を左右に揺らしている。

「ネビュラ救世教って言って創世教から大昔に別れてできたらしいけど、同じ女神様を信仰してるってこと以外詳しいことは知らない」

「別宗派みたいな感じなのか。創世教っていうのがネビュラで一番大きい宗教なのか?」

「うん。というより世界中の人が唯一の女神様を信奉してる」

「それは……大きいなんてもんじゃないな」

 エクトルは神もアニマも実在すると言い切った。

 そして、アニマの存在は景真もその身をもって確信している。

 創造神が実在しているのであれば、それを信仰しない理由もないということなのだろうか。

 

 酒場の活気は店の外にまで溢れていた。

 “金のホルホ亭”。

 入り口の上に架けられた看板にはその文字と、鶏のような鳥の絵があしらわれている。

 入り口の扉を開くとその上部に付けられた鐘が派手な音で鳴り来客を知らせ、「いらっしゃいませぇ!」と景気のいい声が店内からやまびこのように響く。

 店内では浅黒く日焼けした農夫たちが樽ジョッキを片手にやたら大きな声で笑ったり騒いだりしており、その中にはちらほらと旅客らしき姿も混じっている。

 その時ふと店内のどこかから視線を感じた気がしたが、その気配は喧騒の中に溶けていった。

 客に酒を給仕していた少女が、来客がコハクだと気づき近づいて来る。

「あれ? コハクじゃん。ついこないだ来たと思ったら」

 コハクよりも小柄な少女は細長い尻尾をくねらせて、猫を思わせる目を(しばた)たかせている。

「うん、また公都に別の用事ができたから」

 そう言って、チラリと景真を見る。

「へえ〜、アンタも忙しいわね。……ところで」

 そう言って景真の方を見る。その目には抑えきれない笑みが浮かんでいる。

「そちらはカレシさん? コハクも隅におけないわねぇ」

 少女はコハクと景真の顔を交互に覗き込む。

「いや、コハクは恩人で俺たちはそういうんじゃ……」

 景真は明らかに困った様子のコハクに助け舟を出すが、なんだか歯切れの悪い言い方になってしまう。

「……ふ〜ん? ま、いっか。席に案内するね。あたしはアリサ。よろしくね」

「よろしく、アリサ。俺は景真だ」

 そう返すとアリサはいたずらっぽく微笑んで、店の喧騒に負けない大声を張る。

「二名様ごあんな〜い!!」

 よく通る声が店内を駆け抜けると厨房から野太い返事が響き、アリサの案内で二人は席へと通された。

 

 

 

 

 コハクとテーブルを挟んで座り、注文を済ませて料理が届くのを待つ。

「元気な子だな。ちょっとニャーラに似てるかも」

「このお店の子で、初めて会った時はまだ赤ちゃんだった。この道を通るたびに寄ってるから」

 コハクの目が過去を思い出すようにふっと遠くなる。

「おまたせ、”金のホルホ亭”自慢、自家醸造の麦酒《ばくしゅ》だよ」

 アリサが二人の前に泡立つ黄金色の液体がなみなみと注がれたジョッキを置く。

「へぇ、ビールそっくりだな」

「びーる?」

 アリサにそう尋ねられ、自分が迂闊な発言をしたことに気づく。

「あー……いや、俺の故郷だと麦酒をそう呼ぶんだ」

 ワタリビトである事を悟られまいと咄嗟に誤魔化すと、アリサは忙しいからか「ふーん、そうなんだ」とだけ返して去って行った。

 

 アリサがテーブルを離れるのを見てコハクの前にジョッキを掲げると、自らのジョッキを遠慮がちにぶつけてきた。

 正直言って、景真はぬるいビールが苦手だ。

 だが、電気すらないこのネビュラでは常温で提供されるのが道理だろう。

 覚悟を決めてジョッキに口をつける。

「おお、冷たい……」

 よく冷えた麦酒が発泡しながら喉を滑り落ちていく。鼻に抜ける香りと爽やかな苦味は、正しくホップのそれだった。

「これもアニマで冷やしてるのか?」

「うん。サクラダケで作った樽に入れて冷やしてる」

 思い返せば、温泉で飲んだフルーツミルクもよく冷えていた。ネビュラではポピュラーな冷蔵技術なのかもしれない。

 

