ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第二十二話 裏 世界の寿命

 

 空間を満たしていた白い光が消え、それと入れ替わるようにランプに火が灯る。

 同時に、コハクの手を握っていた右腕が下へと引っ張られる。

 その方を見ると、コハクが重力に負けたようにその場にへたり込んでいた。

 

 「話はまとまったようだな」

 ミラビリスとの対話の最中、沈黙を守っていた男――明石全登(てるずみ)が口を開いた。

 景真はしゃがんでコハクの身体を支えながら答える。

「ああ。で――あんたは俺に何をさせようとしてる?」

「……良い目になったな」

 全登は満足そうに頷く。

 かつてこの男もこのように真実を告げられたのだろうか。

 

 「我々『第三の翼』は聖地、真理の方舟を急襲し、ネビュラ救世教を駆逐する。景真、お前はその混乱に乗じて女神(オルフェナ)に接近し、ミラビリスから受け取った”毒”を撃ち込め」

 

 全登の口から告げられた計画は実に大雑把なものに思えた。

 

 景真は未だ、ネビュラ救世教の規模感を掴みきれていない。

 ただ、ウェスペルと戦った男のような者が多数いるのであれば並の軍隊では太刀打ちできないのではないか、と漠然と考える。

 あれは端的に言って、人間業とは思えなかったからだ。

 

 「無論、我々だけでは”使徒”と武装した信者を同時に相手する事は不可能だ。そこで、聖堂騎士団が我々に先んじて聖地を攻撃する手筈になっている」

「聖堂騎士団って?」

 隣に座り込むコハクに小声で尋ねる。

「ネビュラ創世教の教皇猊下直属の騎士団。異端者を捕まえたりしてる……らしい」

 コハクが教えてくれるが、その顔はまだ紙のように青白い。

「そうだ。数は多くないが、このネビュラでも選りすぐりの精鋭部隊だ。だが、それでもまだ戦力が足りない」

 全登が立ち上がる。

「お前たちにはアルヴァン公を動かして欲しい。”アゲントを救った英雄”の肩書きを使ってな」

 アルヴァン公。

 この公都アルヴヘイム、ひいてはエルフィリア森林公国の長だ。

「いや、いくらなんでもそりゃ無茶だろ。言わばこの国の王様だろ? 俺たちじゃあ会うのも無理だろう」

「そうでもない。エルフという種族……特に貴族はメンツを重んじる。時に偏執的なまでにな。領内の町を一つ救った英雄が謁見を望むとあらば歓待せずにはおれんだろう」

 

 そういうものだろうか。

 エルフとほとんど関わることなくここまで来た景真には今ひとつ掴みかねる話だった。

 仮に謁見が叶ったとして、軍を動かすよう要請するなどおよそ現実的な話とは思えない。

 

 「どうしてジュストが直接交渉しないの?」

 コハクが全登に問う。

 確かに、教皇から戦力を引き出せるパイプがあるのなら公爵と交渉することもできそうに思えた。

 

 「……アルヴァン公とは旧知の仲だ。だが、俺が定命の(くびき)から放たれたことを奴は知らん。ミラビリスの存在もな。故に、直接会うわけにはいかん。少なくとも奴が軍を動かし、後に引けなくなるまでは」

 全登は一つ、息をついた。

「奴は敬虔な創世教徒だ。その(ことわり)から外れた俺を許さんだろう。それに、異端者が信奉していたものこそが真なる神だったなどと知れば動揺で動けんだろうな。あれはそういう男だ」

「じゃあ女神(オルフェナ)を倒すという目的は伝えずに交渉するのか。ん? それだと、教皇はどうやって説得したんだ」

「神都の連中は全てを知った上で、女神の死を望んでいる。あの連中にとり、信仰とは権力の基盤だ。邪魔なんだよ、形而下の神なんてものは。女神がおらずともアニマによる奇跡は残る。実体がないからこそ意のままにできる。ならば、神には異端者もろとも消えてもらった方が都合がいい」

