ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第十一話 裏 異端の影

 

 高原を貫く一本道を荷馬車の列が進んで行く。

 

 日の暖かさに比べ冷たい風が吹き抜け、馬の鬣を揺らした。

 木製の車輪が小石を踏むたびに荷馬車は揺れ、ぐらりと体勢を崩される。

 断続的に襲う硬い質感の衝撃が、着実に尻へとダメージを蓄積している。

 

 最初こそ歩かないで済むなどと浮かれていたが、車も道も景真の知るそれとはまるで違うのだと考えを改めざるを得なかった。

 

 オウカが操る荷馬車は縦列(じゅうれつ)に並ぶ隊のちょうど真ん中に位置している。

 

 曰く、「この車には”最も価値のある商品”を載せている」とのことだったが、箱詰めされ厚い布を被せられたそれが何なのかは分からない。

 そして行商隊(キャラバン)の未来を占うコハクもまた、”最も価値のある商品”なのだろう。

 その意味において、景真はこの荷車の中では異物と言え、肩身の狭さを感じていた。

 

「そう言えば」

 御者台で手綱を握るオウカが振り返って言う。

「兄さんをワタリビトだと言った行商人がいたって言ってたな。そいつはどんな奴だった?」

 やはり他の行商人のことは気になるものなのだろうか。

 景真はガルス村に着く前に出会った行商人の事を思い出しながら答える。

「そうだな……猫族って言うのか? あんたと同じような耳と尻尾をしてた。確か名前は――キケロだったか?」

 コハクが静かに頷く。

 その名を出した瞬間。オウカの顔から表情が消えた。

「猫族のキケロ……」

「知り合いか?」

 オウカは景真から目を逸らすように顔を正面に戻す。

 その手綱を握る手に僅かに力が入ったように見えた。

「……同郷の昔馴染みだよ。生きていやがったのか」

 その声には静かな怒りと、微かな安堵が入り混じっているように聞こえた。

「あいつはゴンドに向かったんだな?」

「ああ。仕入れた商品を祭りで売り捌きたかったけど怪我で間に合わなかったって言ってたな」

 オウカは景真に聞こえるように舌打ちする。

「……相変わらず鈍臭い奴だな」

 そう言ったきり振り返らず、何かを考え込んでいるようだった。

 

「結構、警備が厳重だな。この辺は盗賊でも出るのか?」

 隊列の左右では常に二人ずつの武装した隊員が目を光らせている。

 この道を幾度も通っているであろうコハクに尋ねる。

「うーん……あんまり聞いた事はないかな。見通しもいいし、安全だと思う」

「念のためだ」

 御者台から割り込むようにオウカが言う。

「最近はフォボス商会が賊を使って、他の商人を襲わせてるなんて話もあるしな」

「フォボス商会?」

「なんだ兄さん、知らないのか? 大陸西部を拠点にしてる大商会だ。金のためならどんな汚い事もやる……まあ商人なんて大なり小なりそんなもんだが、あいつらは訳が違う。連中が持ち込んだ幻想薬で村が一つ消えたなんて話も聞くくらいだ」

 

 フォボス商会――

 その語られ方に、景真は現世(オービス)における星雲救世会を重ねていた。

 どこの世界でも実態が不透明な巨大組織というものは都市伝説のように語られるものらしい。

 そしてそれが”時に事実である”ということを、景真は身を持って知っている。

 

「まあ、俺としちゃあ商売敵であると同時に関わり合いになりたくない相手だな。あんたらも関わらない方が身のためだ。あそこは発足した三百年前から”異端者”と繋がってるって話だしな」

 

 “異端者”という言葉に景真は身を強張らせ、コハクも表情こそ変えなかったが耳の先を微かに震わせた。

「ああ……気をつけるよ」

 緊張が声に出ないよう注意を払う。

 

 昨夜襲撃してきた二人の男。

 その正体は依然不明だがワタリビトを集めていると巷で噂される”異端者”であるとすれば、その背後にはフォボス商会という巨大な組織が存在していることになる。

 大陸を股にかける大商会ともなれば、独自の情報ネットワークを持っているだろう。

 ならばこの先、フォボス商会の目から逃れつつ春華を探し出し、元いた世界に帰還するという目的を果たさなければならない。

 

 ――そんなことが可能なのだろうか。

 不安の水位が足先から這い上がるのを感じる。

 

 脳裏に春華の笑顔が甦る。

 

 それでも、やるしかない。

 一生この異世界(ネビュラ)で身を隠しながら生きていく。

 そんなことができるはずもない。

 ならばこの身を賭して前へ進むしかないのだ。

 そこに迷いはないと、自らに言い聞かせる。

 

