ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第十三話 裏 厄災

 

 銀鉱の町アゲントは切り立った鉱山の麓を切り開くように栄えていた。

 町は鉱山の東側に広がっているため、まだ日は高いのにすでに山の影に隠れて薄暗い。

 

 町の至る所に坑道の入り口があり、鉱夫たちが行き交っている。

 鉱山の上部にあるほど新しい坑道で、麓に空けられたものはほとんどが採掘し尽くされて閉じている。

 その代わりに麓の町は銀を買い付けに来た商人や、ゴンドへ向かう、あるいはその帰りの旅客で賑わっていた。

 

「三日間アゲントに滞在し、四日目の天秤の刻に発つ予定だ。その間、兄さんたちは自由にしてもらって構わない。町の宿に泊まってもいいし、金が無ければ荷馬車で休んでくれても構わん。場合によっては姐さんに商売の助言を請うかもしれんが、その時は使いを寄越す」

 

 オウカにそう言われた景真はコハクと二人、町をぶらついている。

 コハクはやはりゴンドのことが気になるのか、表情こそ普段と変わりなかったがいつも以上に言葉少なだった。

 異端者の追手を警戒してフード付きの外套を被ってはいるが、これでどこまでその目を誤魔化せるのかは分からない。

 

 この町に、ミラが指定した廃坑がある。

 

 その場所や構造は手のひらの紋様を通して脳に刻まれていた。

 そんなことができるのなら勿体ぶらずに情報を寄越せ、とも思ったがあの不条理な存在にも彼女なりの制限があるのだろう。

 

 問題は、いつ向かうかだ。

 

 猶予は三日間。

 景真はもう、腹を括っている。

 ミラが提示する情報がなんであれ、春華を見つけ、現世(オービス)に帰る手がかりにあるのであればそれを受け入れる。

 

 だが、コハクはどうだろうか。

 

 ゴンドの危機を知り、コハクは明らかに取り乱している。

 四百年来の故郷が滅ぼされるかもしれないというのだから当然だ。

 だからコハクにミラのところへは景真一人で行くことを提案した。

 しかし、コハクは静かに首を横に振るだけだった。

 

 コハクがついて来たいという意思を示している以上、景真にはそれを止めることはできない。

 

 とにかく今は心と体を休め、明日、あるいは明後日の朝判断しても遅くはないと考えた。

 

「この町も賑わってるけど、ゴンドとはまた雰囲気が違うな」

 ゴンドでは白く立ち昇っていた湯気の代わりに、アゲントではそこかしこにある炉が煙突から黒煙を吐き出している。

 

 風下の家々は煤で黒ずんでおり、息を吸うたびに喉の奥に違和感が蓄積していく。

 出稼ぎの労働者が多いためか、人口の割に子供の姿がほとんど見られない。

 それらの要素が町全体を包む薄暗さも相まって、どこか陰鬱な空気を醸成していた。

 

「ゴンドは観光地だから。……私はこの町の空気は少し、苦手」

 確かに、景真もすでにゴンドの突き抜けるような青空が恋しくなっていた。

 

「――きっとゴンドは大丈夫だよ」

 暗い空を見上げて、ぽつりとこぼす。

 それは一見空疎な慰めのようでいて、その実景真は今の時点でゴンドが大きな災厄に見舞われるとは考えていなかった。

 

 キケロ単独でできることも、持ち込めるクスリの量も限られているだろうし、祭りという最悪のタイミングはすでに逸している。

 その上でオウカの放った密使が町議会に働き掛ければ危険なクスリが蔓延するという事態はほぼ起きないだろう。

 

 無論、フォボス商会もこの一手だけであの規模の町をどうこうできるとは思ってはいまい。

 

 キケロはその尖兵だ。

 奴が作った足がかりを利用して数年単位で侵蝕していくつもりだろう。

 

 だが少なくともその初動は失敗した、と言っていいはずだ。

 

 コハクもそれは理解している。

 それでも故郷が(よこしま)な連中に狙われていると分かれば、心中穏やかでいられないのは当然のことだ。

 

 景真の言葉に頷きつつも、まだ表情の晴れないコハクに尋ねる。

「ところで、寝床はどうする? 俺は荷馬車でも構わないよ」

 旅の資金をコハクの財布に頼り切っている景真に「宿に泊まろう」などと言う資格はない。

 いっそコハクだけでも宿に、とも考えたが互いに一人になるのは危険だと思い直して口にはしなかった。

 

「宿にしよう。疲れてるでしょ?」

「それは……ずっと荷馬車で、歩いてないし平気だよ」

 実際には自力で歩くよりはマシにしろ、あの揺れによる痛みと疲れは着実に蓄積している。

 ありがたい申し出ではあるが、やはり気が引けた。

「私は疲れたから。先に宿をとって、それから夕食だね」

 その気配を察したのか、コハクは有無を言わさぬ勢いで景真の袖を掴むと、猫のような身のこなしで人波をスイスイと縫っていく。

 

