ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第一話 裏 異邦の邂逅

 

 背中には草と、その下に柔らかな土の感触。

 

 どうやら仰向けに倒れているようだ。瞼越しに太陽らしき光を感じる。

 頬をそよ風が撫でる。

 土と草いきれ、そして微かな硫黄の匂い。

 

 屋外にいるはずなのにあのやかましい蝉の声は全く聞こえず、あの茹だるような暑さも嘘みたいに消えてしまった。

 自らの記憶を辿るも、廃施設のゲートを乗り越えたあの瞬間から途絶えている。

 

 恐る恐る瞼を上げる。

 目に入る木漏れ日の眩しさに思わず目を眇める。

 その目線の先には季節外れの、桜……?

 いや、よく見るとそれは花ではなく、薄桃色の葉がざわざわと風に揺れていた。

 

 その現実離れした景色をぼんやり見上げると、その木々の上を両腕を広げたよりもなお大きなメタリックブルーの翼を持つ鳥が編隊を組んで飛んでいく。

 

 ああ――俺は死んだのか?

 

 知る限りでは日本に、いや地球上にこんな景色は無い。

 だが、死んだにしては余りにも五感が生々しい。もっとも、死んだらそれらが喪失されるのかも知らないが。

「流行りの”異世界転生”ってやつか? いや、この場合”転移”になるのか?」

 自らの思いつきを鼻で笑う。

 

 だが、仮にここが異世界なら先輩や他の行方不明者もここに飛ばされている――つまり、生きている可能性があるのではないか。

 その微かな希望が、胸の奥に小さな火を灯す。

 

 覚悟を決め、腹筋を使って起き上がると辺りを見渡す。

 

 地面を覆う草は見慣れた緑色だったがその形状は見たことのない物だった。

 立ち上がり、体に付いた土や草を手で払う。やはり身体に異常は見られない。が、

「つッ……!」

 左の二の腕に鋭い痛みが走る。

 シャツの袖も裂け、切り傷から滴った血が指先まで乾いてこびり付き僅かに引き攣る感触がある。

「いつ切った……?」

 記憶に無い怪我に困惑するが、幸いそこまで深い傷ではなく動かすのにも支障はなかった。

 

 喉の渇きを感じ、バックパックを地面に下ろすと飲み物を探す。

 しかし、見つかったのは空の水筒だけだった。

「――なんにせよアレだ。”ネタは足で掴め”、と」

 先輩の教えを独りごち、バックパックを背負うと当て所なく歩き出した。

 

 頭上を覆う桜色の葉は竹のような節を持つ植物のものだった。

 茎は竹と同じく緑色だが見慣れた竹よりも広く、ぎっしりと薄桃色の丸みを帯びた葉を繁らせている。

 

 足元を這う虫も、周囲に茂る植物も、樹上からこちらを伺う鳥も、その全てが見知らぬものばかりだった。

 

 新しい物を見つけてはカメラに収めていく。

 それは夢の中の世界を切り取り、記録していくかのような作業だった。

 その楽しさが、見知らぬ場所に放り出された不安もいつしか好奇心に上書きされていった。

 

 ――ふと、水の音と匂いを感じて立ち止まる。

 忘れかけていた喉の渇きが蘇り、生唾を飲み込むと音の方向へ足早に向かう。

 

 肩の高さ程の藪をかき分けると、その先に見えたのは泉だった。

 澄み切った水は風に揺れるたび木漏れ日を受け輝き、星の瞬きを思わせる。

 そのほとりに膝をつくと手を差し入れる。

 冷たい。

 そのまま掬い上げると口へ運んだ。

 喉を鳴らして飲み干すと、欠けていたものが埋め合わされていくように体に染み渡っていくのを感じる。

 

 夢中になって再び手を泉に突っ込んだところで、

 

 ――ちゃぷん

 

 水音を聞く。

 すぐ左手、しゃがんだ体勢だとちょうど目隠しになる薮の向こう側。

 何かに急かされるように立ち上がり、視線送る。

 

 そこにあったのは腰まで泉に浸かり水浴びの最中だったのだろうか、こちらを静かに伺う少女の姿だった。

 

 柔らかな木漏れ日が降り注ぐ。

 艶やかな髪の毛が濡れて丸みを帯びた頬に貼りつき、白磁の肌を水滴が滑り落ちる。

 やや吊り気味の瞳は黄金色の中にゆらめく炎のような赤みを湛えている。

 

 その頭には――大きな耳。髪の毛と同じ焦茶色の毛で覆われたそれは、こちらの様子を伺うようにピコピコと動いている。

 彼女の後ろに垂れているのは水に濡れて萎れているが尻尾だろうか――

 

 時が静止する。

 一枚の絵画の中に、その観測者として永久に閉じ込められたような感覚。

 ――それでもいいとすら思えた。

 

 静寂の中見つめ合う二人の間にただ、風だけが流れていた。

 

 「うわっ、ご、ごめん!」

 自分が余りに不躾な視線を少女にぶつけている事に気付き動転する。

 

 すぐさま反転し、退散しようとしたが追ってきた少女の右手がその左手を掴む。

 柔らかな感触と、微かだけど確かな温もり。

 ――確かな、生々しい命の感触。

 

 ゆっくりと振り向くと、左手に抱えたワンピースのような衣服で前だけを隠した少女が小首を傾げ口を開くと、それは鈴の音のような心地よい響きで空気を震わせた。

 

 「アレヨゥ ア――“ワタリビト” ロークィリケ、サト?」

 

 流麗な響きのその言語はしかし、知識の中にあるどの言語とも一致しない。

 それでいてなぜか妙な懐かしさを覚える。

 その中にノイズのように聞き取れる単語が混ざっていた。”ワタリビト”……?

「今、なんて言った……? ワタリビトって?」

 

 その瞬間、左の手のひらに強い熱を感じる。

 思わず顔を顰め、少女の手を振り解くと痛みの根源に目をやる。

 薄皮一枚の下で蟲が這いずるように黒い線が蠢く。その度に灼けつくような痛みが走り、徐々にだがくっきりと形を成していく。

「なん……だよ、これ……魔法陣……?」

 正円の中じわりと伸びる黒線は複雑な紋様を描き出す。

 その線がスッ、と明確になり星空の如き光を放つ。

 その刹那。

 

 ブツッ――

 

 記憶が、そして知識が手のひらから発し、左腕を通じて脳へと遡上する。

 頭が、痛む。

 今まで味わったことのない壮絶な痛みに思考が纏まりを失っていく。

 頭の中で光が弾け、闇が広がり、また光る。

 意識は激痛に塗り潰され、新たな記憶が書き込まれていく悍ましい感触に全身から汗が吹き出す。

「ぐぅぅぁぁあ……!!」

 倒れ込み、言葉にならない唸り声を上げた。

 

 その衝撃に耐え切れず明石景真の意識は底知れぬ闇の中へと深く、深く沈んでいく。

 

 遠く、頭上で呼ぶ声が聞こえる。

 

 「ケーマ」――と。

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