 全登は胸元のロザリオを指先で摘み上げた。

俺たちの世界(オービス)と同じく、な」

 全登の顔が皮肉に笑む。

 その笑みは積み重なった時間と苦しみが、断層のように表出したものに思えた。

「……でも、それは手放さないんだな」

 景真が全登の胸元を指さして言う。

「……これは未練だ。あるいは呪いか。……見知らぬ世界に飛ばされ、世界の滅びを知らされてなお、救われることのなかった男のな」

 全登はロザリオを引きちぎると、その手をゆっくりと開く。

 チャリン、と硬い音を残してロザリオは床に落ちた。

 

 その微かな残響が消えるのを待ち、立ち上がると腰の刀を抜き掲げて言う。

「我らは我らの選択に生き、殉じる。神の救いなど存在しないし、必要もない。ならば今こそ神を討ち滅ぼし、我らの生を我らの手に取り戻す!」

 

 静かに佇立(ちょりつ)していた黒マントたちがザッと音を立てて足を揃えて立ち、腰の剣を抜くと胸の前に立てるように構える。

 

 景真とコハクはただ圧倒され、その様子を固唾を飲んで眺めていた。

 

 

 

 

 「明日、改めてメノウを遣いに寄越す。お前たちはあの行商人と合流し、公爵に接触しろ」

「行商人……オウカのことか?」

「そうだ。奴は”アゲントの英雄”という肩書きと、銀の売買で得た儲けを使いアルヴァン公への謁見を取り付けた。それに便乗しろ」

 今日この公都に着き、もうそこまで辿り着いたというのだろうか。

「かなりのやり手だな。得難い人脈だろう。だが、公爵との交渉においては利害が衝突する可能性が高い」

「オウカの目的がわかるのか?」

「アゲント再興のための人員派遣の要請と、もう一つは銀の流通に一枚噛ませろ、そんなところだろう」

 人員の派遣についてはリウィアから要望されたと聞いてはいた。

 知り合いの商会を頼ると言っていたが、その先に公爵との接触まで目論んでいたとは思ってもみなかった。

「問題は前者だ。アゲントの再興と異端者との戦争。泥臭いのも血生臭いのもエルフどもは忌み嫌う。となれば、末端の兵士や労働者を駆り出す事になるが、いかんせん人手が足りん」

 そこで利害が衝突すればオウカと舌戦を繰り広げることになるだろう。

 だが景真にしろコハクにしろ、口でオウカに敵うとは思えない。

「公爵に接見する前に、オウカを説得するしかないか……」

 しかしそれは同時に、リウィアやアゲントの町を裏切ることになる。

 アゲントは多数の難民を抱え、一日も早い復興を求められている。

 復興が遅れ、冬を迎えれば多くの餓死者や凍死者を出す恐れすらあった。

 

 「お前たちが救わなければ、話は単純だった」

 全登が冷酷に告げる。

 結果として、あの難民たちは景真たちの行動が生み出したのだ。

「……それでも、後悔はしてない」

 あの夜、母と再会したネロが見せた笑顔。

 人々を救い、誇らしげに胸を張ったリウィア。

 それらが間違いだったはずがない。

「それでいい。重要なのは正解を選ぶことではない。選択に責任を負うことだ」

 全登が椅子に座る。

「景真、お前はお前の成すべきことを成せるよう、最善を尽くせ。その選択と結果を俺は受け入れる。お前はそれを背負え」

 

 部屋を去る景真の背に全登が言う。

 

「また会おう、我が末裔」

 

 景真は少しだけ足を止め、振り返ることなくまた歩きだした。

 

 

 

 二人は無言のまま家に帰り着くと、身体を引きずるようにして二階へ向かった。

 階段を上る脚が重たい。話を聞いて来ただけとは思えないほどに。

 

 月を持たぬネビュラの夜は仄暗い。

 寝室の窓はメノウが侵入した時のまま開いている。

 夜風にカーテンが揺れ、それから微かに強く吹いたそれに蝶番が小さくギィと応えた。

 

 窓を閉じようと窓枠に近づいた景真は眼下に広がる景色に目を奪われた。

 

 家の裏手の泉に、銀河が流れ込んでいた。

 