 ――ただ一つ、そこにコハクを巻き込んでしまったという慚愧だけが、心臓に打ち込まれた(くさび)のようにジクジクと痛んだ。

 

 

 

 日が傾き出した頃、行商隊は街道を外れ森へ続く道へと入った。

 先ほどまで風に混ざっていた草いきれは消え、代わりに土と木の匂いに包まれる。

 

「野営地に向かってるんだと思う。この先に川があるから」

 どこへ連れて行かれるのかという景真の不安に気付いたようにコハクが言う。

「そうだ。予定より少し早いが、ここで野営して明日の昼前、水瓶の刻頃にはアゲントに着く予定だ」

 オウカがコハクの言葉を肯定する。

 水瓶の刻、というのはコハクに聞いた話だと確か十一時を指しているはずだ。

 

 アゲントは銀鉱山で栄えており、ゴンドと公都の間にある町で最も大きいという。

 そこまで行けば、公都への道のりの七割を消化した事になるということだった。

 

「人間だけならどこでも野宿できるが馬はそうもいかん。奴らが飲む量の水は運べんからな」

 オウカの視線の先に森が開け、夕陽に輝く川が現れた。

 

 川原では二十名ほどの隊員たちが慣れた様子で野営の準備をしており、その中でも常に数名が武器を手に周囲を警戒している。

 

 荷馬車は整然と並べられ、積荷ごと奪われるのを防ぐためか鎖でひと繋ぎにされていた。

 重荷から解放された馬たちは川辺でのんびりと水を飲んだり草を食んでいる。

 しかし、景真はこれだけの人々の中にあって尚、森の中から有りもしない視線に背筋を冷たい汗が伝う。

 コハクの様子を伺うと、顔はいつも通り平然としているが耳は右を向いたり左を向いたりと忙しなく情報を収集している。

 

 景真はオウカに手伝いを申し出たが、「客人は座して待っていろ」と追い払われた。

 手持ち無沙汰のままコハクと並んで石に腰掛け、川と馬を眺めていた。

 

「……馬を見てると癒されるなぁ」

 馬の背に跨り、その高さと揺れるのが怖くて泣きじゃくる幼い日の記憶が浮かぶ。

 その背を降り、泣き腫らした顔をじっと見つめる馬の優しげなその瞳がずっと心の中に刻まれている。

 

「私も、馬は好き。大きくて、綺麗だから」

 コハクも両手で頬杖をついて馬を眺めている。

 その大きな琥珀色の瞳が水の煌めきを映し出し、景真はそこに銀河を見た気がした。

 

「――ああ、綺麗だな」

 言葉が口をついて出たが、それが何向けられたものだったのか景真自身にも分からなかった。

 

「お二人が兄貴の連れてきたお客人ッスね!」

 ぼんやりと馬を眺めていたところに突然声をかけられ心臓が跳ねた。

 恐る恐る声の方を振り向くと、そこにはオウカと同じ毛色の耳と尻尾を持つ少女が立っていた。

 その背丈は小柄なオウカより、さらにもう二回り小さい。

 キケロも小さかった事を考えると、猫族というのはそういう種族なのだろう。

 

「あ、ウチはマツリカ。兄貴……オウカの」

「妹か?」

 先手を打って答えてみる。

「惜しい! けどブッブー! はずれです!」

 マツリカと名乗った少女は手で大きくバツ印を作る。

「ウチは兄貴の姪です。兄貴に付いて商人の修行中ッス」

「……姪なのに”兄貴”ってのはおかしくないか?」

「いいんスよ。心の兄貴なんで」

 少女は腕を組み鼻を鳴らす。

「おい」

 その小さな背中越しに低い声がし、小さな肩が跳ねた。

「ひゃっ……! なんスか兄貴、びっくりするじゃないッスか〜」

「その小物っぽい喋り方をやめろとずっと言ってるだろ。本気で商人としてやっていきたいならな」

「う……そう言われてもなかなか直らないんス……ですよ」

 そう言って(こうべ)と尻尾を垂れる。

「あと客人に迷惑をかけるな。俺が恥をかくだろうが」

 オウカはマツリカの襟首を掴む。

「に゛ゃっ! 暴力反対! ママに言いつけるッスよ!」

「なっ……! 姉ちゃ……姉貴の頼みじゃなきゃお前なんか連れてきてないんだぞ!」

 ジタバタと足掻くマツリカを片手で吊り上げたオウカが去り際に頭を下げる。

「……うちのモンが騒がせて悪かった。もうじき夕餉(ゆうげ)ができるからもう少しゆっくりしててくれ。……あと、今のやり取りは忘れてくれ」

 マツリカのギャーギャーという声が遠ざかり、辺りに静けさが戻るとコハクと目を見合わせる。

 

