ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第十七話 裏 残された声

 

 山肌を削って作られた道をウェスペルを先頭にコハク、景真の順で縦列で進んでいく。

 右手は切り立った崖になっていて、下を覗き込むと背中を冷たいものが滴り落ちた。

 町からは完全に死角になっており、確かにここを異端者たちが行き来していてもなかなか目に留まることはなさそうだった。

 

「そう言えば、廃坑にいた異端者たちはどうなったんだ?」

 可能な限り道の左端を歩きつつ、前を行く大きな背中に問いかける。

「尋問のため連行していたところ、崖から飛び降りた。一人残らずだ。――ちょうど、この辺りだったか」

 思わずその指がさす先を見てしまい産毛が逆立つ。

「……連中はそんなに狂信的なのか」

「そのようだ。己の命を顧みないものは手強い。覚悟はしておけ」

 その言葉に、エクトルから託された懐の短剣を握りしめる。

 

 もちろん、景真は刃物で戦ったことなどない。

 いや、刃物どころか人を殴ったことすらない。

 問題は戦闘技術の有無などではなく、暴力を人間に向けられるかどうかだ。

 いざ自分やコハクの生命が危機に晒された時、この体は動いてくれるだろうか。

 

「ここだ」

 ウェスペルが立ち止まり、左手の洞穴を示す。

「火を頼む。俺たち狼族はアニマ操作が苦手でな」

 松明を差し出されたコハクが手を差し伸ばすが、それを景真が止める。

「俺にやらせてくれないか」

 コハクは少し驚いた顔をしたが、黙って頷くと景真にその役を譲る。

 

 ミラが顕現してから、アニマへの感覚が強くなったのを感じていた。

 今なら、あの時掴みかけた感覚を捉えられる気がする。

 

 体の中を巡り、大気に、水に、地に溢れるそれを知覚する。

 

 体内のアニマに指令を託し、放つ。

 

 肉体から放たれたアニマは景真の意志を外のアニマへと伝達し、

 

 ――具象化する。

 

 ボッと音を発し、松明に炎が灯った。

「つ……点いた」

 感じたことのない疲労感に思わずその場にへたり込んだ。

「ケーマ、やったね」

 コハクは我が事のように喜んでいる。

 一方景真は喜びよりもむしろ安堵の感情が大きかった。

 これで少しはコハクを守り、その役に立てるかもしれないと。

 

「……なぜアニマが使えるんだ? ケーマ殿はワタリビトだと聞いていたぞ」

 ウェスペルは目を丸くしている。

 ワタリビトにはアニマが無い。それは以前コハクから聞いていた話だ。

 景真からはアニマを感じる、とも。

「ネビュラに飛ばされる時に何かされたみたいだ。……俺にも詳しくはわからないが」

「……」

「ウェスペル……?」

 耳を垂れて黙り込んでしまったウェスペルを呼ぶ。

 やはりこの話をしたのはまずかっただろうか。

 

「――いいなあ!!」

 

 それは新しい玩具(おもちゃ)を自慢された子供のような反応だった。

 地鳴りのような声で。

 

「俺もそれをされたら使えるようになるのか? うーむ、羨ましいぞケーマ殿! どこに行ったら受けられる?」

 ウェスペルは犬のように尻尾をブンブンと振って景真に迫る。

 行きつけの美容院を尋ねるような気やすさだった。

「い……いや、俺にもそれはわからないんだ。ほら、火も点いたし早く入ろうぜ。あんまり遅くなるとリウィアに怒られるぞ」

「ぐ……姉者……やむを得ん。この話は帰ってからするぞ、ケーマ殿」

 観念したウェスペルが廃坑の入り口へ松明を向ける。

 

 ぽっかりと口を開いたそれは、その明かりが到底届かないところまで深く続いている。

 

「俺についてきてくれ」

 振り向いて言うウェスペルに首肯を返し、その大きな背中を追う。

 