 我が物顔で輝く月にも、不夜の大都市にも憚ることなく瞬く星が、鏡写しのように天と地を覆い尽くしている。

 

 ――あの遥か彼方に、地球があるのだろうか。

 それも、景真の知るそれより一万年も未来の地球が。

 

 上下の感覚が揺らぐ。

 上も下も、重力も無重力も、過去と未来すらも境目を失って立っている場所すら曖昧なものになっていく。

 

 ぐらりと傾いだ身体をコハクがそっと支えてくれた。

 

 コハクはあの話をどう聞いていたのだろうか。

 ミラビリスの話は景真のいた世界、現代のオービスを起点に語られていた。

 科学技術と呼べるものが存在しない――いや、()()()()()()()()()()()()()()()世界に生きてきた彼女がどこまで飲み込めたのだろうか。

 

 「コハクは……ミラビリスの話をどう思った?」

 直接的に訊ねるのは躊躇われた。

 彼女にとって、いやこのネビュラに生きる者にとってその根底を覆されるような話だったからだ。

「……女神さまは遥か昔、オービスから旅をして来た人たちによって創り出された……。私たちは、その人たちの子孫……」

 コハクが星空を見上げる。

「信じられないって気持ちと、信じたくないって気持ちがあって。……でもこれはきっと本当のことなんだって、ケーマの顔を見てたらわかっちゃった」

 

 コハクは景真の想像よりも、ずっと正確にミラビリスの話を理解していた。

 

 「私には女神さまをどうすべきかは、わからない。正解も、正義も、善悪も、なにも。……だから、もしケーマが望むなら、未来を――」

「視なくていい」

 縋るようなコハクの言葉を遮って言う。

 

 女神を殺し、いつか来る破滅を待つのか。

 女神を生かし、管理された安寧を受け入れるのか。

 

 その選択は自身の左手に託された。

「ちゃんと選ぶ。だからその時は――」

 

 覚悟はとうに決めたはずなのに、どろどろとしたものが足首を生温かく包み込み、飲み込んでいく。

 

 これは恐怖だ。

 なぜ自分なんかが人類の命運を握らされているのか。

 景真が何を選ぼうが、地球にいる連中はそれを景真が選んだなどと知る由もない。

 

 ――だからこそ恐ろしかった。

 誰も知らないところで、誰も知らないたった一人の人間が全人類の未来を決めてしまうことが。

 彼らはそうして()()()が選んだ未来を否応なく生きるしかないのだ。

 

 『お前はそれを背負え』

 全登の言葉が蘇る。

 

 今を生きる全てのものと、これから生まれてくる全ての命。

 それらが生きる世界を、この手で選ばなければならない。

 背負わなければならない。

 

 ――ただ独りで。

 

 窓枠に置いた左手が冷たく震える。

 そこに、柔らかな手が包み込むように添えられた。

 

 「隣にいる」

 

 揺るぎない声だった。

 信じていたもの、当たり前にあった世界を丸ごとひっくり返されてなお、コハクは真っ直ぐに立ち、こちらを見つめている。

 

 思わず覗き込んだコハクの瞳には宇宙が満ちていて吸い込まれるように錯覚する。

 

 きっと、これからまだまだ迷うだろう。

 足がすくんで前に進めないかもしれない。

 土壇場で逃げ出したくなるかもしれない。

 

 それでも、この手だけは裏切れない。

 

 気づけば手の震えはおさまり、温もりが戻っていた。

 

 

 朝食の用意をしているところに昨夜と同じリズムで三度、ドアが叩かれる。

 ドアを開けると、約束通り立っていたのはメノウだった。

 

 昨日のいかにも隠密といった出立ちとうって変わって町娘のような格好をしているが、それにしてはどうにも目つきが鋭い。

 

 「朝早くからすまない。主命によりお迎えに上がった」

「せっかく変装しててもそんな畏まってたら意味ないだろ……。朝飯、メノウも食って行くか?」

「いいのか!? いや……しかし」

 メノウは一瞬だけ目を輝かせたが、すぐに食欲と主命の狭間で苦しみだした。

「悪いけど、メノウが食べなくても私たちは朝食を食べないとテコでも動かない。だからむしろ遠慮せず一緒に食ってくれた方が気を遣わないで済む」

 コハクが淡々と言い、ちょいちょいと手招きする。

「む……そう言われると頂かなければかえって申し訳ない気がしてきた……。よし、ありがたく頂くとしよう!」

 そう言うと、ウキウキとした足取りでテーブルにつく。

 景真はコハクと目を見合わせて笑い、朝食をテーブルに並べていく。

 