 辿り着いたのは質素な宿だった。

 外観はナーシャの宿とそう変わりはないが、中に入ると一層薄暗く、掃除も行き届いてないことが一目で見て取れる。

 受け付けには老婆が座っているが、本でも読んでいるのか入って来た景真たちに一瞥もくれない。

 

「二人。空いてる?」

 コハクがカウンターの前に立ち声をかけるとようやく顔を上げる。

「二人部屋なら一泊銅貨四枚、先払いだよ」

 老婆は無言でコハクが重ねて置いた四枚の銅貨をしまい込むと、カウンターに投げるようにして鍵を寄越す。

「一階の奥の部屋だ」

 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、再び手元に視線を落とした。

 コハクは鍵を手に取ると、小さく会釈してから後ろで見守っていた景真の元にやって来る。

「行こう、ケーマ」

「あ、ああ」

 ナーシャの対応との落差に面食らっていた景真はコハクの声で我に帰る。

 

 暗い廊下の先にあったドアは、開くとギイイと大きく鳴いた。

 部屋に入ると、埃の匂いが鼻をつく。

 窓はあるものの日光は入らず、夜中のように暗い。

 天井から吊り下げられたランプも油が切れていた。

 

「休める内に休もう」

 コハクにそう促され硬いベットに身を横たえると、一層濃い埃の匂いに包まれ鼻がむずむずする。

 

 それでも快適とまでは言えずとも、野宿よりはよほど良い。

 

 景真の意識は瞬く間に眠りへと滑り落ちていった。

 

 

「――ケーマ」

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 体を揺すられ、意識を引き戻される。

 目を開くと天井からぶら下がったランプの炎が頼りなく揺れていた。コハクが自前の油を足したのだろうか。

 

 その目線を横に動かすと、コハクが景真の顔を覗き込んでいる。

「コハク……?」

 その顔は青ざめ、体は小さく震えている。

 慌てて体を起こすと古びたベッドが軋む。

 

「何があった?」

 震える唇が小さく開く。

「……視えたの」

 

 その言葉に景真は息を呑み、そして覚悟する。

 

「――見たことないほど大きな空穴が開いて、町が飲み込まれるのが」

 

 大きな災厄が、迫っていることを。

 

 

 

 この町が空穴に飲まれる――

 

「この町全部がか?」

 コハクは首を横に振る。

「北側半分。すぐに知らせないと……私は役場に行くからケーマはオウカに伝えて」

 ――町の北側。

 そこにはミラが指定した廃坑がある。

 景真はそこに作為のようなものを感じずにはいられなかった。

 

 景真が目を覚ます前にコハクはすでに次の動きを考えていたようで、荷物もすでにまとめてあった。

「分かった。役場は動いてくれるのか?」

「……分からない。でも、やらないと」

 コハクの声に迷いはない。

 ならば、景真も迷う必要はない。

「どれくらい時間がある?」

「はっきりとは分からない。けど、今夜だと思う」

 

「193分48秒後だよ」

 

 二人だけの部屋に突然響いた聞き覚えのある声。

 この声を聞くのは三度目だった。

「だから君たちは今すぐにボクが教えた廃坑に向かうべきだ。場所は分かるね?」

 

 姿は現さず、声だけが聞こえる。

 音の発生源は景真の左手でもなく、部屋の空気を直接振動させているかのようだった。

 

「……町の人を見殺しにしろって言うのか?」

 無論、この声の主にまともな倫理観など期待してはいない。

「その場所にはボクの本体の一部がある。ボクよりも権限が大きいから君にとって必要な情報を教えられる。けど、空穴が開けば失われてしまうよ。君が望んだ情報も、女神を殺す手段も」

 明るい声で、当然のことのように人命を切り捨てろと言う。

 

「今ならまだそこへ行き、話を聞いて避難するだけの時間がある。合理的に判断して欲しいな。さあ、あと191分12秒だ」

 

 眩暈がする。

 人の死を一顧だにしないような存在が、自らの体内に宿っている事実に。

 

 同時にこうも考える。

 

 春華を救い、現世(オービス)に帰る。

 その目的を果たすためには、この左手に宿る怪物の言う通りにするしかないのではないか。

 

 そんなことを考えてしまう自分自身にも。

 

 だけど――

 

 コハクが景真の左手を睨み、肩を震わせている。

 尻尾の毛は逆立ち大きく膨らみ、目尻に涙を溜めて、

 

 コハクが怒っている。

 

 声を荒げるでもなく、暴力を振るうでもなくただ静かに、そして苦しそうに憤っている。

 

 ミラの語る合理も、道理も、正義すらも、コハクにこんな顔をさせた時点で全てが無価値に思えた。

 

 景真はコハクの肩にそっと右手を置いた。

 