「――ぷっ……」

 堪えきれないといった様子でコハクが吹き出し、それに釣られて景真も笑う。

 

 これだけの行商隊を束ね、いつも毅然とした商人の仮面を手放さないオウカでも、家族の前……素顔を見せられる相手の前ではあんな顔をしてしまうのだと思うと、可笑しくなってしまった。

 

 そして、そんな相手がいる事が少しだけ、羨ましかった。

 

 だけど、寂しさはない。

 些細なことで一緒に笑い合える相手が、傍にいてくれているから。

 

 ――いつか必ず来る、別れの日までは。

 そしてその別れは、自ら選択しなければならない。

 

 夕暮れの最後の輝きを、揺れる川面が無数の光に散らす。

 

 やがて消えるその光の中で、コハクが静かに笑っている。

 

 

 

 川原に大きな篝火(かがりび)が設けられ、行商隊(キャラバン)の隊員たちがそれを囲んでいる。

 

 その人数は移動中や野営の準備をしている間の印象よりも大分多い。

 恐らく、結構な人数が周辺の偵察に当たっていたのだろう。

 

 彼らは皆、不揃いな器に酒をなみなみと湛えて立ち並んでいる。

 その円陣の中心に篝火を背にオウカが躍り出た。

 炎がオウカの揺らめく影を前へと長く伸ばす。

 

「皆、ご苦労だった。その尽力もあって旅は順調だ。明日にはアゲントに至るだろう」

 野太い歓声が上がる。

 表情は一様に明るかったが、炎に照らし出された顔は様々だった。

 

 いかにも商人といった、小太りで計算高そうな男。

 頬に深い傷を刻んだ傭兵風の男。

 貴族崩れのような華美な服に身を包んだ細身の男。

 恰幅のいい中年の女。

 

 年齢も職業も、種族さえもバラバラな一団が、オウカの元に団結しているのが分かる。

 

 オウカは歓声が止むのを待ってから続ける。

「そして今回は俺たちの商売にとってこの上なく力強い味方がいる! コハクの姐さん、こちらへ」

 呼ばれたコハクが篝火の前へ歩み出る。

 これはあらかじめオウカから聞かされていた段取りだった。

 再び歓声が沸き、静まる。

 

「アゲントに行く以上、俺たちが(あきな)うべきものは一つ!」

 オウカの声に呼応するように若い男が「銀だ!!」と叫ぶと、次々に同じ言葉が重なっていく。

「そう、銀だ! さあ、狐族の巫女よ。その相場の行く末を占ってくれ」

 コハクは無言で頷き、まつ毛が静かに伏せられる。

 

 風が止まる。

 

 コハクを中心に光の粒子が現れ、結合し、いくつもの光球が生まれた。

 今ならあれがアニマの力の発現だとはっきりと分かる。

 光球はピンポン球ほどの大きさになると空中に静止し、それぞれが糸のような光線で接続される。

 景真にはそれが、ニューロンとシナプスで形成されるネットワークのように思えた。

 

 その線がコハクの体に伸び、接続されその目がゆっくりと開かれる。

 いつもそこに湛えられている暖かな光は身を潜め、背後で燃える篝火よりも強く輝いているように錯覚する。

 

 やがて、光球もコハクの瞳も光を失い、森に静かな夜が戻る。

 

「――明日以降、銀は値上がる。公都に着く頃には、もっと」

 

 コハクが静かに告げ、息を呑んで見守っていた人々はまだ声を出していいものか迷っている。

 

「――聞いたか皆! 我らには大いなる予言と、女神の祝福がある! 今宵は飲み明かそう!」

 オウカが沈黙を破り、盃を天に翳す。

 またも歓声が起こり、皆一様に盃をあおった。

 

 その熱狂に圧倒されていた景真の視界の端で、コハクの体がぐらりと揺れた。

 その空間だけスローモーションのように感じられ、考えるより早く体が動く。

 手に持っていた盃を投げ捨て砂利を蹴り、その小さな体を支えた。

 抱き支えたその体は服越しに分かるほど冷たく、頼りない。

 背筋に冷たいものが伝う。

 きっとこれは喪失への怖れだ。

 