「はい、ガルス村名物、ホルホ鳥の丸焼きよ」

 アリサが軽快な足取りで大皿を運んでくる。

 その上に乗っているのは、どこからどう見ても鶏の丸焼きだった。

 取り皿やナイフなどを手際よく並べると、アリサは忙しなく景真たちのテーブルを離れる。

 香草を刷り込んでこんがりと焼かれた肉の表面で脂がパチパチと弾けている。

 その大きさに景真は圧倒される。これは二人で食べ切れる大きさなのだろうか。

 コハクは目を輝かせてナイフとフォークを握り、その刃を肉の中心に突き立てて切り開いていく。

 その立ち昇る湯気の中から現れたのは肉汁と脂をたっぷりと吸って艶を放つ野菜と、柔らかく炊かれた麦だった。

 コハクは肉と具材をバランスよく皿に取り分けて景真の前に置く。

 同じようにコハク本人の皿に料理が盛られたのを確認して手を合わせ、コハクもそれに倣って両手を合わせる。

「あれ? お祈りはいいのか?」

 コハクは二度、こくこくと頷いてから唱和する。

「いただきます」

 

 早速肉にフォークを突き立てて口へ運ぶ。

 肉はジューシーでありながら歯応えもあり、若干野生味が強いがその風味はやはり慣れ親しんだ鶏のそれに酷似していた。

 その少し独特な野生味も、香草の香りと混ざり合うことで複雑な味わいを生んでいる。

 続いて腹の中に詰められていた具材を口にすると、肉から染み込んだ旨みが弾ける。

 

 歩き疲れて腹ペコだった二人は夢中でホルホ鳥を堪能し、ものの半刻ほどで丸々と太った鳥は骨だけの姿になった。

 

「……アンタたち、マジであれ二人で食べたの」

 アリサが腰に手を当てて、骨だけが残る大皿を呆れ顔で見下ろす。

「その体のどこに入ってくのよ」

「う……ちょっと食べすぎた」

 腹をつつかれたコハクが苦しそうに唸る。

 気づけば店内にあれだけいた農夫たちの姿は霧のように消えていた。どこの世界でも農家の朝は早いらしい。

「だからいつものモモ肉にしとけって言ったのに」

「ケーマと一緒ならいけるかなと思って……」

 いつもよりも小さな声量に、若干の反省の色が滲む。

「まったく……まあもうお店も空いてるから落ち着くまで休んでていいわよ」

 アリサはそう言い残して厨房へと引っ込んで行った。

「でも……ずっと食べてみたかったけど、一人じゃ無理だったから。満足」

 コハクはほっと息を()くと、心底満足そうに天井を仰いで目を閉じた。尻尾も脱力して椅子の端から垂れ下がっている。

 

 きっと彼女には四百年生きてもまだやってみたい事、できてない事が山ほどあるのだろう。

 いつまで一緒にいられるかは分からないが、その限られた時間で一つでも叶えられたらなどと、同じように天井を仰いで考えていた。

 

 結局二人は閉店時間まで立ち上がることができず、アリサに追い出されるようにして店を出た。

 辺りはすっかり静まり返っており、明かりが灯っている家もずいぶん少なくなっている。

 冷たい夜風が酒と食事で(ほて)った頬を心地よく冷ましていく。

 

 宿のある裏通りに入りしばらく進んだところで不意に、コハクの耳がピクンと動く。

 その顔は何かを聞き取ろうと集中しているように見えた。

 コハクはそのまま歩調を速めるでも緩めるでもなく歩きながら囁く。

「……()けられてる。多分、二人」

 背筋に冷たいものが走るが、その動揺を抑え込んで平静を装う。

 宿まではまだ五分ほどの道のりがある。

 そもそも、このまま宿に逃げ込んでしまうと身重のナーシャを危険に晒すかもしれない。

「……走るか?」

 コハクが目でそれを制する。

 

 ――次の瞬間、景真の右側を歩くコハクのその向こう、暗闇の路地から真っ黒な手が伸び、その華奢な体を捕らえた。そして、その白い首にナイフの切先が突きつけられる。

 景真は反応すらできない、あっという間の事だった。

「……ワタリビトだな、大人しくついてきてもらおう」

 低い声が響き、暗闇から人影が現れる。

 全身を黒装束に包んだ男はフードを目深に被り、顔は見えないがかなりの大男だ。

「ぅ……ぐ」

 コハクが太い腕に首を押さえられて苦しそうに呻き、宙に浮いた足がもがくように揺れる。

「おかしな動きをしたらその娘を殺す」

 とっさにコハクの元に駆け出そうとした景真の背後からも声がし、その手首を掴まれ後ろ手に捻り上げられる。

「……お前たちは何者だ」

 精一杯の虚勢で恐怖を噛み潰して声を振り絞るが、その語尾が僅かに上擦る。

「お前の質問に答えるつもりはないし、お前がそれを知る必要もない」

 コハクを羽交締めにしている大男が景真を睨みつけて言う。

 フードの影から()め付けるその眼光は蛇を思わせ、景真の背に冷や汗が伝う。

 膝の震えを押さえ付け、大男を睨み返す。

「……知ってるぞ、お前ら”異端者”だろ?」

「黙らせろ」

 大男が短く命じると、背後に立つ男は景真を強引に振り向かせ右手に握ったナイフの柄をその鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。