 しばらく奥へ進んでいくと食料の入った瓶や水桶などが足元に転がっている。

 それは人がいた形跡ではあれど、生活していたとまでは言えないものだった。

「あまり長居していた感じじゃないな」

「ああ。俺がここに踏み込んだ際も腰を落ち着ける、という雰囲気ではなかった」

 ウェスペルが松明で岩壁を照らす。

 そこには壊れた手枷と足枷があり、それらは鎖によって壁に打ち付けられた杭に繋がれていた。

「ここにワタリビトの女は繋がれていた」

 

 ゆっくりと近づき跪く。

 足枷を手に取ると、ずしりと冷たい感触が手に伝わる。

 

 その内側には黒く酸化した血痕があった。

 

 それが目に飛び込んだ瞬間、後頭部が燃えるように熱を持つ。

 ここに繋がれていたのが春華だという確証はない。

 頭ではそう考えても、感情が熱を持ってうなじから迫り上がってくる。

 

 松明の炎が揺れ、長く伸びた景真の影もまた揺らぐ。

 

「ケーマ、これ」

 ハッとなり、声の方に振り向く。

 その声に、胸の芯が冷えていくのを感じる。

 

 振り返るとコハクが葉っぱほどの大きさの黒い物体を差し出していた。

「これは……」

 受け取り、松明の火に翳してしげしげと眺める。

 

 それは紛れもなくボイスレコーダーだった。

 しかもこれは記者7ツ道具の一つ、”隠しレコーダー”だ。

 

 春華は信用できない取材相手に当たる際、スマートフォンで録音する振りをして服の内側に仕込んだボイスレコーダーをこっそりと回していた。

 その話を聞いた時は「何もそこまでしなくても」と思ったものだが、事実春華は取材先でその身を拉致されたのだから決して過剰な防衛策などではなかったと言える。

 

 これがここにあるということは、春華は意図して置いていったのだろう。

 いつか春華を追ってここに来る、誰かに向けて。

 

「先輩が……ここに」

 思わず笑みがこぼれた。

 ネビュラに飛ばされて来た時、春華はこの世界にいると根拠なく確信した。

 そして今、ついにその確証を掴んだ。

 

 小さなボイスレコーダーを握りしめ立ち上がる。

 この中に更なる手がかりが記録されている可能性は高い。

 

 影すら見えなかったその背中が、ついに目視できるところまで近づいたと思えた。

 

 ――カツン、カツン。

 

 不意に、廃坑内に足音が響く。

 入り口の方向からだ。

 

 ウェスペルが人差し指を口の前で立て、足音の方へと松明を向けるとボォッと音を残して炎が軌跡を描く。

 

 その右手は左腰に提げられた剣を掴んでいた。

 

 足音が、近づく。

 

 

 

 ――カツン、カツン。

 

 足音は間違いなく近づいている。それも、極めて規則正しいリズムで。

 にも関わらず目線の先には黒々とした穴があるばかりで、その先には一切の明かりも見えてこない。

 

 この坑道は松明も無しに歩けるような道だっただろうか。

 

 無意識に、短剣へと右手が伸びる。

 

 ウェスペルが松明を向けるその先を睨み、足音の主を待つ。

 ――どれほどの時間が経っただろうか。

 1分? 2分? それともまだ30秒ほどしか経っていない?

 坑道の湿気た匂いがいやに鼻につく。

 

 深く息を吐こうとしたまさにその時、暗闇に黒い影が浮かび上がった。

 ウェスペルは静かに剣を抜く。

 研ぎ澄まされた白刃が松明の火を映して鈍く光る。

 

 影はそれに怯むことなく、速度を変えず近づいてくる。

 

 松明に照らされたその影は、確かに見覚えのある顔だった。

 

「あいつは……!」

「知り合いか?」

 ウェスペルが剣を影に向けたまま問う。

「……ガルス村で俺たちを襲った異端者だ」

 そしてミラによって撃退された二人の内の、若い方の男だった。

 左手には剣を握り、右腕はだらりと垂れ下がっている。

 胡乱な目はどこを見ているのかはっきりと分からない。

 半開きの唇がぼそりと動く。

 

「ワタリビトを捕らえ……他は殺す……」

 

 その呟きははっきりと、静かな廃坑の空気を揺らした。

 ウェスペルの耳が跳ね――刹那、男へと斬りかかる。

 