 「ところで、昨日あの部屋にいた連中は”第三の翼”だっけか? の幹部が何かなのか? 誰も喋らなかったが」

 夢中でパンとスープを口へと詰め込むメノウに聞く。

「ん……ぐ……」

 メノウは開いた右手を突き出し、顔を背けながら頬張ったものを水で流し込むと改まって口を開いた。

 

 「彼らは……というか私を含めて十二名、女神の使徒に対抗すべく集められた”十二剣”だ」

「十二? 確か、メノウを含めても八人しかいなかったような」

 記憶の中の人影を指折り数える。

「四名は別任務に当たっていて、あの場にはいなかった」

「強いのか?」

 アーサー王の円卓の騎士を思い浮かべ、少しワクワクして訊ねる。

「私は若輩の末席に過ぎないが他は皆、達人と呼んで差し支えない。しかし……それでも使徒に及ばない。それが実情だ」

 

 女神の使徒。

 幾度か聞いたその言葉。

 それだと思える相手にはまだ会っていないが、その存在に心当たりがあった。

 

 春華の残した音声データ。

 そこに現れた、リブラと呼ばれた男。

 声だけだったが、人の枠を超えた存在だと本能が感じていた。

 

 「使徒ってのはなんなんだ? 人間なのか?」

「女神の祝福を受け創り出された十二人の存在だ。彼らは女神の忠実な(しもべ)にして狂信者。知能、身体能力、アニマ適正。全てにおいて完成された存在だ。奴らが人間かと聞かれると、そうだな……オービスの言葉で言うと、”天使”が近いかもしれない」

「そいつは……手強そうだ」

 

 遥か未来の超技術によって生み出された強化人間。

 しかも、アニマを操ることもできる。

 正面切ってやり合える相手だとは考えづらかったが、景真たちの勝利条件は使徒の殲滅ではない。

 いかに戦闘を回避し目的だけを達成するかに注力すべきだろう。

 

 「……景真殿はこのネビュラに来て奇妙に思わなかったか?」

「……うん? 何をだ?」

 メノウが眉間の前に人差し指を立てて言う。

「この惑星(ほし)では文明が停滞している。何千年も。まるで、時が凍りついたように」

 

 この惑星に人類が辿り着いてからおよそ一万年。

 そして、コハクが生まれてから四百年。

 景真はその変遷を見てきたわけではない。

 だが、これだけの文明が栄えながら未だ中世のレベルに留まっているのは、確かに不自然に思えた。

 

 「女神が使徒に、文明を次の段階に進める特異点(シンギュラリティ)となる人物や発明を消させているからだ」

 一人考え込む景真が答えを出すのを待たず、メノウが結論をぶつける。

「百年ほど前、蒸気機関を完成させようとした男がいた。護衛のため使徒と交戦した当時の十二剣の内三名が戦死し、彼を守ることも叶わなかったという」

 その言葉には悔しさが滲む。

 きっとあの組織は、幾度も使徒に苦渋を舐めさせられてきたのだろう。

 

 「……なんでそんなことを? いや――」

 人類を保護し、生存させることを目的に生み出された女神。

 その意思に従って動く使徒。

 

 その意思が生まれた原因。

 

 「人類を滅亡から遠ざけるため、か」

 景真の言葉にメノウが静かに首肯する。

 

 ならば手段はどうあれ、その動機を全否定できるだろうか。

 進歩の果てに避け得ぬ破局が待つならば、それを止めてしまえばいい。

 それは一つの正解のようにも思えた。

 

 もしも今女神(オルフェナ)を破壊し、堰き止められていた時が流れ出したなら、

 

 ――この世界(ネビュラ)の寿命はどれほど残っているのだろうか。

 

 

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