「ガ……はッ」

 臓腑に響く衝撃で息が詰まる。

 次の瞬間胃の中の物が込み上げ路地に撒き散らされたが、男たちは足元の汚物を気にする素振りも見せない。

「我らは敬虔なる”女神の代行者”だ。少しでも長生きしたければ口に気をつけろ」

 大男が、地面に跪き肩で息をする景真を見下ろして傲岸に吐き捨てる。その言葉には確かな怒気が含まれていた。

 

 ――意識が朦朧とする。

 平和な日本で暴力とは無縁に生きてきた景真は今、生まれて初めて理不尽な暴力に晒されている。

 暴力と戦う術を景真は知らない。

 刑事である一ノ瀬遼なら、こんな状況でも切り抜けられるのだろうか。

 ただ己の無力さが憎かった。

 たったの一撃でこのザマだ。

 コハクがあんな目に遭ってるのに、自分は吐瀉物を撒き散らして地べたに這いつくばることしかできやしない。

 

 爪が食い込むほど握りしめた左手で、何かが蠢く。

 その不快な感触に手を開き霞んだ視線を向けると、そこにはあの黒い紋様がくっきりと浮き出ていた。

 皮膚の中を、血管を何かが這いずるような感覚はじわじわと神経を侵食していく。

 そしてそれが左肩まで達した時、手のひらの紋様から”黒い光”が放たれた。

 黒い光は無数の触手のように蠢動(しゅんどう)しながら路地裏を埋め尽くす。

「!? なんだそれは! おかしな事をすればこの娘諸共ころ――」

 大男が声を荒げたその時、黒い光の中心である景真の手のひらから白い光球が現れ――光球が(いかづち)の如き速度で大男のこめかみを撃ち抜く。

 大男は言葉を言い切る前に白目を剥いて膝から崩れ落ち、弛んだ腕から解放されたコハクが地面に倒れ込む。

「お前、何をしやがった!」

 見上げたフードの隙間から覗く男の目が恐怖に歪んでいる。そしてその恐怖を振り払うように景真に向けてナイフを振り翳した。

 ――が、すかさず光球が一閃し、男は声も発さずその場に倒れる。

 

 景真とコハクは何が起きたのか飲み込めないまま、その場で固まっていた。その視線は二人の間に浮かぶ光球に注がれている。

 風が止まり無音が空間を満たす。その中で自分の心音だけが異常なほど大きく聞こえている。

 光球は今度はゆっくりと景真の方へ重力を感じさせない動きで飛び、左手の上で止まった。

 まばゆい光は徐々に落ち着き、その中からヒトの形をした”何か”が姿を現した。

 手のひらに乗る大きさのそれは、童話に描かれる妖精のような姿をしている。

 そしてその超常たる”何か”は二人へと語りかけてくる。

 その声は軽快で透明で神秘的で、どこか機械的だった。

「やぁお二人さん、危ないところだったね! 間に合って良かったよ。……なんだい狐に摘まれたような顔をして。狐は君の方だろう。あ、自己紹介がまだだったね。ボクの名前はミラ。親しみを込めてミリーって呼んでくれてもいいよ」

 

 景真とコハクは、未だ何も理解できないままミラと名乗るそれを凝視して動けずにいる。

 場違いなほどに明るい声で話しかけてくるそれは、恐らく敵ではない。敵ではないはずだが、その可憐と形容できる姿を見ていると名状し難い畏れが湧いてくるのを感じる。

「”奴ら”に見つかるリスクを負ってでも君たちを助けたのには訳がある。そう、頼みたいことがあるんだ」

 ミラは音もなく浮上し、景真の眼前に躍り出る。

 白銀の光芒を放つ二つの瞳が景真を捉え、そこから目を離すことができない。

 冷たいものが背筋を這い上がる。

 

「――君たちに女神を……ORPHENA(オルフェナ)」を殺して欲しいんだ」

 

 星明かりが照らす静かな夜に、世界の歯車が確かに一つ、軋むように回り出した気配がした。

 

 

 

 

 

 

 

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