 間違っているかもしれない。

 後悔するかもしれない。

 目的が遠のくかもしれない。

 ――あるいは、その機が永遠に失われるかもしれない。

 

 それでも、コハクを踏み躙って選んだ正解など認められなかった。

 

「行こう、コハク。町の人を助けるんだ」

 コハクは景真の言葉に目を見開き、静かに頷く。

 その表情からは、張り詰めたものが微かに薄まっていた。

 

「本当にそれでいいのかい? 女神を殺さないともっとたくさんの人間が死ぬことになる。きっと後悔する羽目になるよ」

 

 景真はそれには答えず、黙っていろと強く左手を握りしめた。

 

 宿の外でコハクと別れオウカを探す。

 異端者の存在は気掛かりだったが、今は見つからないことをただ祈る他ない。

 フードを深く被り身を引き締める。

 

 まずは町の外に停めてある荷馬車に向かうことにした。

 

 夕暮れ時の通りは仕事終わりの人々でごった返している。

 景真はその中で、行商隊で見た顔がいないかを探しながら町の外を目指す。

 

 ふと、目線の先に露店を物色する見覚えのある耳と尻尾を見つけた。

 

「マツリカ!」

 雑踏に負けないように大きな声で呼ぶと、その小さな後ろ姿が跳ねた。

「に゛ゃっ!? ……ケーマの兄さんじゃないッスか。びっくりさせないでほしいッス」

 普段はしなやかな尻尾の毛が逆立ち、三倍もの太さになっている。

「ご……ごめん、そんなに驚くとは。オウカがどこにいるか分かるか?」

「兄貴? 多分まだ銀の買い付けで商館にいると思うッス」

「悪いが、すぐ案内してくれ。至急の用だ」

 景真の様子にただならぬものを感じたのか、マツリカはすぐに頷いた。

「――分かった、ついて来て」

 いつもと違う、落ち着いた声のトーンにドキリとしながらその背を追う。

 

 大通りを10分ほど走り辿り着いたのは、煉瓦造りの歴史を感じさせる建物だった。

 マツリカは迷いない足取りでその裏手へと入っていく。

 

 その後について商館の裏に回ると、見慣れた幌つきの荷馬車が停められていた。どうやら荷下ろし場になっているようだ。

「どうした? 血相を変えて」

 マツリカに気づいたオウカが近づいてくる。

 その背後では商隊員たちが何かを荷馬車に積み込んでいる。

 

「ん? 兄さんも一緒か。狐の姐さんは?」

 オウカは肩で息をする二人が呼吸を整えるのを待っている。

「兄さんが……兄貴に急用ってんで……お連れしました……」

 マツリカが膝に手をついたまま絞り出すように言う。

「……そういうことだ。少し、荷馬車で話せるか?」

「分かった、すぐに聞こう」

 オウカが即答し、軽い身のこなしで荷台に乗り込むと景真に手を差し伸べる。

 景真はその手を掴み、引き上げられるままに荷台へ乗り込んだ。

 

「空穴が、アゲントを……」

 オウカは胡座をかき、腕を組んだまま景真の話を咀嚼するように目を閉じた。

「実は、銀を予想よりも安く買い付けることができた。なんでも、町の北側に新たな鉱脈が見つかったってな。なのになぜ姐さんの”予言”は値上がりすると言ったのか、不思議だった」

 その目が開かれる。

「だが、町がその鉱脈ごと半壊するって話なら合点がいく。分かった。すぐに商隊を集めて避難させる。俺は商館にこの話をして町議会に働きかけさせよう」

「ああ、助かる」

「なに、町に恩を売る好機だ。逃す手はないさ」

 オウカはわざとらしく口角を上げてから立ち上がり、荷馬車を飛び降りる。

 

「兄さんは姐さんと合流してくれ。マツリカ! 兄さんを役場まで案内しろ」

 商館の外壁にもたれるように座って皮袋の水を飲んでいたマツリカを大声で呼びつけると、そのまま大股で商館の中へと入って行った。

 

「うへ〜、また走るのか……兄貴、人使い荒いッス」

 そう愚痴りながらも機敏に立ち上がり、荷馬車を降りた景真の元に走り寄ってくる。

 

「悪いな、疲れてるところを」

「お安い御用ッス。兄さんこそ大丈夫? すぐ走れます?」

「……余裕だ」

 正直言うと、微かに膝が笑っている。

「じゃあ行くッスよ。あ、水飲みます?」

 マツリカから皮袋を受け取り口をつける。

 ぬるい水が喉を滑り落ちると、体に活力が戻るのを感じた。

 その様子を見てマツリカの目がニッと笑う。

「しっかりついて来て下さいね」

 

 先に通りへ向けて走り出した背中を、景真は再び追いかけるように走る。

 

 災厄の時が、あと二時間版と迫っていた。

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