 松明を男の顔面目掛けて投げつけ前へと踏み込む。そしてそのまま剣を握る左腕に向けて豪剣が振り下ろした。

 

 しかし男は自身の頭部を襲う炎を意にも介さず逆手に持ち替えた剣でウェスペルの斬撃を受け止める。

 乾いた金属音が響き、火花が二人の顔を照らす。

 

「ワタリビトを捕らえ、他は――殺す」

 

 そのまま剣を受け流し、上半身を回転させて剣を振るう。

 ウェスペルはその切先をすんでのところで身を(よじ)って(かわ)し、(かし)いだ勢いをそのままに蹴りを男の脇腹に叩き込んで距離をとる。

 刃が掠めた首筋を赤い血が滴った。

 

 地面に落ちた松明だけが、その死闘を照らしている。

 

 妙だ。

 異端者の男の様子は明らかにおかしい。

 ガルス村での襲撃の時ももう一人の大男は只者ではない空気を纏っていたが、今目の前にいるこの男についてはそうは思えなかった。

 身体も細く、景真を脅すその言葉にもどこか自信の無さが滲んでいた。

 その男が今、一回りは体の大きなウェスペルと互角の戦いを繰り広げている。

 

 ウェスペルは間違いなく強者だ。

 素人目にもその速さ、身のこなし、太刀筋が一朝一夕で身につくようなものではないことが分かる。

 赤い髪の男とやらに喫したのが生まれて初めての敗北だったというのも大言壮語などではないのだろう。

 

 そのウェスペルと()()()やり合っている。

 

 男はゆらりと前に出ると、まるで関節が無いかのような動きでウェスペルに迫る。

 その目が妖しい光を宿し、暗闇に軌跡を残す。

 

 ウェスペルが横に薙いだ剣を上半身を左にぐにゃりと折り曲げて躱す。

 そのまま左手を振り、その切先がウェスペルの脇腹を切り裂いた。

 男がその不自然な体勢のまま、ギョロリと景真を見る。

 

 その瞳には何も映っていなかった。

 松明の炎すらも反射されず、その黒に飲み込まれている。

「ワタリビト……」

 ゾッ――と鳥肌が立ち反射的に後ずさる。

 

「――よそ見とはッ!!」

 その瞬間、ウェスペルは腹の傷を庇うこともせず、上段から両手で握った剣を振り下ろした。

 男はそれにも反応し剣で防ぎ火花が刹那、暗闇を照らす。

 

 ――が、ウェスペルの渾身の斬撃は男の剣をへし折り、そのままその胴体へと叩きつけられた。

 

 男は身体を上下に両断され、声すら上げずに自らの作った血溜まりの中に沈んだ。

 

 廃坑に静寂が戻る。

 

 男は絶命した。

 当然だ。これで生きているはずがない。

 

 にも関わらず、このまま這いずって襲ってくるのではないか。

 そんな度し難い妄想が頭から消えてくれない。

 

 炎と共に揺らめく影が生んだ錯覚だ。

 そう心の中で唱えてかぶりを振る。

 

 ウェスペルが剣の血を布で拭い、鞘へ収める。

「……見たことのない剣技だった。あれを剣技と呼んでいいものか」

「前に襲われた時は……こんな風じゃ、なかった」

 コハクは炎に照らされる死骸を凝視しながら言う。

 景真の袖を掴む手が微かに震えている。

 

 男の洞穴のような瞳は、未だ景真に向けられている。

 その目を睨み返す。

 無意識の行動だった。

 黒い二つの点を中心に視界がぐるぐると回り始め、意識が吸い寄せられていく。

 深い深い、どこまで続くのか分からない井戸を、覗き込むように。

 

「とにかく一旦ここを出よう。増援がいないとも限らん。収穫もあったのだろう?」

 

 ウェスペルの声に意識が引き戻される。

「あ……ああ。出よう、すぐに。……怪我は大丈夫か?」

「大事ない。彼の遺体は後で回収させる。異端者とは言え、弔いは必要だ」

 そう言うとウェスペルは亡骸に向けて右手で祈りの形を作る。

 

 ――女神(オルフェナ)の、五枚の翼の形を。

 

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