「コハク、大丈夫か?」

 目が薄く開くが、体に力は入らないようだ。

「……うん。ちょっと遠く、先まで見ないといけなかったから……疲れたみたい」

 景真はコハクを抱き上げると、川原を離れ木に背を預けるように座らせた。

 

 その時、コハクの腹がクゥー、と高い音で鳴った。

 景真は驚いて固まり、コハクは耳の毛を逆立て、顔を真っ赤にしている。

「……力を使うと、お腹が減るの……」

 景真から顔を背けるようにして言う。

 その様子に、なぜか無性に胸が締め付けられた。

 それと同時に、深く安堵する。

「食べ物を貰ってくるよ。ちょっと待っててくれ」

 そう微笑んで見せてから立ち上がり、河原へと向かう。

 

「姐さんは大丈夫か?」

 オウカがスープ……と呼ぶには具が多すぎる器を差し出している。

「ああ、少し疲れたみたいだ」

 器を受け取りながら言う。

「……無理をさせたな。すまん」

 オウカが深々と頭を下げる。

「互いに利があってやってるんだ。謝ることじゃないだろ?」

「ふ……そうだな。じゃあこうだな」

 微かに笑ってから右手を差し出す。

 景真はスープの器を左手に持ち替え、その手を握った。

「感謝する。お陰で隊の士気が高まった」

 オウカは景真の目を真っ直ぐに見て言う。

 その眼差しにこの若さでこれだけの隊を率いている、その理由を垣間見た気がした。

 

「ところで」

 固い握手を終え、景真が食事をコハクのところへ運ぼうと足を踏み出したところにオウカが再度声をかける。

「あんたたちに話がある。後で行ってもいいか?」

「……? 構わないけど、なんの話だ?」

 オウカは少し迷った様子を見せる。

 それは彼が景真の前で初めて見せる迷いだった。

 

「――キケロについて、だ」

 

 意を決したように放たれた言葉は、景真からすれば意外なものだった。

 景真たちにとっては僅かな時間話しただけの相手について、なんの話があると言うのだろうか。

「……分かった。まずはコハクの腹を満たしてからな」

 その真意は計りかねたが、聞いてみないことには始まらないと考え了承する。

「ああ、夕食後に」

 オウカはそう言うと、颯爽とした足取りで宴の渦中に戻って行った。

 それが、隊の長としてオウカが被るべき仮面なのだろう。

 

 温かな食事を終え、一息ついたところに約束通り盃を片手にオウカがやって来た。

 コハクはまだ体に力が入らない様子だったが、篝火に照らされたその顔色は大分良くなっている。

「食事はどうだった? 隊の専属料理人による渾身の作だ。まあ、こんな所じゃできることも限られてるが」

 オウカが景真たちの向かいに胡座(あぐら)をかく。

「美味かったよ。料理人までいるのか、この行商隊(キャラバン)は。……これだけの隊を束ねてるなんて大したもんだな」

「そんな大したもんじゃないさ。祖父が創って親父が育てたモンを引き継いだだけだ」

 謙遜するように、しかし少し誇らしげにオウカが言う。

 

 その言葉は景真にとって希望でもあり、同時に妬ましくもあった。

 ワタリビトだったというオウカの祖父は、それでもこうして後世に残すべきものを残してこの(ネビュラ)を去ったのだ。

 

「そんなことより、本題に入らせてくれ。キケロのことについてだ」

「ああ。だけど、俺たちは本当に少し話をしただけだぞ?」

「それでもだ」

 宵闇に、猫の眼が爛々(らんらん)と輝く。

 景真が小さく頷くと、オウカは静かに語り出した。

 

「あいつは、キケロは姉貴の許婚(いいなずけ)だったんだ。小さな村だったからな。同世代の子供もそう多くはいない。だからあいつは俺にとっても幼馴染で、友人だった。気のいい奴だったよ。真面目じゃあなかったが、誰にでも親切だった」

 そこまで言って、オウカは盃を煽り、息をつく。

「だが結婚式の前夜、あいつは姉貴が未来の子供の養育費にと貯めていた金を持ち出して、失踪した」

 オウカが奥歯を噛み締める。

 その話に出てきた男が、どうしても飄々とした人懐こいあの行商人の姿と重ならない。

「翌朝異変に気づいた俺はすぐに奴を追おうとした。けど、姉貴は何も言わずに首を横に振った。それから数ヶ月。俺の怒りは治らなかった。そして、ある日顔馴染みの行商人からある噂を聞いた」

 地面を睨みながら話していたオウカの視線が、景真のそれとぶつかる。

 

「キケロが、フォボス商会にいると」

 

 

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